皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

高森明勅氏の「皇室典範の改正を切望する」という記事について

2005-07-10 01:45:06 | 皇室の話
Voice平成17年8月号にて、高森明勅氏の「皇室典範の改正を切望する」とう記事が掲載されている。
男系男子論の問題点の指摘の箇所については、筆者の6月14日付け「男系男子への固執について考える。」と同様の記述も見られる。
今後、名指しされた男系男子論者からの反論があるとすれば、なかなか楽しみなことである。
ただ、この高森氏の論文にて、少々残念なのは、末尾に「伝統的観念に照らして、女系も皇統に含まれ得ることを、本稿では述べてきた」とあるのだが、肝心の「伝統的観念」の内容について、いまいち迫力に欠けるように思われることである。
高森氏のユニークな主張としては、「「養老令」の規定(「継嗣令」皇兄弟子条)」を根拠として双系主義であったというものがあるが、この規定については、現在問題になっているような、女性天皇が民間の男性との間でもうけられた子の皇位継承権についてまでカバーするものであったとは思われないし、そもそも、規定の置かれている箇所からしても、そのような重要なことを規定したものとは思われない。
結局のところ、「伝統的観念」については、皇室を支持してきた日本人の皇室観ということから論じる必要があるように思われるのだが、なにぶん形のないものであるだけに、学問的に論じようとする立場としては、触れることはできないものなのであろうか。
高森氏の双系主義という主張については、皇位継承を安定的にしたい、また、皇室というご存在の意義をY染色体といったものに矮小化させたくないという熱意から発せられたものと思われるが、筆者としては、そのような思いをストレートに示してもらう方が、ありがたいように感じられる。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮中祭祀と皇室問題

2005-07-10 00:39:08 | 皇室の話
Voice平成17年8月号にて、「「宮中祭祀」から見た皇室」という、対談形式の記事がある。論じているのは、原武史氏と福田和也氏だ。
この原氏について、いつも気になるのは、なぜ、そこまで宮中祭祀のことを問題にするのだろうということである。
確かに、宮中祭祀は、皇室にとって重要なものである。
しかし、外部に対して秘されている中で執り行われているものについては、それを論じようとするに当たり、土足で踏み込まないようにする配慮が必要なのではないか。
皇室というご存在を理解する上で、宮中祭祀を理解するということは、重要なことではあろう。また、皇室にかかる制度を論じる上で、宮中祭祀を行われるというご存在であることに、配慮するようにするということも、必要なことではあろう。
ただ、いずれの場合も重要となるのは、外から余計な口出しや分析をしないということではないだろうか。
これは、宮中祭祀を重要視しないということではない。むしろ、尊重である。
ところで、原氏の宮中祭祀に関する問題意識であるが、主要な関心は、皇室の方々の祭祀への取り組み状況を比較して、結局は、天皇皇后両陛下と皇太子同妃両殿下の世代間の違いのようなもの浮き彫りにしようということのようである。
宮中祭祀を対象としていることから、何だか高尚なことを論じているようではあるが、所詮は、週刊誌レベルの関心しか、抱いていないのではないかと思わせられる。
これは言い過ぎであろうか。
しかし、記事の初めの方にて、「天皇や皇室が発した表面的な言葉だけに注目する議論が大手を振っている。」という発言がある。
「表面的な言葉」とは、いったいどのお言葉のことであろうか。
お言葉については、お述べになられる儀式・行事の性格等により、皇室の方々の裁量の程度が変わりうるが、いずれにしても、皇室として、国民に対してお示しになるものであり、一つ一つ真剣勝負である。軽んずるべきではないであろう。
筆者としては、このような発言を行う者が、本当に真摯な態度にて、宮中祭祀を理解しようとしているようには思われない。
宮中祭祀を重要視することについては、一般論としては、結構なことであるが、問題となるのは、如何なる意図のもとで問題視するかということであろう。
この点、原氏の意図というのは、筆者には、あまり高級なものには思われないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする