日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

1月31日 それぞれ

2009年01月31日 | Weblog
日刊ミヤガワ1857号 2008 1.31

「それぞれ」

面白い日もあるものだ。アポ客の半分が風邪だの何だのでキャンセル。ポッカリ時間は空くはずなのに突然慶応の果苗は入ってくる。福田和也氏のゼミにいるのだという。もう四年。編集の仕事をするのだと話していった。小六の二月に突然私学に行きたいと言い出して、中村学園の校長に頼んで試験を受けさせてもらった。そしたら特待生になってあれよあれよという間に学校のトップになっていった。SFCiに合格したのをはじめあっちもこっちも合格していた。お茶大に行けと云ったが、今時の子は慶応に惹かれるらしい。一人で中村の実績を上げていた。そんなことも思い出していた。場所を得れば伸びる子は伸びる。御三家に入ったから約束されるわけでもない。水を得るということはあるのだ。
まったく変わっていない。背もそのままではないかとさえ思った。学校でいつも噂になるのもいいものだ。この子は先生たちに大切にされていた。期待の星だったから。
力ある子はあえて中堅私学に行けば伸び伸びすることもある。いい娘になっていた。相変わらずチャラチャラ気がない。
今度は例の京大のハエ研究の石田が突然来た。修士論文を提出してきたと、またボクにも持って来た。何だか標題からして分からない。記号なんぞが羅列してある。中をめくったらハエの目玉の主審などがいくつも載っていた。へえーとかほーとかめくりながらことばを発していたが、正直に云えば全然分からない。それでも懸命に研究して書いたんだなと分厚い論文をめくっていた。じっくり読んで次には質問しようと思った。
丁度講義も始まっていたときだったから、少しハエの話でもしろと云ったら「ハエは人と同じです」とかなんとか喋っていた。集団性がなくて個別行動なんだとか、他の生き物の餌になりやすいとか、三千個の卵を生むとか。石田がいなかったらきっとそんなことは一生知らずに済んだ。生徒たちの中には憧れの顔で見ている子もいた。ボクもハエやろうかななどと云っている。お前は止めろ。トンボにしろ、などと。
今度は米国に行く。暫く日本にいるというから、講義に来てハエだけでなく生命科学の話でもしてくれと云っといた。
思いがけぬ来客は嬉しい。空いた時間がすっぽりと埋まる。ニッポン放送とポピーがキャンセルだったんだな。
原点からスタートの一回目だ。「違い」をやった。一番初めは作文用紙の紙飛行機だったと話したらびっくりしていた。石田や果苗むよりも少し若いときのボクだ。無茶なことをしていた。手探りだった。それに比べれば彼らはしっかりしている。教え子が眩しくなるときがあるものだ。
亮介も年明け初めて顔を出した。去年は彼の卒論を読んでいた。都立推薦の小論文など指導をしていたという。何を教えているものだか心配もあるが、小僧もいつしか若僧になる。ボクにとってのこの12年はさして変化はないが、彼らは大きくなった。同じ時を生きているのに。
この間顔を出した学習院の深井は検事になると決めたようだ。彼が十年カレンダーを感慨深く見ながら、もう十年になるんだなぁとつぶやいていた。片手を壁につきながら、壁を見て云っていた。その姿が残る。
お前たちはこの月日をどう生きるんだろうなと当時語っていた。
美香も父上の会計士さんと共に来ていた。神保町にオープンしたという高そうなドーナツを持ってきた。仲のいい親子だ。もう三十路になる。結婚などしないのだそうだ。そんな娘を68になる父は目を細めて笑っている。
みんな違う。独自を生きている。
深夜三時・・。一仕事終えて石田の論文をめくりながらドーナツを齧っている。まだまだしっかりしてなきゃな。戒名考えてる場合じゃないな。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月30日 ピーク

2009年01月30日 | Weblog
日刊ミヤガワ1856号 2008 1.30

「ピーク」

日刊を書き忘れるほど仕事の山に囲まれている。分析は今週が山。あぁ対談本はあるし、次の本はあるし、毎小も書き忘れて催促されて焦る。そんな時に限って一晩かけた分析結果が相手方に文字化けして何度も送り直す。そんなものなんだなと頬を掻く。
そういう日に限ってラジオの生放送が入る。20分も喋ってしまった。しかも大分放送。かつての教え子がいるからと聞きなさいメールを送ったが、宮崎だってばと返信が来た。それでも聞こうとすれば聞けると送り返したが返事はない。
オバマから始まって作文やスピーチの極意について喋った。頭が朦朧としているから何を喋ったかは記憶にない。ただローカルではもったいないと終わってから思っていた。
本当は体が先週辺りからきつくなっているのだが、没頭していると元気になる。困った体質だ。疲れて少し仮眠を取ると足はジタバタ騒いでいるし、脳幹からチョロチョロと首の変に流れ来るもねのを感じる。ギョッとするが血液も一端休むのだろうと都合よく解釈する。
相談事のメールもあるがなかなか返事まではいかない。こんなときもある。山が低くなっていく快感だけがある。明日は一時から何組もの客が来る。五週目だが講義はする。12時までに仕上げなくてはならないがどうも覚束なくなってきた。延ばせば先がきつくなる。
ここを越したら楽になる。そういう峠の坂道の真ん中にいる。
そんな時はいろんな構想が生まれる。毎年そうだが、このピーク時にほぼ一年間の為すべきことが決定される。例えば講義は原点からずっと軌跡を辿ることをしようと決めた。これは見学も可。収録も可とする。そして現在の到達地点まで、一年くらい掛かるかな、やってみようと思った。これはボクが記録するのでなく希望者にさせよう。多分なんらかの体系はできる。また不備も見える。集成としてみたい。作文なんか嫌いだよん、という原点から。したいと思いつつしなかった。辿ってみたい。
二月の後半と五月と九月に講演会をやる。一年間学士会館の講演会はしていない。一年は執筆に没頭した。これでも心血を注いだ。もう少しで出口が見える。これはやらないといけない。自主講座はボクには不可欠だ。
企業論文は少し底上げになってきたがまだ教育性が弱い。啓発が必要だ。分析から見えた言語状況に立脚した教育政策が必要になる。真っ当な指導者がいないと考えられる。育てなくてはならない。
などなど。空間が限定されると思考は拡大していく。こんなことを考えながらまた一年を作り上げる。ボクにはこの時間は肝要なのだと痛感する。
やるしかない。そう追い込んでやってきた。生きることに意味や理屈をどれだけつけても大したことはない。生きている以上やるしかないことをやるだけのことなのだと、忙殺の渦中でこそ確認できる。ぼんやりしていたらボクはきっとロクなことはない。思考が自傷に直結してしまう。
人は持つていくものと残すものと秘して残すものと選別しなくてはならない。そうはいっても何も残せるものではない。それは未練というもの。分かっていて選別していく。
やはり三千年は生きたいものだ。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月29日 福祉

