日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

4月30日 わかるけど

2008年04月30日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1581号   2008.4.30
「わかるけど」

 渋谷の事件の延長か。死刑制度についての特集をテレビでやっていた。どうせ下らない頭の悪いコメンテイターがもっともらしく語るのだろうと冷やかし半分で眺めていたら、やっぱりそうだった。真っ当なことを語れる人々が消えた。今の視聴者には丁度いいのかもしれない。分かりやすさを希求した世代は結局は知識と情報だけだ。後は選択権でももらって喜んでいる。君程度でも意見を大事に聞いてくれる優しい社会だと、その本質は見抜ける知力は貧弱だ。
 本当に自分の意見は尊重されると思い込んでいる。めでたい人の群れが闊歩している。
 そんなことをいつまでもしているから、病んだりおかしくなる人が増える。おまけに心神喪失なら夫殺してバラバラにしても無罪を主張する。殺すときに責任能力も何も、「いっちゃってる」から殺したりも出来る。通常はできない。そんなことを取り立てて話題にしていくことがボクには疑問なのだ。
 DVだったという。辛かったという。それはそうだろう。同情はする。しかし云い立てたらなんでも云えるのが今の夫婦だ。対妻対夫それぞれが心底落胆したり、話にならない場面を持っている。目に見えての暴力などまだ分かりやすい。蓄積し潜行し執拗で酷い仕打ちも多かれ少なかれ皆経験している。傷を騒ぎ立てたらいつまででも語っていられる。それだけ夫婦や家族が陥っている現況が行き詰まりなのだということだ。危機や生死などが振りかかって初めて見えることもある。それがなければのほほんとした日常で掻き立てられた感情と見せられる枯れ木に花の映像に、自分だけが不幸で取り残されて意味のない日々であるかのように錯覚する。それは哲学がなく、ただニーチェの云う蓄群的に生きているだけだから。生の生きる現実として夫婦親子家族で向き合っていないからだ。その必要すらきっと本質としては見出していない。みんなしているからしただけのことだろう。試しにその辺の若夫婦や家族に問うたらいい。「何のため?」と。きっと「えっ」と云う。そんなに考えてはいないのだ。
 いい住まい、家具、ファッション、キャリア、それらしい暮らしをしていくアイテム、・・。何がそれらの根幹にあるかなど考えもしないのだ。その親たちもそれを考えさせる契機は与えなかった。社会も。学校も。
 言い訳をして、自分を語り、相手を罵倒し、正当を主張する。そうすれば何割かの国民はそれに自分を重ねたり、面白半分に同情をして見せる。同類だからだ。それをまた持て囃すメディアがある。価値相対化は確かに文化としては必要だ。しかし正論を語ればいいというのは実際社会の言論効果としては逃避であることだって考えに入れなくてはならない。ましてや浅薄なままの持論など語ったとしても徒に蓄群に迎合し、助長していくだけだ。語る当人はともかく社会としてはなんらの利点もない。
 死刑制度論議は、それ自体として成立しない。現況の国民意識とその動静を把握していくことが肝要だ。この浅薄で、頭が悪く、したいことをしていいという国民を創出しておいて、しかも精神医療と弁護の両輪を伸長させておいて、教育は低下させて、人格よりも倫理よりもコンプライアンスという傾向を生み出し、論理を大切だという風潮を醸し、・・。何が制度論だろうか。
 どうもおかしい。国民がみんな自己判断力や思考力を少なくとも平均程度には持っているという前提で話が進んでいく。
 そうではない。明らかに低下し、衰退して、愚かでおかしい人が増加しているということを前提にしなくてはならない。そしてそれはよくないことだと。自分はそれでいいのだという見解にはならないのだと、これが制度論の基点であるべきだ。
 法は教育としての見地でボクは捉え切る。よって見せしめとしては死刑とか終身刑とかそういう固定で考えるべきではない。しかるべき社会奉仕活動をさせるとか、死刑にしても死ぬ気になって何事かをさせるとか、死に方を考えさせるとか。いずれにせよ、本当に対しての教育というだけでなく国民への見せ方が重要なのだ。死刑存続か廃止かなど論議のテーマとしては陳腐でまったく奥行きがない。
 終身刑なら税金で食べさせることになるなどと発言する馬鹿もいる。悔悛を見せない者もいるとか。生き残ることはより重い罰だとか。そんなことを延々と話している。そして賛成だの反対だのと。よくもまあ、これだけ低水準の作家や文化人を集めたものだ。国民はこれが議論の本質かと思うだろう。
 ここ数年でますますひどくなっている。
 死刑はあっていい。それはもはや抑制効果なしとしてもあっていい。しかし適用は是々非々だ。そこに人の英知がある。制度はあるけれど、長年死刑にはしないというのも英知だ。一殺多生故の死刑も時には必要だ。弾力的に運用したらいいだけのこと。難解な論議とは思わない。現に世界でも公開処刑の国もあれば死刑廃止の国もある。そのこと自体が示していることを真摯に受け止めたらいい。
 そんなことよりもメスを入れるべきは、今の事件現象の本質の解明にある。なぜそういうことになるのかを執拗に審議し論議していくことだ。それがまた抑止効果にも教育にもなる。
 学校で授業にしてもいい。
 おかしくなることを許容しない社会を作ること。社会治癒力を回復していくことだ。どこかでボクらは手がつけられない相手を遠巻きにして、放置することをしている。泣き叫ぶ者をいなしている。平手打ちすらしなくなった。「取り乱すな」と怒鳴り押さえつけることもしなくなった。
 肯定し「分かるよ、分かるよ」と宥めるだけになっている。
 ストーカー、付きまとい、無言電話、文章の送りつけ・・。ボクも幾度となく経験がある。厳しく接すれば逆上すらする。それなりにきちんと対応してきたが、難しい者もいた。
 沈静化させる。浮薄に錘をつける。これを対個人ではなく社会政策としてすべき喫緊の課題のように思う。
 残念だが、国民は劣化している。モデル、標準を示していかないと更に崩壊する。理想は理想として、時には後退してまた進んでいく勇気も必要なのだ。
 映画「アナスターシャ」の最後に皇太后が語るセリフが心に甦る。「皆の者。芝居は終わった。家にお帰り」。

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4月29日 ヘロヘロバー

2008年04月29日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1580号   2008.4.29
「ヘロヘロバー」

