スリランカ津波災害への支援

津波によるスリランカへの災害に関する情報を記載し、支援の輪を広げる事が目的。

笑顔

2005-01-16 19:53:36 | Weblog

ある避難所で出会った親子。不自由な生活が続いているが、
やはり親子が一緒にいられると言う事は何よりも幸せなんだと感じた。

それぞれの役割(1月14日)

2005-01-16 13:08:35 | Weblog
私が関わりを持っているNGOでは毎日のように様々な救援物資が被災地へと送られる。
この物品管理を担当しているのがキールティーさん。
災害翌日から、現在に至るまで彼はオフィス(オフィスの一部を倉庫代わりに使っている)に軟禁(?)状態である。
毎日のように現場から上がってくる要望をもとにリストを作り、購入担当者が検討して買ってくる。
荷物を運ぶトラックを手配し、大抵夜に荷物を積み込み被災地へと届ける。
被災地で働くスタッフは当然ながら様々な要望をあげる。いくつものサブオフィスがあるので、
それぞれの場所とのバランスなどを考えながら振り分ける必要がある。
もし、大規模な倉庫やトラックなどがあり、莫大な予算があれば
ひたすら送り続けるだけだからそれほど考える必要はないかもしれない。
それが、良いか悪いかは別として・・・。彼らのNGOはそんな設備や予算はない。

様々なことに気を配り正確に物を配っていくのは相当疲れる仕事であろうと思う。
ただ、いつもスポットがあたるのは被災地の『現場』で働く人々である。
先週彼と荷物の仕分けをしている時彼がボソッと「俺も現場を見たいんだけどな・・・
これが俺の担当だから・・・。」といっていた。

きっと、他のスタッフの話を聞いたり、写真を見たりしているので、被災地の事が気になる、
『現場に行きたい!』という思いがある。
私は、すくなからず彼の気持ちが分かる。
「あなたがいなければ救援物資は被災者の手に届かないよ、重要な仕事だよ・・・」と彼に言った。
ありきたりの言葉であったが、私の本心でもあった。裏方でがんばっている人がたくさんいる。
被災地だけが『現場』ではない。支援に関係する全ての人が『現場』にいる。
私も常に『現場』にいるのだろうか・・・。

1月14日

2005-01-16 13:05:36 | Weblog
今回は『被災地』を離れ、少し考えた事を書いてみたい。

日本のNGOのスタッフと会う機会があった。
第一次隊と入れ替わりで来て約一週間滞在する予定との事。
彼らの話を聞いていると、やはりNGOは「お金」の確保に苦労しているんだなと感じた。

スリランカに支部を持たないNGOがこの国で活動するには、
どうしてもスリランカの“大きな”NGOらと協力するしかない。
彼らの場合、大使館を通して聞いた所そのNGOを紹介されたらしいのだが、
大使館が何故そのNGOを紹介したのかはよく分からない。
そもそも大使館がNGOの情報に詳しいとは思えない。結果、“大きな”NGOが紹介されたようだ。

話を「お金」に戻す。
かれらはお金を集めるためには、『営業』活動をしなくてはいけない。
こんな事をやるのでこれだけのお金が必要だと言う事を訴え、
援助側の人々または企業などからお金を受け取る。
「援助側にうける援助 : 受益側にうける援助(援助側にはうけない)」=「7 : 3」?
何だそれは?と思う方も多いかも知れないが、
それが今全世界で繰り広げられている援助の現状かもしれない。
数字の信頼性はいまいち低いが、こんな事を考えながら活動を行なうNGOのスタッフも大変なものである。

例えば、『学校が壊れました』、それを直すのに『100万円必要』です。
『学校を直しました』→『~NGOによって直されたというボードを作り』→『テープカット』→『写真』
こうなると、非常に“分かりやすい”援助で、援助側に好まれるものである。

被害を受けた生徒に対して高等教育が終わるまでの一定の資金援助や
精神的ダメージを和らげるためのプログラムなどは、
援助側には“成果”が見えにくい=援助側にはうけない=お金が集まらない。
というような構図が出来ているのかもしれない。

