日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

1月31日 それぞれ

2009年01月31日 | Weblog
日刊ミヤガワ1857号 2008 1.31

「それぞれ」

面白い日もあるものだ。アポ客の半分が風邪だの何だのでキャンセル。ポッカリ時間は空くはずなのに突然慶応の果苗は入ってくる。福田和也氏のゼミにいるのだという。もう四年。編集の仕事をするのだと話していった。小六の二月に突然私学に行きたいと言い出して、中村学園の校長に頼んで試験を受けさせてもらった。そしたら特待生になってあれよあれよという間に学校のトップになっていった。SFCiに合格したのをはじめあっちもこっちも合格していた。お茶大に行けと云ったが、今時の子は慶応に惹かれるらしい。一人で中村の実績を上げていた。そんなことも思い出していた。場所を得れば伸びる子は伸びる。御三家に入ったから約束されるわけでもない。水を得るということはあるのだ。
まったく変わっていない。背もそのままではないかとさえ思った。学校でいつも噂になるのもいいものだ。この子は先生たちに大切にされていた。期待の星だったから。
力ある子はあえて中堅私学に行けば伸び伸びすることもある。いい娘になっていた。相変わらずチャラチャラ気がない。
今度は例の京大のハエ研究の石田が突然来た。修士論文を提出してきたと、またボクにも持って来た。何だか標題からして分からない。記号なんぞが羅列してある。中をめくったらハエの目玉の主審などがいくつも載っていた。へえーとかほーとかめくりながらことばを発していたが、正直に云えば全然分からない。それでも懸命に研究して書いたんだなと分厚い論文をめくっていた。じっくり読んで次には質問しようと思った。
丁度講義も始まっていたときだったから、少しハエの話でもしろと云ったら「ハエは人と同じです」とかなんとか喋っていた。集団性がなくて個別行動なんだとか、他の生き物の餌になりやすいとか、三千個の卵を生むとか。石田がいなかったらきっとそんなことは一生知らずに済んだ。生徒たちの中には憧れの顔で見ている子もいた。ボクもハエやろうかななどと云っている。お前は止めろ。トンボにしろ、などと。
今度は米国に行く。暫く日本にいるというから、講義に来てハエだけでなく生命科学の話でもしてくれと云っといた。
思いがけぬ来客は嬉しい。空いた時間がすっぽりと埋まる。ニッポン放送とポピーがキャンセルだったんだな。
原点からスタートの一回目だ。「違い」をやった。一番初めは作文用紙の紙飛行機だったと話したらびっくりしていた。石田や果苗むよりも少し若いときのボクだ。無茶なことをしていた。手探りだった。それに比べれば彼らはしっかりしている。教え子が眩しくなるときがあるものだ。
亮介も年明け初めて顔を出した。去年は彼の卒論を読んでいた。都立推薦の小論文など指導をしていたという。何を教えているものだか心配もあるが、小僧もいつしか若僧になる。ボクにとってのこの12年はさして変化はないが、彼らは大きくなった。同じ時を生きているのに。
この間顔を出した学習院の深井は検事になると決めたようだ。彼が十年カレンダーを感慨深く見ながら、もう十年になるんだなぁとつぶやいていた。片手を壁につきながら、壁を見て云っていた。その姿が残る。
お前たちはこの月日をどう生きるんだろうなと当時語っていた。
美香も父上の会計士さんと共に来ていた。神保町にオープンしたという高そうなドーナツを持ってきた。仲のいい親子だ。もう三十路になる。結婚などしないのだそうだ。そんな娘を68になる父は目を細めて笑っている。
みんな違う。独自を生きている。
深夜三時・・。一仕事終えて石田の論文をめくりながらドーナツを齧っている。まだまだしっかりしてなきゃな。戒名考えてる場合じゃないな。

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