日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

9月30日 辞任

2008年09月30日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1734号   2008.9.30
「辞任」

 失言したから撤回する。撤回しない。辞任する。おかしなことをしているものだ。政治家や議員や無論大臣が自分の存念を語って憚らぬことこそ意義がある。国会で追及されるから未然に芽を摘もうという思想。これは政治戦術的であって凡そ政治の信義ではない。
 中山某の発言内容に賛成も反対もない。彼は彼の信念を言葉にしたのだから、何も云わぬ云えぬその他大勢よりはよほどましだ。刺激したり対決したりすることこそ政治家の本分であって、大人しく職を全うしようというのはサラリーマンの思想だ。辞任に追い込んでよしとしているのならば、ひとつにはその御身大切、安全無事の思潮を蔓延させる。それは政治家のサラリーマン化を促進する。言論の対決を前面に押し出せない政治言論の貧弱さを招く。
 「偉い」人の失言を待って突いていくのも何回となく見てきたが、気持ちのいいものではない。確かに資質を疑う発言もある。しかしなんとなく国民が心で思っていることも少なくない。ただそれを口にしたらカチンと来たり、反発する人たちはいるだろうな、とは予測がつく。あるいはそれを意識しての発言もある。なんで発言を潰そうとするのだろうか。どんな下らぬ発言であったとしてもそれを元に議論は出来るし、反感を買うようなものであるだけに国民的関心事は高くなる。果敢に代弁して対決してくれた方が国民としては面白い。そのための代表だ。
 選挙前につまらぬ発言をするものだと、与党議員は云っているようだが、馬鹿なことを云うものではない。むしろ選挙前なら余計にあらゆる要点での対決を鮮明にしたらいいではないか。この行為自体が国民を愚弄し、本音を隠しての予定調和を示すことになる。
 日教組発言に対してなど、堂々とやり合ったらいい。各党も団体も個人も参加したらいい。それは国民的議論に発展していく余地がある。
 内閣への不信を増大させる。甚だ不適当。不穏当。関係各位に迷惑掛けた。きついことを云う。そんな感想を閣僚はコメントする。誰に対して云うのだろう。
 テレビでも、予め批判を受けそうなことは語らないように自粛している。公人と私人という使い分けはあるとしても、曲げる必要のない発言がなければ公人の資格はない。ならばなんのための政治家かだ。
 ここでも一人ヒール役を作り、それを潰して全員が綺麗役をしていく。大過なく過ごせばいいと、そんな文化が随所に見られる。
 云いたいことを云わせぬ存在は既得権益だろう。うまくやってりゃいいんだ、という認識が多くの場にある。それは所詮は小利口な下劣な姿勢だと、いつしか忘れ去られている。
 ポストを得て発言が変わる者こそ信はない。信念が問われている。というか何も期待していない。国民教化の面からしか見ていない。小粒になったものだ。一日寒気がしていた。

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9月29日 場面

2008年09月29日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1733号   2008.9.29
「場面」