そんな中、NGO(特に日本の)はどう活動していくのか?これは、非常に難しい課題であり、
NGO自体の問題だけではなく、それにかかわる(募金などをする)人々全てに関わる問題である。
本当に、良い方向へ進めたいなら“援助側の自己満足”は避けなくてはならない。


1月13日

2005-01-16 13:03:36 | Weblog
ある避難所を訪れた。
一見、「悲惨な状況」という風景は目に入ってこない。
みんなそれぞれ協力し合って生活をしていっていると言う感じだ。

我々が行った避難所は規模も小さく、それほど死者数が少ない地域という事もあり、
避難所内の空気もそれほど重たくはない。
子ども達は、無邪気に遊びまわり、我々に「ボールちょうだい」「バットちょうだい」と遊び道具を求めてくる。
大人達は子守をする人をのぞいて昼間は被災地に行き片付けなどをしている日が多いようだ。

空気が重たくなくとも、それぞれ抱えている問題は大きいのかもしれない。それが表面に出てこないのかもしれない。
同行した先輩隊員は、本当にショック状態の人は人前には出てこれない状況なのかもしれないと指摘してた。

避難所にいたある男性は、津波が押し寄せる中12歳と4歳の子どもを両脇に抱えて逃げていた。
力尽きたのか、なにかにひっかかったのか4歳の子どもが腕から抜けていった・・・。
それ以来一人娘は帰ってこない。母親は2歳半の息子を抱いて必死に逃げてきた。
二人の子どもは救われたが、尊い命が一つ奪われた。
お母さんはもう泣きつかれたという表情で当時の状況を語ってくれた。
お父さんは、自分が手を離してしまった事に対して責めても責めきれないという苦難の中にいる表情だった。
2歳半の子守を良くしてくれていたのが4歳の姉だった・・・
2歳半の弟は今でもお姉ちゃんの事を聞くそうだ。海の中にいるお姉ちゃんを探しにいこうと・・・。


10日からは普通の学校は再開。避難所として使われている学校も多く、
別な避難所へ移動する必要があったり、
可能であれば、避難所を出て欲しいとの要請があるようだ。
家の再建めどや仕事(漁師が多い)の再開めどがたっていない現在、
彼らが自立していくのは非常に難しいのかもしれない。
海から内陸100m以内は家を建ててはいけないと言う決まりを政府がつくっているとか・・・?
これまたはっきりしない情報であり、
少しずつ被災地に戻り何とかして自分達の家を再建したくとも出来ない状況だ。

政府のリストに載っていない避難所もいくつかあるようだ。
また、避難所になんらかの理由でいけない人、
親戚などの家に頼っている人達へどのように支援をしていくかも大きな課題だ。
家も壊れていないのに、避難所にまぎれこんで救援物資をもらう人もいる。
その町のことを良く知っている人が援助に関わらないと、公平な援助をするのは困難である。
政府関係でたくさんの機関がありスタッフがいるのに活用されていないのが非常に残念である。

1月13日

2005-01-16 13:02:16 | Weblog
様々なところか想像を超えるほどの救援物資・義援金等が送られてきている。
飛行場では、物資の仕分け作業等が追いついていないようである。
災害発生後17日間が過ぎた現在でもまだまだ物資は到着しているようである。
この通信でも以前触れたが、本当に必要なものが来ているのかが非常に疑問である。

日本の友人の話では、日本の報道の仕方では
「スリランカには何もなく、早く手を差し伸べないといけない」と
とらえてしまっても仕方ないとのこと。
個人的に色々なものを集め送ってくださる方も多いとは思うが、
現在この国において多くのものは豊富にある。
少なくとも、飛行場の倉庫と、関係機関の倉庫の中には。
ある記事では、諸外国からの援助を全てあわせると、
スリランカ全国民に10万ルピー(約10万円)渡せるほどだとか。

