スリランカ津波災害への支援

津波によるスリランカへの災害に関する情報を記載し、支援の輪を広げる事が目的。

1月13日

2005-01-16 13:03:36 | Weblog
ある避難所を訪れた。
一見、「悲惨な状況」という風景は目に入ってこない。
みんなそれぞれ協力し合って生活をしていっていると言う感じだ。

我々が行った避難所は規模も小さく、それほど死者数が少ない地域という事もあり、
避難所内の空気もそれほど重たくはない。
子ども達は、無邪気に遊びまわり、我々に「ボールちょうだい」「バットちょうだい」と遊び道具を求めてくる。
大人達は子守をする人をのぞいて昼間は被災地に行き片付けなどをしている日が多いようだ。

空気が重たくなくとも、それぞれ抱えている問題は大きいのかもしれない。それが表面に出てこないのかもしれない。
同行した先輩隊員は、本当にショック状態の人は人前には出てこれない状況なのかもしれないと指摘してた。

避難所にいたある男性は、津波が押し寄せる中12歳と4歳の子どもを両脇に抱えて逃げていた。
力尽きたのか、なにかにひっかかったのか4歳の子どもが腕から抜けていった・・・。
それ以来一人娘は帰ってこない。母親は2歳半の息子を抱いて必死に逃げてきた。
二人の子どもは救われたが、尊い命が一つ奪われた。
お母さんはもう泣きつかれたという表情で当時の状況を語ってくれた。
お父さんは、自分が手を離してしまった事に対して責めても責めきれないという苦難の中にいる表情だった。
2歳半の子守を良くしてくれていたのが4歳の姉だった・・・
2歳半の弟は今でもお姉ちゃんの事を聞くそうだ。海の中にいるお姉ちゃんを探しにいこうと・・・。


10日からは普通の学校は再開。避難所として使われている学校も多く、
別な避難所へ移動する必要があったり、
可能であれば、避難所を出て欲しいとの要請があるようだ。
家の再建めどや仕事(漁師が多い)の再開めどがたっていない現在、
彼らが自立していくのは非常に難しいのかもしれない。
海から内陸100m以内は家を建ててはいけないと言う決まりを政府がつくっているとか・・・?
これまたはっきりしない情報であり、
少しずつ被災地に戻り何とかして自分達の家を再建したくとも出来ない状況だ。

政府のリストに載っていない避難所もいくつかあるようだ。
また、避難所になんらかの理由でいけない人、
親戚などの家に頼っている人達へどのように支援をしていくかも大きな課題だ。
家も壊れていないのに、避難所にまぎれこんで救援物資をもらう人もいる。
その町のことを良く知っている人が援助に関わらないと、公平な援助をするのは困難である。
政府関係でたくさんの機関がありスタッフがいるのに活用されていないのが非常に残念である。

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