■葛岡霊園愛玩動物納骨堂
我が家に”ミッピイ”と言う飼い猫がいました。
【2019年8月25日永眠】
2019年8月25日、午後2時40分、猫年齢16歳、人年齢80歳で天寿を全うしました。
亡くなった当日、ドラマがありました。
~サプライズで帰ってきた元飼い主の息子
息子には、食欲もなくなり時間の問題かも知れないと連絡していました。
東京に住んでいた息子は、亡くなる前日の夜、車を走らせて我が家に来たのは、翌日の午前8時頃でした。来るとも思っていなかったので驚きましたが、息子は、ミッピイのためにスポイトとおやつを持参して見舞いに来てくれました。
息子は、最後のお別れをするかのように抱いたり、スポイトで水を飲ませたり、食べることのないおやつをあげたりしていました。
仕事の都合で午後2時20分に東京へ帰って行きました。その10分後にミッピイは、息を引き取りました。
飼い主の息子の姿を見て亡くなったのが、私たちにとっても安心して見送ることができたと思っています。
~預かったいきさつ
2003年2月、息子が飼っていた猫を転勤するので飼えなくなったからと預かった我が家のミッピイでした。
名付け親が、我が家の息子で、”ミッヒイ”をもじって”ミッピイ”にしたと言っていました。
【お花を携えてお参り】
ミッピイが亡くなって丸1年が過ぎました。
8月26日、お花を持って、仙台市青葉区葛岡にある愛玩動物納骨堂へ行きお参りをしてきました。
【私のHPにミッピイのコーナーを設けて】
我が家のミッピイについては、私のホームページ『BLUESKY IN MIYAGI』の『我が家のアイドル(CAT)』のコーナーを設けて書き込んでいました。
多くは書き込んでいませんが、2003.2.8『雌猫”ミッピイ”との奮闘記』、2003.3.16『ミッピイの不可解な行動・・・』、『天空を駆けるミッピイ』と、当時、我が家にきたミッピイについて記していました。
【生前のミッピイ】
我が家のミッピイは、賢い猫でした。
ミッピイは、夜に寝る時は、家内の布団に入って一緒に寝ていましたが、朝方になると体をさすって欲しいと私の枕元にちょこんと座っていつまでも待っていました。
布団の中に入れて頭から背中、お腹までしっかりとマッサージをし、「おわり」と言うとそそくさと布団から出ていきました。
~手を挙げて応えるミッピイ
私たちが食事をする時やお茶を飲む時には、きまっておやつをねだって「ニャア、ニャア」と鳴いていました。
それだけでは良かったのですが、「ちょうだいは」というと右手をチョコンとあげ、「おかわりは」と言うと、反対の手をあげ、家内か私と握手、「まだまだ」と言うと、「よし」が出るまでおやつはお預けでした。
いつのころか分かりませんが、家内が手懐けた仕草でした。
~玄関まで出迎えるミッピイ
私が、外から帰った時は、必ず玄関まで迎えに来てくれていたし、どこで察知しているのか、ドアを開けるとすぐ前にミッピイの姿がありました。
家内が、外から帰ってきても迎えることはありませんでした。
家内が、水やおやつのお世話をしていたことから、膝の上で寝るときも家内でしたが、私には、膝の上で寝ることはありませんでした。
ミッピイは、私たちの役割をしっかりと把握していました。
ストレッチをして欲しい時は私で、おやつが欲しい時や膝に寝る時は家内、私ももおやつをあげる時もありましたが、殆ど家内がやっていました。
【ペットロスを心配した娘】
ミッピイが亡くなった時は、娘からペットロスになってはと、他の猫をプレゼントしたいと言われましたが、私たちの年齢のことを考えるとペットを飼うこともないと断りました。
私と家内ともペットロスにはなりませんでしたが、毎日、サイドボードに飾ったミッピイの写真に手を合わせ、水をあげ、たまに花を添えては供養をしていました。
【娘と息子に連絡】
娘と息子にお墓参りをしてきた報告をしました。
「もう、一年なったんだね。お疲れ様でした。」とメールをいただきました。