では、そのお金は一体どこにあるのか?どのように使われようとしているのか?
政府は何のプランも持っていない。
コロンボで山済みになっている救援物資がちゃんと配る事さえ出来ない政府が、
果たしてとてつもない額のお金をマネージメントする事が可能なのだろうか?
誰もが思う疑問である。それなのに政府は各国に更なる援助を要請している・・・。

被災地での選挙活動!?
NGOがある学校を掃除していると、ある政党のメンバーが来て、
「この学校を掃除するのはやめろ!」といったそうだ。
彼らがこれからやるから、彼らがやったという事人々に見せ付けたいから、『票』が欲しいから・・・。

緊急援助、誰が一番?
緊急援助はまさに一刻を争う判断と決断が求められる。
「これは、被災者のため?」なんてばかげた質問を以前の私だったらするわけはない。
当然、被災者のためであるべきはずだが、その真相はいまいち不明である。
私の感じるところでは、誰が一番に援助をするかというのは、
自国またはそれぞれの機関にとって今後のイニシアチブを握る上で、
また国際関係上非常に重要な事であるようだ。
ポリティカルゲームの何ものでもない・・・。
そのゲームのもと『忘れられた人々』が多くいる事を考えるべきである。
各機関や各国がもっと連携して事を進めるべきなのだが、『一番』が欲しいのでそれはなかなか難しい・・・。
有名なNGO、国連機関、国際機関、政府機関果たしてどこが『本当の援助』をしているのか?
じっくり見据える必要がある。
ユニセフだから、赤十字だからよい事をしているのだろうと思い込むのは少し危険かもしれない・・・。

1月11日

2005-01-16 13:01:22 | Weblog
4日ぶりに南の都市ゴールを訪れた。
道路の清掃はかなり進んでいるようであり、全く問題なく車は走れる。
ただ、道路の両脇を見るとそこには瓦礫の山が散乱している。
生ゴミなどのせいか結構な悪臭が漂っている。

ある、障害者施設を訪れた。以前協力隊員が活動をしていたというその施設も26日波をかぶっている。
60人以上の入所者が命を落としたとのこと。寝たきりの人や足に障がいをもった人などが逃げ遅れたらしい。
やはり、『弱い』人が犠牲になってしまったようだ。
現在、入所者達は近くのお寺などに避難中。施設をいち早く使えるようNGOのメンバーとボランティアが、
懸命に掃除をしているとこであった。

NGOが教育省の要請に答え14校の再建を一昨日引き受けていた。
まずは学校の現状調査をする必要ありと言う事で、いくつかの学校を我々が担当した。

いち早く学校を始めて少しでも子どもたちの精神的ストレスを解放したいという思いがある。
家もなく、だべるものも充分ではなく、家族などを亡くした子どもが果たして学校へ来るのか疑問ではあるが、
一人で悶々としているよりは、学校へ行き友人・先生らと会う事はやはり重要なことであろう。

学校が全壊のところは短期間で授業を再開するのは難しい。
また、あまりにも海に近い学校では、子ども達がおびえてしまい(トラウマ)逆にストレスを与えてしまう。
その辺の状況をチェックしながらゴールからコロンボへと戻ってきた。

全く無傷のだ学校もあれば、海から少し距離があるにもかかわらず、完全に破壊されている学校もあった。
その現場をみるといかに津波がすごかったのがわかる。
そして、津波がどのように押し寄せたのかは想像するのも難しい。
というのは、海側にある建物が残っているのにもかかわらず、その裏側にある建物が全壊であったり、
海から少し入った土地が急にえぐられてたりしているからだ。

何人かの話を聞くと、津波は普通の『波』としてきたのではなく、
竜巻のように回転が加わりながら来た様だ。
だから、それぞれ破壊度がちがうのであろう。

ひとまず、1月20日に学校を再開すると言う目標をたて活動をしている。
建物を完全になおすのは難しいと思うが、必要なものを揃え、掃除を行い、壁の色を塗り替え・・・
子ども達が学校へ戻れるようみんながんばっている。


