奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

いったいぜんたい、何をどう見たらそんなに深刻になれるのか?

2021年11月07日 23時46分00秒 | ACIM奇跡のコースという生き方




結局、プライドの保持ってやつが、どうにもこうにもならないクソ以下の
自分の救済を阻んでいる障壁なんだなと心底学んでいる。

コース学習者としても、人としても、なにものとしても、動物としてでも

ひとたび、プライドやら自己概念保持が目的でその瞬間生きているなら

絶対に救済はありえない。

自分が自分に阻んでる。他には何も阻んでない。



万が一、誰かに勘違いされたとして
万が一、誰かに見下されたとして

、、、何が問題なのか?

いったい何が問題なんだ?


そのままでいいじゃんかと思うけど
自我にとっては違うらしい。

だから、木っ端微塵に(プライドが)砕かれるというのは
やはり幸いなことと思う。

ほんとうにありがたいことだと思う。


世界には世界のやりたいようにさせておけばいいし、感じさせておけばいい。

問題は、自分が自分に罪悪を見るか見ないか問題なんだ。

そこにしか問題なんかないじゃんか。と思う。



すると、世界のすべてを尊重して慈しみたいと感じるようになるのだろう。

なぜなら、自分のうちにもそとにも罪悪が存在していないと信じて知っているから

そこからだと、すべてが自分だと知らされる

すべてが自分と知らされていたとき
慈しまないわけにはいかない、ただただそうなってしまうだろう。










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