三つの息子が急にオネショをするようになった。
本人も濡れた布団や寝間着にかなりショックを受けているようだ。
寝言も頻繁に言うようになった。
夜中にいきなり、
「天敵」らしいクラスの子の名前を叫んだり、
「熱が有りそうだから(保育園)やすむ」という寝言に
夜毎、魘されはじめたのだ。
あぁ、オマエもタイヘンだ。
彼の人生で最初のストレスが降ってきた様だ。
:::::::::::::::::::::::::::::::
私は16才くらいまで頻繁におねしょをした。
今だから正直に書くことができるが、
当時は悩みのタネだった。
特に高校生になって友人宅に泊まりに呼ばれた時や
修学旅行の時、とにかく夜通し誰か他人と居なければならない時、
尋常でない緊張感でたいていは一睡もできなかった。
私の場合は「変わり者の父親ストレス」が100%その原因だった。
私達家族は「よそ者」であったため、
父は尋常ならざる苦難を呑んで、
村に溶け込もうとしたに違いない。
焼酎を呷り道化て見せるのは
シャイな人柄の父には
かなりの苦痛であったのだろう。
父はそのストレスを全て家庭に持ち帰ってきては
遠慮なくぶちまけた。
母は幾度も逃げ出そうとした。
惚れ合って駆け落ちを企てた時の
凛々しい青年の面影は
その時の父には残っていなかったのだろう。
日向灘の砂浜を「借り物の白馬」で迎えにきたと言う
惚気話も当時は母の胸中に不在だったはずだ。
漸く歩くことができた頃の記憶にも
その出奔のシーンが鮮明に残る。
月の無い真っ暗な山道、
二才の私の手を左手に握り、
背中には生後間もない弟を背負っていたはずだ。
後ろから追いかけてくる父の下駄の音。
「父ちゃんが来た」私は子どもらしい敏感さで、
百メートルも後ろの微かな下駄の鳴る音を聞き分けた。
母はその場に竦んで動けなくなった。
この日から十五年に亘る母の苦難が始まった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
昭和43年だったか、
「巨人の星」というアニメが放映開始された時、
「うちの父ちゃんみたいじゃねェ」と、
私は母に言った。
私は毎夜オネショを繰り返していた。
新任の担任が宿直当番(当時、防犯のため、
先生たちが交代で学校に寝泊まりしていた)の時、
「心細いから来い」と呼び立てられた私は、
宿直室の布団でも洩らした。
学校代表で参加した県主催の
ボーイスカウトキャンプでは、
その緊張で初めて夜明かしを経験した。
10才の時のことだ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
巨人の星の決定的な嘘は
大リーグボールなどではない。
飛雄馬の子ども時代の描写に尽きる。
あれほど成熟した子どもが居てはいけない。
家長の、子どもから見れば理不尽な暴力に
恐怖しない子どもなどを
想定する事自体がまずおかしいのだ。
あの漫画の流行によって
市井には「一徹もどき」が蔓延った。
影響を受けたのは子どもではなく
オトナ達だったのだ。
きちんと検証されていない傲慢さが
あらゆる現場で黙認され続けた。
「頑固一徹」であることは「頑迷さ」と区別されなくなり、
男親の暴力的な振る舞いは美徳の形容詞さえ冠せられた。
朝鮮動乱に始まる神武景気を下支えするために
昼夜問わずこき使われた「倦怠感」を
日本中のオヤジ達が根拠の無い「空威張り」に発散し始めた。
それは概して、
間違いに気付いた時にも
素直にアタマを下げない「偉ぶり方」だった。
当時の小中学校にもその手の教師がわんさか居た。
半分は軍隊で性根を培った横柄な中高年、
もう半分が巨人の星をバイブルのように読み耽る若手。
どちらも私には無用だった。
家に帰れば凄いのがいつも居るのだから、、。
::::::::::::::::::::::::::::::::
川上哲治と対面する
7才かそこらの飛雄馬少年は、
室内の畳に座したままの姿勢で
壁の節穴目掛けて硬球を投げる、
ボールはその板に擦りもせずに外庭の立ち木に当たり、
「同じルート」を辿って節穴から少年の素手に跳ね返ってくる、、、
いったい初速度が何km/hで、
それを弾き出す筋力は何kg/cm3なのか、
奴の上腕二頭筋はどうなっとるんじゃい?
