水若酢神社(島根県隠岐の島町)を掲載しました。
水若酢神社(みなわかすじんじゃ)
<通称>明神さん(みょうじんさん)
【鎮座地】〒685-0311 島根県隠岐郡隠岐の島町郡723 旧隠岐国 越智郡
【御祭神】水若酢命 (配祀)鈴御前 中言神
【例祭】 5月3日 例大祭 5月3日(隔年
【旧社格等】国幣中社 (現別表神社)
隠岐國一の宮
式内社 隠岐國隠地郡 水若酢命神社(名神大)
【御由緒】
水若酢神社
主祭神 水若酢命 配神 鈴御前 中言神
神紋 菊 例祭日 5月3日
特殊神事 水若酢神社祭礼風流(県指定無形文化財 隔年毎偶数年斎行)
由緒
御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ、国土開発・北方防備の任に就かれた神と伝えられている。
当社は昔火災、水害の難にあい、古文書、社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが、延喜式神名帳に「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神、隠岐一宮」と記されている古社である。
鎮座年代は僅かに残っている古文書には、仁徳天皇又旧記には、崇神天皇の御代とあって古来五穀豊穣、海島守護、航海安全の神として朝野の崇敬篤く、明治4年国幣中社に列せられた神社である。
国指定重要文化財
水若酢神社本殿
平成四年一月二十一日
現在の本殿は寛政七年(一七九五)に建造されたもので平面の形は神明造りに、屋根は大社造りに、向拝は春日造りに似ている点もあるが、「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りで簡素で素朴な美しさを持ち、しかも威厳と風格を備えている。
本殿は南向きで屋根は切妻造りの茅葺きで高さ十六メートルあり鬼板についている菊の御神紋は直径三十三センチある。
平面形は前面三間、奥行二間、正面は引違木連格子戸で両脇は蔀戸で他は横羽目板張りになっている。内部は外陣と内陣に分けられている。屋根は九寸勾配で厚い所で六尺、薄い所で三尺である。向拝は片流れの栃葺で面取りの角材を用いている
。屋根の葺替えは通常二十年毎に行われ、五尺縄で縛った茅約三千束を必要とする。
(境内由緒掲示板より)
島根半島の沖合い80kmに浮かぶ隠岐群島最大の島、隠岐島後にあります。島の玄関西郷港から北西におよそ20km旧五箇村(現在は平成の合併で島全体が隠岐の島町になっています)郡、国道485号の右(東)老松の繁った社叢の杜に鎮座しています。
社号碑には隠岐一宮 水若酢神社とあります。出雲大社宮司 千家xxの文字が見られますので当宮司の揮毫と思われます。
参道の二の鳥居
一の鳥居をくぐり直線に延びる参道を進むと神門とのほぼ中間にあります。
参道から神門
二の鳥居をくぐると左に相撲場、右は社務所、老松の並木に囲まれた参道正面に神門から社殿です。
神門、拝殿、本殿参道から見ると神門、拝殿、本殿それぞれの屋根が綺麗に並んでいます。
神門から拝殿神門を抜けるとすぐに拝殿です。境内はわりと狭く感じます。
切妻造、間口三間、奥行三間の正方形の拝殿非常に質素な造りです。
拝殿の扁額隠岐州 第壱?宮とあります。?の文字は読めません。
社殿全景
本殿
御祭神水若酢命は隠岐国の国土開発と日本海鎮護の任務に当たられた神様と伝えられています。創建は仁徳天皇の御代、または崇神天皇の御宇と諸説あります。
現在の本殿は寛政7年(1795)に建造されたもので、建築様式は簡素で素朴な美しさを持った「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りです。
本殿向拝
向拝は片流れの栃葺で面取りの角材が使用されています。複雑な彫刻などなくシンプルです。
本殿と鬼板古い鬼板が保管してありました。近くでみるとかなりの大きさです。
今上天皇御生誕記念の松
境内右にあります。昭和8年12月23日の日付、真っ直ぐに成長しています。境内には平成9年の三笠宮殿下御手植榊などもあります。
拝殿から本殿
拝殿から神門
旧周吉外三郡役所庁舎
境内東に隣接してあります。明治18年(1885)郡役所として西郷町に建設され、昭和43年当地に移築、現在は隠岐郷土館となっています。
水若酢神社(みなわかすじんじゃ)