 夏以来の場面化の問題。春望と里の秋の講義を通じて、少しは見えてきた。ただ場面化しようというのはやはり多くの子には難しいと思える。慣れていないことと場面を伝えようという意識が醸成されていない。場面ではなく的確な一端の言語で程よく伝えればいいとしている。あるいは本当に伝えたいと云う意識はかつてより減退しているとも見る。
 これは読解力問題の根幹としてある人への興味関心や関係形成の必然からの後退がやはり要因かとして挙げられる。また必要以上の探求や掘っていく意欲がさして感じられない。これは偏差値的な上位者にも云える。むしろ問題集三昧の子たち親たちは、逆に乏しい。必要ないものへの踏み込みセーブの意識がそれをもたらしている。広くそこそこの学習なのだから全体像や世界像などはイメージできそうだが、そこは適応が先行していて踏み止まる。読書好きならばいいかというと以前より指摘している通り行間を読まない仕組みの本への没頭だから抱かせ、これも今ひとつ。
 どうも子どもたちを牽引していくべき上層存在がこの傾向を色濃くしているから、後は推して知るべしだ。
 しかも正しく場面を描こうとしている。それ以上は行かない。どこにも書かれていないことどもを、想像していくという醍醐味を封印していないか。あるいは作家たちの描く世界に圧倒されていないか。享受と適度。それが明確になってきている。
 日常を場面化せよ。というのは再構成だ。そこに正確さと学習の一手法としてあってもそれが正解なのではない。変容させていっていいのだし、そこにこそ面白みがある。場面は心象に由来している。
 それはしかし定着させるには手順が要る。白紙ではダメだと思う。既成の解釈論の作品を、しかも場面が描きやすいものを提供しつつ、そこの場面想像を周到にしていくことだ。
 この二題に関して、ボクは謙遜でなくささやかで貧弱な場面を描いて講義で伝えた。細かいところまで浮かべた。そうしたらみんなしーんとする。そして場面を少なからず共有している風情なのだ。普段の腕白が目を凝らして一点を見つめている。女の子たちは何人か涙を浮かべている。
 無論冗談も云うし、笑いも組み込むが、そんな話をしていくと、子たちは想像の世界を身を浸しつつ、文や言葉の異質な意味や示唆をピーンと感じていくようになる。「木の実が落ちるのはさぁ」と云い掛けると「帰ったんだと思うんだ」。などと云う。「栗」・・。「栗でなきゃダメだよね」などと。何人かの頭を撫でていた。繋がっていくのだ。
 こんなときの作文には場面が描かれる。「囲炉裏端はぼうーっとしている」と設定する子がいる。母子の会話の中に沈黙を入れる。庭の木々にも目が行く。ラジオの置き場所や鍋の種類やその色具合も書いていく。そういうことなんだと思う。
 そこで本当に自由というだけでなく、その作品の設定と根幹を踏まえてイメージしていく学習が成立していくと考えたのだ。
 これを時折組み込んで、次第に自己の日常や過去に向けさせて、次いでそこからの離陸を図るルートがあるのだと思えた。
 夏見つけた宿題を九月は考え続けた。突き抜けていくまではやはり時間は掛かる。ただ自由にさせたらいいというだけのものではない。ボクは彼らが困ったら回帰したり依拠できる領域や道筋を準備しておかなくてはならない。それは法則でも技法でもなく、多分世界なのだろう。そうしておいた方がよさそうだ。
 何となく見えてきたことなので、これも忘れぬうちに書いておきたいと思った。

 七階のエレベータ前の空間を占拠して、ここ暫く自転車をこいでいる。固定している。今夜で五日になる。たった二十分だがなかなかきつかった。ただ両足を回転させている単調さがいい。一日の思考を整理していける。監視役の娘との取り留めのない会話も刺激になる。単調で持続的な運動はそれ自体が規範になる。一日の生彩ある場面化というのは、こんなポイントの有機的配備かとも考えた。運動もしている。医者のはしごもしたし。歩いているし。優等生的だなぁ・・。

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9月28日 里の秋

2008年09月28日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1732号   2008.9.28
「里の秋」