おそらくライフル銃で射出しても
外で跳ね返ったボールは
節穴の下のラインにぶつかるはずだ、、、、?
、、、その辺りはまぁ、劇画であるから、
「梶原一騎は力学の基礎さえ知らなかったのか」
等と野暮な突っ込みをせず見逃すとしても、
ストーリーの軸に絡められた父子の関係としては
劇画史上最悪の表現ではないかと思う。
若い母親たちがスポック博士の育児書で、
わが子をただひたすら「溺愛」することしか学ばなかった時期に、
父親たちは自らが「星一徹」のような暴君であることに
「強い父権」を夢見ていた。
その狭間で子ども達は白け始め、
二世代を経た今、
世間には(私の目から見れば)特殊な親子がうじゃうじゃ徘徊している。
「子離れしない親」たちがニートの増員に拍車をかけ、
「親離れしない子」たちが「安易な離婚」を増やす。
「わが子に愛情を持てない母親」たちはベランダから赤ん坊を投げ捨て、
「両親に愛情を見いだせない子」たちが
実の親の寝顔に「ハンマー」を振り下ろすのだ。
この図以上の「地獄」とやらが存在するのならば、
ぜひともパックツアーで行きたいモノだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
自分の「理解力」の及ばない事態に遭遇した時、
子ども達は「過度の緊張」を強いられる。
この緊張を適時解放してやらないことには、
時を経ず彼等はみな壊れてしまうだろう。
予め脳内にプログラムされた、
「不随意に緊張を解放する手立て」のひとつが失禁だ。
それは睡眠時の或る程度身体が弛緩した状態の方が
効率良く機能するのだろう。
「夜尿症」とは体内に仕組まれた
カタルシスプランのひとつだと私は思う。
もちろん、拳や怒声などの暴力だけが
その起因になる訳ではない。
私が経験的に知る範囲でも
「偏った食事」や
「過度の行動規制(塾通いなど)」、
「長距離移動の連続」や
「天候不順(異常気象)」等にも
子ども達は「反応」し、
その緊張の弛緩ツールとして「オネショ」をするようだ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
星飛雄馬は間違いなく「夜尿症」だった。
なぜなら星一徹はただの一度も
わが子を抱きしめていない。
いくら高らかな理想を追うが故の
「厳格さ」であっても、
殴った後に、
少なくても叱責した時間より長く抱きしめてやらねば
「叱った意味」が損なわれてしまうものだ。
オトナの一方的な「善かれ」では
子どもは心に「ヒズミ」を抱えてしまうだけなのだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
いつも覗いて下さってる方々が
そろそろ興醒めされて、
「寝小便垂れの言い草など聞いてラレッか」と
この島を離れてしまわれても
私にはイカンともし難いことで、アリマス。
では、また。
本人も濡れた布団や寝間着にかなりショックを受けているようだ。
寝言も頻繁に言うようになった。
夜中にいきなり、
「天敵」らしいクラスの子の名前を叫んだり、
「熱が有りそうだから(保育園)やすむ」という寝言に
夜毎、魘されはじめたのだ。
あぁ、オマエもタイヘンだ。
彼の人生で最初のストレスが降ってきた様だ。
:::::::::::::::::::::::::::::::
私は16才くらいまで頻繁におねしょをした。
今だから正直に書くことができるが、
当時は悩みのタネだった。
特に高校生になって友人宅に泊まりに呼ばれた時や
修学旅行の時、とにかく夜通し誰か他人と居なければならない時、
