日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

8月31日 夏の終わり

2007年08月31日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1338号   2007.8.31
「夏の終わり」

 そう云えば温暖化はCO2だけじゃないという説が強まっているのだそうだ。当然だろう。年代としては間氷期にある。氷河期の終わりに位置している。地球規模という表現も今はグローバリズムの枠に入ってしまいそうで使いたくないが、しょうがない。地球も生きている。今は冬から春へと向かっている時期なのかもしれない。
 何がクールビズだ。クーラーの使用のための電力供給など更に強化していく策を講じた方がいい。でなければ体を地球変化に対応させていくしかない。地球に優しい、もいいが、身を守り順応していくために、人に優しい地球でもあって欲しい。お気楽で高慢ちきな地球上の高濃度微生物たる人間の知性は熱を冷や水にして少し謙虚にしなくてはならない。
 季節がカレンダー通りにいくことはない。それでも四季ある国はちょっと見れば夏の終わり、小さな秋が覗かれる。これは作文などの絶好のテーマにもなる。
 祭りの後のような虚脱と空ろな目はきっといつもは気にも留めないものを見つけていく。
 今年は暑い。北海道の人が温暖化になったら田植えもできるし、りんごも成ると語っていたそうだ。生徒から聞いた。面白い。こういう果敢な思い切り、発想がいい。なら長野はバナナか。タロイモか。東京はパインだ。腰蓑つけた都民が溢れるのも楽しいかも知れぬ。してみればガングロだの下着のような女性服はそれを事前に予知した女たちの敏感さ、予見の能力というべきか。南洋から渡来した先祖の血が体内で活性化しているのかもしれない。
 海に焦がれる人にはきっとその傾向があるとボクは実証なしに思っている。若い者が海に憧れ、海辺のロマンスなどに胸ときめかせるのは、祖先の血だ。北の寒海を知る者は却って恐れを強くする。
 祖先。考えてみればヒトの祖先を根源を辿ればそれは海に行き着く。やっと海から途方もない進化を続けて、陸に上がり、陸で繁殖したのだ。血というよりも遺伝子が騒いでいるのかもしれない。母なる海への回帰。思慕。郷愁。若い者はそこに母の胎内の残像を見るか。進化を逆行していく情念に忠実なのか。
 やっと陸に上がったのに、何も海に帰ることもない。ボクが泳ぐことが好きでないのはそのためかもしれない。ヒレもエラもとうに退化させた。今更という気がするのだろう。ましてや潜るなど無茶なことだ。そういうことは昔分かれた海洋生物に任せたらいい。そして時折食べては「いつも一緒だよ」と消化すればいい。
 夏の終わりの歌もやたらと海が素材になる。場面素材・事例素材としても海が圧倒的だ。
 「海は素敵だな」とザリガニーズは歌った。「思い出の渚」とワイルドワンズ。「青い渚」とブルーコメッツ。「夏の思い出」日野てる子。・・・。どうも古い。
 「高原のお嬢さん」など陸ものは多くない。海洋民族ゆえというばかりではあるまい。唆されているという面も確かに見逃せない。海水浴なる風習は欧米からの移入だ。明治期のこと。先進的なファッションでもあったのだろう。それが戦後もずっと踏襲され強化され、歌で喧伝されたとも云える。
 登山ですら移入文化。それまでは修験者や樵人の聖地だった。レジャーなる言葉もなかった。
 そんな文化に泳がされて流されて夏は海の習性が身についたのかもしれない。海でなくても陸でもそうしてボクらは溺れている。
 渚にはシンドバツトもいる。まだ古い。ボクは今の海関連の歌をよく知らないことに今気づいた。それどころか「宙船」などやっと覚えた歌も、船は空を飛んでいる風情だ。言葉も最近は葉から船になってきた。やはり温暖化なのだ。枯れて萎びるのも早い。照り返しもきつくなった。
 アスファルトは古代バビロニアからあったとどこかで読んだことがある。暑かったろう。ヨーロッパの石畳の方が熱を吸収する。その文化の違いが歴史の違いと重なる。踏み固めた日本の道もまた比較してみると面白い。踏み固めた上にアスファルトを敷く。そのまんま今の日本だ。そして暑いと萎れている。
 たまにど根性大根でも隙間から出れば、それだけでニュースになる有様。陸性生物としての文化遺伝子はどうした。

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8月30日 媚人

2007年08月30日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1337号   2007.8.30
「媚人」

 鞄の中に二十歳の学生の頃の写真が入っていた。記念碑的な写真のいくつかとともに混ざっていた。何年か前に発掘して入れたままだった。
 全然似ていないのを承知で「な、これガクトに似てるなぁ」などと振り翳した。もっともガクトなど最近大河ドラマではじめて知った。これはさも現代に精通しているかのように見せたいボクの稚気。講義で「君といつまでも」などと語り、「ん?」という顔を向けられたりする桃太郎的錯誤が、ちょっと口惜しい。わざとのようで実は案外そうでもない。無意識に出てくる辺りが、舌打ち材料。
 公園のベンチに座って足を組んでいる。髪は長い。当時から目が弱かったのだ。サングラスをしている。少し細身か。つい昨日の場面だ。残像に過ぎない記憶だが、それでも鮮明だ。この写真の一年半前に自殺未遂。この写真の数ヶ月後に作文研を創り始めた。
 ひと人生を過ぎたときの顔。これで終わっていてもおかしくない時。二十年でも人の何倍も生きた。掴んだものもあった。これでいいのかなと心の骨格を作り上げていた。
 しかし生きようと、死ぬと同じ勇気と決意で次を生ききってやろうと思っていた時。
 人に見せる恥ずかしさはなくなっている。ホラ、ホラーと特講の子どもたちにも見せる。小さいからとスキャンして大判にしてもらった。黒板に貼り付けてある。
 欲しい?と聞いた。みんな笑う。似てるよな。本人だもの。ビフォー・アフターだぜ。ガクトに似てるよな。うん少し。・・・嘘つけ。しかしそこに子どもの気遣いがある。サインしてプレゼントしようか。いらなーい。それはそうだろうな。
 しかし貼り続けておくことにした。なんだか面白い。今のボクを斜め後ろから見つめている気がする。当時のボクは今のここにいるボクを想像していたか。していたようにも思えてくるのだ。
 その距離1メートルもない。しかし星霜は重ねた当時予想もしないエピソード・体験素材はこの1メートルの間に詰まっている。今回の特講は集大成。あとわずか。写真の彼ではなくボクが彼に示したいのかもしれない。
 馬鹿なことをしていると思われるだろうが、これは結構ボクには今重要なことかもしれない。
 今日になって特講最後の子が「ボクのお母さんが欲しいって」と云って来た。本気かよと思わず聞いたが。彼と母親は打ち出したものを持って帰っていった。妙な気持ちになるものだ。今のボクへの揺籃期。昔のブロマイドを爺が渡しているようなもの。
 この際だから彩色して修正でもするかとスタッフと興じて不思議な心映えの照れ隠し。
 それよりも赤子のときの写真や中高生のときのものなど見つけ出そうとすら思った。同じく貼り出すか。これが一匹の男のそのまんまの残影だよと。自分で眺めその時のボクからも今を見させたくなった。
 精一杯、全身全霊で生きてるよと見せ付けてやりたい。そんな個人技に余人を巻き込む気はない。そうでもしないと星霜に埋もれ、雫となっていったものを忘れてしまいそうになる。
 同調の人生を快しとしない者はそうするしかない。
 媚びなくなると人は生きやすい。しかし大切なものを忘れる。媚びる者も更になくすが。
 政治家は有権者に媚び、企業は客に媚び、男は女に、女は男に媚び。子は親に、親は子に媚び、芸人は勧進元に、勧進元は芸人に媚び、生徒は教師に、教師は生徒に媚び、ペットも媚び、学者も媚び。それを捨て去って生きるなどなかなかできないものだ。
 媚びて揉み手で笑顔を作って近づけば、開ける道もある。利用され利用していく手もある。それで何かを手にしていくこともできる。生きる実際はそうしたことかも知れぬ。
 ボクはそれはできなかった。しなかったとは云わない。したけどし尽くせなかった。したくなかった。生き残った命を世俗の塵埃に塗れさせるのを潔しとしなかった。
 実験的に生きてみるというのも面白いと思った。ケースになるし。教師とはそんな矜持を少なからず持つものだろう。
 そろそろかな、と覚悟しつつまだまだ生きられそうにも思う。心のどこかでその過去の自分の目に、目の奥地に「見てみろ、やってるじゃないか」と少々自慢気に語りたい漣を感じてしまうのだ。
 人はただ生き、為すを生き、為さざるを生き、だ。
 あの写真からボクは三つの人生を生きた。もう四人分の一生をきっと生きている。
 今は五つめになる。第五章という奴だな。鼓舞しないとな。あれ以来公園のベンチに座ったことがない。

