槃特の呟き

散文(何でもござれ)、韻文(破礼句まで含む)、想い付くまま。

言葉の気品――善悪真善美(街路樹と車は相容れない?)

2024-01-31 22:48:13 | Weblog
No. 2161 ビッグモーター社の環境整備感覚(『朝日』1月31日)
 店舗前の公道の街路樹が中古車販売の邪魔になると言う感覚で、ビッグモーター本社の「環境整備推進委員」なる社員が店舗前の街路樹の伐採を指示していた模様だ。指示したと目される社員が器物損壊罪容疑で逮捕されたようだが、前代未聞だろう。
 同社では店舗の環境整備点検について、従業員が経営陣の点検について異常とも取れるほどの神経の使い方をしていた模様で、時には本来の業務をそっちのけにして店舗の周りの清掃や整理整頓を行っていた様だ。
 自動車はたしかに百パーセント人工的な製品ではあるが、店舗前の公道の植栽が車には不倶戴天の敵とでも言わぬばかりに伐採してしまう感覚は尋常なものとは言えない様な気がする。モーター・ショーの展示車のボンネット上に枯葉が載って居たら、誰でも払い落とすだろうが、中古車販売店の前の街路樹が営業の邪魔だと言う感覚は、恐らく経営陣の感覚なのだろう。今回の街路樹に係る不祥事で、会社創業者の役員が辞任したことは、道路上の植栽を目の敵にする様な感覚の創業者だったのであろう。聊か空恐ろしい気もする。 
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言葉の気品――善悪真善美(女性の容姿を。。。)

2024-01-30 22:40:24 | Weblog
No. 2160 云々すると男を下げる(『朝日』1月30日)
 生来の口の悪さが災いして発言が批判を浴びることが屡々おこるのであろうか、失言と呼んでも良いかも知れない。発言の撤回や訂正が後に続くのは、口を滑らせたからだろう。戦後日本の政治方向を定め、サンフランシスコ講和条約締結に尽力した白足袋を愛用した宰相の血筋に繋がる、所謂毛並みが良いと言うべき身分だが、それ故にだろうか、生来(?)の尊大さ、傲慢さが発言に滲み出て、差別発言にもなることがある様だ。‛日本は二千年続く唯一単一民族の国家’だと言う幼稚な知見は、お粗末な素養が露呈したもので戴けない。内閣を組織しても一年でポシャッチャッタのはむべなる哉か。
 外相就任直後の女性大臣を「俺たちから見てても、このおばさんやるねえ」の後に女性大臣の容姿をあげつらうに至っては、野暮の骨頂と言うべきで、すっかり男を下げて仕舞ったのでは無かろうか。今後の暴言、乞う御期待だ。
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言葉の気品――善悪真善美(政治的行事とは)

2024-01-29 22:52:15 | Weblog
No. 2159 参加者の発言は個人的な意見では(『朝日』1月29日)
 高崎市の県立公園に戦時中動員されて亡くなった朝鮮人の追悼碑を建てる許可条件として「政治的行事はしない」という条件が付された様だが、碑の前で行った追悼式での発言者の中に「強制連行」という言葉を用いた人がいたという事を問題視する団体が追悼碑までも反日的だと問題視したようだ。
 碑の建立は県議会全会一致で賛同され、県が設置場所を提供したものの様だ。追悼式での一発言者の政治的発言を以て追悼式が政治的行事だとするのは飛躍が過ぎると言うもので、「強制連行」を論う、或いは、糾弾する、という趣旨で追悼式を計画したとは通常考えられないことだろう。県は碑の撤去を考えている様だが、「強制連行」は反日的だと言う一意見に従って碑を撤去すれば、死者への追悼も無用とするに等しく、全会一致の県議会の気持ちも退けることにも成り兼ねないだろう。
 追悼式はその後会場を他の場所へ変更したようだが、式の主催者は穏便な大人の対応をした模様だ。‛反日的だ’と主張する団体には‟坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”ようだが、‟坊主”が主催者で‟袈裟”が碑となろうか。そろそろ県が大人の対応をする番ではないのか。
  
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言葉の気品――善悪真善美(旧態依然二題)

