今日はフルールが亡くなって初めての命日でした。
もう一年も経ってしまったのか、まだ一年しか経っていないのか、心の整理がまだ付きません。
フルールが生まれ変わってくれていなければ、今頃こうして普通に生活が送れていなかったでしょう。
生まれ変わってくれていても、やっぱり元の姿のフルールに会いたい、抱きしめたいと思ってしまいます。
私の命だったフルールを亡くして心が壊れなかったのが不思議です。
フルールは亡くなる一ヶ月ほど前に倒れました。
その時も厳しいと言われましたが、奇跡的に何とか乗り越えてくれました。
毎日の点滴と注射、嫌なことばかりが続きましたが、何とか普通に歩いて元気にしていました。
そしてもう大丈夫だから今日は点滴もしなくて良いと言われ、とても喜んだ次の日、最初の痙攣が起こりました。
1月17日の明け方、寝ている私をポンポンポンと三回叩いて起こしました。
きっと調子が悪くなったと知らせてくれたのでしょう。
その直後、痙攣が起こってしまいました。
すぐに痙攣は治まりましたが、それからも何回も痙攣は起こりました。
フルールを抱いて病院が開くのを待つ時間の長かったこと。
その時のフルールが私を叩いたときの感触ははっきりと残っています。
忘れることができません。
それから良くなることはなく、痙攣は日増しに頻度が高くなり、時間が長くなっていきました。
一日に何度も病院に行き、点滴と注射、大量のお薬や座薬、フルールにとってそれが良かったのかとずっと後悔しています。
辛い時間を長引かせただけの、飼い主のエゴだったのではないかと悔やまれてなりません。
生まれ変わったフルールは、その時のことをはっきりと覚えているようで、病院を怖がり、主治医だった先生を怖がります。
毎日、痙攣が酷くなり、見ているのが辛い日々でした。
先生にももう助からないと言われ、毎日苦しんでいるフルールに寝ずに付き添いながら、生まれ変わってほしいと言い続けました。
丁度妊娠していたリオのお腹に入るように頼み続けました。
フルールはちゃんと私の頼みを聞いてくれました。
苦しみ続けたフルールにとって唯一の救いは、最期の日でした。
今までの痙攣が嘘のように起きず、穏やかに寝ていました。
私の隣りでまるで元気な時のフルールが帰って来てくれたように静かに寝ていました。
でもそんな静かな時間も突然の発作であっという間に虹の橋を渡ってしまいました。
苦しまずに逝ってくれたことだけが救いです。
たった六日間の闘病で逝ってしまったフルール。
あの時のフルールの苦しみを忘れることができません。
あの辛かった日々は鮮明に焼き付いています。
これからも忘れることはないでしょう。
生まれ変わったフルールが私を癒してくれますが、でもやはり元のフルールに会いたいと涙が出てしまいます。