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8月29日 中国シンポジウム

2007年08月29日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1336号  公開1001  2007.8.29
「中国シンポジウム」

 最近はやたらとスケジュールが入る。秋だけでなく、来春も来夏も。決して派手に活動しているわけでもないのに、ありがたいことだ。
 今日も来春の熊本でのシンポジウムの話があった。かなり大掛かり。親と子の葉書のコンクールが成功したようで、そこにイベントを加えるということになった。最近人の話を聞くようになったと少しは評判になっているボクは司会。仕切らせてもらう。パネラーをこれから思案しなくてはならない。
 作文・論文関連のコンクールも順調に伸びてきている。完全に地域や行政府と絡むようになっている。これはこれでもう展開は見えたし、どこでもやれる。
 「内容と作文レベルですよね」とみんなが考えるようになった。そうして本質に向かう回路は開拓されていくものだ。
 シンポジウムも著名人や新しい有望株人を開拓しながら展開していくことになる。言語作用を多角戦略で進める。商売ではないからやりやすい。得を求める者がもぐりこむと煩わしくなる。こういうものは大義と力技で行くのがいい。この国ももちろん困った連中は雲霞の如くいるが、だからこそ再建に本気になる者も探せばいる。発光しないと。
 九月に中国の大学での日韓中のシンポジウムがある。昨年も一昨年も行けなかった。今年もやはり難しい。本当は時期も時期だから講演をしたいが無理だ。
 今回は「認識」がテーマ。東アジアの経済・社会の軸を掲げてのもの。専門だよなと今日も関係者と話していた。
 価値基準だよ。その多元性を主にすることだ。長い歴史を持つ国は、それだけで蓄積している精神土壌がある。それが文化の根、思考の根。現状を分析して対応するなどというその辺の政治家やタレント学者や企業人と峻別して、表層軽薄論に赴くことなく、本来の学者・研究者はそれを一価値基準と見て多元層の確認と掘り起こしをすることだよ。昨日今日の浅い国の文化に迎合することはない。むしろ指導しなくてはならない。矜持だね。認識の体系は理解の幅だ。力の根源性を見誤ると体系はシステム論になる。それは三国共に本質では痛感しているはずだ。土壌だよ。千枯万枯の精神を数千年蓄積してきた土壌に立脚しないで、現状論も未来論も成立しない。・・・。などと講義の後に浮かされたように話していた。
 そういうことをきちんと云える学者はいなくなったとその来訪者は語る。いないだろうな。いてもとっとと教授を辞して神保町で作文研でもやってるさと、興じ合った。
 これを怪気炎という。浅学菲才の身が出席できぬ腹いせに吠えているだけだ。吠えるは犬程度。吼えるは獅子程度。どっちにしてもたいしたことはない。
 帰してから苦さが口の中に広がる。
 海外もしなきゃダメだ。来てはくれるが行かないと。もう少し爺になってからの方が見掛け的にも効果はあるのだろうと思いつつも、若い学者たちをその気にさせること真剣に考えなくてはならない。金と名誉に走らぬ堅固な基軸を持っている賢才を見つけたいものだとつくづく思う。
 平和論は聞こえはいいが中身が伴わない。強大国の武力と金力による平和を平和と称している質は探求の曇りだ。理想社会を今に見ようとするのもおかしいし、日本が平和だと勘違いしている愚かな学者たちはそこらに転がしておけばいい。邪魔にならぬ範囲で。
 といって「自国の」というナショナリズムは、反作用の産物だから策の効用としてはあってもそれが決定基盤にはならない。国家論、システム論、文化論、近代の前提はことごとく検証し直すことをしないと先には進まない。現状追認的認識論は利用されるだけになる。
 境界、統治、律、人間、・・。根幹の要素を更に哲学的に探求していかないと。シンポジウムには宗教家も芸術家も生産者も参加しなくては本当のものにはならないだろう。
 既にできたものは活用素材でしかない。いいさ。考えながら編むさ。大江戸綴り方師匠の怪気炎は深夜まで。さっきからカレースープを食べている。なぜか挑戦的思考のときはカレーがほしくなる。インドも交えなくちゃダメだな。この味にはやはり数千年の思考の種が多く溶け込んでいる。

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8月28日 千回!

2007年08月28日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1335号  公開1000  2007.8.28
「千回!」

 昨年の通算千回ほどの感慨はない。慣れとは恐ろしいものだ。しかし今日は小さなガッツポーズ。奥底での達成を感じる。修行のまだ二里塚か。
 いつも感想やら励ましを下さる読者諸氏には感謝する。荒野に言葉を投げている気分にならずに済むのが嬉しい。
 何か岩盤のようなものに突き当たり、コンコンとそれを掘削していることを感じている。
 スムースに掘り進むわけではない。思索の継続、読解の継続とは根気の要るものだ。知識や教養などは糧だろうがそれが推進のエンジンになるわけでもない。自己の確認、足元の検証。周囲の考察。ひどく個人的で雲を掴むようなことを継続していく活力のようなもの、でしかないのだろう。
 頭脳に電気ショックでも与えて、もっと活発になれば、いやいやできるなら外科手術でもして脳を全活性化できたらと、思わない日はない。講義が終わるたびに原稿を送るたびに、その瞬間に考え残したことや角度の卑小さに、あぁそうだったかと思うことしきり。それが次の起点にもなるが、岩盤を掘るどころか岩盤の固さと厚みに、ここかな。ここかなと四つんばいでうろついているようなものだ。
 納得して仕上げるということは、し残したものを取り繕うことでもある。浅く貧弱な思索をなんとか糊塗しようとしている。ひょっとしたら表現の極意はそれかと技法に走る自分を情けなく思ったりもする。
 奥底で納得できないしこりと恥ずかしさの分、それが次を促し、突き動かす原動力になる。きりがないもののようだ。見せて評されて引いて、見せた自分の振りをするなど、とうに飽きた。そんなに社会的な評価というものに信を置いていない。それは失望の限度を超した後の生き方、身の処し方なのかもしれない。淡々と黙々と、と何度も書き連ねてきた。云い聞かせている。
 それでも世に送り出す本や原稿とこの日刊が乖離し続けながら、いつかは統合されることもあるのかなと、そんなことをやや儚く思う気持ちもある。
 枯れるといいというのは、表向き無難になり、力が抜けてくるからだ。本当に枯れたら書くことすらしない。名人とはそんな境地だろう。枯れたと見せる意匠、文技がそこにはある。それを世の多くの読み人は好むのだ。吸い込まれ、心に届くのだ。
 そんな文を書きたいと思っているわけではない。試すが錯誤し続けたい。文章は諦めた人に届いてもダメなのだ。これからとのた打ち回る人に届かないと。
 文が癒しか。娯楽か。それもいい。しかし本当は戦いのエール。同志たちへの静やかな進軍のメロディーでありたい。鎮魂歌ではないと思いたいのだ。
 楚の屈原などの詩を古人も亡父も好んでいた。しかしなんでその敗北に心惹かれるのだと反論していた。世を己を儚む者に何を見出し、なぜ共感したいのだと。
 ひょっとしたら敗北・失望人への精神安定剤として文学は作用していたのかとも思った時期がある。
 生きることは失望と願って叶わぬことの蓄積だ。それは事実。しかしそこに立脚したときにその冷厳さを慰めるのか、それと切り結ぶのかは、生の現実を見極めようとする意志の違いによる。
 教育というなら、その姿勢を持つ者が生徒に向かわないで、何を以って向かうというのだろう。
 宗教に染まるものたちの言語の通例は解釈にある。わかった気になっていることを思索の本道を求める者としては惜しいと思う。立ち向かい切り結ぶことの中で自ら見出した哲理を得て、先人の哲を正面に据えればいいものを。
 文献解釈はわかった気になるのが思考の停止。それに対応できる自己の軌跡と深耕がないとただ囚われる。これは宗教のみの話ではない。学問体系のことでもある。秩序とか人生訓などのことでもある。
 感応し合えるこの日刊の未見の読者、友、同行者がいることが嬉しい。
 ・・・・・・・
 というわけで、千回を期してリアルタイム日刊ミヤガワを携帯メールに書いたときに直送することを始めたいと思います。今までも希望者にはそうしてきました。夜中、早朝と時間はボク書き上げたときですから、今のサイトのように決まった時間に更新などということはありません。日に二本という場合も当然あります。
 これは書いたときにボクのパソコンから直に配信します。ただし携帯にのみ。もちろん無料。
 つきましては希望者はボクのパソコンアドレスに、希望する旨また配信先などお送りください。もちろん今まで通りのウェブは継続しますけど。
 申し込みアドレス・・・mygw@din.or.jp。よろしくね。