1月9日

2005-01-16 12:59:47 | Weblog
時が過ぎるのは早いものである。
被災者の方にとっては時間はどんな風に流れているのだろうか。

今日は、モラトゥワ市(コロンボから車で40分くらい南)の被災地の片付けに参加した。
29日からはじめた作業であり、すっかり地域の人とも顔なじみである。
一応、今日でその活動も最後ということになっていた。
理由は、JICAスリランカオフィスの考えが、
一般的な学校が10日より再開することになっているし、一時の混乱はないので(特定のオフィスを除いて)
通常業務にもどったほうが良いということだから。

私も、2週間自分のオフィスに行っておらず、気にあることも色々あるのは確かである。
職場に戻ればそれなりにやることもあるであろう。ただ、被災地の事がもっと気になる。
もし、客観的に考えたとしても、今自分が役に立てるのは、アヌラーダプラのオフィスより、
被災地での手伝いや、NGOオフィス等での手伝いだと思っている。
その辺がいまだジレンマである。

26日からずっとアヌラーダプラにいて現場を見る機会がなければ、
これほどの思いはうまれなかったかもしれない。
そう考えると不思議でもあり、自然でもある自分自身の反応である。

東部では人身売買の売人が捕まった。もしかすると、すでに売られてしまった子どもがいるかもしれない。
一体政府は何をしているんだ!ユニセフはなにしているんだ!JICAは何しているんだ!日本政府は何しているんだ!
私には何が出来るんだ!

一体いくつの家が壊れたのか分からないが一面瓦礫の山である。
なんだか写真でしか見たことはないが、『戦争跡』である。
瓦礫を片付けながら、鉄くずを集める人々。1Kg=15ルピー(15円)で売れるそうだ。
みんなたくましく生きているものである。
ある男性は、「俺達に仕事をくれよ!何でもいいから!」と訴えてきた。
「市役所が今準備中だよ・・・」と歯切れの悪いことしかいえない自分が悲しい。


作業終わりに近づいてくると、みんなが挨拶がわりの質問をしてくる「明日も来るよね!?」と。
いつも「オウ、オウ(来る、来る)」と答えているのに今日は、
「多分来れないかも・・・」とこれまた歯切れの悪い答えをしてた。
ウソを言うわけにいかないので仕方ないのだが、あまりにも中途半端な状態である。

地域の人々にとっては当分『終わり』はない。
新しい土地の選定、家を作る、仕事を探す、(漁師達は当分仕事がないであろう)
やることは山ほどである。ずっと、手伝いをするのは不可能であるにしても、もう少し何かの役に立てる気はする。

最後に、ニハルさんと写真を撮った。「全てきれいになったらまたここに来てくれよ」と彼は言った。
気を使ってそう言ったのかよく分からないが、なんだか中途半端でその場を去る自分が嫌であった。

1月8日

2005-01-16 12:58:05 | Weblog
地元の新聞は連日津波被害の関係のことばかりだが、
インターネットで日本の新聞をのぞいて見ると、だんだん津波の報道は少なくなってきている。

新しい事件が次々起こるから、当然、ふるい情報は少なくなるのが普通かもしれない。

ただ、被災地の状況は『よい』とは言えないようだ。

今日、NGOの各サブオフィスの代表者が集まり会議がひらかれた。
それぞれの報告と今後必要となるものの確認がされた。
南部の方では、比較的状況がよくなっているとの事。街の清掃も順次進んでいるらしい。
ただ、人々の精神的な面は悪化しているようだ。ある街では、お化けが出るとみんなが思い込み、
家が壊れていない人までもが街を出て行くという状況が起こっている。

東部の方では、医療がちゃんと行き届いていないようだ。
LTTEの認めた医者はぜんぜん知識もなく、
全ての患者にパナドール(バファリンのような薬)を処方しているらしい。
LTTEが自分達で援助物資を横取りしたいため、
「東部では援助物資が不足している」と、ウソの発表をしていると、
BBCのニュースに載っていた。