 日曜の昼から始めて月曜の夜七時ジャストに終えた。完全徹夜だけれど朝六時から二時間ほど仮眠。椅子に座りっぱなしだった。
 そうでもしないと締め切りは守れない。企業論文の分析など340名ほど。後は原稿やら何やら。普段は右手だけで打っているのに今回は両手になっていた。些か本気モードなのだ。
 集中しているときはきっと青ざめている。間に合うのかなと真剣なのだ。200名を越して少し楽になった。急に目が重くなった。そこで黒糖などをかじる。というかしゃぶる。目薬も何回となく点けたら終わってしまった。
 今の感想としては、まだ集中したらこんなにやれるじゃないかというもの。これは癖になる。きっとこれで方法を掴んで、時間を読むことが出来る。
 十年前よりも早くなっている気がする。手は抜かない。要領を掴んだというわけでもない。ただ読んでいてピンと来るようになったし精度は間違いなく上がっている。その頃大学で教えた子たちはもう中間管理職になっている。どんな人生の時を歩んだかと想像したりする。
 モニタをいつもは右側に斜めに置いている。今回は正面に据えた。首と肩は楽だ。やはり角度というのは大切なものだと思う。
 切り込んでいく思索にも角度がある。視角というのは分かりやすい。思索の角度。これは重要だ。そこに戦略や企図が見えてくる。
 してみれば人と会ったときに始めに何を語るかどう語るかどの角度から語るかなど、考えるものだ。最近は自然体で怠惰と驕慢とボケをかましているが、それでもずっと緊張は継続しているし感度は若いときより研磨しているようだ。エリアも広がってきた。
 プリンを食べるときがそうだ。近年はわざわざ皿にひっくり返して載せることもしない。そのままスプーンで掬うが、これは本当は味気なく冒険心を満たさない。プリンを食べるということののみに限定させられている気がする。
 ひっくり返しプリンは、皿の上で心もとなくボヨヨンと佇んでいる。上から黒蜜か何かを垂らした。それが焼き物の釉薬のような文様を奏でる。それが風情になる。しかも同じということはない。この頼りなく儚げな乳黄色の固形をツンと突くのがまた面白い。その度に蜜は揺れて流れる。
 この場合頂上の真ん中をスプーンで丸くほじくるのは実に品がない。子どもの頃祖父が、ご飯の真ん中を開けて卵をそこに落とすのがどうも気味が悪い。見ないようにしていたが見える。それをまた掻き混ぜている。気持ちが悪くなる。それはそれ。これはこれにしたらいいのにと子ども心に思った。
 単体を味わう。単素材を尽くす。そこに多くのアイデアも世界も広がるのに、意外とそれを味わい尽くす前に混合してしまう。今思い返すとこれはボクの習癖になったようだ。
 納豆は納豆。カレーはカレー。天ぷらは天ぷら。一つに孕まれる存在性とその変容の展開図が面白い。
 プリンをどこからどうスプーンを入れるか。これを悩むのだ。真剣な目つきになる。皿も回す。遠近の距離も考える。入れた瞬間全体がねじれる。そして復元する。豆腐はこうはいかない。されるがままになる。プリンは健気だ。そこに主張がある。時間を掛けて食べる。いとおしむのではなくいたぶっているのかも知れない。
 だからプッチンプリンなどは一思いに口に入れたりもした。ストローで吸っていたこともあった。ババロアは違う。あれは異質だ。ゼリーも天寄せも違う。貴婦人や芸者のような妙な色香があり過ぎる。決意が促される。
 どうもプリンには本質の匂いがあると思えるのだ。顔を書くならニコニコではない。ヘロヘロになったような顔。復元の意志を持つ柔軟固形は元気であるべきでない。絶えず揺すぶられていてもその皿に居なくてはならない。
 何書いてるんだろ。
 かくして連休はスタート。何を休むものか。何を人は休むものか。少し寝よう。まだまだ山積。いや急にプリンが食べたくなった。コンビニに行こう。いっぱい仕入れてこよう。胃の中をプリンで埋めよう。

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4月28日 大机

2008年04月28日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1579号   2008.4.28
「大机」

 土曜の講義後に一年振りの模様替え。大したことはない。カウンターをサロン室の隅に追いやり去年まで使っていた大机を出した。それでもフラフラして少し寝込んでいた。
 拡大器があり、26型のパソコンモニターがあり、おまけに空気清浄器まであり、あれもこれもと機器が充実してきたことでさすがにカウンターでは狭くなった。合理発想のミヤガワとしては細かいものがそこにごちゃごちゃあるのも面白くない。
 この際思い切って極端な取捨をしたいと思った。一年よく辛抱していたものだ。だいたい人と机を並べるということの経験がない。勢い自宅での作業が格段に増えていた。いい機会だ。
 去年も全く同じ日、同じ時間帯に模様替えをした。108ものダンボールを長野に送ったりもした。早いものだ。
 何でやるのかと母たちに聞かれる。一年経てば澱みの場が出来る。それを一掃していくため。空間の活性化のためと応える。それは連休前のこの日だというのが面白い。
 いつも語ってきた。ボクの正月は連休だ。そこまでとそこからなのだ。だから教室も一週間は休講にする。通常は本の執筆と若干の分析くらいでたいして忙しくもない。季節もいい。滋養の時にしてきた。去年は模様替えの後始末でほぼ忙殺された。しかしその後は意外とのんびり過ごせた。
 今年は去年以上に忙殺されそうだ。執筆は溜めてしまって三冊になる。しかも某団体の通信教育教材を作り上げる。分析は千名近い。これらが集中した。日がな没頭していくしかなくなった。連休明けはまた別な本の執筆になる。今年はやたらとハードになっている。
 少し閑を得て病院なんぞへ行こうかと思うとこういうことになる。行くなということだろう。よくよく人並みということと無縁と見える。
 末期の生理の焦りか。これを払い除けてみよとの啓示か。いつまで経っても境界にいる。よく持っているものだ。
 広い机はいい。重ねる必要がない。視線が平面を移動する。立体機器が増えてちょっと見ればコックピットになっている。執務の場とはそうでなくてはいけない。半年ほど少しセーブしてきたが、結局は為すべきが積み上げられただけになった。激務は必然になる。そのためでもある。
 努力しない者は所詮は落ちていく。才能だのなんだのと自信を持ってうぬぼれている者は必ず相手にされなくなる。一時開花してチヤホヤされてもいずれは奈落だ。そんな連中を嫌というほど見てきた。
 しぶとく黙々と努力していくしかないし、プレッシャーを糧としていくしかない。自己変革ができないと克服できないものだ。それを課して為していくことこそ才能で、それは日々に見い出していける。結果として何ものかを得たなどは必然で騒ぐほどのことではない。
 元来が凡庸なら、人の数倍の努力・研鑽をしていくのは当たり前だ。しかも努力の中身を独創的にしていかないと駄目だ。みんなと同じではやはり駄目だ。
 才能とは開花してもらうものではない。頼るものではない。優れた先達や天才に会ってなんとかしてもらうとか認めてもらったなどはさしたることではない。それはあまりプラスではない。同じ空気を一時でも吸い、呼吸を合わせたり、謦咳に接したり、いやいやその人がいるということ、見ているということで既に多大な影響と教えを受けていると思うべきだ。何かしてもらうなどとんでもないことだ。そういう人と出会えただけで本当は満腔の感謝をすべきだと思う。つまりは徹頭徹尾自己であるということになる。
 だからまだまだボクは自分を厳しく叱咤し、プレッシャーを掛けなくてはならない。これは已むことはない。
 イチローの小六の作文に「これだけ日々激しい練習をしているのだから、絶対一流になれる」というような文があった。そのひたむきな少年の高潮した展望に、あまりの率直さに感心する。文の上手下手ではない。イチロー少年にしか書けない。だからこれは秀逸なのだ。
 一流など当然だ。もう超一流になっても努力は止めていない。そこが天才なのだ。素質だけで生きていけるものではない。努力なき素質はむしろ危険ですらある。
 青葉若葉のこの季節。雨の度に色は増す。連休を過ぎれば東京は夏。春は短い。やたらと夏が長い。

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4月27日 病み

2008年04月27日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1578号   2008.4.27
「病み」