 倹しい母と少女の二人の暮らし。母は色白でか細いと思われる。もんぺをはいていて靴下は白だろう。手はすっとしていて仄かな光沢がある。髪は軽く団子にしている。やつれているけれど美人だと思う。笑うと花が咲くような。三十そこそこの若さ。娘は十歳の手前だろう。もんぺで赤い靴下のはずだ。お下げ髪に赤いリボンをつけている。明るいが甘えん坊だと思える。
 囲炉裏端にちょこんと座っている。母は「火の加減に気をつけてね」などと静かな声を掛けて、大小のお茶椀を運んできている。
 「今年の栗は大きいわね」などとぽつんぽつんと会話が続く。鍋はぐつぐつと音を立てている。コンコン。コン・・。と裏戸で突然音がする。二人はハッとして音のする方へ目を向ける。またコツン、コン。
 そう、木の実が落ちたのね。二人が一瞬想像したのは父が戸を叩く場面。それをしかし言葉にはしない。
 生死も分からず帰還のも分からず、待つしかない境遇の二人。戦争の熱い夏の季節は終わり、日本は秋になった。実りの秋。滅びの秋。栗のイガのように尖った国と国。人と人。もうそれは終わったのだ。しかし出征した人は帰るのも一苦労。政府が敗戦を宣しても兵士は外地に置き去りにされている。きっと無事で帰ってくるわよと母子は望みを繋いで、日々を淡々と生き延びている。
 それを話しはじめたら、口をつぐみ涙が出そうになる。それを思い遣る子は母には語らない。母もその心情が分かるから話題にしない。同じことを唯一の望みとして始終思っていることを知り尽くしている。
 「隣のね。みよちゃんがね」とわざと面白おかしい話題を娘は話す。母は目を細めて聞いて、そして笑う。
 会話がまた途切れる。沈黙に包まれ、お茶に両手をあてがう。
 「縁側に出てみよっ」と娘は障子を開け、雨戸を開ける。そこに座って満天の星の瞬きを眺める。む「お母様。とっても綺麗」。時折やや冷たい風が流れ込む。母はそんな子の背中に目を向けている。
 暫くして「寒いわよ」と手織りのカーディガンをそっと肩に掛ける。そのまま母はこの後ろに立って同じ空を見ている。鴨がパラパラと魂や想念の彷徨のように飛んでいくのが見える。
 「寒いから入りましょ」。云う母を振り向いた娘の目は涙が星を映して光っている。両肩に母は手を載せる。そっと云うのだ。「大丈夫よ。お父様はきっと帰ってらっしゃるわよ」。娘はうんと頷く。そして母の腰の辺りにしがみついて声を忍ばせて泣く。
 母も心で泣いている。「栗。食べましょうね」。娘は囲炉裏端に戻り、落とし蓋を「アツッ」などと云って取ろうとしている。母は雨戸を閉め錠をする。
 今宵もまたこうしてただ二人の時が過ぎていく。

 この父は無事に復員したらいいなと思う。そうであってもそうでなくても、二人はこうして心を紡いで生きていく。そういう家庭が往時いっぱいあったのだ。
 この歌は戦後の文化史として貴重だと思う。先週取り上げてから、知らず口ずさんでいる。たでの秋の情景であるものか。ここには生きる濃厚な現実がある。ドラマの奧がある。
 この少女が今の「70バーバ」になっている。戦後の原点をボクらは忘れてはいけない。

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9月27日 記者会見

2008年09月27日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1731号   2008.9.27
「記者会見」