だんだん何が本当で、何がウソなのか見極めるのが難しくなってくる。

夜は、トラックに援助物資を積み込むのを手伝った。
アンパーラ、ハンバントタ、マータラ等に送る物資を3台のトラックに積んだ。
結局、積み込みが終わり、トラックがスタッフを乗せ被災地へと出発したのは夜中の1時になった頃だった。


1月7日

2005-01-16 12:56:38 | Weblog
5日早朝(夜中)NGO(Green Movement)のスタッフと共に南部のサブオフィスを訪問してきた。
Kalutara, Galle, Matara, Hambantota の各サブオフィスを周る前400Km以上の移動であった。

スタッフは前日仕事を続けそのままの移動である。

道路の復旧は急ピッチに進んでおり、我々が通った道に危険箇所はもうなかった。
コロンボより45キロほど南のカルタラでは避難している人々が、
救援物資を強奪するなどの問題が起きていた。
充分に物資がいきわたっていないのと、今後の不安からくるものらしい。
そのため、警察が警備を始めたのだが、
NGOのメンバーですら建物の中(お寺がサブオフィスとして使われていた)に入れてもらえず、
スタッフが寝るのもできないと言う問題が起きていた。

南部最大の街ゴールでは、街の規模が大きいので被害の規模も大きいように見えた。
現在390体の死体がまだ身元不明として置いてある。
お寺が避難所として使われているがトイレの不足により衛生状態が悪化しているとのこと。
まだ、少しずつ家があるところに戻る家族も増えているが、調理器具がなく料理も出来ないようだ。
子どもがショック状態でどこかに隠れてしまっていると言う報告もある。
女性(男性も)の一部がショックから立ち直れると思い麻薬に手をだしている。

町の中ではまだ水の供給ラインが復旧しておらず、安全な飲み水が慢性的な不足である。

コロンボより160キロ南の街マータラも大きな街である。
雨が降っており避難している人、救援・復興作業している人にとってはきつい状況である。
ぱっと見た感じ比較的片付けは進んでいるように見えた。
まだ、情報が集まっていないのも事実のようだ。5つの学校が全壊。2つの学校が半壊。

ハンバントタでは、災害の翌日新たな命が誕生。
そのお産の手伝いをNGOのスタッフが行なったとの報告があった。
大きな希望であるが、乳幼児には特に厳しい環境となっている。
哺乳瓶・粉ミルクの不足が報じられていたが、もし、清潔な水がなければ
すべてが無駄となってしまう。ふと、犬養道子さんの『人間の大地』を思い出した。
清潔な水が必要!!
病院の不足、清潔な水の不足等お産は非常に困難を強いられている。
(また、ムスリム、タミル、シンハラという宗教の違いも様々な問題を生み出しているようだ。)
家600戸が全壊。

最も悲しい情報は、被災地でレイプ事件が報告されていること。
死体をレイプした言う情報もある・・・。完全に、おかしくなっている。
比較的被害が少なかった(といっても家は全壊など・・・まだ、家族が生き残っていると言う意味で)人で、
女の子とを持つ親はみんな避難所に子どもを置きたくないと訴えている。
ただ、家族がいなくなってしまった人、どこにも行くあてがない人なども多い。

共通して、トイレの不足、飲み水の不足があがっていた。
そのせいで、下痢が流行ってきている。特に、子ども達がひどいようだ。

復興への一歩として、家を再建する場所の選定もなかなか進んでないようだ。

時間が経つにつれて避難している人々へのストレスも非常に高まっている。
我々が瓦礫除去をしていると、「自分の家の近くに瓦礫を捨てるな!!」と怒鳴る人がいた。
「近いうちに市役所から重機がきて片付ける」といって何とか納得してもらった。

