No. 304 軍隊に『慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる』
「俺には分からない」―某テレビ司会者の呟きだが、見事な批判だ。
『誰だって』の中には慰安婦となった人も含まれることは誰だってわかることだ。それが分からないとしたら、己の非を認めようとしない傲慢か、日本語のイロハも分からない手合いと云うことだ。
No. 304 軍隊に『慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる』
「俺には分からない」―某テレビ司会者の呟きだが、見事な批判だ。
『誰だって』の中には慰安婦となった人も含まれることは誰だってわかることだ。それが分からないとしたら、己の非を認めようとしない傲慢か、日本語のイロハも分からない手合いと云うことだ。
No. 303 「慰安婦必要、お勧め風俗」―止まぬ弁解と強弁。
“「慰安婦が必要だった」とは僕が必要だったと考えたのではないことは話の前後関係から日本語では分かるはずで、誤解するのはメディアの非”――自分の発言に各方面からの非難が集中し出したら、日本語を旨く使いこなせない己の非を取り繕う物言いは強弁そのもの。「必要だったと考えた」主語は発言者本人だと皆が理解したのであって、誰も誤解などしてはいない。主語は自分以外の「誰それ」と明言しないのは発言者の非だろう。
「慰安婦必要論には与しない」と言いながら「沖縄のアメリカ軍には風俗お勧め」とは、発言内容に一貫性が無い支離滅裂。
No. 302 生きた人間の心が解らない街弁の徒に言葉を弄ぶ機械的技術論。
『当時は慰安婦は必要だった。いま必要だとは言ってない。』
当時慰安婦だった人の心を傷つけている発言であることが解っていないから、言葉を弄ぶことに終始するのだ。
だいぶ昔、「人間死ねば粗大ゴミ」と自伝の中で言った有名な検事がいた。死体となった人間を随分と突き放したような物言いだが、生きた人間の心を深く汲み取れる人だからこそ、こんな突き放した物言いが出来るのだ。
片や弁護士、片や検事、随分と対称的だ。『米軍は風俗業活用を』の発言などは、テレビのお笑い番組の中に留めておけば世界中から呆れられずに済んだものを。
No. 301 法律の世界の技術屋が展開する技術論。
帝王と売春は人類史上で最も古い歴史を持つことを否定はしないが、人間の心の奥底まで心を致す人間なら、売春と云う人間の尊厳に関わる事柄について、あんな上っ面な機械的技術論は展開しない。
No.300 震災復興予算の抜け道を皮肉るのは結構だが...
林業関連の基金で被災地から遠い九州に林道を作る目的は「復興に必要な木材の安定供給」なる屁理屈を揶揄して『理屈と飯粒はどこにでもつく』としているが、こんな屁理屈を捏ねる手合いには「米粒」など勿体ない。別つなものに換えて、例えば...
『理屈と鼻くそはどこにでもつく』
あたりがお似合いではなかろうか。
No.299 壊れゆく日本という国
『「企業利益は国の利益」 国民に犠牲を迫る詭弁 政権与党が後押し』
『国民国家の末期を官僚もメディアもうれしげに見ている』
最後の段落の主語“国民国家の解体”を入れ替えてみよう。
「“原発事故による放射能汚染”は日本だけのできごとではない。程度の差はあれ、同じことは全世界で今起こりつつある。気の毒なのは日本人だけではない。そう聞かされると少しは心が晴れるかも知れない。」
これをよいニュースとして聞かされて心が晴れるだろうか。死神から“やっぱり寿命だ”と云って突き放されたのと同じ感じだ。救いが無い。
尤もらしい指摘で迂闊な読者を納得させる評論家的物書きの論だ。
No.298 「旺文社」と「昭文社」を取り違える人が続出している由。
液晶画面上の文字は偏と旁で構成される文字として認識するのではなく、ぼんやりと形が抽象化された記号として捉える癖が付いた結果か。
両出版社は全く営業内容が違う出版社の筈だが。書物に馴染んだ人間なら両社を取り違えることは無いだろう。
No.297 言葉遣いの誤用は看過出来ない性分で、病ぶり返し。
「日本の社会で子どもが減り続けているのは、女性が子どもを産もうと積極的に思えない制度や風土があるからだ。」(5月4日(土)『朝日』be逆説進化論)
出産に積極的になれない風土とはどんな風土なのか。嘗ては子どもが3人5人は当たり前の日本が、今や平均1.3人にまで下降させた自然条件が日本列島に生じたとでも云うのだろうか。「風土」ではなく「風潮」なら分からないことも無いが。