 大臣の就任会見だけは何故か真面目に聞いている。深夜の放送でもあるから見やすい。ほぼ年中行事になって、距離は近くなっている感触もある。
 しかし、何とも面白くない。緊張しているのはいいとしても、笑いもジョークもない。それを盛り込めというのではない。政治の持っている言語のパワーがこの程度のものでいいのかなという疑問である。つまりは真剣に生真面目にやっていくことがいいのだという認識なのだ。それはそうだ。そうでなくては困るとは分かっていても、実に日本的儀式の真面目さがそこに常に具現していることにはやはり違和感を持つようになっている。聞いていて面白くない。それはお笑い芸人的なものを求めているのではもちろんない。それらを凌駕していける高度に知性の持つ笑いの醸成や発信である。そこに言語センスの乏しさを感じてしまう。あるいは「自分の言葉」というよく云われる要素を希薄にしていることでもある。
 それは記者の質問と姿勢にも通底している。もどかしさが付きまとう。女性大臣への質問など大衆週刊誌並みのものであったりする。これも興醒めだ。
 何故丁々発止の質疑応答を示せないのだろう。予期していないより深化した質問や哲学理念を露わにしていく質問も出来るはずなのに。そこでどう応答するかで人柄の一端も垣間見られるような、そんな作為が少なすぎる。それこそ喫緊のテーマなどへの予定調和になっている。
 総理から指示されることをする。それは分かるが、大臣は手下ではない。総理との不一致があっていいしそれが活力にもなる。チームだから統一していくという発想は本来政治的ではない。
 それに何を自分はするかという構想がない。誰でも語れる範囲にある。私が就任した以上このことは確実に実現させたいと云えないのは不思議なことだ。それは政治家としては欠格なのだ。総論にしかならないのは核心を突いていないからだ。新任の支店長のような様子見が初めからある。
 どうせ長くは出来ないのだ。任期中にこれは仕上げたいと、結果失敗したとしてもそれを掲げていかないと、活力は生まれない。こんなことをしているから官僚たちに舐められるのだろう。考えている官僚にとってはその方が都合はいいが、拮抗していけるだけの力量はなくてはならぬ。
 原稿棒読みは今後は排してみたらいい。退屈で冗漫な会議のような気分が、多事多難のこの国の政府のスタートだとしたらこんな不幸なことはない。
 これは記者の見識が問われる。記者の鋭角で深遠な質問が触発する。やる気がないような気配さえ漂っている。直接的に政治家を育てられるのは実は記者たちだ。その感覚が減退しているのかと毎年思わせてくれる。
 退屈を刮目に転化させられる力を持っているはずなのに残念なことだ。質問とは問い質すことだ。聞くことではない。ここをいつしか勘違いしている。ここにも儀式化・行事化が生じている。かつて政治部の記者など政治家を叱り飛ばしていたものだ。緊張感は常にあった。若い政治家など教えを乞うたものだ。そして記者の本分は忘れていなかった。無論政治に屈服しお先棒になった者も少なくはない。だがそんな連中にも一目置かれる大記者というのはいたものだ。
 この記者会見を三年続けて見ていて、それが見つけられないでいる。これでは新聞の読者も退屈でうんざりするだろうと思う。世論をリードしていく一記者の見識は時として国政をも大きく変える。
 そういう傑出がもうあっていい頃だ。新聞は媒体ではない。それは武器としてあったはずだ。新聞社の社員などという発想は返上したらいい。世を正しく変革していく武器であり続けなくてはならない。それは「律(ただす)」ことに集約される。情報と媒体という言葉に軽く翻弄されてきたように思う。そこに胡坐をかいたら、衆愚は更に拍車を掛けられる。
 就任早々立ち往生・キリキリ舞いさせられる記者会見など見てみたいものだ。いやが上にも勉強し研鑽するしかなくなる。これは悪意でもいじめでない。真に育成していくためだ。

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9月26日 食卓

2008年09月26日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1730号   2008.9.26
「食卓」