支援をしているスタッフ達の疲れも目立ってきている。
NGOでも現場のスタッフ&ボランティアの交代が必要であると現在アレンジ中である。
Green Movementはそれほど大きいNGOではなく常勤のスタッフも少ない。
中心メンバーらは、災害が起こってからほとんど寝る暇もなく働いている。
ぴりぴりした空気がオフィスに張り詰めている。
私は、「あなた達が倒れてしまったら、救援活動に影響を与えるから少しは休んだ方がいいのでは・・・?と言うと、
「今は、緊急支援をやっている段階であり、
これをやらなければさらに被害が拡大する可能性がある。寝ている場合ではないんだ」
とあっさり言われてしまった。「今後、状況が落ち着いたら少し休ませてもらうから・・・」と。

1月7日

2005-01-16 12:55:20 | Weblog
今回行った場所は南部の一部地域で決して全ての現状を見てきたわけではない。
東部の現状はもっとひどいのかもしれない。
そして、他の被災国インドネシア、タイ、インド、モルディブの状況はインターネット等でしか知りえない。

サブオフィスのスタッフからの情報が多く『客観的』かと問われるとそうでないかもしれない。
ただ、私が今自分自身で感じている事であり、私にとっては現実・事実である。
そう、思って読んでいただきたい。
時として、思いが優先して現実的ではない事を発想する可能性もある。
そんなときは是非皆さんからアドバイスを頂きたいと思います。

募金について
前回のメールで、今必要なものはお金であると書いた。
一週間色々考えたが、一つの結論として災害援助金を募ろうと。
モノは、的確なものと個数等の確認が取れたら送って頂きたいのだが、その確認作業が現時点ではまだ進んでいない。
集まったお金は、上記したNGO(Green Movement)を通して、救援・復興プログラムに使われる予定である。
Green Movementを選んだ理由として
・以前より交流があり彼らの活動趣旨を理解している
・ローカルNGOであり各地域で地域の人々との交流がありより効果的に活動が可能
・ローカルNGO(スリランカ人の組織による)であるため、文化的背景などをより理解しているので、様々な配慮が可能
・災害救援・復興プログラムの柱に『特に弱い立場の人への支援』というのがある
・ローカルNGOではあるが、国際的な会議への出席など、国際的にも認められており多角的な視野をもっている
・マネージメント能力がある
以上。

まだ、どのようにお金を集めるのが効率的か検討中。
NGOの口座があるが海外送金となると手数料が莫大である。
日本で一時的に集め、送ると言うのが現在考えている事である。
(まだ、口座を確保していないので募金を開始しているわけではありません)
なにかアドバイスある方はよろしくお願いします。

*Green Mouvement HP
http://www.greensl.net/index.htm

必要なもの(1月6日)

2005-01-16 12:53:25 | Weblog
以前より交流があるNGOのオフィスに行き彼らの支援活動状況を聞いてきた。
オフィスはてんやわんや状態。初めての事だけに、何事もスムーズにいかず大変なようである。

津波の翌日には、全てのスタッフ&ボランティアにより被災地の状況の調査に行っている。
その後、被災地8ヶ所にサブオフィスを作り、情報の収集と救援活動をしている。
そんなに大きくないNGOであるが、機動力はすごいと改めて感じさせられて。

彼らは普段環境に関する活動をしており、各地における人材つくりや、環境破壊のモニタリング、
持続可能な農業の促進・・・などを行なっている。
今回の災害で彼らは急遽今後6ヶ月のプログラムをキャンセルして、救援・復興プログラムを行うそうだ。

彼らにとってもっとも必要なのは金銭的な援助のようである。
UNDP(国連開発プログラム)やノルウェー政府より別のプログラム用として取っていた予算を現在の活動にまわしているとの事。
すでに彼らの下で1000人以上のボランティアが活動しており、その移動手段の確保(車をレンタル)に予想以上のお金がかかっているらしい。

私は、直接募金を集めるなどの経験がないため、どのように協力してよいのか分からないのだが、
現場にいると言う利点を生かして何かをしたいと言う思いは強い。
口伝えで募金を少しずつ集める方法が最初に思いついたが、
どこかの企業や団体などからまとまった募金を集められるのならなおいいのかとも思う。


どのようにしていいのか全く分からないので、是非皆さんから情報を頂きたいと思っています。
もし、募金の仕方や、そのコネクションなどで何か情報があれば教えてください。

