スリランカ津波災害への支援

津波によるスリランカへの災害に関する情報を記載し、支援の輪を広げる事が目的。

1月4日

2005-01-16 12:52:19 | Weblog
一週間が過ぎ私達が行っている現場の様子も変化している。
少しずつ、復興への動きが出てきている。その一方、完全な無力感に襲われている人々も増えている。
私達は、一日数時間現場に行き、瓦礫の除去などの作業をしているだけであり、
体力的な疲れは感じても、精神的な疲れはさほど感じない。
毎日、宿泊所に戻れば、豊かな食事があり、快適に寝る場所もあり、シャワーも出て、洗濯機もあり・・・。
『現実』と『非現実』の間を通っている感じである。

作業を横目におしゃべりしている人たちもたくさんいる。別に彼らに「手伝ってよ」という気もなければ、言うこともできない。
家が跡形もなくなくなって人たちもいる。全くやる気が起きないというのは非常に理解できる。
自分の家が破壊されている人でも、懸命に我々の作業を手伝ってくれる人たちもいる。

私達に的確な指示を出してくれるニハルさんもそんな一人だ。
彼は漁師で普段は海に出ているのだが、その日は休みを取っていた。
家族は全員無事。家は全壊。
小柄の彼だがものすごいパワーで作業をこなす。タバコを吸う以外はほとんど休憩を取らない。
現場の地理にも詳しいため、「次はこの瓦礫をどかし通路を確保しよう」などの指示を出してくれる。
何日間か彼と一緒に作業を進める中で、彼は少し自分の話をしてくれた。
漁師は決してもうかる仕事ではない。何もないところから、家を建て、家具を揃え子どもを育てここまできた事など。悲しいと・・・。

作業をおこなっている地区では、大きな津波が3回来たとの事。
1,2回目はそれほど大きく家が壊れるほどではなかったようだ。そして、水がぐっと引き3回目の大波が来た。
最初の波で多くの人が逃げた。しかし、何人かが逃げ遅れ亡くなった。
死者数はだんぜん少ない地区だと思うが、やはり実際の話を聞くのは辛い・・・。

来月結婚をする予定だった女性は、夜勤をしていて朝家に戻りすっかり熟睡していた。
家族は自分達が逃げるのに精一杯で、彼女を助ける余裕がなかった・・・。



今朝職場に電話をした。被災地ではないので混乱している様子はない。
被害がひどかった東部への支援のアレンジをしているようだ。
日常会話程度の語学能力では、現場でのコーディネート等をするのは難しい。
当然、ぽんと現場に行ったとしても、特定技術がなければ役には立たない。
言葉が不自由だと、その場で仕事を探すのは難しい。
現在私の答えは、もっとも被害がひどい所ではないにしろ、被害を受けたところで片付けなどに労働力を提供するのが最善であるということ。

オフィスに戻っても、自分は役に立てないと思い、
「特に重要な仕事がなかったら、もうしばらくこっちで作業をしたいのだけど」という私の願いに、
「分かった。なにか必要だったら言ってくれ、俺も手伝いに行くから」との事だった。
緊急事態であるということは大抵の人が感じているようである。

ただ、なかなか行動がとれない人(組織)もいる。
多くの人が、いつもの状態より少しだけでもがんばって行動を起せばもっと色々な支援が出来るのにと感じる。

危険は当然ある。しかし、何もせずテレビの映像を見ているのは私には出来ない。
ただ、現場に行って何かをおこなう事が絶対に必要だとも思わない。様々な段階があり、仕方があるから。
(我々が作業から帰ってくると、宿泊所に残っているメンバーが食事を用意して待っていてくれる。これも、我々にとっては非常に大きな助けである。)

私に求められていることは何?、私に出来ることは何?・・・初めてのことだけに考えるのもなかなか大変である。

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