2009年01月29日 | Weblog
日刊ミヤガワ1855号 2008 1.29

「福祉」

障害者の「害」を「がい」と記述している。思想は分かる。ならば障害ということばにこだわる必要はない。別な言葉を作ればいい。厚い情の言葉遣いを意図してるのだろう。配慮は尊いが何か釈然としない。
特別のカテゴリーで括る必要はないのではないかとすら思ってしまう。健常なるものが所詮は標準なのだと考えるならば世の中に果して健常者はいるのかと思えてくる。
地域に根差した福祉活動を考えていた。多くの人たちはボランティアを要素に上げている。麗しいが牧歌論だろうなと思う。恣意的だから。強制や義務化したボランティアは定着して行くものだろうかと疑問に思う。学校で老人施設に行くなどはあっていい。求められるから。必要だから。しかし本当はそう云うことじゃない、そんなことをしなくても良かったはずなのだ。
助け合う文化が衰退して、行政機関が担うという。しかしやりきれないからボランティアに参画してもらう。こり図式のなんと愚かしいことか。
始めから担うなどと云わなきゃいい。ここまではしますと云えばいいのだ。後はできないと。助け合う環境を醸成すべき行政が、ただ依存を促すから、任せればいいと人々は考えてしまう。施策の誤りは簡単には是正できないものだ。挙句もっと金があればいいとか地域の協力をと連呼する。土台が間違っていることに気がつかないといけない。
合理的な思想とすれば、福祉対象者は一箇所にでもまとめてケアしていけば楽だろう。じっさいろんとしてはそうなるし、そうなっている。しかし独居老人が一軒に住んでいたとしてもそれが迷惑なのではない。「いるかい」とでも云って上がりこんで茶でも飲んでいればいい。それが自然なのだ。ただもうそれはノスタルジフだ。孤独であることに馴れて不信感だけを募らせた。犯罪も増えたし因業老人もいる。「普通」の生活がしにくくなったら施設に入った貰ったほうが地域は安全だ。火事だっていつ起きるか沸かせない。
都会など゛結局は村でしかなかったのを証明しているのだから、挨拶でも会釈でもし続けていたらいい。ボクは最近気さくに挨拶をして相手が知らん顔をしていると、口はないのかと叱り付けることにしている。肩で風切る兄さんや気取ったバカ娘などは徹底して叱る。通り過ごして困ったもんだと述懐するのは止めにした。社会教育の基本としてある。
困っている人やヨタヨタした人を助ける子どもは偉いのではない。そんなことは当たり前なのだ。褒める人をボクは疑う。
この間不覚にも神保町を歩いていてよろけた。通りすがりの人が二人とっさに支えてくれた。大丈夫ですか。と心配そうに顔を覗き込む。申し訳ありません。お手を煩わせてとボクは帽子を取って謝した。お互い様です。お気をつけてと微笑みながら車に乗るまで見ていてくれた。
そんなことがあった。人の情けというのはされないと分からない。以来今度は助ける相手を探すがそうそう見つかるものでもない。
福祉というのはそんな当たり前のことなのだと思う。制度や政策などあれこれやっていりゃいいだろう。そこにもあるがボクは日常の身近なところにそれを見い出して育んでみたい。
困ったいたら助ければいい。人が互いに編んでいくその絡みのサポートが制度だろう。制度の下に人がいるのではない。
行き過ぎた福祉思想は人を歪曲させる。お人好しで世話好きで御節介で勤勉でそこに良識があるのが日本の伝統的な人柄だ。戻ればいい。戻れなかったら作ればいい。機械的になる必要はどこにもない。
百の理屈よりもそのとき支える手のぬくもり。ボクはまだそれが腕に残っている。自然の情にはただ素直に心が反応するものだ。

しかし・・。フラフラ歩くのも世間様の迷惑になる。歩くのも真剣になってしまった。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月28日 造花

2009年01月28日 | Weblog
日刊ミヤガワ1854号 2008 1.28

「造花」

「義務でなく、金でなく、駆け引きでなく、取引でなく、お礼でもなく、押し付けでなく、そんな人がいたんだ。魂はくすぐったそうに喜んだ。身震いしてね。魂が声を立てて笑うんだよ。
遠い昔、ほんの一時。苦痛に体は呻いていても、芯からなんとかしようと思えてくるんだな。命を延ばして貰った。
いつも身構えていたからね。心は預けられないけれど、そんなことはできないけれど、魂は笑顔で休息できたさ。嘘のような話だろ。嘘かもしれない。嘘ならまだよかったんだ。
神様がこの人を届けてくれたと思ったさ。無にできる人。人の評判など知らない。ただ無になっていける人だった。
その記憶があるから虚ろになる。いなくなったからね。当然いなくなるさ。そういうものだもの。追えるものか。誰といたって、何千人といたって、それから魂は深く眠ったまま。
真剣になれば、心を尽くせば、人は変わるし応えてくれるとやってみた。ずっとずっとやり続けた。無になるまでもやったさ。本当だよ。できるんだ。
でもさ。やっぱり違うんだ。もう心を読むことに慣れてしまった。そうしないと表情が作れなくなった。もどかしいさ。
一人じゃ生きられない。それは本当だ。だから孤立していくんだ。不信だなんて口にしてバカみたいにな。求めていた。気がついたら依怙地になっていた。真剣であれば出会えると思っていた。
違うんだね。出会えたのは前より淋しい自分だけさ。人は淋しがり屋と指差して笑うだけ。
淋しそうな人に出会うんだ。元気付けるのさ。
造花でいい。赤い花と白い花。もうそれで充分だ。生の匂いを一掃してただ盛期の名残を暫くとどめていてくれたらいい。部屋中を造花で埋め尽くしてもいい。生の花が身が縮んでしまうくらいの圧倒的な造花、華麗な写し身をこの空虚に纏わせよう。
その中で笑って、いつそこから抜けても心は痛まない。自嘲だけしていられる。
求めていたんじゃない。しがみつきたかったんだ。」



「よくまあそんなことが云えたもんだわ。そんなことはあったり前なんだよ。みんなそうなんだよ。馬鹿だねー、なんで口にするの。あーやだやだ。湿っぽいのは乾燥期にしてくれないかなぁ、。魂が微笑んだ・・・ケッ。魂の休息・・、ケッ。しゃあしゃうと。あー恥ずかしい。聞いてるこっちが赤くなるよ。造花でも何でも部屋中送ってやるよ。そんなに広い部屋でもないし。満喫しな。その内飽きるんだろうに。飽きて処分に困るくせに。感傷的になるならな、もっと高尚な次元で高尚な言葉でやってみろや。分かる人に漠然と伝わるようにさ。読解に匹敵するようにな。お前さんは物欲し気なんだよ。誰が寄っていくものか。曰くある者だけだよ。そうさ。だから孤独なんだよ。ロクな奴はお前さんに近づかないよ。尊い三流の同情を受けて、これじゃないと泣いてろや。ちょっと忙しいからさ。しなくちゃならないことが山ほどあってよ。お前さんの五秒ほどでケリがつく問題に対面してみせる気はないんだな。働け。バカ。あー。疎ましい。一人芝居もたいがいにしろよ。黙ってな。我慢だけして。笑って死んできゃいいんだよ。一人だけでもいたんだろ、よかったじゃねーか。俺、いねーし。いたっていねーし。とっとっと。また話しちゃった。本当に忙しいから。締め切りなんだよ.行くよ。おっ、どこ引っ張ってんだよ。俺にしがみつくな。もうたくさんなんだよ。て云うかさぁ、寝そべっていてズボンの裾持つのやめろよな。・・・」

