日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

1月14日 ピーターパン

2009年01月14日 | Weblog
日刊ミヤガワ1840号 2008 1.14

「ピーターパン」

深夜の事務所はなんとなくゾクッとする。連休だったせいか人通りも少ない。向いのコンビニでもなければ火が消えた感じがする。コンビニは漆黒の海の灯台のようなものか。眺めているだけでホッとする。
夜になると蔵書の作者たちがあのテーブルに座って、談論をしているような気分になる。各種の課題を深読みするたびに、そこに来ているのではないかとす錯覚する。いやいや本当に来ているのかもしれない。濃厚な空間だと思う。夜中一人で過ごすのは久しぶりだ。
昼より狭く感じられる。すっぽり包まれて仕事に没入できる感触はある。ここも12年を過ぎた。落ち着いた場所になってきた。ほんの少しの間退避していようとしたのに、居続けてしまった。⒊フロアー使っていた頃は滅茶苦茶だった。それが面白くもあったが、梁山泊の時期は長くは続かないものだ。
どうしても分析の字が薄くて細くて書斎で悪戦苦闘していたが、もうダメだと機械の拡大鏡を頼りに来た。いつまで経っても明治以来の鉛筆文化は持続している。確かに資質は見抜きやすい。濃淡は他の道具では摑みにくい。分析にはいいが、教育的ではない。いつまで鉛筆文化は続くのだろう。
五時間ほぼ没頭していた。こういう環境は集中力は高まる。食べ残していた八つ橋がひとつ残っていた。後はブドウ糖。このくらいが丁度いい。水はハワイアンウォーターがある。
当たり前だが客もなければ電話もない。空間占拠の快感は確かにある。しかしこのビルも休まない。4階のプロダクションはいつでも仕事をしている。働き者ビルと近所で云われているのだそうだ。
南が開いて夜の空気はモロにぶつかって来る。闇が点在する灯りを包んでしっとりと横たわっている。そこにボクが映る。そのまま窓を開けて飛翔したいような思いに駆られる。ピーターパンはいい。あんなに風にやや乱暴に夜空を舞ってみたい。
机の上に例の紫の小瓶が置かれている。分析原稿を書きながら思い出していた。その⒊フロアーの頃、20年も前だ。こんな風に深夜まで原稿を書いていたら突然近所の派出所の警官が焦った風情で入ってきた。「大丈夫ですか」とか「あぁ生きてますね」などと苦笑しながら云う。「今のところね」などとボクも答えて笑い合った。
分けを聞けば、女の人から電話があって、死んでるかもしれないから様子を見てきて欲しいと云われたのだそうだ。気が散るからと電話は切っていたのだと思う。その後警官君と暫しお茶を飲みながら話をしていた。警官まで動員するのだから怖いねぇと彼は云う。まったくだと思った。
若いときのことだ。してみれば当時から死にそうな暮らしをしていたのかもしれない。それから暫くして彼女は車で迎えに来ていた。怒って帰した。ひどいことをしたものだ。それから暫くしてその人は消えた。本気になって心配してくれる人がいたことを忘れてはいけない。今頃思っても仕方ないのだが。
あの頃神保町は夜は深紫だった。街灯の回りはぼうっとゆったりとしていた。
その後何人か若い衆が深夜でも付き添うようになった。気分を変えて深夜のファミレスで共同作業もした。当時語ったことをパソコンに彼らは打ち込んでいた。その原稿はどこに行ったのだろう。記憶が断片的だ。
成人式だという。当時産声を上げた子たちなのだ。可笑しさがこみ上げる。ふと時計を見る。服を見る。ペン立ても見る。当時のまま。ボクにとってこの二十年は消えたのでなく、そこここに存続している。過ぎてなどいない。長期保存型の冷蔵庫に入り込んでいる。
開ければすぐ手に取れる。時は共存している。
深夜作業もいいものだ。普段気がつかぬこと共を並べられる。忘れてはいけないことも並べられる。しかしやけに暖房が効く。

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