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8月27日 四十代

2007年08月27日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1334号  公開999.(後1)  2007.8.27
「四十代」

 生命時間が八十年だとして、四十歳というのはまさしく折り返し点になる。経験的に云えばその頃はまだ子どもの要素が多分にある。特に昨今はそれまでの軌跡にあまり変化がなく、自分をほどほどに保って、嫌なことには触れないでも生きられるから余計に子どものままの人だっている。
 確かに無理をして大人の振りをすることはない。子どもの心やわがままさを持っていることを悪いというつもりもない。
 ただそこからの十年で人の大方の生き方や人格は形成されるのだということは知っておいていいと思う。
 十年たって五十歳になればもう折り返し点とは云えない。男の平均年齢が七十九歳だとすれば残り三十年もないことになる。急速にこの十年で残り時間は早まる。
 だから大切だと云いたいのだ。四捨五入が説得力を持ってくる。だから多くの人は焦り出す。このままでいいのかと考える。そして意外とつまらぬことに手を出して失敗することも多いのだ。
 我慢の十年だ。今までやってきたことの一時仕上げ、中間総括だと思うことだ。この時期に慌てふためいてあれこれやると後半生はフラフラする。破綻もしかねない。
 暴れん坊だったボクも心ならずもこの十年。大人しくしていた。動かなかった。穴熊になったかと揶揄されたが、じっとしていた。この苦痛は予想以上に心も意欲も蝕んだが、次第にそれに慣れを感じるようになった。耐える十年。それは何かからの防衛を意味しない。自分を抑えていくことその我慢だ。
 若い二十代三十代の成果や評価など努力と構築力があればあるいは誰でも得られる。問題はその後だ。それに縋って生きたら辛いことは多くなる。
 為すべきことをするだけだ。今まで作り上げた流れは自然に身の回りにあるものだ。人であったり、声価であったり、広義の身のこなしであったり。必ず机の周りや本棚や引き出しの中にある。その流れを掴んで身を浸しきることだ。
 動かないボクは原稿などの執筆や講義やこの時期しかできない探求や思索整理に向けていた。
 誘いは多かった。分岐点かもしれないという迷いはオーバーでなく毎日のようにあった。やろうとしてもやりきれない。だから引く。引いて椅子に座り続けた。
 面白いもので、やるべきことの周辺や発展領域に関したものは自然にやれていくし反映していく。次も準備される。
 名誉や金を求めようとする無理は遠ざかる。人には人の生きる場所というものがあるのだと悟る。道はないのだが、切り開くしかないのだが、この道だな、ということは分かっていくものだ。それを不惑と称するのだろう。
 ひどく臆病になっているようにも思えた。自他がそれを認める。しかしもし勇気というものが身を処するために作用するのだとしたら、ボクは自己の再編と後半生を生きる下地を作るためにコツコツと日々を重ねることも勇気だと思う。
 強引で乱暴で蹴散らして生きてきた。得たものもある。ある段階まではそれは不可欠だったと何の後悔もない。しかしそのまま生きたら愚かだと考えられた。
 そんな十年を生きてきたら、マイナスも多かったかなと振り返るとそうでもない。関係する人の層も相も替わっている。立場も変わり、ボクの意志も世界の認識も変化していた。
 無理をしなくてもやるべきことはやれるようになっていた。生命時間の中間期は誘惑も多い。自分の可能性や希望への悶々も一気に燃え上がりやすい。その火に身を焦がしてはダメだ。燻らせ、しかし持続させつつ根を張るしかない。それが我慢だ。辛抱だ。苦節、身を低くし身を潜ませ身を時に甲羅にもぐりこませる時期は、不可欠だ。その時期に口惜しさやもがきで身を捩って行くことが心や意志を捏ねることに繋がる。
 引いてるようで引いていない。自己の全軍を遅々とした歩みで前進させる。あるいはじっと対峙し続ける。浮いてもすぐ戻り、移動があっても帰着を間違えない。この時期に人は堅実ということと自己の器量を知るのだと思う。
 年配者は退場し始め、若い世代が台頭し蹂躙してくる。余計に位置の認識は確固としたものにするしかなくなる。
 男も女も同じように思う。ボクは四十代を見ていくことが習性になった。若い世代に「未来」を見るとすれば、この世代にまさしく「今」を見ることになる。
定まらぬ者は自分に冷水を掛けるといい。何をして生きてきたかをただ冷静に振り返るといい。そして今の自己の周囲にある流れを掴むといい。そこにきっと「道」があるはずだ。見出せない者は目に曇りがある。直視の勇気がないのだ。
 何もなくて、本当に何もなくてそこまで生きて来られるはずはないと知ればいい。万一何もないとするなら、そのことを自覚すればいい。
 自分を生きることから時間を生きることへの転換期だ。この時代や風潮や現象を生きることに執心していると目はますます曇る。ゆっくりと自己の軌跡と向かい合う時場を確保しないといけない。
 よく見えるようになる。そしてだんだん目が霞むようになる。すると見なくてはならないものだけが見えるようになる。たまに充血したり。

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8月26日 学ぶだけならサルにもできる

2007年08月26日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1333号  公開998.(後2)  2007.8.26
「学ぶだけならサルにもできる」