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月27日 バランス

2009年01月27日 | Weblog
日刊ミヤガワ1853号 2008 1.27

「バランス」

子どもたち聞いてみた。朝食ご飯と味噌汁を食しているところが多い。梅干があったり、海苔があったり。漬物があったりする。味噌汁も豆腐だのわかめだの麩だの、納豆汁などというのもある。
全員に聞いたわけではない。ほんの何十人かだ。しかし聞いた限りではなかなか健全というか、一頃から日本の食卓に回帰している印象を受けた。
てっきり食パンと牛乳とサラダとフルーツなどがまだ続いているのかしらんと思っていた。時期が来ればまた軌道修正ができる。生活現場に息づく縦糸は何かの契機があれば、いつでも修復するものだと少し感慨を持った。
魚は夜食べるのだそうだ。手間が掛かる。臭いも残る。納得できる。飽食の中でこそ選び取ることはできる。ハイカラで知的な母たちの顔を浮かべていた。そんな地味な食卓を描くようには見えないのだが、その落差が教養だと再確認できる。
何でも食べられる。食べてきたのだろう。しかし日常の食事はそうしたところに落ち着く。一時期あった家庭レストランの雰囲気は衰退している。外食文化も控えられている。これは不況が原因ではないようだ。人の健康についての成熟した認識があるのだろう。
摂取一辺倒のボクなどは学ばなくてはならないと思えた。日本の子たちもバランスを得てきたのだなと、バブル食の後20年間の推移を振り返った。
食は知性と教養だ。量でも質でも値段でもない。しかも家庭、個人に固有のものでもある。これは哲学なのだ。
自給率を五割に上げたいのだという。遅きに失しているがここでも当然の縦糸見えてきている。イベリコ豚である必要はない。農業への意識改革は今後必至だ。食べるものは自分たちで作るという文化を記憶しているボクらは、もっとその流れを促進しなくてはならないのだろう。これは買う文化に馴らされた身には新鮮な思い出になる。これはゆとりや心の幅なのだろう。閉ざして急進化してきた。
毎年パンパンのスケジュールときつい体調のなかで思い描く。週半分は山里の生活があっていい。それを毎年思っては、先送りしている。
木村かのんが、将来作家になったら長野の森の中で踏み物やガーデニングをしながら過ごすと作文を書いたのが、心に刺さる。それはきっと理想だったのだ。
その山里発の作文コンクールでもしたらいい。言葉興しはそんな山村僻地でせこそ大切なようにも思う。地理的底辺と東京のど真ん中。サンドイッチ作戦が今後は必要だろう。
どうせ燃え切って朽ちる生き方だ。もっともっと見据えなくてはならないものが多すぎる。
晴耕雨読とは確かに君子の指標だろう。体もだが自然に則した精神の在り方の原点と思える。それは飛躍しないと生きられないと子どものときから課してきたことへの回顧でもある。
語らなくてもよかったのだ。ただ静謐であってもよかった。語らないのは敗北ではない。語るべきものを持たぬことが敗北なのだ。
誰もいない山里に梅を植え、箱庭を描いている。愚かなことなのに、なくてはならぬことのように思っている。痴夢というべきか。
そんな牧歌がまだ頭の一角を示していることにバランスを感じる。それは見果てぬものであるほどいい。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月26日 こぶ爺

2009年01月26日 | Weblog
日刊ミヤガワ1852号 2008 1.26

「こぶ爺」

二人いたら二人は特殊だ。あの爺はやはり脱落してもらわなくてはな。案の定普通の感覚の奴だから、こぶを取りたいらしい。
馬鹿なものだ。コンプレックスを払拭したら心が晴れて人生は輝くとでも思っている。整形したら人生が変わると信じるそこらの馬鹿娘と同質だ。年ばかり重ねて何を会得したのやら。
こぶ、いいではないか。もうそれで人生の大半を生きている。恥ずかしいも気後れもそんなものはささいな気の持ちようさ。
こぶを洗ってこぶに生えた毛を抜いたではないか。それどころかオイルで磨きをかけたりもしている。気にしていることを気取られぬようにする?
内供ではあるまいし、そんな衒いはない。プライドなどで苦悩するほどのものでもない。気にして見せていいではないか。俗人に紛れて俗的であって人は認知する。自分の悲劇を語り笑われるほどの痛感はないものだ。人はそれで安心して向いいれてくれるものだ。
鬼に気に入られて取ってもらう。そんなかんたんなことのために人生の大半を費やしたか、馬鹿馬鹿しい。そしてあの爺の舞い。乗りはいいが悪乗りだ。千載一遇のチャンス。気に入られようと精一杯の媚。パフォーマンスか。鬼に今後隷属することを村中に宣言するようなもの。なんとみっともない。なんと醜い。お前のこぶは根が深そうだ。悪性になっているな。
わしはお前の舞を眺めていて、決断したのだ。怯懦を決め込もうとね。下手に魔って鬼どもの機嫌を損なわせるのだ。殺さない。その確信はある。見捨てられる。排除される。従属しないことは名誉なことなのだよ。こぶを貰った。結構なことだ。
村人は、わしを蔑むか。笑い者にするか。一時はな。しかしこぶなし爺はどうだ。重荷のなくなったものは当初は慶賀されても、そのうちに飽きられる。相手にされなくなる。道に迷う。しかも鬼の一味。鬼籍に入るのだよ。
わしはますます固有になる。二こぶ爺。鬼に屈しなかったとね。遠くから見に来るよ。人間の大方は臆病なものだ。だから悪乗りもする。絶対権力に阿る。しかしそれで得たものは本当に価値があるのかといずれ人々は疑問を持つものだ。
しかもそんなに簡単に手に入るものに。取って取れぬがこぶ。切れば消えるがこぶか。なんと愚かな。
自分が背負っているものを自覚して自分の形は作っていくものだ。四本足の大根はそれが生きる形なのだ。
二つこぶを得てからバランスが良くなった。福相になっている。毎朝鏡を見るりが楽しみでな。背負って背負ってそれを消化して楽しむ境地もあるのだ。切って捨てて楽になる生き方もあるのだろうがな。

生きるとか生き残るというのは、鬼に見捨てられることかな。お陰で長生きできそうだ。こぶをつけてる幼魚はそこに栄養素を溜めている。幼魚はそれをみっともないと恥じるか.ハッハッハ。これはいいこじ付けだ。


こぶとりの民話はどうも変だ。日本民話にしては単純すぎる。取ってもらった方がいいようなイメージが強い。日本の伝統的不条理はそんなに短絡ではない。気になっている。
読者に迎合を促している。これは帰依ではない。妙な話だ。冬からまたこだわっている。いやこだわって見せている。そう。書くことはこだわることでなく、こだわりを見せることだと最近確認した。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月25日 しじみ汁