 そう云えば「意味不明のことを喚き散らし」というセリフがニュースなどで語られていた。おかしな輩が増えたものだ。多分どこにでもいる。近所にもいる。
 春先は多いのだろう。自己制御が出来なくなるから意味不明になる。木の芽時とはよく云ったものだ。
 この国はバブルの少し前から春が続いている気配だ。四半世紀になるか。緊張感や危機意識が崩れている。自己制御は当人のテーマだが、社会的な制御がそれを促す。気になるのはそれだ。統制とか秩序とかに安易にはスライドしない。内在律を促す外圧の存在。ただの常識や良識ではない。それらを問いつつも相対化しつつもそこにより自縛他縛の機能が無限に作られ、掘り出され、示されていくことがあって、問いと思索を促すような、そんな自己制御促進装置のようなものがないと、それは崩壊していく。
 八十年代から「心の病」「病んでいる」「壊れている」そんな言葉が蔓延し始めた。するとこの国の流行に動かされる消費大衆凡下は、それを身に纏おうとする。
 一頃、会う人大半が「病んでる」と口にしていた。それはポーズでファッションであることは一目瞭然だったし、それによってより巧妙な自己表現を得ていこうという向きもあった。それはまだいい。確信犯としてニヤリと笑えって受け止められる。
 しかしそのしたたかさと巧妙さのない者は、病んでいる自己を本当に病ませてしまった。その克服よりもそこにいてそこで認知されてそのままでいることを密かに望んだ。そこではじめて何者かになれた。
 病むのはいい。病み続けていられるのは何かだ。死力を振り絞って自己改造をしない。する必然もない。
 社会の言語作用は「君はそのままでいい」「君は君であればいい」「無理するな」「頑張るな」「多様だ」「個性だ」・・。と努力や気力を萎えさせる方向に動いていた。
 安易に自己防衛を考えればそれは飛びつきたい方向だ。しかも「怒鳴るのは駄目」「優しさが大事」「思いやり」「傷つけない」。最近は「癒し」か。
 この流れは確実にある種ある層の人を化膿させ、麻痺させる。
 病んでいる人との関わりは多かった。ほぼ、我・自意識の強さ・自愛的・自傷的・視野狭窄・感受性の強さ・脆さ。わがままで、誰かに受け止めて欲しいと望んでいた。成長とか変革は望んでいないようだった。
 そんな人をその親は溺愛するか、ご都合個人主義で切り離していた。そして今になるまで多分そのままだ。心の病とかいう時をずっと生きている。稀有で幸せなことだ。そうして周りに気を遣わせ、我を通して病を盾に生きていられる社会は、不健康のはずなのだが。
 社会は強制力も矯正力も衰退させた。子どもから老人まで病みは増える。そのうちに心の健康なる軌範は曖昧になる。
 社会や人間関係が治癒力をもたないといけないが、それは優しくすることや実は関わらないことで実質的に排除していく。ならばあからさまに指弾して排除したらいいのに。それは出来ないのだ。
 いったい医者たちはカウンセラーたちはこの間、何をしてきたのかと思う。自覚なき者たちをどう導くための社会的対処をしたのだろう。
 まだどこか引っ掛かりがあった頃に比べ、昨今は底なしになりつつある。かつて「イカレタ奴」と云われた。今はきっと差別語で配慮のために使わないのだろう。しかしイカレテルと、口に出せないことも社会的制御や治癒力を無力化していくことにもなる。
 一つの場での正論が別な場ではマイナスになることもある。病んでる者は治そうとすることだ。心の傷だのなんだのと吹聴しすぎた。誇るものがなくなった時代。それは一時の安定効果だった。次を準備できなかったのはまずい。
 ここにも賢さがなくなった社会政策・言語政策の低次元さが露呈している。ボクはボクの前で自己の心の病を語ろうとする者を許さないでいようと思う。

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4月26日 濠

2008年04月26日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1577号   2008.4.26
「濠」

 自分と自分以外、という構図は緊張感がある。ところが自分たちという構図になると一気にその構図は崩れる。戒めなくてはならない。一点に集中して真剣にやっていると知らぬ間に周辺の空間が侵食される。
 対峙に耐えられぬ者は引くか、傍に入り込む。つくづく距離を保つこと、保たせることは難しいものだ。そのままにしておくと空間は劣化する。
 その場合えてして原因はボクにあるのだという認識になる。組織ではなくただ思索と教育の空間を創出し続けていくというのは並々ならぬものだ。気を許すと崩れる。等身大の対峙が機能しなくなると次第に高次に向かうしかなくなる。自分は許されていると思う者は対峙より融和を求めるようになる。
 厳しい言葉を向けられない自己の場を得ようとする。近しい場に居るというのは免罪符ではない。誰よりも律しなくてはならないはずだ。それを多くの人は忘れる。
 よほど擬制を作り、虚構を描き、限定した空間を分かりやすく全員芝居をしていた方が楽だということになる。真っ当な場を求め続けることの苦痛はひどく心身を苛むものだ。思索的に深度のある者はそれを察知する。そうでない者はその場を包み、和らげようとする。そこに劣化の原因が生まれる。
 緊張感が人を練磨する。なぜなら輪郭が露わになるからだ。ぼやけることの必要はその境界に佇むため、そこに居てそれを広げていくためにある。ただ眺めているファジーではない。
 落差はなくてはならない。しかし弛緩したときは弛緩している場を自己で確認していくためにある。緊張の領域と自己を確認していくためでもある。人に本当の弛緩とはあり得るものだろうかと思う。
 ホッとする場は何にとって何のための「楽」なのかを問うたがいい。それは自他を見えやすい場であるのではないか。堕落がそれだとすればそれは堕落したのではなく、堕落の場を知っただけのこと。失望がそれだとしても、自己崩壊がそれだとしても。
 そこに居られる者はそこからいつでも変容していける。これでいいんだとか、こうしていたら居られるんだとか、そんな安直さは真摯な姿勢ではない。しかしそれを人は居場所と居方だと勘違いして、辿り着いたように錯覚する。
 ボクは基点でも終点でもない。求道と流浪の旅人なのだ。道連れはいたら面白いだろうが、ずっと連れ立っていることはありえない。また気を遣う。煩わしくなる。ついて行きますと云ってついて来た者はいない。
 理解範囲と可視範囲を超えたら、人は歩くより眺めようとするものだ。そして言葉で他者に向けて自己合理化をし、その反応を確かめ、辻褄を合わせることを得て、その解釈に自己を擁護する。
 人間不信と云うのは反語だ。二重三重に濠を巡らせた牙城がそのまま移動している。埋めれば賑やかだが牙城の強度は低下する。千変万化すれば魔城になる。気がつけば濠は更に深くそこに準備される。人は笑いながらそこに落ちていく。

 また弧絶に戻ろう。鍵を変え、カウンターを撤去しよう。

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4月25日 ガガガ

2008年04月25日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1576号   2008.4.25
「ガガガ」

 久々に分析が溜って一昼夜明かした。例年よりは多いようだ。最近は書いた本人に向けてのコメントも増えている。今回はそれだった。これは実は苦しい。ただの分析評定なら遠慮はしない。厳しすぎるというくらいに徹している。本人向けはそうもいかない。啓発的な内容になるから言辞は鈍るし毛布を被せる。
 しかもこのボクが「です・ます」の敬体で書いている。それでも本質は変わらないが、考えたり躊躇や配慮がある分時間は掛かる。
 もっとも表現教育者としては、こちらが本質で、人事に読ませるものは確かに資料的意味合いでしかない。間接教育を狙っているが、全部がそれに対応してくれるわけでもない。
 敬体の割には言葉はきつい。といって「あなたは」などとは書かない。素っ気ないものだろうが読んだら唾を飲み込むような仕立てにしている。会ったことはないが、熟読すればそこに顔も歩き姿も浮かんでくる。
 数日離れていてイベントや原稿や取材でウロウロしていたから、チャンネルの切り替えに時間が掛かった。それでも十人ほどじっくり向かい合えば、脳内の歯車が動き出す。やっと深夜二時を過ぎてから脱兎のスピードになった。
 一昼夜で三百人は超した。後二十人残して少し寝ようとこれを書いている。この癖が治らない。最後までやってゆっくり寝ればいいのに、何やら勿体なくなる。起きてぼんやりするのが嫌なのだ。どこか焦りがあり、しかしもう時間の問題で終わるのだというこの安堵感。してやったりのこの微妙な余地がいい。
 ポットのお茶も飲み干さない。少し残っているのがいい。カップのコーヒーもいい加減冷たくなっているが三分の一くらいは残す。本もそうで九割越して休む。
 これを仕上げの美学と自称している。そしてたっぷりと時間を掛けて、最大のゆとりを持って、含み笑いをしながら最終段階を迎える。ささやかな配分だ。誰も知らぬ。
 膨大な仕事量が終わったときよりも、あと少しまで来たんだというときの方が達成感がある。終われば仕事の質もチャンネルも変わる。封入とか梱包とか電話とか。その間が延ばしていたちょっとしたこととか。つまりは集中がない。完全に周辺処理になる。
 そして眺めるのだ。あとこれだけか。しなくてはならないことが比率として減少し、その後の想像の光景が増大する。わくわくしながら残りを仕上げる。たっぷり時間を掛けるのに、あっという間に終わる。
 マラソンなど絶対出来ない。ゴール前一周残してきっと座って休む。そして寝そべってみんなのゴールしていく姿を見ながら観衆の表情を見ながら、やおら立ち上がって、手を振りながらゴールする。
 カンダタの気持ちが分かる。やれやれここまで来たら、下を向いて焦る。そこで焦らぬ境地になれば彼も違っただろうに。
 冬眠時は毎日これだった。そして特講があり、なんやかんやがあってまた籠もっている。しかし上下左右のトンカンやガガガはかなり五月蝿い。ということはそれだけ集中していないことを意味している。さすがに昼は、「黙れ!」「五月蝿い!」と大声で叫んだ。聞こえたのだろう。静かになった。暫くするとまたガガガを鳴らすから、また叫んだら静かになった。「この野郎、ふざけるな。降りて来い」。ほぼヤクザ言辞になっている。彼らもふざけているわけではなく、気を遣った労働をしている。怒られても困るのだろう。やっぱり降りて来ない。来るわけないか。そのうちボクは集中したのだろう。気にならなくなった。騒音問題は慣れと集中しか実質解決策はないか。田舎の蛙も似たようなものだ。
 工事はいずれ終わる。それを想定するならこの喧騒も悪くはない。いずれ終わるものを文句の対象にしても仕方ない。
 状況対応型の論文ばかりだ。それでいて変革意識を持とうという。何云ってるんだろう。変えないことも変革。変えなくてはならぬものは主体的か対応か。今がこういうときだからこうしましょう、か。それじゃ戦後の若い連中と同じだ。こういうときを創出しましょう、にならない。建設がなく適応だけ。これは企業もいずれ滅びる。めっきりそんな連中が増えた。
 雰囲気を持つ。雰囲気を作る。みんなを巻き込む。その能力をなぜ積極的に評価しないのだろう。それでいて人間関係が問題のトップだなどと。君が君のままでいようとするからだよと何回か語りかけていた。人を潰し人を退屈させ人を屈折させる組織は組織ではない。あの倦んで怠惰そうでしかし斜めに構えてインテリ的センスを撒き散らしているような、もうそれは卒業だよ。駄目自己をひけらかすようなものじゃないか。
 さて。寝よう。街が起きてくる。