 要はそれをどうするかだ。何のために学ぶのか。学ぶとはどういうことを云うのかだ。先人の英知をあるいは言葉を学ぼうと云う。勉強熱心な国民はそれに従順だ。間違いではない。しかし学んでどうするのだ。その目的が堅固なのかと深いところで疑問を持つのだ。
 学んでマスターした。忠実にマスターした。それで?理解した。なるほどと思った。そこまではいい。そしてなんだというのか。
 で、君は何をしているのだ。つまり学ぶ目的は何かだ。そんなことは個人の勝手。学ぶに正しいも何もないだろうと反論はある。それも然り。もっともなことだ。
 学ぶのは個人の固有の目的や意味がある。動機もある。それをとやかく介入すべきでもあるまい。
 学んで知り得たとする。その次にきっと学んだことなどを自分の発言や表現に活かすだろう。相手はなるほどよく知ってるね。勉強してるねと云う。まさかそこで終わりではないだろう。
 知り得たのなら、連関・連環が可能になる。ということはこれはこういう風にも考えられるね。これはこういうことだったかもしれない。そうなる。ひとつの知識や観点を得ただけでも、考える者は一気に全面展開ができる。そして更に更に学びたくなる。
 世界の再合成・認識の宇宙を形成していくまでこれは終わることはない。学ぶ者は自分と同列以下の者に本当は向かわない。頂点にその上にと向かい続ける。確認と取りこぼしと構築を堅固にし変容を見定めるために眼下を眺める。そして最底流を歩く。あるいはその土をも掘り進む。上下左右のそうした拡大は、畢竟世界の再合成に向かう。
 ところが学ぶということを浅く理解していると今の自分の知識武装、装着の域に留めてしまう。
 それでいいと、そういうことが学ぶということだよと、妙に割り切った目的と動機がまことしやかに語られている。いいのかそれでと、反問する気にすらなれないが、一人煩悶している。
 学ぶことなど別に強調すべきことではない。それは自然なことだ。何からでも学べるし吸収できる。要はそれを消化して血肉化していく回路があるか。消化液があるかということだ。
 表現が消化になるんだと昔はよく語っていた。だが厳密にはそうそう表現至上主義を標榜しているわけではない。木が全身で栄養を得て生育して葉を茂らせ落としまたそれをも養分として生育していくそれをイメージしている。
 葉が言葉かもしれないし、全容の変化形こそを目に留められたらそれかもしれない。存在様式そのものかもしれない。見えぬ根も含めて。
 生活していくために知るべきこともある。この社会で生き抜くために知るべきこともある。だが自分の一回性を生きるために分からなくてはならないこともある。生涯賭けて得なくてはならないこともある。それを混同してはいけないと思うのだ。
 学問は「問い」だ。問いなき学問は装着でしかない。問いはまた質問という一般理解の域でのことではない。自己に宇宙にあらゆる答えなど語れない対象に対して発するものとしてある。
 何でも質問したら答えてくれるよ、というものがあるとしたらそれを信じてはならない。そんな簡便なものがあるものか。パソコンにその理解を超える問いを発したら回答は不能になる。答えられる範囲が問いとして認められるとしたらそんなバカなことはあるまい。
 物知りは脇に置いて重宝なだけだ。求道的思索者は人の一言ですらそこから認識体系図面を全変化させる。
 そういう種類の学習を子どもたちに誰が語っているのだろうか。
 今日は小林秀雄の「人形」という小品を課題にしてみた。驚くことに「人形」にこだわる。クラスの中で「沈黙」という要素に着目したのは三人だけだった。文芸評論家の小林氏の作品をただストーリーを主体として読解していくのでは本義から外れる。彼は実証を作品の形を以って試行している。無論優れた生徒だから人形に向かい、人間を探求していくことからこの作品を照射している。多数の子たちは大人たちはそれすらできないことは知っている。
 しかしそれでもダメなのだ。それはこの作品を描かざるを得ないという作家の必然を掴まなくてはならない。これは訓練してできるものではない。やはり直観、問題意識、矜持、求道性、問いの本質がなくてはできない。そういう者がたったひとつの作品から視野を広げ重ねていくことができる。
 教えられ、努力して身に付けることは必要だ。それが実際面だろう。だがそこに甘んじていれば今の学問水準の理解に浅く停まるだけになる。
 そういう者になればいいのだ。なり方は分かるはずだ。例えば今、手の平を見てみるといい。そこに何が乗っているかだ。
 物質の豊かさに比べて心は・・・という既定フレーズがある。違うな。「思」の領域の拡大と正しい復活・復権だ。
 マイペースで思慮を広げ、深めていくといい。褒美を貰って芸をするサル。さすがに人は人に似せて教え込むものだ。

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8月25日 隠せよ

2007年08月25日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1332号  公開997.(後3)  2007.8.25
「隠せよ」

 特講で一番文を書いているのは実はボクなのだと気づいた。一日四クラスしゃべって書いて指導している。ボクの特講かよと生徒たちと笑いあった。
 なんで六クラスしか来ないのかなと今回は特に寂しく思う。それでも特講常連組は毎回参加してくれる。ありがたいことだ。やはり優れている。物足りなさを痛感しているからだろう。
 そんな子たちはこんなに考えているんだよと、ふだんは抑えている自分を発散させている。それでいい。いいのだがひとつ忠告をしておきたい。人は人の優れたものを見せられると怯むものだ。そして力及ばないと思うと敬慕する人もいるが、腐る人の方が多いのだ。そして影でも表でも非難したがるものだ。卑劣だな。愚劣だし、しょうもない。しかしそこに人間の弱さと悲しさを察しなくてはいけない。
 みんな人から評価されたいし、認められたい。凄いと云われたい。自慢もしたいし、自分はやれるんだと確信も持ちたい。だけどそんな人は稀少なのだ。そして自分を宥めて生きる。ある人は今に見ていろと黙々と努力する。ある人は諦めて楽な生き方を選ぶ。ある人は得られない気持ちを得ている人にぶつける。ある人は足を引っ張ろうとし、ある人は嘘の噂を流して潰そうともする。
 そういう人間たちの脆さと、裏腹さを非難するのはいいが、認められることが認められないことを非難したら、正論でも人は屈折し、余計に火に油を注ぐことにもなる。
 だから、そこからが表現の高次元の学習になる。賢さと凄さをボクの前では全面開放していい。しかし世間相手には隠せ。これ見よがしに示していくのは愚だ。
 抑制して、ほんの一文や一言でも、書き出しの一行でも凄さはわかる人にはわかってしまうものだ。それは信じていい。世間はまだ捨てたものではない。
 それはずるいのではなく、より効果的に文をあるいは意見を君を作用させるための手法だ。
 いつも賢いことや凄いことだけを綿々と綴っていれば実際に飽きる。「わかったわかった」の反応を招く。
 惚けることだ。書きたいことを書かないことだ。例えば人を笑わせる文だけを書いていてもいい。意味ないと思うか。逆だ。そういう人が周囲に人を惹きつける。光になる。そして多数派になる。そんな人がたまに鋭いことをしつこくなく語れば、その周囲の人たちは「おー」と思う。そして伝わりやすい。
 真に賢い人は賢さを表さない。バカをして見せる。人を油断させ、組し易いと思わせる。あえて失敗ばかりをしてみせる。
 凄いと評価されたら、恐れることだ。そして一般水準に紛れながら、ぜっせと凄さを研鑽することだ。
 それは「知り・分かる」ことをおいてしかない。多くの人を読解し内包しておくことだ。そしてボクのところで徹底して磨き、伸ばし、発散すればいい。
 頭の良さは示すものではなく、自然と人が感じ取るものだ。全部消すことはない。チラチラと垣間見せる程度にしないと、いつしか自分も「えーと」になってしまう。
 面白いことだ。表現の学習をしていて、高次になったらそれを隠せという。
 これはしかし知っておいた方がいい。なら賢い人だけの中ならいいか。違う。更に慎重にならないと危険は増す。賢いと自負する者ほど反発も尋常ではない。
 心が清く真っ直ぐな賢さならいい。しかし今の時代はそういう種類の賢さが希薄になっている。これ見よがしはいけない。オラオラここまでやれるかー、と見せたら評価は反転する。ただ愚直なら一時誤解されてもいずれは開花する。ただ多くの人はそれが待ちきれず辛抱もできなくて舞台を降りるのだ。
 覚えておくといい。そしてこれだけは確信していい。世の中には「山わろ」的透視エスパーはいっぱいいるということをだ。
 試験で一番という程度の賢さならいい。それは無難だし既に大衆化している。ボクの云う凄さはそれを突破している者たちに対してだ。
 隠せ。隠し通せ。しかし毅然と一歩一歩を確かにすることだ。

 静かに。静かに。慎重に。時に脱兎の如く。ふだんはカメの如く。親にも兄弟にも悟られてはいけない。賢さは包むもの。見せるものは巧妙に計算された一端・部分。名人は呆の境地。忘するる勿れ。

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8月24日 白馬

2007年08月24日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1331号  公開996.(後4)  2007.8.24
「白馬」