2009年01月25日 | Weblog
日刊ミヤガワ1851号 2008 1.25

「しじみ汁」

しじみ汁を日々食している。例の少女趣味の連ドラの影響も少しはある。これでも肝臓腎臓にいいものをと思っているのだ。健気なものだ。エキスだけではしじみに申し訳ないから身も突く。このチマチマした仕草が愛おしくなる。大粒のしじみであれば興醒めだ。精一杯生きてもこのサイズかなという心が濃縮している小粒がいい。殻も潰して食べると云うが、そこまでのこだわりはない。幾許かの痕跡は残したい。人があえて骨を残して置くようなものだ。完全に消去させるには忍びない。
最近牛乳は評判がよくないと知った。子どもの頃はそれさえ飲んでいれば健康になるなどと信仰のように喧伝されていた。それが残っているから何かあると牛乳や飲むヨーグルトなんぞを喉を鳴らして飲む。これがまた効果覿面なのだ。健康管理とは宗教の原理が必ず付き纏う。多分自己暗示なのだろうとは予測するが、ボクには効く。
夏以来腎臓が弱まっていると自覚しているし、関わる人たちも云う。そうなのだろう。疲れると浮腫みが酷くなる。今日もアンヨが浮腫みちゃん、今日は腿も浮腫みちゃん、などと撫でている。パンパンニなる時もある。寝て萎むこともある。明確に変化が見えることが愛おしい。労わりたくなる。
これは大変な進歩なのだろう。俗物化への行程なのだろう。
浮腫むと機嫌が悪くなる。溜息が増加する。そして仕事にはやたら没頭する。ボクの腎臓君はやはりボクの生き方を規定している。それなりの今の環境を整えようとしている。これは腎臓君の暗黙の指示なのだと悟る。
確かにあと二ヶ月近くは没入しなくてはならない。動くな座ってろと指示している。内臓諸氏もまた自己内他者なのだ。
しじみ汁もみかんも青リンゴも卵焼きも彼が望んでいる。弱弱しい彼の切望を感じる。活力を回復したいと希求しているのだ。その彼を無視は出来ない。
内臓の声を聞く。これはいい。時として別々なことを叫んでいる。それを調整する臓器もある。全器官活性化論。これは高度なアクロバットが求められる。やはりそこに集約的な知性が現れるのだろう。
意志など集合性なのだ。勝ち残った者の特権ではない。それぞれの諸氏がどこに向おうとしているのかは定かではない。忠実に機能を遂行するだけというのも可哀想な気がする。機能分離したのは意味があり、過程である。ひとつひとつに生物の進化の歴史が体現されている。
内なる声を聞け、か。読解とはやはり自己との対話になる。健康問題などはそうした基本性を熟知していないと効果的にならないのではないか。
今日も二月の講演会の主催者から連絡が入っていた。なぜかボクは機嫌が悪い。辛抱強く話す相手は偉い。兵庫の航行からも取材があった。校歌についての研究をしている。何とかコンクールに大研究なのだそうだ。一時間も受けていた。機嫌が悪かったが、あまりに素朴で真剣なものだから、気がついたらこちらの方が更に真剣になっていた。純情な高校生もいる。
かつての教え子が母になり、子が小学校に入学するから教室に入りたいとメールが来ていた。文面を眺めていて不覚にも涙が零れた。翻訳をしているというこの子はプアゾンより前の子だった。孫だよなと返信していた。
腎臓君の声をもっと聞こう。外の声と呼応している。しかしいずれ諸君も経験するだろうが、浮腫みちゃんは辛いものだ。体が他者になっている。そして毒素が出てくるのだろうが掻いた後が残る。惨めなものだ。
臓器諸氏はアースを求めていると思えた。それが何かだ。この程度なんだよと思えない暴君に仕えている諸氏はきっと苦悶し呻いている。ここから変態して羽が出来たらいい。もっとやりたいことを果敢にやっていればよかったか。「おいおい」と別な臓器が窘めている。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月24日 オバマ雑感

2009年01月24日 | Weblog
日刊ミヤガワ1850号 2008 1.24

「オバマ雑感」

就任演説の基本は理念言辞にあった。時間を掛けて練り込み過ぎている。選んだ挙句の抽象化に少し鼻白む。照れくさくなる。若々しい気負いがあった。当該既定言辞の連結。分かりやすいかは疑問だ。語感とそれをこの人が語るということに始めから酔い気分で言葉を受け止めている。
「父の子」の箇所と「寒い建国の進軍」の箇所は秀逸。つまりエピソードが場面化している。それらを意義付ける文脈にはしつこさがある。後世に残る演説を意識している。
この概念性が強い表現は目標・指針を指差し、鼓舞していく基本理念だから、建国理念・国是・宗教的基盤が、共通言語として把握されていないと浮く。米国民にそれはあり、それを聞いている日本人には、学習到達目標のように映る。きっとカッコいい言葉、カッコいい国と映るはずだ。正しい理念と目標を実際現場で耳にしているからだ。そして日本の政治家は・・と省みる。そしてきっと後進性を感じ取る。多くの国民はそうなのではないか。
既に何回か述べてきたが、これは起死回生の政治ショーとしてある。民選の王は世界に君臨しこえうとする時に、より広汎なコスモスを集約し、マイナスを一挙的にプラスに転化させる必要がある。
ここ一連のショーは世界が米国の属国になるかのような作用を実際の意識の面で引き起こした。PRの原理に忠実だ。
大ヒットする映画を見続けている。バーチャルはこういう軌跡を示していくのだと、これこそ研究テーマになる。9.11後の米国の憤慨と意思統一の昂揚感と同一の軌跡にある。
武を背後に隠しながら、統一できそうな理念言語、上昇していく概念を示していくことで、フアンの心理を鷲掴みにする。
武からの転進の一手法なのだが、それは人を酔わせていく。今日的な知的扇動者の典型をボクは見ている気になる。あるいはヒトラーの延長線上にある。皆が「正しい」と酔うことで、正しいファシズムは形成されていく。
米国を世界にPRしている。アフリカ系も有色人も反米国家もそこに進んで取り込まれていく。忘れてはいけない。米国の挙国一致は米国の国内事情にある。世界を一致させるものに錯覚してはならない。
環境問題で提唱してきた「主語上昇」。その典型は「We}にあることを見抜かなくてはいけない。私、でも我が国でもない。我々。そこに日本の国民はふと吸い込まれていく。特に無菌状態の人々はそうなる。
演説の中の主語を綿密に精査してみたらいい。言語戦略を把握することは出来るはずだ。表現と読解の絶好の教材だ。そこに国際情勢も国家論も心理もメディア論もほぼ全てか網羅されている。関連はそういうところに具現する。
何を語ったかをコメントしている人たちは低次元だ。どう語ろうとしたかを分析しないと評価は出来ない。その意味では深夜早朝の各番組の解説者の資質が露呈してそれもまたいい教材にはなった。
この演説に距離を置いてやや冷ややかに眺めている米国の具眼の知識層に対応していける日本人の層はどれだけあるか。興味深い。
日本も建国し続けている。ずっとそうだ。米国の何倍もの時を費やしている。ただ国についての考え方と基盤が違う。この国は理念を求めて作ったニュータウンではない。そこに立脚したときにどんな独自の理念や概念が語られるか。あるいはそうではない質の言葉になるのか。省みるならそれを自己に突きつけないとならない。
20分は要らない。半分でよかった。輪郭は一層鮮明になった気がする。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月23日 評判・・か