1月4日

2005-01-16 12:52:19 | Weblog
一週間が過ぎ私達が行っている現場の様子も変化している。
少しずつ、復興への動きが出てきている。その一方、完全な無力感に襲われている人々も増えている。
私達は、一日数時間現場に行き、瓦礫の除去などの作業をしているだけであり、
体力的な疲れは感じても、精神的な疲れはさほど感じない。
毎日、宿泊所に戻れば、豊かな食事があり、快適に寝る場所もあり、シャワーも出て、洗濯機もあり・・・。
『現実』と『非現実』の間を通っている感じである。

作業を横目におしゃべりしている人たちもたくさんいる。別に彼らに「手伝ってよ」という気もなければ、言うこともできない。
家が跡形もなくなくなって人たちもいる。全くやる気が起きないというのは非常に理解できる。
自分の家が破壊されている人でも、懸命に我々の作業を手伝ってくれる人たちもいる。

私達に的確な指示を出してくれるニハルさんもそんな一人だ。
彼は漁師で普段は海に出ているのだが、その日は休みを取っていた。
家族は全員無事。家は全壊。
小柄の彼だがものすごいパワーで作業をこなす。タバコを吸う以外はほとんど休憩を取らない。
現場の地理にも詳しいため、「次はこの瓦礫をどかし通路を確保しよう」などの指示を出してくれる。
何日間か彼と一緒に作業を進める中で、彼は少し自分の話をしてくれた。
漁師は決してもうかる仕事ではない。何もないところから、家を建て、家具を揃え子どもを育てここまできた事など。悲しいと・・・。

作業をおこなっている地区では、大きな津波が3回来たとの事。
1,2回目はそれほど大きく家が壊れるほどではなかったようだ。そして、水がぐっと引き3回目の大波が来た。
最初の波で多くの人が逃げた。しかし、何人かが逃げ遅れ亡くなった。
死者数はだんぜん少ない地区だと思うが、やはり実際の話を聞くのは辛い・・・。

来月結婚をする予定だった女性は、夜勤をしていて朝家に戻りすっかり熟睡していた。
家族は自分達が逃げるのに精一杯で、彼女を助ける余裕がなかった・・・。



今朝職場に電話をした。被災地ではないので混乱している様子はない。
被害がひどかった東部への支援のアレンジをしているようだ。
日常会話程度の語学能力では、現場でのコーディネート等をするのは難しい。
当然、ぽんと現場に行ったとしても、特定技術がなければ役には立たない。
言葉が不自由だと、その場で仕事を探すのは難しい。
現在私の答えは、もっとも被害がひどい所ではないにしろ、被害を受けたところで片付けなどに労働力を提供するのが最善であるということ。

オフィスに戻っても、自分は役に立てないと思い、
「特に重要な仕事がなかったら、もうしばらくこっちで作業をしたいのだけど」という私の願いに、
「分かった。なにか必要だったら言ってくれ、俺も手伝いに行くから」との事だった。
緊急事態であるということは大抵の人が感じているようである。

ただ、なかなか行動がとれない人(組織)もいる。
多くの人が、いつもの状態より少しだけでもがんばって行動を起せばもっと色々な支援が出来るのにと感じる。

危険は当然ある。しかし、何もせずテレビの映像を見ているのは私には出来ない。
ただ、現場に行って何かをおこなう事が絶対に必要だとも思わない。様々な段階があり、仕方があるから。
(我々が作業から帰ってくると、宿泊所に残っているメンバーが食事を用意して待っていてくれる。これも、我々にとっては非常に大きな助けである。)

私に求められていることは何?、私に出来ることは何?・・・初めてのことだけに考えるのもなかなか大変である。

援助(1月2日)

2005-01-16 12:51:10 | Weblog
被災地の市役所に日本からの救援物資が届いたようだ。
直接中身を見ていないのでよく分からないが、食料などが入っているようだ。
市役所職員は当然日本語が読めるわけもなく、賞味期限を確認するのも難しい。
『もの』を送る援助は非常に注意深く行なう必要がある。