 詭弁をDクラスでやっていた。なるほど難しい。意図的な論理化。実証のための吟味にかなり呻吟する。
 驚いたことは大学生でも詭弁という言葉を知らない。死語になったのか。「それは詭弁だ」と叫んでいた頃が懐かしくなった。
 それだけ世の中は論理なるものに無頓着になったのかもしれない。あるいは詭弁が蔓延しているのかもしれない。厳密には論理など限りなく詭弁に近いものだ。無限の観点視点などと語っているボクなどは定式観を相対化しようとするがこれすら詭弁的な論拠を与えているのかもしれない。
 ただ思う。詭弁が良くないのだという見解は棚上げしたい。妄語戒を破るわけではないが、論理を珍重してそれへの依存度を高めていくと、詭弁を正統としていく認識になりがちだよと、これはソフィーストも春秋の詭弁派も警鐘を鳴らしている。論理の持つ危うさをそれに縋ろうとする脆弱さを彼らはきっと意図して語って見せたのだと思う。
 論理・修辞・大衆扇動。ここには詭弁性は不可欠の要素としてあるのかもしれない。人の良心や良識はそれを嫌う。嫌って排除しても良心や良識の質や在り方によっては一気に反転していく。確かに危ないものだと痛感する。
 しかしこの国の人々はまだ洗礼は不足しているのだろう。教育の場でもまことしやかな詭弁が子をさして意味もない趣向の勉学に赴かせている。偏差値が高いと安定と幸福が手に入るというような。しかし「現実的」というあやふやな論拠でしかも支持する熱狂的信者によってこれは成立していく。無知なのに有知だと思い込む者によって事実の様相を見せる。
 崩されていかない限りこれはわからない。敗戦と同じ。信じる者はその瓦解を身をもって知らないと次には行かない。詭弁派の古人はきっと眦を決しているに違いない。後輩たちよ、まだ三千年の時を経て君は不知に佇むかと。
 白馬は馬に非ず。試してみよう。
 ①存在は命名を持ってする。馬は馬を指し、白馬は白馬を指す。
 ②馬属というカテゴリーを是とした場合それを観点として認めたら身体的共通によって白馬は馬に属するという帰結になる。それはあくまで認めたらという条件を伴う。認める行為が客観的妥当だとしても、それは認める主体の在り方による。一概念で果たして同属と語れるか。
 ③細分化したカテゴリーだとしたら、白馬種・赤馬種・茶馬種・黒種・・・と分類できる。これは毛色という観点に過ぎないものの、一概念を是認していくことからすれば、客観的妥当性は確保できる。観点として。
 ④白馬種は変異ではなくその遺伝子を有している。生体が決定される要因がそこで異質である以上、同種と見るのは強引であり、昨今の学の進化をないがしろにするものである。
 ⑤例えば白か黒かという二元論ではなく、その中間のグレーを主体としていくならば白黒はその両端近くに位置していることになる。しかしそれを云うならば色の三原色も要素としてあるものの連続性によって色が部分として特定されていく。白馬と馬の帰属など厳密には不毛。しかし色で識別していく機能を有していく人間の生理からすれば、それは同種である必然はない。
 ⑥白馬と馬が無限の観点で相違を見出せば無限に証明される。逆に同種であることを見出せばこれも無限に見出せる。認識とはかくべきものであり、「=」でない以上は「≠」である。
 ⑦白馬は作文研のビルの名である。「白馬ビル」は名として通用するが「馬ビル」というのは聞かない。活用として不自然であり、ぷっと笑ってしまう。つまりは愛称としての通用性が違う。そこに社会的認知として重要点がある。逆に「馬刺し」とは云うが「白馬刺し」とは云わぬ。汎用性として考えた場合、それぞれ固有の立場とイメージを持つ。それを一観点としても異質は明らか。
 ⑧パンダは熊か猫かではない。パンダなのだ。個を個として認めず帰属性で計るのは国家主義・家族主義的な思想の反映であり、個を個として認知できないことは現行の民主主義精神に反している。
 ・・・・・とかとか。
 駄目だ。頭がぐちゃぐちゃになる。この際なんでもこじつけようと総動員態勢になりつつある。とことんやってみても面白いが。
 今夜はこの辺にしておこう。作文は詭弁だなどと明日から叫びそうになる。くわばらくわばら。ツルカメツルカメ。

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8月23日 後半特講

2007年08月23日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1330号  公開995.(後5)  2007.8.23
「後半特講」

 例年だと後半のはじまりはぼんやりしている子たちが多い。夏休みのあちこち連れ歩きとのほほんとした生活のために緊張感がなくなり、弛緩している。
 それでもいいのだと内心は思う。子どものうちからピリピリして生きることはない。のんびりしたらいいとは思う。
 ボクはたまたま前線にいるから頭を活性化しろよと檄を飛ばすが、そのときだけのピリリでいいのだ。緊張と弛緩がある方が人もゴムも伸びる。
 今回はあまりぼんやり君たちがいない。始まりからシャンとしている。新人君はまだおどおどしているが、次第に慣れて顔つきが変わる。
 あまり行楽には勤しんでいないようだ。遊びまわる文化は少しは落ち着いてきたようだ。あちこち行きたがる風潮は今に始まったことではない。江戸時代の講などはそれこそパックツアーの走りのようなもの。平和な時代の風物が旅行だ。それはゆとりを持って自己の生活を再認識する離脱の目を持つことにも繋がる。
 そして見聞を広げる辺りから江戸体制は崩れ始める。民衆のエネルギーは動きから始まる。それがいつしか「ええじゃないか」に赴く。わけのわからぬものに打ち興じていくのは現状制度生活への暗黙の抵抗だし、相対化の衝動だ。そこに理屈はない。なんとなく打ち興じていくのだ。
 ボクはそれを現代に見る。楽しきゃいいジャンの意識は次第にピークを過ぎてきている。
 少しは冷静にまともになってきている気がする。それは経済面の反映ではない。祭りの後の虚脱が何度か起伏を経て、物事の本質や生き方に、国の在り方などにも向かい始めているのだと思える。
 子どもたちも親たちも何か取り戻しているように思えてきた。開き直りの層と求めている層は似たような感覚や行動様式を取るが決定的に違う。その両方の層が相変わらずの浮薄の層を挟み撃ちにしているようなのだ。
 次第に浮薄中間層は沈静化する。騒いでも叫んでもそこにどうにもならぬ虚しさを足元から実感していくからだ。浮薄だけに取り残されることは忌む。肩に入った力を抜く時期はそう遠くないと見る。
 子どもたちに十年前には伝わらなかったことが、今はビンビンに届いている。素直さだけでなく真剣に思考が動き始めているのを感じる。その頃はどうしたのかとさえ思った。頭の中が競争一色。要領一色。卑屈で愚劣な親も多かった。今はそうではないものを感じ始めている。真剣に考えようとしている。親もまた思考が動き始めている。
 子の顔、子の向かい方。何かを求めている。もはや学校でもテストでも就職でもなく、人生や人間を考えようとしている。必然だ。とすれば十年くらい前がおかしかったのであり、その前はまだまだまともだった。
 昨年辺りからの踏み込んだ講義についてきている。親もまた学ぼうとしている。チャカチャカ、チャラチャラも少なくなった。格好はそうでも奥が出てきている。風潮に乗った者たちは風潮の衰退と共に変わるしかないのだろう。
 核心を見据えて纏うならいい。核心がなくて纏うことが核心になっているような者こそ危険だ。時代の錐揉みに遭う。本人などどうでもいいが、子どもにそれが波及する。
 洞察力と勘を養うことにした。人の仕草ひとつ、歩き方ひとつでピーンと感じなさいと云う。透視・読心を培えと云う。エスパーなどその辺にごろごろといる。
 野球観戦でも球の投げ方やバットの構えを読め、バレーでもどこの誰の攻撃が効果的かを読め、安倍総理の目で何かを感じろ、母が電話を切った後の仕草で内容を想定しろ、・・・。それが日常の訓練だ。文の読解はそのひとつに過ぎない。技法の学習をしているのだからとりわけ関心が向いていい。
 読解洞察の質がなければとても表現も技法も身につくものではない。対象を知らなくては。
 マニュアルで何とかなるのは浅いシステム。ならばその裏をかくことさえ容易いではないか。たから、こういうときはこうすればいいんだよね、と要領を得てそのまま無前提に実践する者が愚かしく映るのだ。
 今日「バカな振りしてないと友達も作れないよな」と聞けば「うんうん」と頷く。わかっていてだからどうするを深いところで培わないとそのままになる。それでいいんだと語ったらお終いになる。
 突っ走るさ。本気でね。姿勢が違う。子どもたちこそ鏡だな。つまらぬ課題は出せたもんじゃない。ここでこれだけやってればその辺の教育現場の作文や読解など退屈になるはずだ。講義が始まったら暑さなど全然感じない。肩と首は一日で痛さが戻ったが。

