槃特の呟き

散文(何でもござれ)、韻文(破礼句まで含む)、想い付くまま。

言葉の気品――善悪真善美(seven-eleven⇒all day)

2019-02-28 23:08:43 | Weblog

No. 500 24時間営業果して?(『朝日』2月28日)

 確かに24時間開店に利便性はあろう。店の近隣に安心感を齎すかも知れないが、深夜の手薄時に強盗事件なども散発しており、問題児の屯す場ともなっている面もある。功罪半ばす、とも言えよう。

 経済が右肩下がり、人手不足の深刻化で、店主の勤務も限界に達している店が出始めている模様。営業時間を短縮すれば本部との契約違反に問われ、多額の違約金を求められる状況。本部の公報は「非常時には加盟店の判断で店が閉められる」としているが、「現場でのコミュニケ―ションに齟齬がある」と言う説明は、齟齬を生じさせている責任の所在が明確に伝わってこない言い方だ。

 

 

 

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言葉の気品――善悪真善美(ひな人形御難?)

2019-02-27 22:40:34 | 半捏造物語

No. 499 おさがり駄目!(『朝日』2月27日ニュースQ)

 人形(ひとがた)に厄を負わせて水に流して厄を落とす風習は今でも行われている。流し雛も同様だろう。しかし、現今では、ひな人形は一人の人間の厄しか引き受けられないとするのには、疑問を呈する向きも大いにあるかと思われる。ごく平均的な今の庶民の家庭で、女の子が生まれるたびに、初節句に一揃いの(例えば5段飾りの)人形を買い揃えるのは、経済的にも住宅事情から言っても容易ではない。人形の製造や販売業者が加盟する人形協会が伝統的な考え方を発信するのはそれなりに意味のあることではあるが、一般に浸透させるのは極めて困難だろう。関西の仕掛け人が恵方巻を関東に広まらせた状況と比較したら、次元が全く違うのではなかろうか。人形の普及には全く新たな視座が求められているようだ。

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言葉の気品――善悪真善美(福島の汚染土再利用?)

2019-02-26 22:46:51 | Weblog

No. 498 利用可能、国が試算(『朝日』2月26日)

 「放射能濃度が低減などの技術開発が進んだ場合」とあるが、放射能が時間の経過とともに逓減することは高校で物理を習った者なら知っていようが、濃度低減の技術とは具体的にどの様なものなのか、海の物とも山の物ともつかない、将来の可能性だけで住民の意に反して汚染土を利用・固定することは、そこが最終処分場となるに等しいので、住民の理解は得られないだろう。液体の稀釈と同じように他の土と混ぜて使えば済むとでも考えているのだろうか。放射能の逓減は加速しない。

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言葉の気品――善悪真善美(憲法第一条を廻って)

2019-02-25 22:52:16 | Weblog

No. 497 象徴を模索する道(『朝日』2月25日)

 イギリスの王室に関して英国民はかなり大胆とも思える発言を自由に行っているように見受けられる。英国王の成り立ちの歴史的経緯が係わっていると言えそうだ。つまり、諸侯の中の第一人者と言う意味を持つ存在がすなわちKingとして存続してきた次第であった。日本とは異なり、憲法によって規定された存在ではないということである。

 日本では万葉の時代から「大君(おおきみ)は神にしませば」と考えられてきた。1946年の天皇人間宣言を経て新憲法第一条にて規定されて今日に至っているが、憲法全体との整合性から考えて、第一条の意味するところは何とも不可解と言うほかない。日英両文とも意味するところが明確に見えてこない。「国の象徴」「国民統合の象徴」とは何を意味するのか。日本統治のため、天皇制を何らかの形で存続させるようと考えたGHQの苦肉の作文のような気がする。憲法学者をはじめとして、法学者の間でも様々な異見に分れるところであろう。「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく」となる訳だ。 

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言葉の気品――善悪真善美(日本へ留学生30万人)

2019-02-24 22:54:31 | Weblog

No. 496 今や多民社会?(『朝日』2月24日)

 日本への外国人留学生が命を絶つという痛ましいニュースが時折新聞に載るが、責任の一端は日本側(日本政府)にもあるように思える。直接の原因は借金した渡航費の返済、学費の捻出に行き詰まって挙句の果てと言う事のようだが、来日後に日本語をゼロから学ぶ様な留学生を容認している日本側の無責任さは責められて然るべきだろう。所謂「デカセギ留学生」と言われる気の毒な若者を日本社会に増殖させている結果を生んでいる訳だ。

