

4日間、雪国に行ってきました。
極寒の中で裸の心になるのが目的のひとつなので、ある程度の覚悟を決めて行ってきました。
雪や風が降り注ぐ状況で、さらにカメラの前で頭を下に向けず
仲間同士で前を向き、顔や心を合わせながら心の奥へと向かっていく。。
というのは、自分の【形のレベル, 心のレベル】の両方を限界に晒すことなので
今まで何千回と耳にタコ状態だった、聖霊からの教え、奇跡講座からの真髄が
スッコーーーーーーーーーーンと心の奥底に入ってくる可能性があったりします。
限界のままとどまると、心の限界を越えざるを得ない=今まで隠して抑圧できていたなにかが表に出てきてしまう。
表に出てきたら、それを認識するので
「隠してきたそれと同一化し続けるか?同一化し続けるのをやめたいと切望するか?」を選ぶことができます。
今まで心は あまりにも無意識に、無意味で無価値なものと同一化して惨めであり続けることを選択してきたわけですが
愛を覆っていた闇が表面化することによって、心は改めて選び直すことができます。
物理的に、こういうやり方である必要はまったくないのだけども、、
時として物理的&精神的な限界突破の機会が現れるのは、よきことでもあります。
撮影の合間に、私のiPhoneでプチ・ガチドキュメンタリーを録画しましたが全部を公開するようにガイドされているとは感じませんので
ほんの5秒間で音声なしなら公開しても良い感じがするので限定公開にてアップロードします。音声なしなので写真のようなものですね。
彼女が、↓晴天の霹靂に触れた瞬間です。
音なし5秒間【無意識の闇の意識化】苦しみは嫌なのに苦しむヒロインでいるのが大好きだった!『一番欲しいのは天国・愛なのに自分が維持したい自分像のままでいれば天国・愛を完全に見失いそれを犠牲にする。という矛盾』
ここで、しょうこと私が言ってるのは
しょうこ:「ヒロイン(でいることが)だーいすき!!!」
私:「悲劇のヒロインでいることで、天国を犠牲にしてるわけ、ヒロインを好んでやり続けるのは天国を代償にすることになるの」
※悲劇のヒロイン、かわいそうな主人公でいること=「商品」だとすると
それを購入するために「天国を現金のようにして支払う」(失う、代償とする、犠牲にする)ことになる。
という意味を、この極寒の中で説明したら、はじめてしょうこの心にその意味が入ってきたようです😅
心は、こういう経験をなんどもなんどもなんどもなんども繰り返し経験して、少しずつサレンダーしていくものだと思っています。
私は、今まで同じことを彼女に何年間も言ってきたのに、極寒の地で心が裸になるコミットをしたなら
このような奇跡講座の内容や意味が、本気で入ってくるのだなあ。。
こうやって、価値のない時間の先延ばしを終わらせることができるんだなあ、と思いました。
このように聖霊がガイドしてくれるし、このカリキュラムの責任者は聖霊なんだなと改めて感じます。
だから、私はますます心の荷物を軽くしていっていいのだなあ。。。

