■□■カムイミンタラ■□■

旅の話、仕事の話、色々と書いてます。。。

薄っぺらい関係

2009-02-21 19:17:45 | Weblog
友達の母が亡くなった。

私は知らなかった。いや、「私だけ」知らされなかった。

いつもの通り、いつもの場所で呑んでいた時、某病院の話になって
例の事故以来、対応、いいらしいよ~なんて話していたら、そいつが
「うちのお袋は断られたよ」って言い出し、いまいち話が見えなかったので
他意はなく「なんのこと?」と聞くと「くも膜下だったんだけど」って言う。

「え?それって親父さんでしょ?」

「親父は高校生の時。何の因果かお袋もくも膜下だった」

「で、どうなったの?」

「うん?死んじゃったよ」

「え・・・・・それって、いつの話?」

「10月」


話を聞いたのは12月の末の事。もう一人いて、3人でいつも呑んでいて。
もう10年ちかく前になるが、3人でスリーピースバンドをやっていた
ことがある。本来のベースが入院しちゃって、復帰するまでってことで。
以来、3人とも家も近いし交流が続いている。
そいつは、私の職場の近くで働いていた事もあり、仕事後ふらっと
遊びに来たりすることもあり。

私以外の2人は高校生の頃からの付き合いのようで、
母親の事、誰にも言うつもりはなかったが、もう一人にだけは言って
そこから数人に連絡がいって何人かは葬式に来てくれたと。

結局、2人とも私にだけは言ってくれなかった。

理由は、
「まぁ、言っても、どうしようもないことだし。
 実習とかで大変そうだったし。」

ぐうの音も出ない程の正論。私は何も言い返せなかった。
気を使ってくれたのは痛いほど、よく分かる。
でも、でも、その程度の付き合いなのか、とも思う。

一緒に住んでいる弟が自宅で倒れている母親を見付け
救急車を要請したが、何件か断られて、受け入れられた病院では
既に手遅れの状態だったと。

CTとかの写真を見せられて、脳死状態ですと言われた、
延命しても一週間だと思う、延命するかしないかを選択させられたが
返事をする前に結局、亡くなった、と。

そいつには既に父親もいないわけで、レスピ背負った母親を目の前に
CPRかNOCPRかを長男として選択しなくてはいけなかった
数日間のことを思うといたたまれなくなる。

確かに私に相談したところで、生き返るわけでもなし、
答えは出ているわけなんだけど、身近な人の瀬戸際なときに
な~も手伝えることがなかったって何のために学校に行っているのか。
私に出来た事といえば、医者の話を噛み砕いて説明することと、
今、お母さんにしてあげる事ができることを説明するぐらいだったであろう。

私の中ではかなりシコリに残るデキゴトだったが、その後も
変わらず呑んでるわけで。

19日の木曜日にそいつが電話して来た。

「日曜日が試験だったよね。まぁ、がんばってよ。
 土曜日に電話するのも迷惑かと思って。金曜日は帰りが遅くなるから
 今日かな~と思ってさ。」

っくぅ~。泣かせるね~。
そうだった、そういうやつだったよね。

でも、お願いだからいい加減に携帯電話を所持して欲しい。苦笑。