2009年01月23日 | Weblog
日刊ミヤガワ1849号 2008 1.23

「評判・・か」

人の心には無数の自分がいる。それは無数の他者を宿しているからかも知れない。統一した自己は見せるものだし見られるものだ。誤解は招くものだし招かれるものだ。
それを怖がるのだ。なぜなら人は誤解こそ強大な波になることを知っているから。評判がいいとか評判が悪いとか、そういうことばかり話したり気にしたりする人がいる。
自分が無限なのだから、人は分かりやすく分かろうとする。それを確めるほどの真剣さなどない。悪意の評判など意図的ならば面白がって尾鰭がつく。褒めたいよりもやっかみが人を突き動かすものらしい。
相対化していきたいのだろう。している自分は密かに樽の中で絶対化している。それに乗る連中も単純に信じる人もいるが、似たような絶対化を図ろうとする人もいる。
自分で判断するほどの必要も、必然もないのなら、適当に話を聞いて、不思議とそう云う話は耳に残るものだ。
ボクはそういうのがトコトン唾棄していて、昔から指弾されるような立場の人たちを却って擁護したり、付き合ったり、いずれにしても世間の評価などの逆を覗こうとしてきた。
この世に生を受けて、それなりに真摯に生きている者を、指弾して手にするものは何か。幼いと思うし、下らないと思う。
人が人から離れるときは、離れたいからだ。その意志を持てば、意志を合理化する材料を無限に探すものだ。そして心を捻じ曲げ、統一して決断を遂行しようとする。人にも云う。人はそれを面白がって支持するものだ。
評判が悪いと云われるときの、発端や種となった人をよくよく見つけ出して精査したらいい。意外と近くにいて、何かの事情で離れたような人がいるものだ。
これは本当の人の怖さを知らない。判断した自分が逆に追い詰められるときもいずれ来る。波紋というのは、岸に着いたら返ってくるものだ。そのときにもみくちゃに合う。
人のことは評判を貶めるべきではない。健全な批判と異質の悪口は最終的にはろくなことにならない。これは子どもたちの世界にもある。母たちの世界にもある。老人の世界にもある。男の世界など日常茶飯事だ。
その種のことしか云わぬ者は、無視したらいい。どこにだっているものだ。そして仕掛けて困った顔でもしたら溜飲を下げる。時にはカサにかかる。
弁解や自己正当化などするのも無駄だ。いずれ泣き喚いて縮んでいく。
卑屈を知るのは己自身。闇の笑いはその程度に自分を囚われさせる。自分が情けないと知らないと阿鼻叫喚に溺れていく。
水浴びして溺れた子を旅人助けるか。イソップは問い詰めている。旅人はお前が向こう見ずだからいけないと諭す。しかし子は説教は後で聞くから先ず助けろと云う。イソップは嫌な奴だ。グイグイと痛いところを突いてくる。
助けたらこの子はまた繰り返すかもしれない。それどころか助けた人を悪く云い、逆に川に突き落とすかもしれない。
聞こえぬ振りをして通り過ぎれば、しかし罪の意識に生涯苛まれる。救うのは手を貸すことではない。そこで泳ぎを教える手もある。必死に覚える。あるいは浮くことを教える。それだけでも恩人だ。黙って上流に行って筏や大木でも流すか。偶然のようにして。
手を貸せばしがみつき、離せば恨む。どうも面白くはない。人の善意を逆手に取る人はいつもいる。
見解の相違にしているのは、それも善意なのだ。
数なのか。質なのか。ひどく単純に還元すればそうなる。

戦うってのはそういうことでもある。戦線放棄したらそいつらと同類になる。
水浴びしてはいけません、という看板にロープでもつけて先端を子に投げるか。無条件に救うのがいいと心底思っていながら、何か釈然としない。それを口にするときっと評判を落とす。善意の行動の根拠は何だろうなと、考えていた。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月22日 手紙

2009年01月22日 | Weblog
日刊ミヤガワ1848号 2008 1.22

「手紙」

「わかってるよ。あの手紙、届くわけはないさ。この広大なロシアのどこに住んで以下も明記していないのだから。これはね、これはボクのささやかな創作さ。オルガお嬢さんに教わったのは文字や文だけじゃない。二人でよく想像の世界に耽ったものさ。お嬢さんはあの品のない旦那の家に生まれて幸せではなかったさ。よく泣いていたもの。ボクが靴屋に行くことになったとき、羨ましいと上目遣いだった。涙を溜めてね。年上の感じはしなかった。支えないとならないような小ささを感じたんだ。そのときボクは知ったんだ。もう終わりだ。バイバイだよってね。子連れ奉公人の母は苦労したさ。無邪気に振舞うしかなかったんだ。幼子はそれが許されるからね。ちょっと賢くて、子どもっぽくで、笑える程度のポカをして見せたら、大人たちは距離を縮めるよ。そしていい子、面白い子、楽しい子、賢い子・・、そんな風に口端に上れば母は居心地がよくなったんだ。母の死・・。気疲れさ。もうクタクタだったんだ。二人だけの寝室で毎晩泣き通していたよ。ボクはよく背中を撫でてやった。ボクが早く一人前になってこんな家から救い出してあげるよと云い続けた。
微笑んで、まぁいい男になるわね、と消え入るような声で頭に手を置いた。お嬢さん。母は奴隷だったんだ。そうなる他にボクを抱えてどんな生き方があったんだろう。それはいずれはボクの宿命のようにも思えた。マカリッチの旦那のジョーク、そんなもの誰一人笑えなかった。心の中ではね。このロシアの冬のような冷たい心を隠して奉公人は、みんな夜はすすり泣いていたのさ。
靴屋に奉公して親方の厳しさ、兄弟子たちの嫌がらせ、そんなものなんともない。展望があるのだもの。5歳から技術を磨くんだよ。後10年もしたら店が持てる。精進して研究するさ。20年、30年、長くはない。まだ20代、30代の青年だもの。
ロシアはこれから大きく変化するよ。西洋化の勢いは止められない。靴は人と不可分だよ。だれも裸足では生きられない。ここは年半分は凍土だしね。
君は地主の娘。田舎のね。いずれ結婚して子を生んで、男たちの腕にしがみついて生きていく。マカリッチの旦那もいずれ死ぬ。君の後ろ盾はなくなるさ。幸せではなかったって?。その言葉をボクはどう聞いていたか君は知っているかな。ボクはあの言葉は君の一生を支配すると思った。なんというのかな。階級とか貧富とか持っているかどうかではなくて、生きる構えがね、感傷的過ぎるんだよ。
生きる世界など寸分も違わない。見えないだけお嬢さんは哀れだと思う。老婆になって何か悟るのかな。
手紙はいいものだ。届くものか。だから価値がある。読まれるのはマカリッチ家ではない。長いときを多くの人たちに読まれていくさ。痛快だよ。その人たちはボクを、そして君たちの屋敷の人々を、靴屋の人々をどう読むだろうね。
もう決定されてしまうんだよ。ボクは靴屋だよ。足元を固めていくんだよ。「救ってください」と書いた。でもね。もう救われているんだ。ボクはボクの靴を履いて生きている。君たちは踏みつけていると思っているけれど、足元を掬っているんだよ。人を動かしているのはボクさ。ボクたちさ。
神の御名もその信仰メカも使ったよ。世界に広がりやすいからね。それはボクの今後のストーリーには必要だ。君が教えてくれたノアの手法さ。
君たちに届く前に多数の人に届くんだ。傑作じゃないか。」

