九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

伊射波神社(三重県鳥羽市)

2009-04-19 17:05:13 | 神社参拝ー中部
 伊射波神社(三重県鳥羽市)を掲載しました。

 昨年から本格的?に再開した全国一の宮巡拝も西日本はほぼ(京都の丹波一の宮出雲大神宮を除いて)完了し今年は東日本です。静岡、愛知、三重を中心に巡った、今回の最初は今までの中でもかなりの難関で印象に残った、伊射波神社です。

 当社は普段は無人で御朱印は宮司さん宅で戴きます。伊勢神宮内宮の参拝をすませて、先ず宮司さん宅に伺いました。9時10分頃に到着、玄関の呼び鈴を押しても応答がありません、戸は施錠してないので開けて呼んでも反応なし、留守かと思い、電話すると呼び出し音が外からも聞こえて、しばらくすると出てくださいました。
 ここで神社への道を尋ねると、最近整備したので海岸にある鳥居の近くまで車で行ける、そこからは300mほど上ると神社に到着するとのこと。事前に調べたのは、車で行けるのは1.3kmほど手前でそこから山道を徒歩40分とあったのでこれは助かったと思い安心しました。 
 ところがこの道路は軽自動車がやっと通れる狭い道で、しかも舗装してない急な坂もあり、途中には離合することもUターンすることできません、脱輪でもしたら大事になるところでした。今思い出しても冷や汗がでてきます。

 宮司さん宅の庭からのどかな漁港の風景

 すぐ前では漁網の手入れ 

 伊射波神社(いざわじんじゃ)
<通称>一の宮(いちのみや)
【鎮座地】〒517-0021 三重県鳥羽市安楽島町1020 旧志摩国 答志郡
【御祭神】伊射波登美命 (配祀)玉柱屋姫命
【例祭】 7月7日 例祭
【旧社格等】無格社
      志摩國一の宮
      式内社 志摩國答志郡 粟嶋坐伊射波神社2座 並大
【御由緒】
 志摩国の一ノ宮 式内伊射波神社(いさわじんじゃ)
  通称「かぶらこさん」
<主祭神>
 稚日女尊(わかひめのみこと)
 伊射波登美尊(いさわとみのみこと)
 玉柱屋姫尊(たまはしらやひめのみこと)
 狭依姫尊(さよりひめのみこと)
<縁起>
 人里離れて椎、椨(たぶのき)などの原生林に覆われた神域には、平成13年秋に造営された木造神明造りの本殿、拝殿と平成4年に新築された籠堂があり、神前に佇めば、何がしか森厳さを感じさせます。
 当社は、古来より加布良古太明神、志摩太明神と呼ばれ、地元安楽島や近在では「かぶらこさん」の愛称で親しまれてきました。
 志摩国の一ノ宮、式内伊射波神社の格式ある由緒は、延喜5年(905年)醍醐天皇の勅命により、藤原時平、忠平らが編纂した『延喜式・神名帳』に、
志摩国三座 大二座小一座 粟嶋坐伊射波神社二座並大 同嶋坐神乎多乃御子神社 小一座
 と登載されているからです。つまり安楽島の古名である粟嶋には、伊射波神社があって二柱の神が祀られ、格式はともに大社。小社として神乎多乃御子神社があるということです。
 大二座のうちの一座、伊佐波登美尊を祀った本宮は、安楽島町字二地の贄にありました。昭和47年から61年にかけて鳥羽市教育委員会が発掘調査をし、その全貌が『鳥羽贄遺跡発掘調査報告』に報告されています。
 遺跡は、縄文中期から平安中期に至るまでの時代の連続した復々合遺跡で、おびただしい数の製塩、祭祀用土器、儀礼用銅鏃(矢じり)、神水を得るため欅の巨木を刳り抜いて造った豪勢な井戸、神殿と思われる建物跡が発掘され、皇族、貴族が往来した痕跡が見つかっています。こうしたことから、古代伊射波神社は国家にも崇敬された偉大な「贄持つ神」であったことの証と云えましょう。
 (神社パンフレットより、原文のまま)

 三重県鳥羽市にあります。鳥羽駅から南東に直線でおよそ6km、風光明媚な安楽島の加布良古岬のほぼ中央 、原生林の繁る山頂に鎮座しています。

   参道
昭和62年7月7日奉納の鳥居をくぐると急な坂の狭い参道が続きます。入口の案内には約285mとありましたがもっと長く感じました。

 石畳の参道しばらく進むと大小の自然石の石畳です。モザイクがみごとでかなりの手間が掛かったことが想像されます。

 参道の鳥居参道途中の鳥居です。
手前に小さな干支の置物が数体置かれてありました。社殿のある境内にはまだ上ります。

 参道から境内境内直前は山肌を削って造られた参道です。

 境内入口にはみごとな龍の手水舎がありましたが水は出ていませんでした。

 拝殿 
 現在の社殿は拝殿、本殿ともに平成13年秋に造営されました。
人道の参道に並行して荷揚用の車道(軽トラック専用)が整備されていますが、社殿の造営には資材の運搬等にも多大の労力を要したと思われます。

 拝殿の扁額自然木に志摩国一の宮伊射波神社とあります。
隣に並んで御祭神4柱の記入した同様の額も掲げてあります。

 本殿 
綺麗な板の瑞垣に囲まれた中に木造神明造りの本殿です。
 御祭神、稚日女尊は加布良古太明神とも称され天照大神の側近、神功皇后も崇敬した海上守護の姫神です。伊佐波登美尊は志摩国の開拓神、玉柱屋姫命はその妃神で天日別命の娘。狭依姫命は、宗像三女神の一柱である市杵島比売命の別名で、近くの長藻地という島に祀られていましたが島が水没したため合祀されました。

 美保留神 
拝殿右奥から後方にかけて自然石の石垣があり、一番手前に鬼瓦が載せられて、子宝・安産の神 美保留神とあります。
 本殿右、石垣の中になにやら怪しげな形状の石に小さな鳥居があります。美保留神でしょうか?

 領有神の道の入口境内奥からさらに岬の先に進むと海上安全守護の神、領有神(うしはくがみ)が祭られ、水平線に昇る朝日の遥拝所があります。
 行って見たいと思いましたが、帰りが心配で断念しました。

鳥居前の大浜海岸の景観鳥居の前は志摩の海の眺望が楽しめます。
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