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にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

あるときから気にしなくなってる

2014-12-30 21:35:14 | 健康・美容
学生時代に虚弱で、周りの人に迷惑をかけてきたと思っていて、
就職してそれ以降は、まず自分が健康であることが仕事だと、
それが基本だと思ってきました。


不健康だった私が普通の健康を手に入れるには、お金も時間も気もかけて、
そのために力を注いで健康維持しないと。。。と。

でもこれも気づけばあるときから、全然気にならなくなっている。

病気も不調も、なればなったで考えよう、と思っているのです。
どんなときでもそれなりの幸せ・学びがあり、またどうにかなる、とも、感じている。

こうしてなにかになれば原因を探って修正する、という作業を繰り返し、
これは日々の学びと一緒なのですが、ならなければ気づけないことがあると知る。


例えば私は、痛いことや、刃物や針がすごく苦手で、
いい歳をして注射で貧血になったことがあるのです。

そんなだから、この先子供を産むことがあったら、怖さや痛みの怖さへのストレスにきっと耐えられないだろうと、また痛かったらその思いでが赤ちゃんと重なることがあったらかわいそうだし絶対にいやだからと、20代前半にはひっそり?体づくりをしていた。
(インド伝承医学で妊婦の身体づくりに2年と習ったような・・)

まだ主人と出会う前からだったかもしれないな、と思うのですが。


そうしてほんとに安産だったので、生みの苦しみをほとんど知りません。
3人目でやっと、味わうお産を体験させていただいたのでした。
三女は最も時間をかけて降りてきてくれて、いろんな感覚を知りました。

「無事に早く、できるだけ軽く通りすぎたい」、と思ったお産と
「味わおう」としたお産では、全然違うのでした。


3人目、私は生むだけだったら100人でも生みたい、と思いました。
子供は8人ほしいな、なんて。

向き合って体験し、心と体で体験しないとわからなかった、
女性としての喜びがあるんだなあと。
そこに苦手な痛みが伴っても、待たなければならなくても、
全てその時々で必要な、生の喜びの一部となる。


思い返せば三女のお産のときにわかったことが、
最近日常になっているのかもしれません。

そんなこんなで、「自分に投資をしないと」、という観念を手放して、
ふつうに暮らして楽しんで、それなりの健康をいただいて(実際改善したこともあり)、
幸せなことだなあと感じています。















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