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4月24日 学力調査

2008年04月24日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1575号   2008.4.24
「学力調査」

 朝刊に今回の学力調査の分析コメントが載るはずだ。毎年のようにその都度新聞社は違うがコメントは求められる。もう五年くらいになるか。客観的で独立していて専門の研究実践の場にいるのはボクくらいなものだ。しかも35年前線に立ち続けている。当然なのかもしれないが、忘れずに声を掛けてくれるのは嬉しいものだ。言論は迎合することなく常に研ぎ澄まさなくてはならないと自戒する。
 新聞には三百字程度のコメントだ。云い尽くせないところもあるから、今日は書いておこうと思う。
 小六と中三対象。以前に比べて言語理解と表現に関して意識的に作られた設問だ。その意味では本義に徹しているし、前例踏襲的な怠惰さはなくなりつつある。良化したと評していい。
 また課題文も小六は椋鳩十の「大造じいさんとガン」と「母熊と子熊」を並列させての複合読解、比較対照を図るなどなかなか面白さはある。中三は「戦国策」や古典の「馬盗人」から出題している。これもなかなかいい。真っ当に検討すれば現代文は物足りないものだということが確実に分かるはずだ。しかし、折角の出典ながらそれをより深耕していくことは面白いはずなのに、そこからの質問はどうもありきたりだ。また表層の感がある。
 文章題は、現象領域と本質領域に大別して可だが、その前者に傾いている。大山鳴動させようとしてねずみが前足で突いている感触がある。本質に踏み込んで哲学や思想や生き方への深度を試みることなければ、所詮は本来の思考・洞察読解の力量は測れない。また面白みは減退する。
 それは出題者は多分分かっている。分かっていて躊躇している。そこに配慮の限界線が見える。
 生徒も教師も「いい問題だなぁ」と感嘆する「作品としての課題」を創意工夫しなくてはいけない。これを理解させればいいという水準は興味をなくす。退屈を助長する。
 小六は問題数は少ない。読解問題はやや難度はあるが、AとBの落差があり過ぎる。これは学力への予定調和を感じさせる。中三はABともに一定の密度はある。
 記述が増えている。大変結構だが、条件をつけすぎるのが難。これは採点者を悩ませる。いいことだ。次第に○×ではない、高次多元の理解が採点者に課せられる。マニュアルだけの理解者はその場から排斥されることになる。これは本当の意味での再生につながる。国語は特に指導者の含有領域が問われる。狭隘な者はいてはならない。
 ただ多様な回答を評価できるだけの採点者を確保しているか、甚だ疑問ではあるが。去年も大混乱をきたして馬脚を満天下に露わにしている。
 リテラシー・実生活現場に則した問題は課せられている。かなり良化したが、まだ表層技術論に偏している。なくてもいい。国際学力比較での反映が感じられる。それはそれとしてもっと独自の基軸を作り上げるようにした方がいい。場当たり過ぎる。しかも社会と学校との遊離をいけないとする論理は本質ではない。社会での有用な人間とは、こういうテストで示されるべきではない。むしろ実生活や社会を根底から問う、問題意識の形成が有用になる。そこの教育哲学が不備のまま状況迎合している。これらを勘案していけば、今回の調査は茫漠さがある。瀬踏みがあり、配慮がある過度的な産物と云える。そのために複雑化してマニアックになる部分もあった。
 鮮明に打ち出せないもどかしさがある。芽が出たという辺りか。ボクならばもっと問題量は増やす。
 基礎から練成、高次まで揃えていい。漢字も熟語も文章作成も言い換えも増やす。また課題文ももっと骨格が明快なものを選び、一設問からの枝葉を広げる。そして間違いと正解という選択肢は採らない。順当度合い・思考度合いを点数化する。引っ掛け問題などはいらない。二元論は控える。
 もっと率直でストレートでいい。
 問題意識・視点観点・読解分析・論理構成・言語化・蓄積認識・・。どうもボクにはこのテストを見る限りでは目的はわかるとしても方法整備や体系的整備が疎かに見えてならない。本当に研究して組み立てているのかい?と聞きたくなるのだ。
 うんうんと考察していき、「おや?」「ん?」という箇所が多いのだ。大丈夫なんだろうな。本当に分かっていて作り出しているんだろうなと言葉が出掛かるのだ。
 そんなところだ。これに五時間費やしていた。
 「頭」が「頭痛」で「痛く」なっていた。「今夜」も「一晩中」「徹夜」で「一睡もしない」羽目になった。

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4月23日 うちの子に合わない

2008年04月23日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1574号   2008.4.23
「うちの子に合わない」