<通称>明神さん(みょうじんさん)
【鎮座地】〒685-0311 島根県隠岐郡隠岐の島町郡723 旧隠岐国 越智郡
【御祭神】水若酢命 (配祀)鈴御前 中言神
【例祭】 5月3日 例大祭 5月3日(隔年
【旧社格等】国幣中社 (現別表神社)
隠岐國一の宮
式内社 隠岐國隠地郡 水若酢命神社(名神大)
【御由緒】
水若酢神社
主祭神 水若酢命 配神 鈴御前 中言神
神紋 菊 例祭日 5月3日
特殊神事 水若酢神社祭礼風流(県指定無形文化財 隔年毎偶数年斎行)
由緒
御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ、国土開発・北方防備の任に就かれた神と伝えられている。
当社は昔火災、水害の難にあい、古文書、社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが、延喜式神名帳に「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神、隠岐一宮」と記されている古社である。
鎮座年代は僅かに残っている古文書には、仁徳天皇又旧記には、崇神天皇の御代とあって古来五穀豊穣、海島守護、航海安全の神として朝野の崇敬篤く、明治4年国幣中社に列せられた神社である。
国指定重要文化財
水若酢神社本殿
平成四年一月二十一日
現在の本殿は寛政七年(一七九五)に建造されたもので平面の形は神明造りに、屋根は大社造りに、向拝は春日造りに似ている点もあるが、「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りで簡素で素朴な美しさを持ち、しかも威厳と風格を備えている。
本殿は南向きで屋根は切妻造りの茅葺きで高さ十六メートルあり鬼板についている菊の御神紋は直径三十三センチある。
平面形は前面三間、奥行二間、正面は引違木連格子戸で両脇は蔀戸で他は横羽目板張りになっている。内部は外陣と内陣に分けられている。屋根は九寸勾配で厚い所で六尺、薄い所で三尺である。向拝は片流れの栃葺で面取りの角材を用いている
。屋根の葺替えは通常二十年毎に行われ、五尺縄で縛った茅約三千束を必要とする。
(境内由緒掲示板より)
島根半島の沖合い80kmに浮かぶ隠岐群島最大の島、隠岐島後にあります。島の玄関西郷港から北西におよそ20km旧五箇村(現在は平成の合併で島全体が隠岐の島町になっています)郡、国道485号の右(東)老松の繁った社叢の杜に鎮座しています。
社号碑には隠岐一宮 水若酢神社とあります。出雲大社宮司 千家xxの文字が見られますので当宮司の揮毫と思われます。
参道の二の鳥居
一の鳥居をくぐり直線に延びる参道を進むと神門とのほぼ中間にあります。
参道から神門
二の鳥居をくぐると左に相撲場、右は社務所、老松の並木に囲まれた参道正面に神門から社殿です。
神門、拝殿、本殿参道から見ると神門、拝殿、本殿それぞれの屋根が綺麗に並んでいます。
神門から拝殿神門を抜けるとすぐに拝殿です。境内はわりと狭く感じます。
切妻造、間口三間、奥行三間の正方形の拝殿非常に質素な造りです。
拝殿の扁額隠岐州 第壱?宮とあります。?の文字は読めません。
社殿全景
本殿
御祭神水若酢命は隠岐国の国土開発と日本海鎮護の任務に当たられた神様と伝えられています。創建は仁徳天皇の御代、または崇神天皇の御宇と諸説あります。
現在の本殿は寛政7年(1795)に建造されたもので、建築様式は簡素で素朴な美しさを持った「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りです。
本殿向拝
向拝は片流れの栃葺で面取りの角材が使用されています。複雑な彫刻などなくシンプルです。
本殿と鬼板古い鬼板が保管してありました。近くでみるとかなりの大きさです。
今上天皇御生誕記念の松
境内右にあります。昭和8年12月23日の日付、真っ直ぐに成長しています。境内には平成9年の三笠宮殿下御手植榊などもあります。
拝殿から本殿
拝殿から神門
旧周吉外三郡役所庁舎
境内東に隣接してあります。明治18年(1885)郡役所として西郷町に建設され、昭和43年当地に移築、現在は隠岐郷土館となっています。
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