奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

この世界のものではない、大、大、大爆笑

2019年08月14日 18時27分21秒 | 宇宙・幻想の終わり




私たちは、最高に幸せである価値がある。





早朝、目が覚めたその瞬間から
なぜか大爆笑していた。


その大爆笑は、人間レベルでも肉体レベルのものでもなく
量子的レベルの、爆発的な大爆笑なので
肉体レベルに変換して降ろしきれないくらいの爆笑でした。
(肉体の個人が笑っている現象ではない)


その大爆笑は、もちろん、

「なんてこった!今まで見たり感じたりしていたすべては、自分が作り上げた空想劇で
たった一度も本当には起きたり存在していたことがなかったんだ〜〜〜〜〜〜!!!!!!」

「単なる、小さな狂ったアイデアにすぎなかったんだ!!!!!」
「なん〜〜〜〜〜じゃそりゃ!!!!」

という大爆笑でした。


約2-3時間、大爆笑が続いていましたが、肉体レベルの爆笑じゃないので疲労はありません。



私があると信じてきた世界も、私の存在像も
ただの作り話で、単なるイメージだったのであれば
私が感じることができるのは「幸せ」だけ。


まだまだ目覚めのプロセスの途中であっても、

こんなに幸せでいてもいいのだろうか???
え?こんなに幸せでもいいの??

いいんだ。



「小さな狂った考え」と、「その結論」について

自我と一緒に体験すると、絶叫泣き叫び。
聖霊と一緒に体験すると、絶叫大爆笑。

自我:それは起きた。
聖霊:それは起こらなかった。




けど、どっちとも
全く同じだけのエネルギーなのです

宇宙を飲み込む絶叫泣き叫び

宇宙を包み込む大大大爆笑

は、どっちも全く同じだけのエネルギーだった。
(どっちも経験しているので同じだと知った)





奇跡の原理7
奇跡はすべての者の権利であるが、まずはじめに浄化が必要である。



私たちは、神からの分離は起こらなかったことを
この幻想の夢見の中で教えられて受け入れてゆくのですが
その奇跡を受け入れてゆくためには、まずは浄化が必要なんですね。

少しずつ、絶叫泣き叫びが認識されてゆき
それが抑圧されないことで浄化が起きてゆく必要がありますが

壮大な癒しのプロセスなので、
絶叫泣き叫びが少しずつ出て来るのを許可してあげるのは
恩寵でしかありません。

私は、特に2018年7月から2019年8月までの1年間が
相当な浄化の期間だったようですが、それは神から与えていただいた恩寵だったと感じています。

どんなに絶叫の悲しみや無価値感や罪悪感を知覚したとしても、
それは抑圧やすり替えなどなされる必要が全くなかった。

ただ、はっきりと認められてゆき聖霊からの癒しと慰めを受け入れて行くだけで、、、、
本当に大丈夫だった。


この浄化のプロセスがなければ、
今の、この幸せに満たされた感覚はなかなか継続的に体験できないだろうことは
容易に想像できます。


状況や人生・世界のシナリオと、私が感じることは
全く関連などしていない。


肉体や世界という形の中に、問題が存在することなど最初からできる筈もなかった。
なぜなら、世界も肉体も実在していないのだから。

しかも、心は一つしか実在しておらず、一つの心が一つの心を攻撃するなど不可能だったのだ。
ということは、攻撃することも、攻撃されることも、絶対に不可能なのだ。

攻撃が不可能であれば、罪は実在不可能で
攻撃されることが不可能であれば、犠牲も不可能だ。



ゆえに

不幸を感じることなど、
実際のところ不可能だったのだ。





それは起こらなかった、It never happened
それは存在していなかった、It never existed

って、、超〜〜〜〜ウケる。
真理から見た幻想って
爆笑ものだったんですね。。。。


そりゃ、私は何もする必要がない、I need do nothing が当たり前だ。
だって、何かコントロールする必要のある幻想などどこにも存在していないのだから。。。。
今まで、何でこんなにシンプルなことがわからなくなったのか。

幸せであることを本当に望むなら、その方法は超シンプルだったらしい。
それは腹の底からの幸せ。




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決断のためのルール(幸せな一日を過ごすための方法)

1:幸せであることを望む
2:そのためには、決して自分は審判者にならない。
3:少しでも知覚が歪んだなら、神の邪魔をしたわけだからそれを認めて自分なりの判断・決断・審判を捨て去る。そして再び幸せであることを望む。

この繰り返しなんだよ。て、そういう意味の内容をデイヴィッドは言っていたと思います。

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目が覚めてくるにつれて、だんだんと、どんどん、もっともっと
シンプルに、シンプルになってゆくんだなあ。


こんなにシンプルで、こんなに幸せでいてもよくて
その権利こそが、私に与えられていたなんて。。
だからこそ、私はそれを自分に許可すべきだし、それを求めるべきだ。

って、、、心底思う。


Jesus、素晴らしい目覚めの旅を与えてくださりありがとうございます。
本当に目覚めるためにのみ生きる人生(幻想)って、
幻想の中でも、もっとも価値のある幻想だと思う。


感謝と、幸福が延長し続けていて

幻想はパラパラと現れては崩れ落ち光に溶け去り続けている。


私たちは、最高に幸せである価値がある。





今朝の大爆笑は、このデニスの爆笑よりも狂った爆笑だった。。(相当ヤバい 笑)
ムージ、笑う仏陀



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