 人には添うてみよ、という。染まってみよ、ともいう。こういう言語遺産を残した人は苦労した人なんだろうなとつくづく思う。人の中に入り、そこで生きていくしかないのだから、始めから合うの合わないのと云ってられない。どんな扱われ方をしようがどんなキャラでいようが、そこで自己を位置づけていくしかない。結婚などもそんなものだったのだろう。そうしないと生きていけない現実をただ黙って受け止めてそして生きていったのだ。しかしこの言葉には奴僕になれという意味はボクには感じられない。むしろ自己を持って律していく質のように思う。「みよ」。従えではない。従う選択もしてみたらいい、と云う。これは意志とか意地とか研鑽・修行をしようとする者が語れる言葉だ。起点に一人の生という冷徹な認識がある。社会や関係を直視している姿勢が貫かれている。
 そしていつしか人が自分に添ったり、染まったりということにもなる。自分の道を開拓していたということにもなる。あるいはいつも例に出す女優のように過去の道に多くの人の死骸が転がっていくことになるかもしれない。したたかで怖い生き方だ。強烈な生の謳歌がそこにはある。なまじの人ではこれは生きられない。添ったらそのまま。染まったらそのまま。そういう自己の弱さを掲げている人は無理だろうな。
 結局はそこで何を見い出し、何を学びを、何を糧としていくかが問われる。これは観点の問題になる。つまらん学校でも会社でも教師でも上司でも家族でも。それはある。そこにいて消化したなら色褪せたのが本当に自己の成長故だとしたら、脱皮もよかろう。止めない。そうではなく「今」の自分の価値観や感情や観点での結論だとしたら、愚かなことだ。文学やドラマのサンプルとしてはいい。見ている分には、また劇中人になろうというのならいい。
 ちょこちょこと店先を覗いて、合うだのなんだのと云うのは所詮は冷やかし客の域だ。自分から自分をそう貶めている。
 そんなに自分は堅固な存在だとなぜ云えるのだろうかと不思議に思う。それは本質の真剣さを感じさせない。その姿勢で「合う」と思ったとしてもそう長くない時期に飽きるか、齟齬を感じていく。するときっと云う。「合わない」。
 価値観を持つというのは選択肢の主体を保持していくということではない。選択肢を内包していくことだ。一つや二つの思想や価値観をご神体としていくことではない。「私の価値観」というのは往々にして「私の好み」と云い換えられるような段階で停止しているのが現状だ。それも個人として尊重の対象になると暗黙の了解がある。それに疑問を持つ者は、選択しているつもりが、実はさせられているのだということにいずれ気がつく。
 好みは傲慢と居直りとを道連れにしがちだ。親がそうであれば子はそれに引き摺られる。
 最近多くなった。「子に合わない」「子に合う」と云うものいい。軽薄な流行語だから一見納得できる。しかしよく考えてみると釈然としない。
 学校選びでも教室でも、「合わない」ということを口にする親。そして合うところを探す旅にでも出掛けるのだ。いずれ住まいも店も道も空も寺も国も星も自分をもそう云って旅をするのだろう。ご苦労なことだ。その心の遍歴と頭脳をドキュメントにしたらさぞかし後世の資料になる。しかも不思議なことに「合わない」場は拒否して「合う」場を求めている。合わない場を合う場にしていくことはしない。随分と世の中は幅が出来たものだ。多彩とは色の屈折なのに。ならば屈折や濃淡や変換機を持てば無限に変えられるものを。のこのことお出掛けなさる。
 気になる。合わなければ合わないでいいとする文化を日常化していった先のことだ。虻蜂取らずになるだけではない。偏狭で矮小な自己をきっと持て余す。合う人だけの群れでひっそりと生きるか。
 学校でも教室でもいっぱい山ほど星ほどあるように見えるうちは、まだ理解力は低位だ。本当はそんなにはないのだよ。
 この言葉に縋る心理。危険な匂いがする。

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4月22日 わんぱく宣言

2008年04月22日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1573号   2008.4.22
「わんぱく宣言」

 五回目になる。初回が懐かしい。全国区に育ってくれた。応募数も増えた。今回もあえて辛口の審査委員をすることになった。それが名物にもなったという。現代では悪役だ。それだけ厳しさがなくなり、みんなが優しく励まして褒めていく文化になったことを意味している。
 賢い人はそれではいけないなと思いながら、自分から厳しい役に回ろうとは思わないらしい。楽を選ぶ。あるいは中和する。
 よそのコンクールの審査は大衆の前ではほとんど全員が褒める。それでいて審査会内部や個人的会話では厳しい。その厳しさはなかなか漏れない。
 世間は悪口や批判はしない方がいいのだという常識を持ち始めている。それは厳密には防衛。そこに人としての無難さはあっても、指導者としての責任は回避する狡さがある。要は嫌われたくなく、好かれていたいのだ。
 褒めるは叱るの百倍の効果。かつてそんなタイトルの本もあった。その頃から子を褒める文化が蔓延している。あるいは人権への過剰配慮もそこにセットされた。傷つくという言葉も全員が使いたくなってきて、傷つけてはいけないのだとこれも過剰に相手を気遣う姿勢が流行した。親も教師も祖父母も。ただ褒めることに傾斜していくようになった。
 これは本当は危険で、バランスを欠いたものになる。褒めるとおだてるのは紙一重だ。褒めることに慣れると狭隘な心になりがちだ。
 自信のない世間から相手にされないような子に更に追い討ちをかけて厳しくすると確かに生きる背骨が砕かれることもある。毎小の「作文からコンニチハ」という二十年近く続いた連載では、多分学校や世間や本人も評価しない作文をあえて取り上げて、良質な部分を見い出して光を当てて評価していくことを主として来た。そして自信を回復し蘇生していった子たちも多くいた。それはボク一流の手法だと評された。それはいい。それは今でもしている。
 しかしその間に時代意識は大きく変化した。戦前の世代がこの国の人口比から消えていく。この世代は頑固な人もいたが、少なからず志があった。容易に人には褒めてもらえないものだという人生の下積みを少なからず体験していた。世間を舐めてはいないし、甘くないことを知っている。だから簡単に優しい面は見せない。後で考えれば優しさなんだと気がつくような仕打ちを平然としていた。ボクもそれを受けてきた。鉄は熱いうちに打てとか獅子は子を谷に落とすとかそんな毅然とした対決していく緊張感があった。
 驚くことだが、会社でも学校でも社会でも、猫撫で声の甘さが横行していくようになった。ただの装着としての優しさチャンネルが設定されていて、その実一気に裏返しされる冷たさが厳存している。
 間違えてはいけない。人を育てる優しさと駄目にしていく優しさがある。育てるのは鍛えていくことだ。過保護母の甘い雰囲気と嫌われたくなくうまく遊泳していこうという思惑が、子育ての環境になった。サーモスタットのようなものだ。濃淡や温度の高低がない。守ることと笑顔と楽しさが目標になりつつある。その偽装に気づく子がいたとすれば、そこからの育成をどうしていけるというのだろう。多分言い訳と自分が正しいと合理化を図るか。あるいは愛情の二文字に逃げ込むか。
 期待している素質にボクはいつも厳しく叱咤する。それは彼らが受けなくてはならない人間環境の風雨だ。誰かが真剣に担わなくてはならないこととしてある。感情で好みで叱る人と志と信念を持って叱る人は見分けがつくものだ。どこまでも越えられぬ高山を突きつけていくことは、自分の位置を知ることにつながる。一時丘に変貌して見せることがあったとしてもだ。厳然としてのほほんとしていればますます高くなる山を見据えさせなくてはならない。それは人を知る。出会うことを体験することだ。
 人はその意味では平等なのではない。知的能力的格差はあり続ける。見ないで排除していけばいずれ身に跳ね返る。
 見ないで生きようとしたら、手を揉んで評価者に擦り寄る。受けを意識するだけになる。それは自己表現の根幹を崩す。甘い水は喉から手が出るほど欲しいのではなく既に日常化しているからその延長にあると考えてしまいがちだ。辛さを知らぬ者に甘さの度数は分からない。
 チヤホヤと表向きの肯定評価は口当たりも耳触りもいい。本気になるならばハードルをどこまで掲げられるかが自分で問われていることに気づく。
 素朴で自然なこの作文がいい、という姿勢があればそれはその形を与えることになる。それに子ははまろうとする。優等性的でなく、というのも形になる。「わんぱく」とはそれらを排していける突破していける質でもある。ということはどうしたって常にそれでいいのかと辛口批評される羽目になる。そこで鍛えられていくのだ。傾向と対策で「これでいい」という種類のものではない。
 ボクはその役をする予定も立場でもないとは思っていたが、自然にそうなってしまった。甘んじてやっていこう。ボクが厳しく云えば、中和していくコメントも映える。そこでもまた理解水準の炙り出しができそうだ。
 そうだな。極端に怖い先生に会っていれば、そこそこの怖さはどうということもなくなるか。ボクがわんぱくでないとまずいな。

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4月21日 春雨慕情

2008年04月21日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1572号   2008.4.21
「春雨慕情」

