絵合わせ日記

日常の暮らしで、あったこと、思ったこと書きとめています…ただ今、ペットは猫と金魚です。

漢語と大和言葉

2019-02-04 12:12:04 | 雑感
私たちが生活する上で、漢字には本当にお世話になっています。

こうして文を書く作業でも、新聞を読むのにも、回覧板を見るときでも、漢字は必須です。

でも、漢字だけではなくて、和語というのか大和言葉があって、素直にうれしいなと思います。

姓名だけでも、大部分の人は、和語で名前を付けていると思います。

それが昔からの伝統なので、よくぞここまで守ってきているなと感心します。

漢字を使いこなしているという自負がわいてきます。

中国以外にも漢字を歴史上使っていた国はあったと思うのですが、現在は、中国、台湾以外では、日本ぐらいですか。

戦後、よくなくさなくてよかったと思います。

ひらがな、カタカナだけでは、文は読みにくいし、ローマ字を使うのみになっていたりしたら、文章を読み書きするのにかなり困難をきたしたと思うのです。

パソコンを使う現代、ローマ字入力まで普通にこなしていますけれど。


ところで、常々不思議に思っていることがあります。

紙や箸は、中国から伝わったと聞いていますが、音読みのシやチョではなく、大和言葉の訓読みのかみやはしで使っています。

これは伝わったときに、すでにそのものがあって、かみやはしと呼んでいたからでしょうか。

それとも、伝わったときに、紙や箸は、かみやはしという音でそのものと伝えられたのでしょうか。


さあ、どちらと思うわけです。

使っていたんじゃないのかなと思うんですよね。

かみやはしという言葉が、先に使われていたと思うのですが。


その言葉で伝えられたという考えも捨てがたいです。

物がなければ、漢字の音読みだけで現代に伝わると思うのです。

箸と言えば、匙も不思議な言葉です。

訓読みでさじだと、思うのですが、こちらは、今すぐには、音読みが出てきません。

浅はかな考え方かもしれませんが、言葉から、色々思いを巡らすのは、面白いです。








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蘇我氏とは?

2019-02-03 15:24:18 | 雑感
最近、図書館で借りて、『蘇我氏の研究』(客野宮治)を読みました。

古代史的には、どの時代でも謎だらけですが、蘇我氏の存在感は断トツです。

この本は、著者はお医者さんだそうで、本業の傍らの研究なのでしょうが、私はなるほどと思えました。

昔から、蘇我氏の系図や名前に、違和感を覚えていましたので、この方の言う通りなら納得できると思ったのです。

ずばり結論から申し上げると、『日本書紀』や『古事記』は勝者の歴史書なので、書きたくないことは書いてないという話です。

それでも、それらの本を丹念に読むと、真実が見えてくるというのです。

そういった話は、これまでにも読みましたが、いまいち納得はできなかった私にとって、この本の言うことは、画期的でもあり、感心もさせられました。

突然、登場した蘇我稲目大臣は、天皇家に娘を嫁がせていますが、生まれた皇子たちは、天皇になっています。

これは不思議なことなのですが、この本の言うように、稲目が天皇の子だったら、何の不思議もありません。

継体天皇が大和入りする以前から、福井から連れてきた安閑天皇は子どもがいないと書かれていますが、どうやら、その皇子で臣下に下って大臣になったらしいとのことです。

今までの疑問が氷解するような気分になって、うれしいことです。

稲目の子は、馬子、孫は蝦夷、ひ孫は、入鹿です。

入鹿とか、蝦夷とかの名前も、絶対におかしいと思っていますが、倒された一族なので永遠に謎のままですね。



入鹿つながりで、以前から愛読している漫画『天智と天武』(中村真理子・園村昌弘)について、おおっと思ったことがあります。

天智と天武は、皇極天皇の皇子で、父親も同じ舒明天皇と伝わっていますが、天武天皇の生年を書いてない不自然さから、いろいろな説が出回っています。

それで、この漫画では、舒明天皇がなくなった後、皇極天皇と蘇我入鹿が愛人関係になって、天武天皇が生まれたことになっていました。

これも、なるほどと思えました。

天武天皇は、兄の天智天皇の娘4人を嫁にもらっているわけだから、兄より大層若いということに納得できます。

『日本書紀』だかに、皇極天皇の御世になって、フクロウが蘇我蝦夷の倉に卵を産んだという記述があるらしくて、それが、天武天皇の生まれを暗示しているのではないかと思います。