「届いているわよ。可哀想な人。マカリッチ家は貴方が思うより、ずっと有名なのよ。父は笑っていたわ。小賢しいとね。小才が利くから家を出したのよ。あの靴屋のスポーンサーは父よ。所詮貴方は掌の小指の先端で知恵を巡らせているだけ。世の中はね、撒く人と撒かれる人がいるのよ。本人は自分がやったと思い込むわ。それが活力の元だしね。貴方の文は見え見え。感傷が混ざり過ぎている。これは妄想の域ね。芝居はね、素朴なほどいいの。さりげなく引きずり込むのがいいの。作りが露骨過ぎね。まだ修行が足りないわ。肝心なことを教える前に、悟った顔をしていたものね。馬鹿な人。ほんの少し齧っただけで分かった気になる。ダメね、今のところ展望はない。自分が賢いと思う人ほど偏狭になり閉ざすのよ。そして慢心するの。誰が貴方なんか・・。まあいいわ。まだ5歳ですかものね。観察していて上げるわよ。・・父よりも私が貴方の運命は握っているのよ。」

マカリッチ家の暖炉の傍らに半分その火の照りを受けて安楽椅子に座るオルガは心地良い睡魔に襲われた。そのか細い手から落ちたユウコフの手紙を、犬たちがじゃれて奪い合い、ボロボロになっていた。美味しそうなスープの匂いが食堂の方が漂ってきている。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月21日 その夜

2009年01月21日 | Weblog
日刊ミヤガワ1847号 2008 1.21

「その夜」

「あの夜、殿下が申されたこと、今も忘れてはおり申さぬ。ご器量のほど感服致しましたぞ。戦の世は収束せねばとの並々ならぬご心底。殿下は本当の「利」というものを知っておられる。政への志操の堅なること、学ばせて戴きました。」
「よして下され。痴人の愚でござるよ。痴人ゆえの愚と申しましょうか。日ノ本に生まれて、この得に為すを為そうとしただけのこと。この身の利など詮無きこと。なれど他利を重ね重ねれば民利、国利に辿り着きまする。身浅学なれどいささか悟り得たこともありまする」
「下剋上はもう終わりにしなければなりませぬな。大気・大利に生きなくては、徒に民草を惑わすばかり。武を以って武を仕置きするためには、彼の国へ侵攻も意味あることと察しております」
「心中お察し下さるお方とは、つと知り及んでおりまする。それ故にあの夜密かにお訪ね申した。わしら二名しかおらぬと思ったでの。痴愚はわしが全て引き受ける。あの時の約定通り、お運びあれ。云わずともお運びなされるであろうがの」
「お見事な仕置きで御座った。実にお見事な。殿下にはあの折りもお救い戴きましたし・・」
「あのお方はご貴殿をいずれは・・、と察しておった。大恩は大恩。だがわしとは違う痴愚に魔が被さって居った。わしは簒奪者でよいわ。百姓の子でなくては見えぬこともあろうというもの。武門の子は限りというものがあるようじゃの」
「御意。今のお言葉銘じまする。して淀の方のお子は・・」
「云うてくだされるな。淀はなあの方のお子よ。痴愚のこの身には主筋に当たる。わしに種はないでの」
「分かっておられましたか。」
「笑ってくだされ。身一つ身一代。戦国の世に塗炭の苦しみを得た幾多の民草の怨念や情念がこの身に宿ったので御座ろう。それでもわしにも大恩ある方への追善もあろうというもの。いやいやお恥ずかしい。笑ってくだされ」
「誓ってその御意志報いましょう」
「いや、いやいや、わし一代のこと。どこぞで小大名でも残せればそれもよし。だがこの後の仕置きには支障となるのは必定。人は宿命を背負って生まれるものじゃ。わしを恨みつつ魔に魅入られたお血筋を持つ淀もまたご貴殿の作られる世に、為すある役目もあろう。凡夫の本意をのみお知り置き下さればそれでよし。国を刷新するには血を流さずばなるまいて。ただこの後は速戦速決でな。長引かせるとあちこち火の手が上がる。ようやく戦に倦んだところだ。」
「ははっ」
「魔がもう一つある。」
「西の方ですな。殿下は禁教令を出された」
「楽土を求めるなら閉ざすことも道じゃ。国内が争うと間隙を突かれる。あの方がそうであったようにな。光秀殿はよく制してくれた。ところでお元気か?」
「これは、これは・・」
「よいよい。隠せずとも知っておるわ。それもご器量というもの。そうでなくては大事は託されぬ」
「殿下・・」
「よくぞ、よくぞ今まで辛抱してお力添え下された。手を合わせて逝きまするぞ」
「正直申して、些かの安堵も御座らなかった。肝は冷え続けましたぞ」
「はっはっは。何を申される。そのお言葉何よりの餞ですぞ」
 
浪花の広大な城は深い闇に包まれながら、そこだけ明るく光っていた。月は赤かった。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月20日 何を待つのかな