 英語圏への日本人留学生に英語をゼロから学ぶというケースは殆ど無い模様だ。(口語英語はゼロからと言うケースは珍しくない)。しかしアルバイトに明け暮れて経済的に行き詰まって自死と言うケースは有ってもごく稀だろう。日本人は英語を学校で数年間は学んでいるので、「ゼロから英語を」と言う事は無い。アジアからの留学生は「ゼロから日本語を」と言うケースは珍しくないようだ。これを無くす制度作成が早急に求められるのでは。

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言葉の気品――善悪真善美(女の子が自分を“僕”)

2019-02-23 22:50:41 | Weblog

No. 495 ココハツ(『あ朝日』2月23日夕)

 半世紀以上前に、「言語は保守的」なものだと、言語学の授業で聞いた記憶がある。大いに頷ける面はある。そしてその言語を使う人間の方も言語の保守性と無縁ではいられない。

 30年ほど前の記憶だが、子供が不登校(当時の一般的な言い方は‘登校拒否’)になった子育ての経験から、同様な子供たちが自由気ままに集まって学習できる教育の場を考え出した元中学校の先生の発言がメディアに登場するようになった。その先生のお子さん(女子)が綴った文章の中で、一人称に‘僕’を使っていたのを読んで、理解に苦しんだことがある。今にして思えば、その先生のご家庭は既にジェンダーフリーだったのかもしれない。

 近頃では、必ずしも決められた学校へ通学しなくとも、上述のような教育機関で学ぶことも社会がある程度容認するような空気になってきたようだ。明治以来、富国強兵策と並行して義務教育が徹底されてきたが、それに囚われなくとも良いのだと言う観念が広まってきたということだろう。 

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言葉の気品――善悪真善美(おかしくなかった私の英語)

2019-02-22 21:58:21 | Weblog

No. 494 おかしな英語の先生?(『朝日』2月22日『声』)

 英語 can't の発音で、おそらく“カーント”と発音して答えたのだろう、「イギリスの訛り似だね、あなたは、オーストラリアのハーフね。イギリスの植民地だっせいで、なまった発音の人が多い」とのたまった先生、聊か問題の多い発言と言えようか。

その1.オーストラリア英語をイギリスの訛りとは如何なものか。せめてオーストラリア方言とすべきでは。

その2.「ハーフ」と言う語は混血の侮蔑的表現に使われることもあり、英語の教員なら弁えていて欲しい。

 「やれイギリス英語だ、やれアメリカ英語だと言われることが多いが、いったいどれが本当の英語なのか」

と聞かれた或るイギリス人の答え

 「通じれば英語だ」

誠に御尤もだ。

 

 

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言葉の気品――善悪真善美(小さな記事でも大きな国が丸見え)

2019-02-21 20:40:25 | Weblog

No. 493 毛沢東元秘書の葬儀(『朝日』2月21日)

 外国メディアを締め出し、私服警官で警備を固めて党幹部用の八宝山墓地で党が挙行、アメリカ在住の故人の娘は葬儀出席を断る。故人の望まないような葬儀で、棺が党旗で覆われることをも望んでいなかった由。無論、故人と親しく活動を共にした友人同志も葬儀には招かれず。毛沢東に繋がる人物を党の御都合で利用したに過ぎないような茶番劇と見た。

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言葉の気品――善悪真善美(光害、周辺部へ拡散?)

2019-02-20 23:18:33 | Weblog

No. 492 やわらぐ都心(『朝日』2月20日夕)

 排ガス規制、省エネ(節電)、等などの施策で光害減、星空復活は都心部では顕著だが、郊外では逆に明るさ増の由。地方都市、郊外などでは夜空の明るさが増して光害が著しいのは何故か、はっきりとした理由が掴めていないのであろうか。経済が右肩上がりの時代なら都市が発展して郊外へ肥大化するのは頷けるが、今は縮小期にあるので、理解しずらい。

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言葉の気品――善悪真善美(早朝あいさつ儀式―何のため?)

2019-02-19 22:59:04 | Weblog

No. 491 ニュースQ3 つらい私立校教員(『朝日』2月19日夕)

 「教員が毎朝6時半までに出勤し、理事長室の前に1列に並んだ後、1人ずつ理事長にあいさつするのが慣例」どのようなカリキュラムの高校か不詳だが、早朝の朝礼で理事長が教員に挨拶することかと思ったら、各教員が出勤の挨拶を一人一人理事長に行う事のようだ。随分と時間を要する儀式のようだ。何のためにこのようなことを全教員にやらせるのか、理事長の意図が全く理解できない。渡世人の集団ででも無ければ有り得ないように思える儀式のような気がする。何とも時代離れした風景だ。

 

 

 

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