No. 2063 その表わす意味は何?(『朝日』5月12日)
千枚田を初めて訪れたのは半世紀以上前の6月の事であった。中には一坪にも満たない畔で囲われた田圃に、植えられて間もない稲が列を成し、風にそよいでいる光景は新鮮そのものであった。文字通りその数は千枚を超えるようだが、似たような棚田は他の地にもある様だ。江戸時代からその土地の新田開発に努めた藩の家老の名前を付した「○〇棚」と呼ばれて今日に至っている所もある。農機具の入らない傾斜地で、総ての作業は人の手で行わねばならず、‛作業効率’などと言う言葉が入り込むことの無かった時代から耕作が続けられてきたのであろう。先人の苦労は想像を超えるものだ。
耕作には不向きな傾斜地に数多くの棚田を作り、食料(こめ)を作らねば年貢も納められない時代の産物であった訳だ。斯様な棚田を絵画に描き、耕作民の‛苦労が天まで届く’と絵の題名に付けて発表された絵画があったようだが、耕作の苦労を賛美したものか、はたまた農民の貧困を世に訴えたものか、解釈は鑑賞者に託されている。絵画は耕作民に直接利益を齎すものではないが、何らかの形で棚田見物を有料にすれば、その維持に利することも有り得ようか。