2024-01-28 15:17:21 | Weblog
No. 2158 大学病院と離婚女性(『朝日』1月28日)
 ‛お医者様’と言われて、‛殿様’と同じ尊称付きで呼ばれる、一般社会からは高い評価を受ける職業だが、医局と呼ばれる所の状態はどの様なものであろうか。
 同級生のうち幾人もが医学部へ進み、医業に従事したが、中には朝から晩まで病死した遺体の病理解剖に明け暮れ、死因を突き止めることに終始したようだ。最終的には病理学の教授にまで到達したが、無給助手時代のことはあまり口にしたことは無い。実家が総合病院を経営しており、臨床医ではなく、研究医として医局に残ったが、経済的余裕は可なりあったと想われる。
 ‟医院を開業するには、土地と建物と医療機器に1対1対1の割合で投資する必要があり、それを3年で回収できない者を藪医者と言う”などと放言して憚らない同級生は、勤務医として大学の医局に残った様だ。
 医院を開業していれば院長の才覚次第で経済的には勤務医より優位になるであろうが、大学病院勤めとなると、医局の頂点に納まる教授を頂点とした階層的ヒエラルヒーに組み込まれる。広範囲な臨床経験を積み、研究論文執筆のチャンスもあろうが、医局の頂点の座を占めるドン(多くは男性教授)のもと、子持ちの女医などは並大抵の努力では医局務めは務まらないだあろう。大学病院と言うところは、依然として男性社会なのだろう。‛専業主夫’を持つ女医ででもなければ、勤め辛い所だろう。
 旧態依然の今ひとつは、離婚した女性に子供の養育費を出し渋る男性が後を絶たないことだ。ひとり親(多くは女性)が困窮することは火を見るより明らかだ。養育費を取り立てる強制力のある新たな法整備が喫緊の課題であり、‛泣き寝入り’は放置されてはならない。
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言葉の気品――善悪真善美(集団参拝はパフォーマンス)

2024-01-27 21:34:14 | Weblog
No. 2157 行政文書「実施計画」に基づく参拝(『朝日』1月27日)
 お宮参りをするのに態々文書を作成しなければ祈りの気持ちが神に通じないとでも言うのであろうか。市ヶ谷の自衛隊駐屯地と九段の靖国神社は謂わば目と鼻の先、散歩がてらに行けるところ、一つの部隊の大勢が大挙して車で神社に乗り付けるとは随分と大仰なことだ。
 信心は個人の心の問題と考える次第だ。恰も周囲に見せ付けるように隊員数十名が拝殿の前に参集して、恐らく一斉に拍手を打ち鳴らしたことだろう。太平洋戦争中、月の初めに全校生徒が最寄りの神社に出向き、神官によるお祓いの後、向拝の前で戦勝祈願の柏手を打ったことを思い出さずにはいられない。信仰心とは懸け離れた、半ば強制された信心と言って差し支え無かろう。神道が国教化された時代と、信教の自由が憲法で保障された今の世との隔たりの大きさに感無量だ。
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言葉の気品――善悪真善美(派閥無くせば金は集まらず)

2024-01-25 21:42:28 | Weblog
No. 2156 ‛派閥’から‛政策集団’へ衣替え?(『1月26日』) 
 余程の大物政治家ででもない限り、個人の政治家へ企業が大金を政治資金として提供することは有り得なだろう。駆け出し議員に至ってはカネ集めは至難で、政党助成金や政治資金集めでノルマを超えた部分を派閥から‛還流’して貰う以外には自腹を切るしかないだろう。
 言葉は悪いが、カネのかかる政治を作り上げた責任の一端を背負う政治家は、カネを集める術にも心得が有るのではなかろうか。‛徒党’を組んだ議員集団は強い発言権を発揮できるので、政治献金が自ずと集まってくることになるのだろう。個人はいざ知らず、企業が何の見返りも求めず政治家に献金することなど企業の論理から言ってもあり得ず、企業の利害に有利な政策を持った政治家には金銭的にも援助を与えるだろう。かくして政治家と企業との間には政治献金のパイプが出来上がることになる。
 与党の政治改革へ向けた検討で、今となっては語感の悪い‛派閥’を避けて‛政策集団’へと替えようとしている様だが、看板の文字を変えただけに終わることは予想が付く。‛派閥’離脱を表明した有力議員が続いて出始めたが、噴飯物だ。派閥を無くしたら自分達の兵糧にも事欠くことになるのは火を見るより明らかだから。
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言葉の気品――善悪真善美(輪島の火災から学ぶべきもの)