尋常でない緊張感でたいていは一睡もできなかった。
私の場合は「変わり者の父親ストレス」が100%その原因だった。
私達家族は「よそ者」であったため、
父は尋常ならざる苦難を呑んで、
村に溶け込もうとしたに違いない。
焼酎を呷り道化て見せるのは
シャイな人柄の父には
かなりの苦痛であったのだろう。
父はそのストレスを全て家庭に持ち帰ってきては
遠慮なくぶちまけた。
母は幾度も逃げ出そうとした。
惚れ合って駆け落ちを企てた時の
凛々しい青年の面影は
その時の父には残っていなかったのだろう。
日向灘の砂浜を「借り物の白馬」で迎えにきたと言う
惚気話も当時は母の胸中に不在だったはずだ。
漸く歩くことができた頃の記憶にも
その出奔のシーンが鮮明に残る。
月の無い真っ暗な山道、
二才の私の手を左手に握り、
背中には生後間もない弟を背負っていたはずだ。
後ろから追いかけてくる父の下駄の音。
「父ちゃんが来た」私は子どもらしい敏感さで、
百メートルも後ろの微かな下駄の鳴る音を聞き分けた。
母はその場に竦んで動けなくなった。
この日から十五年に亘る母の苦難が始まった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
昭和43年だったか、
「巨人の星」というアニメが放映開始された時、
「うちの父ちゃんみたいじゃねェ」と、
私は母に言った。
私は毎夜オネショを繰り返していた。
新任の担任が宿直当番(当時、防犯のため、
先生たちが交代で学校に寝泊まりしていた)の時、
「心細いから来い」と呼び立てられた私は、
宿直室の布団でも洩らした。
学校代表で参加した県主催の
ボーイスカウトキャンプでは、
その緊張で初めて夜明かしを経験した。
10才の時のことだ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
巨人の星の決定的な嘘は
大リーグボールなどではない。
飛雄馬の子ども時代の描写に尽きる。
あれほど成熟した子どもが居てはいけない。
家長の、子どもから見れば理不尽な暴力に
恐怖しない子どもなどを
想定する事自体がまずおかしいのだ。
あの漫画の流行によって
市井には「一徹もどき」が蔓延った。
影響を受けたのは子どもではなく
オトナ達だったのだ。
きちんと検証されていない傲慢さが
あらゆる現場で黙認され続けた。
「頑固一徹」であることは「頑迷さ」と区別されなくなり、
男親の暴力的な振る舞いは美徳の形容詞さえ冠せられた。
朝鮮動乱に始まる神武景気を下支えするために
昼夜問わずこき使われた「倦怠感」を
日本中のオヤジ達が根拠の無い「空威張り」に発散し始めた。
それは概して、
間違いに気付いた時にも
素直にアタマを下げない「偉ぶり方」だった。
当時の小中学校にもその手の教師がわんさか居た。
半分は軍隊で性根を培った横柄な中高年、
もう半分が巨人の星をバイブルのように読み耽る若手。
どちらも私には無用だった。
家に帰れば凄いのがいつも居るのだから、、。
::::::::::::::::::::::::::::::::
川上哲治と対面する
7才かそこらの飛雄馬少年は、
室内の畳に座したままの姿勢で
壁の節穴目掛けて硬球を投げる、
ボールはその板に擦りもせずに外庭の立ち木に当たり、
「同じルート」を辿って節穴から少年の素手に跳ね返ってくる、、、
いったい初速度が何km/hで、
それを弾き出す筋力は何kg/cm3なのか、
奴の上腕二頭筋はどうなっとるんじゃい?
おそらくライフル銃で射出しても
外で跳ね返ったボールは
節穴の下のラインにぶつかるはずだ、、、、?