こちらで哺乳瓶などが不足という情報が流れると、
多くのスリランカ人は哺乳瓶を買いに行き、援助機関に寄付する。
スリランカにいる人がこういう行動をするのは特に問題はないと思う。
ただ、これがもし日本(または外国)に住んでいる人が哺乳瓶を集めて送るとしたら??
当然、ばかげた話である。スリランカに全く哺乳瓶がないのであれば話は別だが…。
その哺乳瓶の金額と、送料とをあわせたら、こちらで数倍の数の哺乳瓶が買える。

ふと、バングラディシュを旅行した時の事を思い出した。
大きな市場をふらふら歩いていてふと目にとまったものが大きなダンボールに書かれた日本語。
『援助物資(セーター等)』と書かれたダンボールの隣にはたくさんの衣類が格安(日本の感覚で)で売られていた。

一週間が過ぎ思うのは「焦ってモノを援助する必要はない」ということだ。
わたしに出来ることは何か?しっかり見つめ考える必要がある。

1月2日

2005-01-16 12:49:13 | Weblog
さて、多くの方が心配してくださっていることに感謝いたします。
27日に送ったメールのように、私は何も問題なく元気に過ごしています。
一時、協力隊員の一人と連絡が取れないという状況がありましたが、
最終的には無事が確認され、みんなほっと一息していたとこです。

被害状況が明らかになるにつれ、いかに凄い津波だったのかと言う事が分かってきました。
死者数は日本の報道でも流れていると思いますので、具体的な数字は省略します。

一番被害が大きかったのは、東海岸。海沿いには、比較的貧しい人たちが住んでいる事が多く、
家の作り方もしっかりしたものではないので、より被害が大きかったようです。
そして、子ども、女性が逃げ遅れ、または泳げなくて亡くなったようです。
日中は気温が30度を越えるので、遺体の腐敗がひどく、誰かと言う確認もないまま、
土を掘り埋めているのが現状のようです。(TVで流れていましたが、言葉が出ませんでした・・・)

また、北東部はLTTEの支配地域であり、それが情報収集の妨げになったりとうまく救援活動がすすんでいないようです。
救援物資が末端部分へ届いていないという報告もありました。


南、南西海岸も大きな被害があったものの、比較的、救助・救援活動がスムーズに入っているようです。

被災地の多くの場所で、食料を配ったり、衣料品を配ったり、
コロンボなどの街では救援物資を送る準備など、全てがボランティアでおこなわれています。
みんな、助け合っているという事が一つの希望でもあります。

その裏側で、それほど被害を受けていなくても援助物資をもらったり、詐欺行為をしたり、
壊された家、店から物品を盗んだりと悲しい出来事も起こっています。
南部の方では、夜間外出禁止令が出されています。(泥棒対策)


コロンボ近郊でも大きな被害があり、何人かの協力隊員の職場である地域も被災しています。
JICAからの規制が(安全確保)あるため、なかなか自由に動けない我々ですが、
事務所に許可を取り、協力隊員の有志で、昨日から被災地域の片づけの手伝いに行っています。

4日間が過ぎ、生存者はほとんどいない現状です。
現在、最も心配されているのが、生き残った人たちが、感染症などにかかることです。
被災地では、いたる所に水がたまり、ゴミがたまり、衛生状態が悪化する一方です。
我々に出来ることはほんの小さなことですが、コロンボ近郊でも、比較的手が届かない所へ行き、
瓦礫を片付けたり、側溝を片付け排水設備を確保したりと言う事をしています。
役所などのアレンジ能力が低いので、「マンパワー」がどうしても不足のようです。

日本から派遣されている医療チームの通訳等の手伝いがあるかもと一時は言われていましたが、
事務所は隊員を「ひどい被災地」に送るのをためらっているようで、現地人通訳が行っているようです。
(東部はもともと立ち入り禁止地域ということもありますが)

ひとまずやれる事をやるのみです。