 「ボクの涙で曇らせて見せる」
 「もう降ってるって。しかも土砂降りだし」
 「・・・・」

 「春雨じゃ。濡れて行こう」
 「風邪引くわよ」
 「・・・・」

 あぁ馬鹿馬鹿しい。この程度のことで笑いになるのか。ひっくり返し、半音上がりを等身大以下に落とす。そこに云ったらどんな反応をするのかの窺い目があり、そしてこの程度でも乾燥した笑いにも飢えた人たちは過敏に笑おうとする。ひょうきんであろうと努力している無理な自然体とキャラ作りはそろそろ食傷気味だ。といって相手の♯や何オクターブも上がった自意識過剰の個人劇場に付き合うのも面白くない。
 生きる現実を見据えるならば、砂漠を起伏に富んだ色鮮やかな世界に変えていくことなど朝飯前のことだ。思えば世界は変わる。多元宇宙など誰でも持っているし、そこを飛行している。わざわざ論ずるまでもない。
 不動明王の憤怒の表情し悪霊への対峙と帰依への決意だとどこぞの坊主が語っていたことを思い出す。彼は「無理矢理、帰依させる」という言を使っていたように思う。やはりなと思った。体系化した宗教論理としては必然だ。行動の原理になる。仏教に限らぬ。カトリックもその原理あらばこそ世界に進出した。憤怒には決意がある。その根底は深い慈悲があると。それはそうだろう。云わずとも分かる。だから大日如来の化身とも使者とも位置づけられる。
 体系になれば、矛盾を排して完結を求め、世界合成を仕上げようとするから、きっとここにはこういう存在をこう準備するだろうと思っていれば、そこに位置されている。究極は個人の内に、山川草木の内に神仏はあると、そういうことになる。派遣社員のようでもあるが、見方によってはそれは主体だということにもなる。観自在は君そのものに備わった能力だよと。融通無碍も君。捉えようによっては個人をモンスターにしていく。そこで戒律も作られる。結構気を遣っている。畢竟「こう解する」という学習になる。
 読解学習をやっているようなものだ。そこに深浅があるだけだ。
 ボクは雲海で遭遇した像を気にしていたら、その憤怒の意味を「解する」流れに乗っていた。その坊主の解釈とは少しばかり違う。生きる現実を直視した者がその体系と教義に対峙している悲哀だと思った。
 そんな風にお教えを得たとしても、ねえ。ボクは生きてしまった。考えることをしてしまった。係累もある。そして消滅していく。生に執着して精一杯生きて、それを突き抜けた境地を得て、笑って自然に滅したらいいかもしれない。しかししかしそれは本当は本音は嫌だよ。存在し続けたいよ。その愚や痴をなぜ取り澄ました論理でもっともらしく誤魔化せるものか。存在してしまった悲しさばかりを引きずるなど面白くもない。どうしようというのだこの身を。高い場にいれば慈悲の表情で居られる。降りていくほどに悲しさに変わり地に着いた途端に憤怒の表情になる。所詮は感情だもの。ここに置くのか。ここに自己を配置してここで朽ちよと。・・・徒然草の木上の法師も宇治拾遺の絵師良秀も、そこには取り澄ました坊主の姿が重なる。地上で地を這うものとしての人の現実を、そこで蛇の卵を孵す雌鳥を笑うツバメのようにはなれないのだよという、直視をボクは思う。
 彫刻家だとしたら、画家だとしたら、ボクもきっと憤怒の極地をそこに作り出している。優しさより怖さがその怒りの極限をあえて描き出して安置する。慈悲深い優しい善の表情は本質的に個々に内在する悲を溶かさない。逆に鏡として突きつけることの方が真摯だ。真摯だが巧妙ともいえる。そこに大衆の若干の進化への対応処置がある。多分疑問を持つ者が増えたのだ。
 十字架のイエスの断末魔をなぜ掲げているか。という問いにもそれは通ずる。やって見せないとならないと語った三島由紀夫も仄かに連想できる。
 紅蓮の炎は身を焼く。付帯を焼き尽くして何もない空を見い出そうとする。物理変化なのに。何が残るか。何も残らぬ。それを背負って怒って剣と綱を持つ不動明王。剣かコーランかの装いですらある。捕縛するよは、されるよ、でもある。不動は素朴な根底の希求か。台座はそのものズバリで磐石と称したと思う。なんと悲しい。なんと人の生きる現実を表現した像であることか。
 春雨はその炎に降り注ぐ。それを慈雨というか。
 「ねえ、ママぁ。傘持ってて」
 「どうしたのよ。」
 園児らしい男の子が黄色いレインコートを脱ごうとする。
 「駄目よ。濡れるでしょ」
 「だって。歩きにくいんだもん」
 「何云ってるのよ」
 ・・・コーヒー屋の前でやり合っている。母は赤い傘だった。
 その光景が夕方の神保町の人々に溶けていく。
 歩み来た春は、これから一雨ごとに歩み去る。
 最近神保町の人種が変わり始めている。

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4月20日 切れ目

2008年04月20日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1571号   2008.4.20
「切れ目」

 朝の雑務は空間に心身を馴染ませる時として大切だ。一時間もあれば終わる。処理は次の創造だけれど含みを盛り込んだ処理を工夫していくのが楽しい。そう云えば表のドアノブに「ささま」の和菓子が引っ掛かっていた。留守に来訪戴いたようだ。出版社の企画室長。大きな字の表書きの封書がそこに入れてあった。最中だった。これで殺人事件は起きないだろうとあれこれ妄想に走りながらひとつふたつ食べる。口に入れると間が悪いことに電話が掛かる。味わうつもりが話しに没頭しているうちに味覚的を通過していて食べたことも忘れてしまう。
 しかし助かった。この最中のお陰で以後の来客は皆神保町の銘菓を口にする。そこから和菓子論議が始まる。最後は教室の生徒たちもそれに参加し、食べ終えた。かなりの数があったことになる。知的空間には古典甘味が似合う。ケーキは大き過ぎる。
 環境教育のシンポジウムを六月にやる。その詰めの打ち合わせがあった。現職大臣も参加する。これが一時間半。次のエコ大賞や国際子ども環境円卓会議の企画もほぼ決めた。国連で子どもにスピーチさせようと思う。アフリカの子は環境と国境問題を突いてきている。少し大掛かりにしてみよう。
 次に五月いっぱいで書き上げる本の内容の詰めをしていた。ここでも最中は効力を発揮する。しかし内容を話しているときは昂揚するものだ。話はどんどん展開する。三部作までいく。まだ三冊書き上げていないのに、こうして自分の首を絞める。これが一時間半。
 新婚のダスキン君が来て、次は傑作な友人が突然顔を出した。オイルパームとか何とか云う木をフィリピンに植樹するのだそうだ。ガッツ石松なども参加するから力を貸せという。表現教育者は湿度と暑さは忌む。まして俺がスコップを持って苗木を植えるなど場面を想像して見ろと云い、それもそうだと笑うが、結局秋にチャーター機に乗り込むことになった。作文研から五十人くらい行ったらいいと。物事を気楽に考えていける資質は嫌いではない。地球と日本のためだと豪語している。そのときに高一の桑田が時間を間違えて顔を出す。最中を食べながら話しに耳を傾ける。行き掛かり上彼も秋に行くことになる。なんでフィリピンなの?日本じゃ育たないんだ・・・。帰ってから真剣に調べているボク。
 社員分析が少しばかりあった。講義までの時間にやる。三々五々顔を出す受講生たちは思い思いに本を読んだり、宿題や問題集を開いている。最中を堪能している。
 分析が終わり、わいわい話しに加わっていると講義時間になる。徒然草四十一段。なかなか深耕読解できないもどかしさが残る。恩田はこの最中は品がいいという。
 仏文の深井えりこが久しぶりに来た。娘の大学が決まり、息子の大学後の進路も大方定まった。面白い。表情に安定が戻っている。髪は白くなりかけている。もうボクとの付き合いは12年だと述懐する。
 指導を終えた頃、現代警察の岸常務来訪。原稿チェックだが、その後土屋も交えて国家論の話が弾む。人口論、言語、差別語論・・。やはり感覚は皆健調だ。こういう中から次の計画が練られる。
 そこに深井の息子が来る。大学院に行き、国家公務員を目指せ。お前にはそれしかない。と告げた。外は愈々雨脚が強くなっていた。最中も終わった。
 一日切れ目がなかった。本格始動はいつもこんな時期。サロン室の葉だけだと思っていた植物にピンクの花が三輪咲いた。
 右手の擦り剥いた後は、北斗七星の形になった。離れて北極星まである。時折それを眺め、左の指で辿ってみる。
 これが常態だったと思い返していた。帽子を明日から変えよう。