どなたかの研究で、鳥の記述からいろんな史実がわかるというのがありました。

今回読んだ蘇我氏が皇孫だったら、天武天皇が壬申の乱を制圧できたのも納得がいきます。



でも、歴史は正しい方へ常に舵切りしながら進んでいってくれているのでしょうか。

勝者の都合の良い方へと、流れていくものでしょうか。

昭和から平成、そして新しい御世へと、軌道修正がなされるように願ってやみません。

何が正しいのかなんて、後世から常に歴史に学んでいかなければなりません。


書いてる私も、今のところ、平成から軌道修正がなされたほうがいいんじゃないかと思う気持ちの方が強いのですが、こればかりは答えはわかりません。


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『日本国紀』を読んで(婿養子という立場)

2019-02-02 10:35:19 | 雑感
先月だったか、先々月だったか、夫が本を買ってきていたのを見たら、『日本国紀』(百田尚樹)というものでありました。

歴史は子どもの頃から大好きで、結婚してからは、図書館で日本の古代史の本をあさるように読んでいた時期もありました。

でも、古代史って、ある意味壮大なファンタジーぽくて、何が真実なのか藪の中なんです。

推理小説ぽくもあります。

基本はかなりおさえてあると思うので、この人は、どんな風に歴史を語るのか、興味深く読み始めましたが、平安京に入るまでにギブアップしてしまいました。

それと、パラパラ江戸時代なんかも確認して、がっかりしました。

今ほど、皇位継承に関心がある時代はないのではないかしらと、個人的に思うわけですが、この本を見たら、継承問題の危機には触れたくはないような印象を受けました。

自分の書きたくないことだから書いてないだけか、教えたくないのか、わかりませんが、私的には突っ込みどころ満載です。



まず、第一章 古代~大和政権誕生の最後のコラムを読むと、万世一系についてかくかくしかじかと講釈されているので、これだけで、この人は、知らないのか、書きたくないのだろうと思えるわけです。

継体天皇の登場について、2ページ半さいてあります。

この人自身が、王朝が入れ替わったと思っているのに、万世一系でなくてはならないので、応神天皇の五世の孫だからと、武烈天皇で途絶えた皇統をつないだと書いています。

なぜ、そこに一言、先々代仁賢天皇の皇女で、武烈天皇の姉妹であった手白髪皇女が、継体天皇のお妃になられたことが書けないのでしう。



次に、第二章 飛鳥時代~平城京を読んで、びっくりしました。

奈良時代最後の女帝だった、孝謙天皇が全然出てきませんし、第三章 平安京で、桓武天皇が突然出てきています。
                                                           
以下、書かれてないことです。

聖武天皇と光明皇后の皇女は、女性皇太子として立太子されています。

途中、淳仁天皇に位を譲りましたが、称徳天皇として重祚して、子どもを残さずに亡くなりました。

次を指名してなかったので、女帝の異母姉妹の聖武天皇の娘の井上内親王と結婚していたからと、光仁天皇になりました。

桓武天皇は、光仁天皇の息子ですが、井上内親王の子ではありません。


最後に、江戸時代のことです。

ざっと見たところ、もうどうでもよいのか、関心がないのか、幕府の話ばかりで、天皇のことが書かれていませんが、婿養子になって、天皇になった方がおられます。

今上天皇の直系のご先祖光格天皇です。

この方は、東山天皇のひ孫で、宮家の6男だったかうろ覚えですが、先代の天皇の遺児欣子内親王が、1歳と幼かったために、釣り合うという年齢で養子に迎えられて、天皇になられました。

次の天皇は、光格天皇の皇子でしたが、欣子内親王の実子ではありませんが。

歴史の皮肉か、教訓か、男系男子だー!!なんてだけで、皇位継承が万世一系でなされてきたわけではないのを知っておきたいものです。


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