2009年01月20日 | Weblog
日刊ミヤガワ1846号 2008 1.20

「何を待つのかな」

陽気で人懐っこくお人好しで元気な国民ならいい。その逆の雰囲気が濃厚だ。これは自分がそう仕向けていかなくてはならない。与えられるものではない。
これは教室も同じなのだ。真剣に思い詰めて暗く考えていくのが真面目で緊張感があるのではない。その辺の不器用さが気になる。ゲラゲラ笑いやクスクス笑いの根底にある真剣さが基調なのだ。
リーダーによって雰囲気が一変する。それはいい。そこに資質は垣間見られる。しかし大切なのは空気を作り出していける力を個々人が培うことにある。
場と隙間を与えたら、一気に噴出して行くようなノリは決して健康的ではない。受動的過ぎる。自分が変われば周辺が変わっていくのだという原理をいつかしら喪失している。
責任は自分自身だと、重い荷物を背負っている。そんなに責任という言葉を過剰に抱え込む必要はなかったのだ。力ない者は逃げようとする。ある者は圧倒しようとする。
ただ余計なことを排して、すべきをするというだけでよかったのだ。知識は人を鈍重にしていく。
「財布の紐が緩む」などとみんなが語る。どこに紐があるんだろう。そろそろ違った表現でも考えたらいいのに。「紐が堅い」だの「きつい」だのと活用している。「財布が薄い」とか「膨らまない」とか「札が凍てついている」とか「コインが重くなって」とか・・。いろんな云い方はありそうなものだが。こうした言語の受動性は退屈する。食い物番組の「絶妙」などもそう。お行儀とか教養はそういうことなのかとついつい苦笑してしまう。
全然陽気ではない。パターンに嵌っているだけだ。何がそうさせるか。やはり行儀見習いの段階に生きているということか。「芋を転がす」民話の文化か。ますます狭隘になっている。時代の閉塞感などは自分が招いているものだ。時代の責任でも為政者の責任でもない。
「鉢かづき姫」もそうだし、「雪女」「鶴女房」の男たちも「泣いた赤鬼」もそうだが、ここに大悟のシナリオがあったとしたら、そこにある戦略的な動線に唸る。
つまりは精緻な予見の持つ可能性だ。というか、それこそが人の暮らしや生き方の根底に敷かれているものだと考えてしまうのだ。
ここには相手に恥をかかせることなく、自分が貧乏くじを引いたように見せて、相手をその後の苦痛から解放してやれる優しさのようなもの。それを感じてしまう。
陽気なのだ。お人好しなのだ。それが今風でないかどうかはどうでもいい。人は人を動かし、動かされ、そういう作用のし合いにあるのではないかと、そんな観点を抜きにしてはならないと思う。
一人を動かすことも国を動かすことも本質は変わらない。そこに徹していくことを忘れて手にする平穏はそれはたまたま鉢を被らされて動かされているだけのものだ。
税金について考えている。納税の義務という縛りで国民に向ったとしてもいやいや払うものはいずれは行き詰まる。ましてロクな使い方もしていないのだから、苦い思いの者だって少なくない。
ボクなら、と考える。ボクなら進んで喜んで払えるような仕組みにしたい。無駄を排すとか真に国益や国民益になるものとして再生させる。恒常的税収不足などそんなものは当たり前のことだ。義務だから、払わないと罰があるからと、そういう流儀の「役」でなく「益」に転換しなくてはならない。そこに政策的思索の欠陥がある。小学生たちに「こんな税金あったらいいな」というテーマで作文コンクールをしてきたのはその考えもあった。大蔵・・財務省か、その友人などはピーンと来たようで賛辞をくれる。まだ融優秀な連中はいる。今年は別な主催団体で展開できる気配だ。一事が万事。種は茨も繁茂させるが花園も繁茂させる。消費税アップなどという水準の論議など低次元過ぎて話にもならない。
土台言葉のセンスが最悪だ。消費大衆を造出して課税する。作り物の限界を予見していない。生産と流通だ。その基軸を還元しているのなら、それに見合う言葉にしたらいい。消費思想から脱却しつつあるのに、その前提が崩れないと確信しているこの脳天気さは噴飯ものだ。消費者庁もどうなったか。これらの命名のセンスは思考の水準を示していて読解の対象になる。
マンションを買ったときに「えーと消費税は・・」と云った不動産屋がいた。マンションは消費か馬鹿!と怒鳴りつけたことがある。よくない言葉だ。思想が鮮明すぎる。国民はこれに馴れてはいけない。買えば経済が栄えるなどいつまで信奉しているのだろう。車もレンタルの動きがある。ブランド品もそうだという。必要なときに必要なのだという思想に転換している国民の胎動を、さてどうするか。見物だ。
もっと陽気で楽天的でいい。もっと本当の実利を試行していい。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月19日 カット

2009年01月19日 | Weblog
日刊ミヤガワ1845号 2008 1.19

「カット」

センター試験はなくていい。やるのなら大検と一体化させて、高卒程度認定試験でいい。しかも秋にしたらいい。何も一月にすることはない。寒い。
大学によってそのセンター結果の配分は違うのだろうが、あまり意義はない。横並び輪切りの子ばかり作ってもしょうがないだろう。そんな協調と同質の時代はもうそろそろ返上したらいい。
大人しい去勢されたような死んだ目をしたスカした「優等生」はいい。飽きた。マザコンの無臭の覇気のない、行儀だけがいいような連中はいくら量産したって、たいしたことはない。母親や女たちが喜ぶ程度のものだろう。
やるならもっと創意工夫を凝らすといい。今まで教育機関で学べなかったこと。高次の社会常識。日本と世界と自然の理解。人間探求。などもいい。喫緊の社会事象の解明などもいい。
それなら本チャン試験は論文や口頭試問でやれる。コンピューター判定のペーパーテストなどに頼ることはない。個々の大学の固有性や理念が一層鮮明になる。
それをしないとこのままだと浅い加工工場に終わる。本人や家族がよくても社会や国や世界レベルで考えたらマイナスだ。
転換は社会が変化してからでなく、社会の変化を促すために教育界が動かないといけない。馴れとダレが見えたらもう変え時た。
小中高の成績と活動記録がしっかりしていたらいい。偏差値の高い学校が本当に優秀な子を集めているかは疑問だと浅薄な母親以外は皆分かっている。資質素質可能性を見抜ける判定者がいたらいい。まともに学習したら12年、9年であっても相当の育成は出来る。16年かかってもこの程度なのかと憫然たる思いを持つ者は多いのだ。つまり真っ当な勉強をしていないし、させていない。
もったいないことだといつも唇を噛む。環境問題と同じことをしている。やはり意識なのだ。変革しないといけない。教育は先行して時代の転換を促す機能を果たさなくてはならない。
みんなが望んでいるからやる、というのはやはり違うのだなと思う。みんながこのままでいいというものをこそ変えていくことが求められるのだと思う。熾烈な現場だ。そこに先導者の具眼者の機能はある。いつも大衆路線を行こうとしたらきっと崩れる。それは扇動などの作用が必要になる。中枢内変革はこういう時代はやはり有効なのだと思えてくる。
床屋に行って髪をバッサリ切ってきた。切られながら思い出していた。米国の女性国務長官の登場の際、この人は優秀で才媛でと鳴り物入りだった。そしてどうだったのか。成果という評価で云うなら、米国の威信も信頼も失墜させている。ブッシュだけの責任ではない。現場中枢のこの人の責任も少なくはない。現実論でいながら此処彼処に机上論が覗いていた。米国的な素朴で表層的な人物評価・格付け論がこういうところに具現している。優秀さはそうそう具現するものではない。またひけらかせるものでもない。それを鵜呑みにするものでもない。国や世界の命運を担うだけの資質は、そういうと種類の優秀さとは異質・異次元のところにある。
今後大衆政治家と一線を画す本物の政治家は求められてくる。国民はそれを見抜く本物の先導・具眼者にならないとダメだ。
国民皆学の気風はこの国の良さだ。それは生涯教育の空間を作ることにある。「ゆとり」とは心の言語。一生学んでいる人たちの志を更に評価していい。短期で優劣をつけることに決定項を与えるべくではなかろう。自分の首を絞める国民性だ。
とはいえだ。教え子諸君の健闘は祈念しているのだが。今年は少し突っ込んで試験問題を分析してみようかと思った。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月18日 写真ニュース