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8月22日 救済原理

2007年08月22日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1329号  公開994.(後6)  2007.8.22
「救済原理」

 「星の銀貨」も「人魚姫」もそうだが、ここまでやったでしょ。ここまで正しく人のためにやってるでしょ、という心の叫びが聞こえてくる。
 そして彼女たちは「だから救われていく」と思う。それは自分に忠実だったとか誠意とか良心とか、無償であると心底思っていたのかも知れぬ。しかしそれによって大きな神の救いがあったとしたら、それを無償とは云わない。それを教訓として読む者は、「正しい」ところを重点にするか。救われて恵みをえることに重点を置くか。
 神仏を感じさせる作品は、それゆえに考え込んでしまう。何者かがおわすぞ、と確かに感じる。大声では云いたくはないが、何かはいる。体験としてもそれはある。
 しかししかし。星の銀貨以上のことを仮にしていたとしても、それで救われることなどないのだという現実をその重みをしっかと感じている者にとっては、辛い話になる。辛いが「よかったね」と口には出す。
 報われることのない道を生きるというのは、それを求めていないからだ。ひたすら歩いていき、着ている物もパンも心も剥ぎ取られ、差し出しながら、それでも歩いていくということだ。
 何のためか。そういう問いすら意味はないもののようにも思う。そう生きてきて、そう生きていくのだと。それ以外に何があるのだろう。歴史に名を残す。それを信じるほどおめでたくはない。恣意的なものだと熟知している。感化する。刺激する。作用する。それはそれくらいしかないだろうと思うから都合のいい言葉を用いて自他を誤魔化して、無理に位置づけようとしているくらいは知らぬわけではない。
 誰か見ていてくれる。本当にそうか。人は見たいところを見て、勝手に解釈していくのが通例ではないか。評価は得ようと思う者が得られるのが仕組みではなかったか。
 浅い者は深い者を拒否する。深い者は同じように深い者を認めようとはしない。粗を探す。長くやって挫けずやってようやく「あいつもよくやったよね」という程度が語られるのがほとんどだ。人は人の努力や研鑽を内心では認めたくないもののようだ。自分だって・・・。の心が尖ってもたげてくる。
 人の中に神も仏もある。それが一番納得しやすい。しかしその人神、人仏はなかなか理解の淵には行きたがらない厄介なものだ。
 何を求めているわけではないと云いつつ、正しく評価されたいと奥底で渇仰している。それがなければ苦悩は少ないはずなのだ。突き抜けると云い聞かせ、渇仰を宥め、日傘を差して歩いている。情けない者だ。
 それを語って、手から離してまた拾って手に握ろうとしている。愚だ。それが凡下である自己の魂の現実だ。
 誰にも知られず咲いて散る一輪の花。それが自然界の本質なのに。なんで見られ手折られることを望むのだろう。賢治はそれを見ていたと思う。だから厳しく分析批評しつつも、心の一端を彼は掴んで離さない。ちょっと微笑んで摘んだ手を伸ばし続けている。
 叫んで渇仰して、そして自嘲して後悔して、また歩く。それしかない。止まれば奈落。戻るも地獄。頼るものとてない。きっとずつと見ている存在があるのだろうと嘘でも思うしかない。だから悪いことはできない。心に背くことをしたり人に害を与えることはできない。そうして戒めて求道者としているのだと、上を向いたり横を向いたりして、ボク頑張るもんと、心で囁いている。
 自分に対して自分が、というのではあまりにさびしい。何者かが傍に寄り添って採点表とか分析コメントなどをつけているのだろうと思っていた方が、幾分か気は楽になる。
 実際は、人に対してそうあろうとしていくのが正しいのだろうと思う。渇仰している者を求めるのではなく、責重く無恥を省みず、人に対してボクがそういう存在になればいいのだと。
 「人の痛みを引き受けろ」「人を乗せる青き馬になれ」・・。何者か知らぬ存在から云われてきた。まだよく解釈はできない。ただきっと己が望むものを他に望まれよ、ということのようにも思えてきた。
 救うのではない。黙って肩に手を乗せて、ふっと微笑んでいる存在になれるかだ。ボクもな、君と同じものを抱えて背負ってきたさ。と言葉なく伝えられたら、感じさせることができたら、少しは楽になるのではないかと。
 これは欺瞞ではなさそうだ。偽善でもなさそうだ。人の荷を代わって背負ってはいけない。稲の束も担いではいけない。それは君の任だと見ているのが肝要ではないか。
 そして君は君以上の者にはなれないのかもね。だから君は君を大きく深く高くしないとさ。とでも云うのが精一杯なのかもしれない。
 云われることを望まず、云える者にならないと。しかしなんで救済の文学がこんなにあるのだ。なんで希望と期待で幻惑させるのだ。
 ひたむきに耐えて渇仰を抑えて転化して生きようとする者の決意をくすぐるのだ。弱さを露わにさせて何を求めようというのだ。
 そのうちボクに褒められることを嫌うかもしれないのに。

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8月21日 生活品遺産

2007年08月21日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1328号  公開993.(後7)  2007.8.21
「生活品遺産」