、、、その辺りはまぁ、劇画であるから、
「梶原一騎は力学の基礎さえ知らなかったのか」
等と野暮な突っ込みをせず見逃すとしても、
ストーリーの軸に絡められた父子の関係としては
劇画史上最悪の表現ではないかと思う。
若い母親たちがスポック博士の育児書で、
わが子をただひたすら「溺愛」することしか学ばなかった時期に、
父親たちは自らが「星一徹」のような暴君であることに
「強い父権」を夢見ていた。
その狭間で子ども達は白け始め、
二世代を経た今、
世間には(私の目から見れば)特殊な親子がうじゃうじゃ徘徊している。
「子離れしない親」たちがニートの増員に拍車をかけ、
「親離れしない子」たちが「安易な離婚」を増やす。
「わが子に愛情を持てない母親」たちはベランダから赤ん坊を投げ捨て、
「両親に愛情を見いだせない子」たちが
実の親の寝顔に「ハンマー」を振り下ろすのだ。
この図以上の「地獄」とやらが存在するのならば、
ぜひともパックツアーで行きたいモノだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
自分の「理解力」の及ばない事態に遭遇した時、
子ども達は「過度の緊張」を強いられる。
この緊張を適時解放してやらないことには、
時を経ず彼等はみな壊れてしまうだろう。
予め脳内にプログラムされた、
「不随意に緊張を解放する手立て」のひとつが失禁だ。
それは睡眠時の或る程度身体が弛緩した状態の方が
効率良く機能するのだろう。
「夜尿症」とは体内に仕組まれた
カタルシスプランのひとつだと私は思う。
もちろん、拳や怒声などの暴力だけが
その起因になる訳ではない。
私が経験的に知る範囲でも
「偏った食事」や
「過度の行動規制(塾通いなど)」、
「長距離移動の連続」や
「天候不順(異常気象)」等にも
子ども達は「反応」し、
その緊張の弛緩ツールとして「オネショ」をするようだ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
星飛雄馬は間違いなく「夜尿症」だった。
なぜなら星一徹はただの一度も
わが子を抱きしめていない。
いくら高らかな理想を追うが故の
「厳格さ」であっても、
殴った後に、
少なくても叱責した時間より長く抱きしめてやらねば
「叱った意味」が損なわれてしまうものだ。
オトナの一方的な「善かれ」では
子どもは心に「ヒズミ」を抱えてしまうだけなのだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
いつも覗いて下さってる方々が
そろそろ興醒めされて、
「寝小便垂れの言い草など聞いてラレッか」と
この島を離れてしまわれても
私にはイカンともし難いことで、アリマス。
では、また。
僕の父も「星 一徹」でした。
そして、僕も初めて明かしますが、中学校に上がる頃まで心配でした。従兄弟宅ではしばしば、大きな失敗は大阪万博から始まって、
実は修学旅行が最大でした。つい、日中の疲れから、うとうととした時の出来事でした。事件をもみ消すように犯人は証拠隠滅と「素知らぬ顔」でやり過ごし、誰も気付かないまま今に至ります。
わが家の小3も未だに・・・。
年長の末娘に世話を焼かれて、一層厳しい長女です。
長男は一度も失敗をしたことがありません。
原因を詳しく分析してみませんが、ストレスの・・・、感受性の違いがあるのかなぁ。
一時期まで父や母の所為と思いましたが、どうあっても、全てを含めて誰も助けてくれないことを悟った時に、彼らと違う考えややり方を許容できるようになり、その頃「停まった」のかも知れません。括ってみれば、「自立」だと思います。
ただ、この自立。目次のタイトルにはなっても、言葉として生きていないので、「自立しなさい・・・」はナンセンス。
時期を待つしかありません。
>それを弾き出す筋力は何kg/cm3なのか
WAHA!この問題に空魚さんが黙っているワケがない
と思いながら読んでおりましたら・・・やっぱり
空想科学本?とかいうようなヲタク本でアニメ界の