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4月19日 利子補給

2008年04月19日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1570号   2008.4.19
「利子補給」

 貧しくて学費が出せないから進学を断念する。これは今に始まったことではない。大学どころか高校さえも行けないボクの同級生が多かった。無論低学力ではない。できる奴も多かった。
 高校に受かると地元の新聞に名が出る。その朝「おめでとう。ボクの分まで頑張れよ。ボクも少し遅れるけれど君に負けないように東京で頑張る」と中卒で就職していく友人が電話、といっても当時は有線だったが、をくれたのを思い出す。申し訳ないように思えた。
 そいつは、夜学に通い、高校、大学を出た。工員から始めて役所に勤めるようになった。背負うものが違う。
 岡山の突き落とし事件など親も子も情けない。断念など日常茶飯事が生きることだ。それでも志があってやろうとすればやれる。身分制度ではない。金の現在性の多寡が何で人を決定していくものか。どうも根幹がおかしい。
 東大の合格者の大半は高額所得者の家庭だと、よく報道される。大半はそうでもそうでない人たちもいるということを報道することも正しいペンの使い方だ。金がないと勉強もできない。本当にそうか。ボクは根底的疑問を払拭できない。
 ならば、金がないと出来ない勉強とは本質なのか。そういう風に設えられたと何で考えないのだろう。それが何のためか何を目的としているか、明確になる絶好の機会ではないかな。
 本質の学習をして、人格も磨き、この世の生を粛々と生きている者は、浮薄の学習やそれによって得られたキャリアをいくら翳してもそれで朽ちるものではない。むしろその限界を露わにしてみせる立場を得る。
 生きるということの路線が既定であるなどと教える教師や親がいたら前代未聞の愚者であろう。開拓し作り上げていくものだ。必要なら必要を限定して大学でも何でも行って学べばいい。金がないなら稼げばいい。稼ぐまで何年かかったとしてもいい。早いも遅いもないし、無駄もない。何事も全てが学習だ。向学心とはそうしたものだ。資格や格好をつけるための勉強も批判はしない。したいものは学べばいい。
 バブル親に限らず、毎日子に大学だの偏差値だの学校や教師や他の子の親の学歴やらしか話題にしない者がいる。子に聞けばそれを飽きるという。他に人の識別基準を持っていないのだ。そのまま社会の中堅に位置していられるという摩訶不思議。面白い社会だ。歩留まり近代を見事に失踪している。これは広義には教育熱を高める。しかし存外目先の貧困な知識情報程度に収束していく。それでもしないよりはましなのか・・。
 都は低所得者の塾費用に利子負担をするのだそうだ。例の夜スペの延長論理だ。歓迎する層もいる。それはそれはご丁寧なことで、善政と後世語られるだろう。福祉政策と教育との融合。やはりそこに行き着く。ほらね、と思う。
 塾の費用負担に問題がある。それなら今の入試制度やそこでの問題の質や大学・高校の教育質そのものへシフトしていかないのだろう。塾に行かなければ合格できないことを公的に是認していくことになる。それほどの質が今の高等教育にはないということか。それほどまでして教育された今の大学生、卒業生なら、なんでボクがその論文の内容に毎年失望していくのだ。
 低学力層は教育機関だけでなく、当人の意志の問題でもある。親の見識の問題でもある。それを高めようとするのは何を目指してのことだろうか。本気にやりたいのなら環境整備だ。意識環境に多大な悪影響を及ぼす要因をこそテーマにしたらいい。それは手付かずなのだ。
 どうもおかしい。政策が咄狂っている。基本としては学校放棄の臭いがある。もう今の学校は駄目だと。それよりも明確な指針と緊張と成果論を持っている塾の方がいいと。
 親もまた進学実績でしか学校を選ばない。低偏差値の学校の生徒を「馬鹿」と云って憚らない。この程度の親にしてこの程度の教育政策。
 ただ可能性の枠を示していけばいいのだ。やる気があったのなら、果実は得られるものだよと、そういう社会なのだよと、示し続けたらいい。進学出来なかったら未来が閉じられるなどとありもしないことを信じ込ませてはならない。現にそういう親や教師はいる。
 貧しいことを恥じる文化はこの国にはない。貧しかったら閉じられていると思い、投げることこそ問題なのだ。それこそ家族の団結や助け合いや同じ境遇の者たちの勉励し合いが濃密な関係を作り上げる。それは生きる試金石になる。叩かれ磨かれていく。貧しいから努力が必要なのだ。格差や不平等を嘆くからこそ自分に云い聞かせられるのだ。自分以外が全員ウサギなのではない。カメの方が絶対数は多いのだ。だから中流幻想にしがみつく愚を止めよとボクは云う。今の自己を直視しろと。
 今の上流は未来永劫上流ではない。今の常識が千年後も続くわけでもない。
 利子補給もいいが、今の奉仕を忘れた見識ない金持ちの金を奨学金とか学費の超長期払いとか、の原資として巻き上げるくらいのことをしたらいい。
 大学なども極端に減少させてもいい。自分の仕事を得て社会を建設し世に貢献することの素晴らしさを提供していく方がいい。間違った利的向学心だけを商売の道具にして醸し続けると学の衰退を招く。朱子学に対した陽明学のように、形式学の行き詰まりは歴史の倣いだ。実学は実践の学。いつしか実利の学にすり替わっている。
 可能性を個々に示せない教育は教育ではない。確かに低所得層と低学力層は重なりがちだ。鳶が鷹を生む喩えもある。鷹がブタを生み育てることもある。そこに人の資質や教育の持つ面白さがある。
 ここ一連のシナリオを書いているのは、ペーパー秀才か貧しさから力を得た一面偏狭な秀才君と見た。いずれにしても広範な見識は有していない。そんな者が力を振るう程度の教育だったのだ。
 こういうことをしているからますます教育国家は失墜していく。
 しかしだんだん炙り出されていくものだね。戦後傾向、近代傾向を是正しようとする側が強権性を持ちつつも、していくことは大衆迎合策。結局は思慮不足が次々に露呈してしまう。愚かさを自覚すればいいが、できないから愚かなのだが。やればやるほど空転していく。これこそ論理破綻。国民は改革ならいいと言葉と変化幻想にしがみつく。この国の中核は行政府や立法府にあるのではない。個々人の中に存する。それも投げるか・・。

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4月18日 矛盾疑惑

2008年04月18日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1569号   2008.4.18
「矛盾疑惑」