 古かろうが不便だろうが使えるうちは使うのがモノとのつきあいだ。長いことボクは使う人種らしい。四十年前のモノだってすぐ傍においてある。三十年前のものなどまだまだ新しい。ろくに使ってもいないし未だ使い方すら消化していないモノだってある。
 爪切りなんぞは15才で故郷を出るときから使っている。飾りは取れたが機能はなかなかのものだ。家の中をぶらぶらと散策してみたが、意外と多い。というよりもここ十年くらいで特に新しく仕入れたものが少ない。
 人の暮らしとはそんなに捨てて購入していく必要はないもののようだ。今では故郷の空き家よりもボクの家の方が古いものがある。
 案外早い頃から「一生モノ」という考えがあった。どうせ手にするならいいモノを。丈夫で使いやすくて変容性があり不可欠で多元的価値観に耐えられそうなもの。いわばモノ段階の民話や寓話のようなものを求めようとしていた。
 飽きるということはない。あればいい。爪切りなんぞはいくつあっても全部使うわけでもない。鋏もそうだ。
 そこにいくと箸というものは消耗品だ。木である必要はないとつくづく思う。といって銀というのも歯がガチガチしそうだ。不思議と箸を買ったことはない。どこかから貰っている。なんとかやっていけるものだ。高校の時に買ったフォークやナイフはまだ現役だ。
 昔の生活を知っている者が訪ねてきたら、なんとつましくなんと古臭いと思うだろう。ボクも親がいるときに故郷に帰ればそう思ったものだ。
 人の暮らしは三十年四十年などあっという間だ。生活そのものへの傾斜時間や意識にもよるのだろう。それは主ではないとする生き方をしていれば生活備品は温存されやすい。
 この消費万能社会ですらそうなのだ。ならば日本の家には五百年前とか千年前のモノがもっと残っていていいと思うのだが、これは少ない。
 捨てたか。脱ぎ捨てて省みなかったか。貴族の家でも散逸しているのだから地方の旧家やあるいは庶民などもっと残っていいはずだと思える。必要なものを手にしたら愛でていくのが庶民だ。
 金に換えるほどの価値もあるとは思えない。要はそれへの愛着とか固有の価値の認識という問題なのだろう。それに意外とあっさりとしていて、執着しなくなる気分があるのではないか。
 これは人生観とか生き方の領域の話になる。生きていくことに精一杯の段階とどう生きていくかを考えていく段階とはやはり違う。それはゆとりがあれば考えられるというのは厳密には嘘だろう。
 金の鉈も銀の鉈も必要なく、使い勝手のいい自分の鉈が金銀に勝るという考え方は、決して愚かなのではない。そこに金銀以上の価値を見出しているということだから、生き方の問題になる。
 そうであるなら、もっと残っていいはずだ。貧しいなら貧しいなりに。安物だって当たりモノというのがあって、丈夫だったりする。それも消えようとしている。
 古人の生活品を残していく文化は希薄なのかも知れぬ。ボクが死んだらこのボクと共に生きてきたモノはきっと処分される。それは固有だからと、多分そういう論理なのだろう。
 客観的評価が主観評価を形成する。逆でもいいし、案外客観評価などいい加減なものなのだから、それに組する必要はないと思うが、人もまた案外いい加減だ。
 一生使うものなどそれほど多くはない。少しあれば何とかなるものだ。潤いをモノに求めているとしてもそれは量でも質でもなく思いの領域だろうと思う。
 部屋も丁度も備品もその人の分身だと見る向きがある。それはきっと正しい。実に正直な世界かも知れぬ。
 白いハンカチを常に漂白して臨むことは眩しい。シミを消そうとしないで後生大事に持っていることは何か汚らしい気がする。漂白したとしても自然に素材が黄ばんでいくような、そういうことを歴史というのか。
 それで非言語空間の膨大さを包めるわけでも拭えるわけでもないのに。けれどそれ以上漂白すれば素材はボロボロになる。洗って破れて糸で修繕して・・・。
 捨てる、処分する。この行為を見つめてみなくてはならないようだ。なぜ古いものは残っていないか。捨てたからだ。残せないのではなく残さない理由を考えたい。ボクらは船を乗り換えて生きているのか。

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8月20日 フレッシュ論文

2007年08月20日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1327号  公開992.(後8)  2007.8.20
「フレッシュ論文」

 某業界では若い職員の論文競作をさせている。これには当初から関わっているし、厳しく指導もさせて貰っている。
 今年の分はつい先程終えたのだが、忘れないうちに感想を書き残しておきたいと思う。
 年々論文の力量は著しく低下している。新卒の諸君で初々しい。まだ学生や院生の気分が残っている。確かに文量はそこそこ書く。テーマ設定もいい。途中まで引っ張る力もある。しかしほとんどそこで力尽きている。
 尻切れであり、尻すぼみであり、中途半端なのだ。今回は気になって何度も見直して全体像を掴んでみようと試みた。
 総じて主張が前面化している。「私はこう考える」ということを波状的に連呼している。それは不可欠だが、論文はそれを客観的に実証していく過程が問われる。どうも「私の主張」と勘違いしている。
 しかも百歩譲ってそれも受け容れるとしてみても、一本調子の直線性で、傍証とか事例・デ-タ・引用・体験・・・などの素材が少ない。あってもひとつ程度。
 かつてのいろんな文献を引き写してまとめたなどという学習性も希薄だ。一つか二つの文献をそのまま下敷きにしている。
 アイデアはいい。組織と個人のテーマなどで「近江商人」を持ってきたり、「俊寛」を持ってきたり。だから冒頭は期待させる。しかし読み進むとその紹介であり、持論に連関させるだけの要点の抽出ができていない。それはそれ。でもっともらしく簡便に安易に帰結に持って行く。
 なにやってんだよ。と今回はかなり踏み込んでこうしたらいいのにということをコメントしていた。分析の対象としても未成熟過ぎる。
 相変わらず「環境」「企業不正」「少子高齢化」「団塊退職」などは題材になるが、根底に思索の触手を伸ばしていない。何を本質として捉えるべきかを躊躇している。
 哲学的追求は乏しい。環境は温暖化程度しかない。企業不正はコンプライアンス。これは面白くもなんともない。そこらのメディアや曲学阿世の文化人連中の発言の水準でしかない。だから底が浅い。作文研の特講生でもまだ気の効いたことは云う。
 組織と個人を対立的に考えるとのもそうだ。二十年前の学生ではあるまいし、思索の進化は日本の教育環境ではなかったかと首を傾げてしまう。企業文化もあるいはその程度なのだ。真に問う人間を採用し育むことをしないのだろう。使い捨ての労働観は浸透したのだろう。組織があって人がいる。それに圧倒感が生まれている。とすればそれと拮抗できるだけの個人の質は求められやすいはずが、はじめから敗退して逼塞してしまう。いったい磐石な組織なるものがいつどこにあったのだろう。そうしようという強固な意志で暫時可能であったとしても必ず瓦解しているではないか。
 既に病であり、既に崩壊している。それを無理やり糊塗しているのが現状だ。作って伸ばしていくところまでは面白いものだ。巨大化し安定したように見えるときが崩壊の序章だ。巨大化したとてそれがやっとスタートラインだと考えられる者はどれだけいるかだ。小功に甘んじている。
 相次ぐ企業不祥事なども根幹はそこの認識と意識にある。維持・存続・継続発展・利益追求。これを問えるだけの問題意識と生き方を若い諸君はどこで培ってこれたというのだろう。
 成果主義と減点主義。年功序列を崩し貢献と実績で組織は活性化すると唱えられてきた。それでいい場面もあるしそれでは駄目なものもある。疑わぬ者はそれが時流だと考えなしに乗る。そして困惑していく。成果を社員に問う企業もまた成果を市場にも社会にも問われている。ゆとりなどなくなり殊更評価観点を誇張するしかなくなる。
 いい加減に原点を見据えていいのに。
 大学は就職の世話などしなくていい。ただ真っ当な学生をきちんと育てればいい。半端なことをしているから半端な学生が世に出る。
 現社長や役員以上の知性や力量を若い諸君に求めていける態勢が作られないと進化などない。組織だけが組織の論理で進展していくだけだ。しかし人が組織の主体。可変性は常にあるのにだ。
 もっとフレッシュにもっと果敢で冒険がなくてはならない。就職して安泰という目的意識からは望むべくもないのだろうが、しかしボクはそれを指導を通じて喚起しなくてはならない。
 こいつら後期の特講に来たらいいのにと思う。きっとAクラスでも満足に持説を書けない。現に技法すら数倍もここの子たちは得ている。
 目先のテストや教師の評価を当てにしている者たちはいずれこうなる。世の中を知っているようで知らないリアリズムに突き動かされている。
 それも組織原理か。

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8月19日 臥所妄言

2007年08月19日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1326号  公開991.(後9)  2007.8.19
「臥所妄言」