諸々の事象を科学的に検証しております。
矢吹丈(あしたのジョー)のヘアスタイルは
現実的に可能であるか?毛流やら毛髪の直径やら
何やら微に入り細に入り科学的検証がなされてます。
まそれはさておき「星一徹」意外に好きです。
家族の役割分担として愛情面は姉「明子」が受け持ち
父・一徹はひたすら息子と巨人の星を目指す。
確固たる信念を持つ父親の存在は羨ましいです。
自分の父親などコミュニケーションという概念など無く
何を考えているのかさっぱり判りませんでしたし
手を繋いだ記憶も無くDVでもありませんでした。
一徹とは全く逆のような存在でした。
せめて寺内貫太郎のような逆噴射系でしたら
それなりにコミュニケーションも取れたんじゃないかと
思うこともありましたが何を話しかけても無駄な人でした。
それでも別な意味で恐怖心はありましたが・・・
物心ついた頃には夜尿症は収っていたように思います。
親戚からはお前の親父は変わり者だとよく言われましたが
かといって真っ当な父親がどういうものなのかも
良く判りませんでしたし、この年代の男というのは
どれも皆変わり者なんだと心に深くインプットされたのは
間違いなく、今だに父親の年代に不信感がぬぐえないのが
自分の「ヒズミ」あるいは「ネジレ」なのかもしれません。
思春期の子ども達にとって、
親が煙たい存在であることだけは
間違いないようですね。
子ども達がそこに差し掛かる前に
必要最低限を伝達できれば、
親としては合格なのかもしれません。
でも、世間の少年犯罪を見渡してみると、
親が自らのミスに気付かされるのが
第二次性徴期の
生活態度の変化よってであるらしいですから、少し遅いですね。
「教え易い時期」に怠けたツケが
現在の世相に浮いているのかもしれません。
あれ?
なんだかクソまじめな返信になりました。
~業務連絡~今夜WOWWOWにて「大陸横断バイクの旅」
毎週土曜日三夜に亘り E・マクレガー&C・プアマンが
ロンドン~ニューヨークまで2万マイルをバイクで
旅したドキュメント番組がスタートします。
以上
無口になってます。
BS、いい番組やりますよねぇ。
見たいけど、ウチTVないんですよ、、、。
こんなんじゃトモダチ、
居なくなっちゃいますよね、、。
充電して、また明日。
おやすみなさい。
>第二次性徴期の
> 生活態度の変化よってであるらしい・・・
その通りですね。それまでは親が天下を取れるもんです。実力で良い成績が取れていると勘違いしがちですが、親に対する求心力が助けています。
>「教え易い時期」に怠けたツケが・・・
「ぎぐっ!」
先日、「先生の前で恥ずかしい事言わないでくれ!」と釘を刺されました。今時学校にスーツを着て行く保護者はいないから、止してくれとも言います。
しかし、断固この件には耳を貸しません。
あっ、それと参観日の挙手。
でも、おいらの親父様、参観日に来て、自分で椅子を用意していびきかいて寝てたからなぁ~。(笑)
それよか、ましだと思ってます。
ああ、こうやって断絶が始まる~~。
ぜひ、ご自分を「楽しんで」下さい。
ドキドキ。
実は数日前から覗きに来てました(#^_^#)
なんと!私と同じテンプレの方を初めて発見しました~
(私は今日からクリスマスバージョンに衣替えしておりますが)
深夜に目が冴えてしまったときなどに、
心に染み入る文章、
「感想」なんておこがましくて書けませんが、これからも楽しみに拝読させていただきます。
当店は現在、
「男性サロン」の様相を呈しておりますが、
どうか臆ぜずにお寛ぎください。
あ、クツロギネタはほとんどありません、、、。
寂しい中年オヤジの戯言に
何なりとご進言くださいませ。
では、また。
しかし、こんな風に感じたことがありませんでした。
というよりも・・・こんなことは漫画の中だけだと思っていました。
少々、驚いております。
もしかしたら、そんな親父達に育てられた人達が大人になって、今の変に子供に理解がある父親達が現れてきているのでしょうか?
大人の定義って、なんなのでしょう?
より、一層、分からなくなってきました。