槃特の呟き

散文(何でもござれ)、韻文(破礼句まで含む)、想い付くまま。

言葉の気品―善・悪・真・善・美。(承前)

2010-07-29 23:34:09 | Weblog
No. 252 (承前)「視点の変更」より「コンテクストの拡張」が言葉を豊かに。

   ...「日本語では『私はあのサッカー選手を支持します』とは言いませんよね。でも、中国人留学生は使うことがあります」...「日本語
  だと『応援します』でしょ」

 「サッカー選手(の主張)を支持します」の意味で、歴とした日本語として成り立つ場合がある。コンテクストを拡げれば、原則として成り立たない表現など無くなる。「うちの娘は男だ」も、産まれた孫がお男児と云う場合を考えれば極めて自然な日本語だ。
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言葉の気品―善・悪・真・善・美。(視点を変えれば)。

2010-07-26 23:52:50 | Weblog
No. 251 視点を変えて言い換えればこんな風にも言える。(7月26日「朝日」夕)
 
『仕事中おじゃまします』の冒頭。「国語の神様」の談話を基に記者が綴った文章:

  テレビでおなじみ「国語の神様」は、「最近の若者のコミュニケーション能力はかなり高い」と言う。「団塊の世代なんて、ひどかったんだから。『ナンセンス!』と『異議なし!』しか言えなかった。語彙が少なくて考えを言語化できなかったから、暴力に走ったんじゃないかな」。それを思えば、ブログで考えを表明し、間違いを恐れず柔軟に日本語を使いこなす若者たちは「よっぽど気がきいてる」。

最終文の中の「間違いを恐れず」は「盲、蛇に怖じず」へと、「気がきいている」は「能天気だ」へと読み替えてもしっくりする。
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言葉の気品―善・悪・真・善・美。(「頷く」とは)

2010-07-24 17:06:12 | Weblog
No. 250 「頷く」の用法、日中間の慣用の差違か?(「群像」8号)

 ネクタイの締め方を知らない楓果(中国人留学生)がデパートへネクタイを買いに出掛けて行こうとする場面で、同僚の南羽の彼女、菜帆との遣り取り:

 顔を曇らせた楓果は床に座り込んだ。
 「デパートのネクタイ売り場の人に訊けば、おしえてくれるよ。ね、南ちゃん」
 菜帆は、笑って南羽と目を合わせて頷いた。

菜帆の言葉に同意して頷くのが南羽なら抵抗なく読めるのだが、相手に同意を求めて首を縦に振る動作を「頷く」とは聊か慣用から逸れるのではないだろうか。

 南羽から母親の中国行きを勧められた菜帆と諷果との遣り取り:

 「...ずっと専業主婦をやってきて、突然一人で言葉のわからない外国に行ったら心細いに決まっているし、...」
 「そうだよ。東京にいれば、菜帆ちゃんもいるから安心だしね。何かアルバイトでもしたら、さびしい時間もなくなるし」
 楓果は感心した表情で頷いた。

一人合点で首を縦に振る動作を「頷く」とするのも聊かの抵抗を感ずる。
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言葉の気品―善・悪・真・善・美。(「群像」7号)

2010-07-22 22:31:39 | Weblog
No. 249 戴けない不親切な言葉遣い。(「群像」7号)

  “ベランダで何か動いているのが目の端に入ったので、窓の方を見ると、鳩よりは小さく雀よりは大きな全体灰色の鳥が、ベランダの柵にとまり、やせこけて立ち枯れたようなブルーベリーの木についた花を嘴でつついていた。ヒヨドリという名前が頭に浮かんだ。鳥には詳しくないが、こんな風に自動的に浮かんで来たものの名前はたいてい正しい。後でネット検索したら、やはりヒヨドリだった。固有名詞だと、面と向かった人の名前さえ思い出せないことがあるのに。以前、公園の池で、遠くに、すばしこい動きで水に潜る忍者みたいに真っ黒な鳥を見て「カイツブリ」という名が浮かんで来たことがある。図鑑で確認したら、それで正しかった。カイツブリという鳥の実物は、それまで見たことがなかった。鳥は柵の内側に移動して、なおも花をついばもうとする。”

 最終文冒頭の「鳥」は、直前の「カイツブリという鳥」を指すのではなく、段落冒頭に言及されたヒヨドリを指すことを理解するには瞬時ながらも時間を要す。途中に「カイツブリという鳥」が挟まっているから、ここはいきなり「鳥」ではなく「ヒヨドリ」として欲しいところだ。
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言葉の気品―善・悪・真・善・美。(「豊洲」再び)

2010-07-16 14:48:34 | Weblog
No. 248 東京深川「豊洲」再び。(cf. No. 233)

 7月15日テレビ放映の「和風総本家」登場の伊吹吾郎は、鳥の「烏」、地名の「中洲」などと同じイントネーションで発音していた。若い頃に上京して、当時の発音を身に着けていたのであろう。
 
 それに対して、ナレーションを担当した若い(?)女性の発音は、「硝子」や「生簀」と同じイントネーションであった。
                   
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言葉の気品―善・悪・真・善・美。空疎な「謹慎処分」

2010-07-01 14:57:59 | Weblog
No. 247 法律家の下す「謹慎処分」は形式論的で内容空疎。(6月30日「朝日」)

 “謹慎処分、早くも「骨抜き」”と報じられる所以は、特別調査委が決めた謹慎期間、「臨時評議会後7月4日より名古屋場所千秋楽日25日まで」としたことにある。委員長が口頭で「要するに名古屋に行くなということだ」と記者団に説明したにも拘らず、謹慎該当者が早々と名古屋入りして稽古を始めているのは、決定を逆手にとって、該当期間に外れていることを第一の根拠にしているのだろう。
 
 学校のような教育現場での教育罰を下す場合には、原則的には申し渡し以後直ちに処分実施となるのではないのか。正式な処分決定以前の段階でも自宅待機となるのが普通ではなかろうか。
 
 前例の無い不祥事に対して、調査委は前例を調査し、過去の謹慎例に倣って名古屋入りを認めたようだが、自らの決定を自ら骨抜きにして仕舞った訳だ。調査委の決定は実質無意味となった。
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