日刊ミヤガワ 911号 2006.6.30
「バカの振り」
極めて好意的に考えてみよう。実は現代日本は世界に向けてバカの振りをしているのだと。プレスリーモニュメントの訪問総理を笑う米国の記者。何で云うとおりになって保身に走り、油断させて、刃をかわす。
世界からも無視されるほどの浅薄ぶり。バカそのものの芸人たちの世界訪問。かつての真面目で勤勉で何を考えているかわからぬ日本人が、尊敬されつつも奇異に映ったことを返上しようという戦略と考えたらどうか。
愚民化という国内向けの自堕落蔓延を企図しているだけをみても仕方ない。弱く愚かで金しかない国民を世界で演出していくことで、強国の慢心を促し、下手に出て油断させ増長させる深い意図があるとすれば、それも一理とうなづかぬわけでもない。
それほどにしょうもない者たちが表に出ている。ゴールデンタイムのテレビなど見られたものではない。政治家もそうだしトップ官僚も似たようなものだ。
揃って競い合うのは知性ではなく、笑いかしょうもなさだけ。
これはしかし個人のレベルでは本当に賢い者が使う常套手段だ。相手が調子に乗れば露わになる。国レベルというのもどうか。それほど戦略がないのか、津々浦々まで圧迫状況があるかということになる。
日本はひどいね。昔日の面影がないね。みんなおかしくなってるよ。力もないね。と思わせておくことでのメリットは何か。
油断させて何を得る。尊敬されぬ国を演じて何を残す。肉を切らせて骨を切れるか。密かになんらかのプランでも進行しているならいいのだが。そんなしたたかで大きな絵を描けるような雰囲気は感じられない。あったら面白いが。
「バカの壁」に皆共感した。その通りだが、実に不思議でもある。なんで皆が納得するのだ。これは既にリトマス試験紙の効用を持ったのではないかと穿ってみたくなる。なんで皆が思っていながら、その「バカ」が続いていくのだ。
多分に確認とガス抜きだ。共感してそしてどうなった。考えてみればおかしなことだ。
逆にわかった上で惚けていきましょうと云っているようなものだ。実際そうしている。笑いに誤魔化し、冗談に紛らわし、ボクらは結構本質を真面目に語ったり、読み合ったりしている。それは流行でもあるが、それを纏いつつ案外真摯だ。そして見るものは見ている。
一旦ガラッと雰囲気が変わればまた多くの国民は意匠を変えていくのだろう。そういうしたたかさを時々喝を入れながら、持続させ、鍛えているのかもしれない。
と、考えてみたらそれはそれで成立しそうだ。しかし本当に振りではない者たちの闊歩が目立つと不安になり、好意的仮説が根本から崩れそうになる。
バカな振りをしていれば本当にバカだと思う素直な人間もいる。時にバカバカしくなる。もっとも振りをしている人は自分は振りをしているとは云わないものだが。
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「バカの振り」
極めて好意的に考えてみよう。実は現代日本は世界に向けてバカの振りをしているのだと。プレスリーモニュメントの訪問総理を笑う米国の記者。何で云うとおりになって保身に走り、油断させて、刃をかわす。
世界からも無視されるほどの浅薄ぶり。バカそのものの芸人たちの世界訪問。かつての真面目で勤勉で何を考えているかわからぬ日本人が、尊敬されつつも奇異に映ったことを返上しようという戦略と考えたらどうか。
愚民化という国内向けの自堕落蔓延を企図しているだけをみても仕方ない。弱く愚かで金しかない国民を世界で演出していくことで、強国の慢心を促し、下手に出て油断させ増長させる深い意図があるとすれば、それも一理とうなづかぬわけでもない。
それほどにしょうもない者たちが表に出ている。ゴールデンタイムのテレビなど見られたものではない。政治家もそうだしトップ官僚も似たようなものだ。
揃って競い合うのは知性ではなく、笑いかしょうもなさだけ。
これはしかし個人のレベルでは本当に賢い者が使う常套手段だ。相手が調子に乗れば露わになる。国レベルというのもどうか。それほど戦略がないのか、津々浦々まで圧迫状況があるかということになる。
日本はひどいね。昔日の面影がないね。みんなおかしくなってるよ。力もないね。と思わせておくことでのメリットは何か。
油断させて何を得る。尊敬されぬ国を演じて何を残す。肉を切らせて骨を切れるか。密かになんらかのプランでも進行しているならいいのだが。そんなしたたかで大きな絵を描けるような雰囲気は感じられない。あったら面白いが。
「バカの壁」に皆共感した。その通りだが、実に不思議でもある。なんで皆が納得するのだ。これは既にリトマス試験紙の効用を持ったのではないかと穿ってみたくなる。なんで皆が思っていながら、その「バカ」が続いていくのだ。
多分に確認とガス抜きだ。共感してそしてどうなった。考えてみればおかしなことだ。
逆にわかった上で惚けていきましょうと云っているようなものだ。実際そうしている。笑いに誤魔化し、冗談に紛らわし、ボクらは結構本質を真面目に語ったり、読み合ったりしている。それは流行でもあるが、それを纏いつつ案外真摯だ。そして見るものは見ている。
一旦ガラッと雰囲気が変わればまた多くの国民は意匠を変えていくのだろう。そういうしたたかさを時々喝を入れながら、持続させ、鍛えているのかもしれない。
と、考えてみたらそれはそれで成立しそうだ。しかし本当に振りではない者たちの闊歩が目立つと不安になり、好意的仮説が根本から崩れそうになる。
バカな振りをしていれば本当にバカだと思う素直な人間もいる。時にバカバカしくなる。もっとも振りをしている人は自分は振りをしているとは云わないものだが。
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