2009年01月18日 | Weblog
日刊ミヤガワ1844号 2008 1.18

「写真ニュース」

忘れていたがボクはサンケイの写真ニュースの顧問をしていた。そう云えばテレビ番組を持っていたときにも使っていた。
名刺にあれこれ書くのを止めてから、忘れていることが多い。この写真ニュースも30周年になるのだそうだ。競う気はないが、ボクよりは短い。毎週全国の学校などに写真でニュースを送っている。記事も一時書いたことも思い出した。
これについてちょっと考えていることがある。表現教育者としては、ただ写真報道を記事付きで制作するというのは何か物足りないと思うのだ。カメラマン君も一流だしケチをつけるのではない。逆にもって教材として活かすべきだと考えたみたいのだ。作文研では写真課題も使う。しかしそういう教材的観点からすれば、案外素朴なのだ。真面目なのはいいとしても一種芸術性が欲しくなる。
キャバの飢餓アフリカの子の写真などは、一回読解対象として徹底したが、まだ子たちに印象は残っている。開国明治の頃の写真もそうだ。
つまり写真読解講義を提起していけばいいという提言なのだ。現代だって様々にアングル、素材で撮れるものはある。別に切り張りをしたって構わない。極小も極大もあっていい。所詮は目の共有だが、目の主張でもある。文や絵画と同質の要素は含有されているし、それを読解していくことは肝要だ。目下の言語表現教育の再建・推進の流れもある。写真で伝えたる情報量は多大なものだ。記事を書くときに思ったが、観点視点を転換していけば、写真一枚で大量の原稿枚数になる。そういうことをもっとしていい。中学はじめ各入試などでも出題したらいい。
見たものしか信じない馬鹿はきっとうろたえることになる。それはまた写真家たちを育成していく土壌の醸成にも繋がる。
そういうことに向かっていったらいい。写真情報の定義を本来の広がり奥行きにしていくことだ。誰より撮影者は喜ぶ。
新聞を教育に活用する運動はいい。年末ボクも記念講演に招かれた。それも頭の中にある。読むことを「ここまで」と限定したらダメだ。しかしそれをしないと教育は成立していかないジレンマもある。新聞や写真や絵画や音楽などはそれを突破できる素材としてある。
「ここまで読解」と「どこまで読解」を並行していくことだ。それが次第に「浅薄さ」を是正する大道になる。
教育界は動きが鈍いし、呪縛もあるから、新聞社がそれを提案しながら、出張講義でもなんでもやつたらいい。積極果敢に子たちのまえに供していかないと、いずれは衰退するし、もつたいない。
ボクにはそれがまだ学校現場で活用されているとは思っていないのだ。まだ前哨戦の段階だろう。
日本の教育を考えたらそれが必要だ。しかし今の世間というのはそれより会社とか自分とかを優先させてまどろっこさが蔓延している。ビジネスモデルなどで満足している。これは愚策だ。展望はない。
真っ当な問題意識とアイデアをもった理念展開者が少なすぎるのが実態だ。どこでもそれはそうだが。そのために頭にくることもテーブルを引っくり返すこともしてきている。最近は大人しくなったが、その分思いは一層滾っている。
その目で送られてくる写真を見ていると、まだほのぼのしている。ドキッとするものがまだ少ない。毎小が最近メキメキ内容が充実しているように、子ども向けの新聞がもっと果敢で元気なくてはいけない。その意味では朝小はまだチンタラしている。先日も「わんぱく宣言」の記事でボクの名前の振り仮名が「みやがわひでお」になっている。石井英夫と間違えるなっていうところかな。しかし本紙夕刊では審査員は「宮川俊彦さんら」となっていたので少しは収まっているが。
写真読解講義の学校や教師を表彰することだ。光を与えて伸ばすことをしなくてはいけない。写真ニュースはまたまだこれから発酵し発光していい。そのうちに軽薄な文学が慌てて追いつこうとするかもしれない。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.

1月17日 みかん

2009年01月17日 | Weblog
日刊ミヤガワ1843号 2008 1.17

「みかん」

みかんは小ぶりがいい。握ったら八割は手に埋もれるくらいがいい。大きいものも美味しくはなった。日本人のこの種の技術はたいしたものだ。密度も濃く、甘くなっている。しかし半分も食べると腹がくちくなる。小粒で甘さが凝縮しているのがいい。二口で食べられる。それを何個も食べた方が得をした気分になる。ひとつひとつの味も微妙に、どころか明らかに違っている。同じ幹で成ったものが連なって売られているわけもないからこれは当然のことだ。産地は同じでも異質の土壌と、こうなるまでの独自の先祖代々の歴史があるのだ。品種も何もよくは知らない。ただこの太陽色の可憐な柑橘が、書斎にチョコント鎮座していることがたまらず頬ずりをしたくなる。
冬は黄色い果物がいい。金柑もいい。差し入れを長く楽しんだ。リンゴはいいが没状況的になる。事務所の机の後ろに一つだけ置いてある。溶け込んでいて存在の主張が乏しい。寒冷地の果実はなんでこんなに物悲しく実際的なのだろう.いっそのこと真黄色い表皮のリンゴを作ったらいい。白い雪と凍てつく空間にぽっかりと自己を誇張する。冬は慌てる。
机の左右に置いてみた。形式的でよくない。シンメトリーとは単純な構図だ。右に置くと手が伸ばしやすい。右で取って向いて左手で掴んで食べて、左に皮を置くといい。そこに重ねていく。小山ができる。表皮を下にして白い部分がしどけなく剥き出しになって卓上の光を浴びている。ホッとした表情がそこには浮んでいる。すぐに捨てる気にはならない。親指と人差し指で潰せば液体は汗のように沁み出る。まだ瑞々しいのにゴミ箱に入れるのは酷というものだ。もつと乾燥空間で水分を吐き出して、カラカラになってから見るのが可哀想と思えるようになって、退場してもらったがいい。
小ぶりのみかんの顔はやはりまだ青さと少しばかりの小葉をつけている芽にある。横を押すとその都度表情が変わる。
熊が妊婦を襲って胎の子だけを食べて去るような、そんな気分にさせられる。足の浮腫みのように押したら暫くはそのままの形状を保っている。よく揉んでグルグルこすり回すと味が良くなるとか、甘みが増すとか云われていた。しかしこれを不器用なものがやると中身はぐちゃぐちゃになる。心を揉むようなもので加減が必要だ。節くれだった無骨者や雑駁な者にみかんは適さない。みかんの悲鳴が聞こえる。
エンヤのwild childを聞きながらのみかんがいい。マンゴーは合わない。リンゴはどんなに蜜が入って高価なものであっても津軽三味線の音色が合う。

どうでもいいことが気になり始めている。二冊目の対談の整理がなかなか出来ない。やろうとすると急ぎの仕事が入る。みかんの小山が左に積まれていく。
朝も夜もやり続けているのだが。ひと月は濃縮するんだろうなと思う。先週から「想の四要素」について講義でボチボチ話し始めている。想像力などと一言で安直に語ってはいけない。分類的に再確認しようとしている。場面化・読解力・思考・・という一連の回路を推進すればきっとそうなる。
それはまた主語に関わってくる。近代というのは畢竟主語の文化だと思う。
今度はそんな本も書きたくなった。
表皮の山はこの後の自身の姿に見えてきた。言葉は皮だったか。

Copyright(c) TOSHIHIKO MIYAGAWA All Rights Reserved.