 ここ二日ほどこの言葉が妙に引っ掛かっている。昔はよく使った。高校の頃など「矛盾」は常套句だった。当時の政治運動言語としては不可欠だった。毛沢東の矛盾論などもきっと影響していた。
 歴史の教師や倫理社会の教師も使った。数学の教師も使っていた。議論の場など「そういう矛盾がね」などと攻撃していた。
 ということは、矛盾がないことがいいことだという認識に必然取り込まれていたことになる。語るときも書くときも矛盾なく、突っ込まれないようにと整合を常に意識していた。論理的に弱い者は既定の論旨に従い、定式のフレーズを用い、出来上がる論理は焼き直しですらない、コピーなのに、それでも何かしら自分で先端の意識に立っているような錯覚を持つ者が多かった。ボクもそうだった。
 論理の体系は怖いものと思った。そこに行動が絡み、議論のための議論があり、そこでの論破されぬための知識と言語武装をし。糊塗だよなと思った。連合赤軍の事件など、行き着くはずだし、戦時中のヒステリック化も、新興宗教も、構図は同じだと思った。外在環境の建築、内在環境の精神医学。これはボクの中では必然だった。挙句言語表現に到る道も。
 と・・・。ここでもボクは「必然」を描こうとしている。そういうことなのだ。染み付いている。こじ付けか、つじつま合わせか。そこに一貫性の回路を求めてしまっている。しかも生き方やスタイルまでそれは連関させる。
 まだまだ「矛盾」と突っ込まれることへの予防線を張っている。本当は一貫はあったかもしれないが、ただ、ふと、何のことはなく、してきたことは多かったはずなのに。分かりやすさはそこなのにね。
 楚に矛と盾売る人あり・・。故事成語では著名な言葉だ。初めて知ったとき面白いと思った。そうやってできる言葉があるんだ。言葉は最小の文学。歴史そのものだなと楽しくなった。
 ある人が質問する。「ならば汝、その矛でその盾を突いてみよ」。そこから矛盾・・論理としては背理かな・・が生じた。
 それを知ったときのことを鮮明に覚えている。ボクは「なぜそんな質問をするのだ」と思ったのだ。矛と盾は別々のものではないか。それをなぜ合わせて考えようとするのか。ボクならその両方を得る。左手に盾。右手に矛。それで済むことだ。右で左を突く必要はない。
 おかしいと思った。別の領域のものだ。矛群の中での秀逸と盾群の中の秀逸。それだけのことではないか。突いてみろではなく、それぞれがあるということに意味があるのではないか。それぞれがそれぞれの範疇で競って研磨して開拓していくことが本来ではないか。
 剣豪が子どもの銃弾に倒れたとしたら、剣は銃に劣ると結論付けるのだろうか。などと。
 矛盾はこの商人の売り文句上への揶揄。野次。その際「これは売るため、それぞれの品質水準を諸君に誇大に描こうとしてする仕儀。間違っても両者を試せなどと云ってもらっては困る。またすべきものではない」と云ったらよかった。
 ここにあるのは政治のリアリズムだ。出会わせ戦わせて優劣を決める。金太郎社会が根底にある。共存論ではない。この野次を飛ばした者を賢い、鋭いと思いがちだ。世間の一般感覚はそれを支持し、困惑する商人を見て楽しむ。そういうリアリズムが体系と無誤謬を生む。
 整合したら納得する。パズルのように当てはまり、きちんと揃い、間違いなければすっきりする。その心情はどこに由来しているのだ。
 破綻の切れ目が口を開け、矛盾が縦横に散乱山積し、混濁の淵にいるから人は思索し、自らを問い、混迷の渦中でもがく。そこに活力の源泉がある。歴史的に混乱期の方が哲学や文化芸術は隆盛していく。統一という言葉が隅々まで浸透したら人は逼塞し窒息する。
 知らずボクらはそういう体系に進んで組み込まれている。
 最近、この言葉は使われなくなってきた。一時は小学生も使っていた。そこに何を見い出すべきか。矛は矛。盾は盾。そう思えるようになったとは見えない。統一の体系と整合は虚構としておけばいいではないかと考えたか。この野次君の問題意識すら後退させたか。それは進化なのか。
 本当の意味はこの野次そのものを揶揄し、窘めたものかもしれない。

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4月17日 雲海

2008年04月17日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1568号   2008.4.17
「雲海」

 どうやら高い高い山にある館のようなのだ。お盆がクルクルと回転しながら館内の階段を昇り、長い無人の廊下を走り、表に出る手前でカランカランと回転を落とし静止した。
 雲海に手を伸ばそうとしていた。それは薄明の時で、黄色や紫や橙がグレーの間に間に見える。まるで水の表面を細かい雲が薄く覆っているように波打つ。
 しかも無辺の広がり。遠くに山頂のようなものが突き出して頂点は光る。
 手を延べて差し込むと、それは青みがかった透明の水の世界。海のはずはないのだがと、不思議に思っていると次の瞬間、その中に吸い込まれている。
 ボクは器用に平泳ぎで泳いでいる。いくつか部屋があり、一つ一つの部屋は趣が違う。一つの部屋に入ったら奥まったところに神像がある。跪き手を合わせる。次の部屋にも神像が安置してある。像ではなくひょっとしたら本物かもしれない。やたら目や顔の表情がリアルなのだ。
 そうして次々に部屋を訪れる。何なんだろうと首を傾げながら泳いでいる。刀を縦に持っているのは毘沙門天のようにも思えた。名札もないからどなたかは分からない。
 その水は澄み切っている。呼吸もできる。部屋ごとに微妙に色合いも異なる。神像とは云いつつも仏像でもある。中国の神らしいものも混ざっている。その部屋の奥からは中国の高官の声が聞こえた。
 また館に戻った。雲海はますます波打ち、薄明が更に明るさを増している。お盆もまた回転して廊下を走っていく。館の周りには龍が潜んでいる。
 また泳ぎ始めた。訪問先は少なくない。一つの部屋には目を見開き火のように燃える像があった。口も開いていたようだ。憤怒の形相なのか判然とはしない。左手に笏を持っている。冠もしている。妙に気になった。全体が朱色に染まっている。
 叱られている気がした。「何やってんだお前は」「為すを為せ」と打ちのめされているような。その場を離れたら大笑いが聞こえたようだった。
 何だろうか、これ。

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4月16日 回転レシーブ

2008年04月16日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1567号   2008.4.16
「回転レシーブ」

 ちょっとランニングをしようとしたのだ。代々木への舗道を歩いていた。気分が昂揚したというか娘にいいところを見せようとしたというか。突然走ろうとして腿を上げた。二三回やったら躓いて転んでしまった。暫く両足が痺れていたが、大部調子は回復した。ただややもつれもあったのだろう。それに何に躓いたか判別できる明るさではなかったが、転倒した。しかしここからが書きたいことの本領だ。右から崩れて右手をついた。そして次に一回転していたのだ。そしてさっと起き上がる。
 これはただの親父のできることではない。柔道で云えば受身。volleyballで云えば回転レシーブ。昔とった杵柄と云うべきか。自然に体が動いている。
 しかもだ。その後何事もなかったように起き上がり、ジーパンを払う。こういうところをぜひ監視カメラで撮って後で模範的転倒シーンとして公表して欲しいものだ。
 無様に転ぶのは美学に反する。少し前のぶら下り健康器の醜態は過去のものとして葬り去りたくなる。確実に全身の運動神経機能は回復基調にある。
 通りすがりの人たちは珍しいものを見たような表情をしている。娘は大丈夫かよと云いつつも顔は笑いを堪えている。いや笑っていた。手を繋いでくれたのが何気に嬉しい。転び方にも芸があるのかと話し合っていた。
 最近ボクは芸風が変わってきたらしい。
 これは絶対ミスを全身でカバーしようとする咄嗟の脳の指令によるものとしてある。一瞬だ。数秒のこと。ということは神経の伝達と運動が実にスピーディーであることを実証したことになる。健在。健調。
 昔誰ぞの結婚式に新婦の裾を持っていた老女が、転んで一気に立ち上がって何食わぬ顔でまた裾を持ち歩いていたシーンを思い出した。笑いを堪えるというよりはその見事さへの感心が笑いを押さえ込んでいた。みんな見ていたがみんな感心していた。転ぶことよりもそこからの立ち直りが重要なのだと、人生の妙をも悟ったように思った。大袈裟か。
 とはいえしたたか膝も足も右手も肩も打った。痛てて、ではあるがこれも妙なことに何やら憑き物が落ちたようで、痛いが前の痺れは消えている。軽くなったのだ。
 どうやらこれは天の意志。彼の場所で転倒しなくてはならぬ必然が仕組まれていたようだ。その場所は幼稚園のときに娘が交通事故にあった場所。そのときも大事にならなかった場所。偶然というものをボクは信じていない。曰くある特別な場所なのだと思う。右にドコモビル。気をつけないとならない。
 帰宅して膝を見たら擦り剥いている。右手の平も痛いと思ったら擦り剥いて大小赤い斑点が14箇所ついている。これは名誉の勲章ではあるが、結構痛い。消毒、湿布なんぞをして見掛けも痛々しくなった。
 これは厄落としだな。右半身が長いこと重かった。そろそろ本気になって執筆しろということか。サボっていたからな。こうして打つことはできるし。大部腫れは引いた。慎重にしていてもいろんなことがある。

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