最近野鳥ばかりで、本業?の神社の掲載ができていませんでしたが、桜の季節となりましたので桜で思い起こされる記紀神話で美しい女神と描かれる木花之佐久夜毘賣命を御祭神とする、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)を掲載しました。
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
【鎮座地】〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1 旧駿河国 富士郡
【御祭神】浅間大神 木花之佐久夜毘売命
【例祭】 11月3・4・5日
【旧社格等】官幣大社 (現別表神社)
駿河國一の宮
式内社 駿河國富士郡 淺間神社 名神大
【御由緒】
富士山本宮浅間大社の栞
第七代、孝霊天皇の御代富士山が噴火し鳴動常なく人民恐れて逃散し年久しく国中が荒れ果てたので第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の地に祭り山霊を鎮められた。これを当浅間大社の起源とする。ついで第十二代景行天皇の御代日本武尊が東夷御征伐の時駿河国に於て賊徒の野火に遇われたが富士浅間大神を祈念して其の災をのがれた給い、その賊を征服するや山宮の地(大宮の北方約6キロ)に於て厚く大神を祭られた。其の後第五十一代平城天皇の大同元年坂上田村麿勅を奉じて現在の大宮の地に壮大な社殿を営み山宮より遷し鎮め奉った。爾来一千百余年全国一千三百余に及ぶ浅間神社の総本社として全国的崇敬をあつめる東海の名社となっている。
古来朝廷の御尊崇極めて厚く延喜の制には名神大社に列し、駿河国一宮として勅使の奉幣神領の御寄進等にあずかり、武家時代に入るや源頼朝は神領を寄進し、北条義時・足利尊氏同義持等何れも社殿を修営し、武田信玄・同勝頼父子は諸種の宝物を献上し社殿を奉建し、豊臣秀吉も亦神領を寄進した。慶長九年徳川家康は戦国擾乱の鎮静と将軍宣下の奉賽のため本殿・拝殿・楼門その他を奉建し更に同十一年には富士山八合目以上を当社へ寄進した。爾来徳川氏は本社を崇敬すること極めて深く、家光は社領を献じ家綱・綱吉・家治・家斉・家定・家茂等も夫々祈祷料・修理料を寄進した。
又室町時代に始まった富士登拝は江戸時代に入っていよいよ殷盛を極め以来今日に至っているが、本宮所在の大宮は富士山表口と称せられ関西方面から来る道者(どうじゃ)の登山口たることは勿論、特に本宮を崇敬する関東、東北の道者も此の道を選び、又甲斐、信濃より来る道者も少なくなかった。彼等は社人中特定の道者坊に着いた後本宮に参詣し、更に境内の湧玉池にて斎戒沐浴して登山するのを習いとした。
明治に及んでは其の四年五月十四日国幣中社に、同二十九年七月八日官幣大社に列せられた。
(平成祭データ)
静岡県東部に位置し富士山の西南麓に広がる富士宮市にあります。富士宮駅の北西1km、富士山山頂からは直線で西南に20数kmの宮町に鎮座しています。
鳥居から富士山
朱の大鳥居の前は大駐車場になっていて、鳥居の直ぐそばにも観光バスが駐車して富士山を入れて撮影するのは大変困難でした。
境内から富士山
当社は日本一の富士山を御神体と仰ぐ全国1300の浅間神社の総本宮とされています。参拝時雲がとぎれて冠雪の山頂を仰ぐことができました。これで桜が満開だと申し分ないのですが、ちょっと早かったようで残念でした。
参道の鳥居多くの参拝客で賑わう参道を進むと灯篭と狛犬に続いて二の鳥居です。
流鏑馬の銅像
二の鳥居をくぐると参道右手に流鏑馬の銅像です。当社では源頼朝が流鏑馬を奉納したことを起源とする流鏑馬祭が例年5月5日を中心に行われています。
今年は3.11東日本大震災を受けて一部の神事を除き中止されるようです。
参道から楼門
楼門の前には鏡池と呼ばれる小さな池があり石橋が架けられています。この橋は大正4年御即位記念として建造されたものです。
楼門
社殿のある境内は朱の荘厳な楼門から回廊で囲まれています。楼門の前、石段中央に鉾立石と呼ばれる自然石があります。楼門の扁額は文政2年、聖護院入道盈仁親王の御染筆です。
楼門から社殿
楼門の手前左に手水舎、楼門を入ると右に社務所、正面に拝殿から透塀に囲まれた中に幣殿、本殿と続きます。
社殿全景
現在の社殿は慶長9年(1604)徳川家康が造営したもので、、寛永安政等の大地震で一部破壊され、本殿・幣殿・拝殿・楼門は当時のものです。
拝殿
境内には500本とも言われる桜が咲き誇り御祭神木花之佐久夜毘賣命の面影が偲ばれます。
社殿右手前の枝垂桜は武田信玄公お手植えの桜の2世とのことです。
拝殿の扁額拝殿の装飾は一部のみで扁額もシンプルに「浅間大社」とあります。
本殿
第7代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し国内が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇の御代に至り、富士 の神霊を山足(山麓)の地に鎮祭したことが当社の創始とされています。
その後、日本武尊が東征の際、浅間大神の神助を畏み、山宮の地(現在地の北方6km)に大神を祭られ、さらに、平城天皇の大同元年(806)坂上田村麿が勅命に依り、神霊を山宮より大宮(現在地)に遷座されています。
宝殿造りの1階部分に流造りの2階が積み重ねられた2層建築で浅間造りと呼ばれる独特の建築様式です。
社殿全景多くの参拝客で賑わう中かなり待ってやっと人影のない瞬間を撮影できました。
南極の石
第7次南極観測船ふじの当地富士宮市ご出身の乗組員の方により奉納された南極奥地の風化した石です。
富士山の火山弾
富士山噴火の時に落下した火山弾です、目方約30貫(約100キロ)あり、このように形が整って大きいものは珍しいといわれています。
拝殿から楼門
社殿のある境内はかなり広くゆったりとしています。参拝時、桜は少し早かったようで残念ながら富士山をバックに満開の桜とはいけませんでした。
境内から富士山
富士山8合目から上は当社の境内地とされ山頂には奥宮が鎮座、噴火口は当社の内院です。山頂の奥宮にも参拝したいと思っていますが体に自信がありません。
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写真を見ていると・・・風になって桜の花をやさしく揺らしてみたり、富士山を麓から頂までスーッと突風で昇ってみたい…などなど
そんな無理な夢ばかりをみる 夢見る夢子になってしまいます。
昨日(日本野鳥の会北九州支部の探鳥会)、本日(福岡支部の先輩と相之島)と鳥見で記事の掲載はお休みです。