2024-01-25 21:42:28 | Weblog
No. 2155 能登半島はある種の過疎地(『朝日』1月25日)
 能登半島先端の狼煙灯台のある禄剛崎まで足を延ばしたのは60年ほど前になる。鉄道は輪島市や珠州市まではあるが、大半は車で土煙を上げながらの移動であった。輪島塗のカフスボタンは今でも愛用しているが、その後も二、三度足を運んだ思い出の地ではある。
 そこを正月早々地震と火災が襲い、「輪島朝市」は壊滅状態と聞く。震源に近い古民家の時国家のような建物は無事と想像するが、市街地の混雑した地域では消化施設が地震で被害を受け、消火栓は破壊されて使い物にいならず、消火栓は無事であっても、給水管が破断していては水は絶たれて放水は出来ずじまいとなった様だ。地震による地盤の隆起で、最大4メートルに及ぶ所もあり、川床が隆起して流れが止まり、水が枯渇して河水にも頼れなかった様だ。津波の心配もあり、海水利用は躊躇われて、最後の頼みは貯水槽だが、貯水槽のコンクリートに亀裂が生じて居たら漏水で貯水槽も危ういことになろう。貯水槽の壁面はコンクリートではなく、鉄板プールのように厚い鉄板で箱を作れば漏水には強いだろう。消火には溜め水が一番手っ取り早いのではなかろうか。 
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言葉の気品――善悪真善美(社会性の欠如、自己中の果てに...)

2024-01-24 22:41:14 | Weblog
No. 2154 清濁併せ呑めない初心か?(『朝日』1月24日)
 孤立した人間に正常な精神的成長は望みがたい。自分の創作したアニメと類似の作品を見て、剽窃されたと思い込むのは、引き籠もりで社会性が欠落したある種の思い上がりと言えようか。それが邪に昂じて怨念となり、放火という重大な犯罪行為に至っては、無辜の被害者を産まなくするためにも然るべき社会的制裁は欠かせない。
 利便性を求めて様々なSNS関連の機器が作り出され、直接の人的接触が不必要となり、ラインでの繋がりが重要性を増して、気に入らないものは容赦なくラインから排除してしまう。人的接触のある場では容赦のない排除は起こり得ない。社会性の欠如は通用しないだろう。ラインの中だけで完結してしまう人間を作り出さないようにするためにはどうすべきか、社会全体で考えるべきことだろう。
 
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言葉の気品――善悪真善美(多様な性教育観)

2024-01-23 23:19:02 | Weblog
No. 2153 性教育を停滞させた元凶は(『朝日』1月23日)
 ‛性’は秘すべきもの、遠ざけるべきものとの考え方の根底には、穢れに結び付く感情が横たわっているように思える。従って「遠ざけねば」「家庭崩壊にも」繋がり兼ねないと言う論理的飛躍を犯すことになるのだろう。その論理が正しければ、欧米先進国の家庭は軒並み崩壊状態という事になる。性は穢れたものという感情は、伊藤整がロレンスの翻訳で法廷闘争を行っていた時代の多くの日本人に共有されていた感情だろうか。ロレンスの‛チャタレー夫人’を出来れば原書で読んでみれば、穢れとも無縁、秘すべきものでも無いことが良く理解できようか。共通語(所謂標準語)から逸れた方言が多少混じって分かりにくい所は気にしないで読み進めればよいだろう。
 前述の性教育についての考えには、「過激な性教育」という言葉を振りかざして性教育を教室から排除しようとする向きがある様だ。「性教育は寝た子を起こすようなものに成り兼ねず、本能の赴くままに男女関係の乱れから家庭崩壊へと繋がる」とするようだが、これも論理が滅茶苦茶だ。性教育と不倫を等号で結んでいる様だ。どうやら科学的用語を使用して性教育を行うべきではなく、男女の性の結びつきを雄しべと雌しべの譬えで教育すべきとでも考えている様だ。博物館のガラスケースにでも納めて展示して置きたくなるような考えだ。嫁入り直前の娘に枕絵をそっと持たせた母親のまだ少しは残っていた時代の考え方だ。  
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言葉の気品――善悪真善美(会議は踊る、されど...)

2024-01-22 22:45:39 | Weblog
No. 2152 会議上手と会議下手(『朝日』1月22日)
 会議を充実させる要素は幾つか考えられよう。司会(or議長)の技量が優秀、会議の進め方にルール、議題への参加者の理解度等など。司会の技量に関しては個人的な資質が大いに絡んでこよう。公平さ、冷静さ、理性、などが一般的に求められようか。進め方のルールに関しては、議題の整理、会議の制限時間の設定、発言の持ち時間、穏便な雰囲気などが求められようか。会議に先立ち、議題に関して全員の意見を聴取(メモ書きでも)しておく、なども会議を活性化させよう。それを基に司会者が議事を進めれば、発言もし易くなろうか。自由な発言が許される保証が無ければ会議は弾まない。全体会議の前に分科会に分かれた予備的議論を先行させるのも会議の効率化にプラスだろう。会議の進め方に全員の理解は欠かせない。さすれば議論の白熱化はあっても、紛糾は起こり得ない。会議は実るだろう。
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