槃特の呟き

散文(何でもござれ)、韻文(破礼句まで含む)、想い付くまま。

言葉の気品――善悪真善美(辰年―立つのもやっとの日本?)

2024-01-02 17:40:36 | Weblog
No. 2132 総てが縮小する?(『朝日』1月2日 元日の紙面から)
 戦前の日本の人口は内地が約8千万人、外地を含めても1億人は割っていたと思うが、国威発揚を歌った唄の文句では1億が使われていた。戦後、日本の発展とともに人口は1億4千万近くまで増加したようだが、現在の総人口は1億2,413万人に減少。新生児は年々減少して、来年2025年には100万人を割り込むと予想されるようだ。
 新生児の減少同様、労働人口も減少して行くのは深刻な問題だ。高齢化が進み、3人に1人は定年後となれば、老々介護から更に進んで老幼介護という事も現実味を帯びてこよう。そうなると、尤もらしく言えば‛人生観’、平たく言えば‛生き甲斐’をどこに求めるかという問題が身に迫って来る。右肩上がりで日本の経済規模が増大して行った時代は、経済的余裕を個人の消費行動により多く回せることが生き甲斐を膨らませることに通じていた様だ。かなり以前のキャッチフレーズに「大きいことは良いことだ」とあったが、投打二刀流で野球の申し子のような大型選手はいずれ理想とする選手と言うよりは夢のまた夢の様な存在になるのではなかろうか。身の丈に合った生き甲斐を求めざるを得なくなるのではなかろうか。アリクイの仲間「怠け者」と言う動物は筋肉量が少なく、動きも緩慢でエネルギーを余り消費しないが、樹上で安閑と暮らしている様だ。人間の場合について考えてみると、突飛な例かも知れないが、高価(時には豪華)な茶器を求めて愛でるよりは、欠けた茶碗を金継して元の形を復元する、そして金の継ぎ目を新たな景色として茶碗に添えることが出来れば、全く新たな喜びを感じ取れるようになる訳だ。 
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