 暑いといわれるけれど、籠っていればさして感じないものだ。別にウロウロと外を歩く必要も用事もない。年中暑いわけでもない。寒いときもあった。暑いなら暑いを体験すればそれだけのことだ。
 家に居て外気を入れず窓カーテンを閉めて、クーラーを回していればいい。ボクなど冬のタイツを着用し続けた。肩が冷えるのでマフラーも巻いていた。ぼんやり頭で冷静な分析や解析はできない。暑さと渋滞と睡眠不足は天敵として脳裏に刻まれている。
 だからボクには不思議なのだ。仕事の能率を低下させてまでなぜ外気温より二三度下げろという下らぬことを提唱するのか。それを守るのか。ならば40度なら37度に設定するか。そんなもの仕事になるはずはない。確実にボクは卒倒している。
 人には人の快適な仕事空間がある。人に指図されるべき必要はない。そのためにクーラーを買ったのだ。
 知人にクールビズ離婚騒動があった。奥方は真面目というか融通が利かないというか、ただ家に居るだけなのにクーラーはもったいないとできるだけつけずに我慢の日々を送っていたのだそうだ。旦那は盆もなく会社に行く。くたくたで帰宅するが家が冷えていない。それに奥方は暑さでフラフラになるらしくぐったりして迎える。自分の給料はクーラーも使えないくらい少ないとでも云うかと揉める。奥方も我が強いし暑くて機嫌が悪いから、どんなドタバタになるかは想像がつく。別れるの何だのと騒ぎになり、この旦那から相談を受けたという次第。
 暑いのに下らぬことを云ってくるなよとボクは邪険にすれば相手もムッとする。夏は誰でも機嫌が悪くなるのだ。どうでもいいことを人生の大事のように考えてしまう。要は自分への配慮ということを互いに思っている。齟齬だし心を被せられない。地球温暖化の防止のためにという理屈も奥方の論旨にはあるらしい。
 地球と俺とどっちが大事かとまるで子ども以下の言い分。勝手にやってろと突き放した。まだ迎えてくれるだけボクより恵まれているではないか。
 その後別れたという連絡もない。ぶつぶつ云いながら仲良くやっているのだ。
 臨機応変というもので、暑いなら冷やせばいい。過ぎることは制御しようよという程度でいい。何が主役かをこういうマニュアル時代は忘れかけてしまう。
 気候はおかしいねと何年も前からみんな感じている。しかししていることはクールビズだのクーラー使い過ぎだのとなんとも卑近。その無為無策で気温は上がり、観測史上最高になり、暑さで死者が出ている。何の手も打てない。
 為政者の能がないからで、毎年着々と効果を生み出す生活生存防衛策を講じなくてはならないはずなのだ。
 窓に熱転換のシールを貼るもよし、室外機の改善部品を供給するもよし、道路の照り返しを吸収する塗装もよし。何でもできる。死者の増加と気温の上昇は本来は大問題なのだ。その認識があっても目が地球に向いて個々人の生存生活に向いていない。愚かなものだ。そのための開発競争こそヒートアップさせればいい。温暖化対応ビジネス、結構だ。先日も住友信託の金井氏とそんな話で盛り上がっていた。
 打つ手が脆弱だ。
 貼り付け亀のように人は地球に張り付いている。しかし何のための科学や技術や思想だったのだ。いずれ沈んだり変化する土地を買って家を建てる。そんなことのどこか当たり前なのだろう。巨大タイヤのついた都市そのものを家屋とするとかそれを連結させるとか、いくらでも高度集約的に生存空間は作れる。
 自然災害はメカニズムがわかってきているのだから、既に人災ではないか。地に満る必要もない。
 総合化・統合化の段階に来ているのだ。文明はみんな同じ道を辿らなくてはならないという原理はない。本当はいい時期なのだが。
 「私」「私有資産」「家族」・・・。根本を問わないとただ膨張し利害調整の原理だけが動く。
 室内を三度下げて気温が40度。さてさて苦笑する気にもなれない。頭を冷やして考えろというところかな。

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8月18日 36中観

2007年08月18日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1325号  公開990.(後10)  2007.8.18
「36中観」


人中龍有り
人中魔有り
掌中珠有り
珠中瑕有り
眼中三千世界有り
眼中無有り
無中我有り
我中排有り
理中情有り
情中悲有り
悲中念有り
念中慈有り
慈中怒有り
怒中火有り
火中凛有り
凛中意有り
意中空有り
空中恕有り
恕中界有り
界中序有り
序中差有り
差中願有り
願中結有り
結中破有り
破中建有り
建中賢有り
賢中愚有り
愚中真有り
真中思有り
思中呑有り
呑中貧有り
貧中俗有り
俗中敏有り
敏中粗有り
粗中礎有り
礎中人有り。・・・・・・・・一周しちゃった。

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8月17日 旧盆風景②

2007年08月17日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1324号  公開989.(後11)  2007.8.17
「旧盆風景②」

 そう云えば三日間の臥所生活でいろんな発見があった。テレビは枕元でつけている。見ることは態勢的に面妖だが、音は聞こえる。言葉が形になって部屋の中を乱舞している。
 気がついたが「おらんだ左近」など昔のドラマのセリフはなんとも聞きづらい。特に女優の言葉が判然としないでウジウジして早口で口ごもりがちだ。そんな時代もあったのだ。
 夜中にNHKでメジャーというアニメをやっている。きっと再放送だろうがそんなものは知らなかった。このエンディングの歌が可笑しい。「しょぼい顔すんなよベイビー・・」とかいう歌い出しなのだ。そのベイビーをベイベーと歌う。メリケン波止場みたいなもので発音としては正しい。しかし「可愛いベイビー。ハイハイ」を知っている身としてはここまで侵食されたのかと感慨はひとしおになる。
 その後に突然笑い出した箇所があった。「・・・俺たちバカは」と歌うのだ。なんのケレンのない。陽性で堂々と「バカは」と。ボクはあまり一人で声を出して笑うことはない。第一気持ち悪い。鼻でふふと笑うくらいが丁度いいと自然に身についてしまっている。ましてや深夜二時前後。寝ている。それがだ。可笑しくて笑い出し、堪えてまた笑う。一夜に二回分の放送があるのだが、その二回とも声が出て笑う。毎日放送しているから毎日笑う。懲りないものだ。そして起き上がってしまうのだ。
 バカにもようやく市民権が得られたと見える。今も思い出して吹き出している。メジャーというアニメは成り行きで見ていてなんら期待していたわけではないのだが、隠れファンになってしまったようだ。タッチと巨人の星の印象を引き摺っているからそれを超えるものはないだろうし、あっても面倒な気がしていた。
 主人公は怪物級の野球センスを持つ高校生。それが周囲の理解がなくまた抑えられていて実力の物凄さを示せない。観客としてのボクは目に物見せてやれ、という心境になるもので、主人公を見下していた人たちが唖然とする顔を見せることで、してやったり、ザマーミロの快哉を心密かに、いやいや大声で叫ぶのだ。
 こういう話は面白い。期するものもある。巨人の星ではじめて星飛雄馬を試合で見た左門豊作が「恐るべき投手が隠れいた」とノートに書くシーンなど未だ頭に焼き付いている。タッチもそうだ。あてにされない馬鹿兄が実は弟以上の実力だと周囲に認められていく過程が痛快だった。
 「隠れいた」・・。いい言葉だ。隠遁・隠棲・隠者。そこにとんでもない者いる。実力がありながらも世に受け入れられず、受け入られる術を知っていても使えずに悶々としている群れ。
 その大半は本当は力はないのかもしれない。そうでもしていないと自分が一層惨めっぽくなるからかもしれない。
 しかし本物もいる。アニメではなく実際にいる。大体は本人も気付かない。気付いて何とかしようとすればこぢんまりとする。
 知らずに大成したら面白いと思うが、人間とは殊の外、何者かであろうとする気持ちに弱いものと見える。
 組織社会は出来物は潰すのが組織安泰の原理だ。個人プレーなど寛恕の限度がある。巨人の星の時代はまだ草創期だったのだろう。タッチはとぼけ、メジャーは開き直る。
 しかし悲しい。実力の差がまざまざと見せ付けられる。人はそれを恐れるのだ。一体自分はなんだったのかと、過去もそれなりの努力ももろともに圧倒され自壊していく気分になるのだ。
 だから抑える。溶かしていく。チョボチョボにしていくのだ。渇望しながら現実は逆に動く。自負が強まった時代の傾向だ。
 「俺たちバカは」。面白い。そう開き直って擬制と自負のスパイラルを笑い飛ばしていくか。こういう時代は才能は本当は開花しやすい。セオリーなど無視したっていいのだ。
 そのために才能者は隠れていい。一生そのままでもいい。逆に動くこともまた真なりだ。
 しかしなんとアッケラカンとしたものか。忸怩たるものがない。抑えている棒がまた外された気もしてくる。それがメジャーということか。
 内面の中世をボクらは消していけるのか。そうか、だから「・・バカは」なのか。
 ところでボクはなんで破顔大笑したのかな。

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