 人の生活現場での食べ物と云うのはそうそう日々変化に富んでいるものではない。むしろ十年一日の如く、変わり映えのしない、平凡さが貴重なのだと思う。してみればウラシマの帰還要求の根底には、食傷があったのではないかとつらつら考える。
 サバンナの獣ではないから、食い溜めダメやや不規則な暮らしをしているのではない。幸か不幸か子どもの頃より躾けられた定時三食の習慣は、食をスケジュール化するという生物史上稀に見る快挙だったに違いない。
 だから毎回山ほど異質なものを食べていたら、体調も崩すし文化的にもよろしくない。だいたい糖尿になるというのはよほど幼い頃貧しい食生活だったのだ。それが少しは豊かさを得て内容を変えたり、目新しいものへの欲求が強まった貪りに起因しているのかもしれない。酒にしたって金がなければ控えたり抑える。いくらでも飲めるようになったらいくらでも飲んでしまうというのは凡そ文化的でない。だから買えるけれど我慢するという、この心の制御を余儀なくされるわけだ。目の前に獲物をぶら下げられて指を咥えていろ、それが健康のためだと諭されても、なにやら実験動物になって試されているようで気分のいいものではない。
 食べてもその分運動などで消費すればいいんだとよく女たちは云うが、それこそ消費大衆の成れの果てで、そこまでして食わなくてもいいとつい思ってしまう。現代の女の食い意地と食道楽はきっと未来では特筆されるだろうこと疑いない。
 素朴粗食が結局は身の丈だ。毎日牛だの鶏だの豚だのそうそう食べ続けられるものではない。目刺がいいなとか、奈良漬でいいなと本当に思ってしまうものだ。そうしているからたまの一品や外食がご馳走に見える。ということは反転すれば日常食がご馳走だということにもなる。
 古代ローマも長安・洛陽もコンスタンチノーブルもバクダッドも繁栄の都市は、世界が見られたという。今の東京のように何でも揃っていたのだろう。交易は物が集まる。
 この頃特に思うのだ。売ってくれと云われたとしても売らなくてもいい。買わなくてもいい。世界経済もへったくれもない。安いから売れるからということが絶対価値でもない。安い中国から仕入れた。それが何なのだろう。そんなにしてまで食べたいものがあるわけでもない。挙句に偽装だの毒混入だのと、おかしくないかと思えてくる。
 豊かになったら高いものを食わなくてはならない理屈もない。もう充分食べただろう。ネットの時代だ。全国に販売していますなどというものに価値はなくなる。その地域だけで細々とやっているものが全国に宅配される時代なのだ。たまにそれを注文したらいい。独自性は喚起されるはずだが、まだ全国区への憧憬があるようだ。希少こそ価値だ。
 そんなことを思っていたら突然思い出したものがある。長野の信州新町のジンギスカンが旨かった。時々父が買ってきて、そのためにあの兜のような鍋まで買い込んでいた。高校大学から帰省したときなど蕎麦やお焼きと並んで定番でもあった。
 その内にアパートに持って帰りたかったがなかなかない。「むさしや」のジンギスカンというのを探し出した。滅多に売っていない。市内のスーパーでビニールの袋に入っていた。これも味がやや甘いのだ。そして柔らかい。リンゴでも摺り込んであるか。北海道や他所で食べるものとは比べ物にならない。これは三十代の前半までよく買っていた。もう長いこと食べていない。
 こういうものは検索でもしたらわかるものだろうか。原稿が終わったら試してみたくなった。
 これで終わったら論旨は崩壊しそうで慌てる。
 普通の当たり前の素朴さの規範が失われているということだろう。食と文化的飢餓感は確実に連関している。かつて胃袋の美学と語ったことがある。貧しさ故の「わびさび」は堅持していい。健康のためなどではない。文化のため。
 そう云えばケフィアとかいうものがよく語られている。ロシア美人のもとらしい。ボクが今更美人になるわけでもないが、コーカサスの長寿ヨーグルトの情報と同じで、妙にそそられる。こうして煽られていくのだ。プッチンプリンで我慢しよう。違うか。
 コアラもパンダも偏食だ。彼らはヒトをどう見ているのだろう。

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9月25日 茶番

2008年09月25日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1729号   2008.9.25
「茶番」

 国民は民選国王である大統領を選んでいるのではない。国民に忠実で黙々と実務をこなしていく宰相を間接的に選んでいる。米国などと見紛う派手なパフォーマンスをしたいなら、正直に共和制でも唱えた方がまだすっきりする。一政党の規模はともかく、その首領が誰であろうが、厳密には大したことではない。誠実に職務をこなしたらいい。派手であるべき必要はない。人気を得なくてはならない事情があるとしたら、それは本来の職務とは異質な領域のことである。
 国民の人気というけれど、それは面白半分や人相風体などでは判断しない知的水準のものが大半だとしたら、具眼者が少数だとしたら、その何をバロメーターにしていけるのだろう。気にすると余計に迎合主義になり、大衆は増長して恣意的になる。政治がそれを促進しているのなら、教育の立場はその政治を指弾しなくてはならない。巧妙さを求められているくらいは誰でも考えるが、その観点からしても巧妙に言を構築していく知性は昨今の政治家には希少だ。
 これは扇動政治かにしか赴かない。そして倦むと強権待望の国民意識を醸成していく。そういう路線を今は歩んでいるのだろうが、危険は付きまとう。選挙のための二党間の切磋琢磨はいい。だが任期とは何であったかは問わなくてはならない。
 組織論もだが一議席の重さがどうも反映されていない。これは本質的に機能不全と云うべき有様だ。
 どうみても恒例の秋祭りの体裁になる。何のための政策を講じていくのかすらさして問われない。本当にワイマールドイツの実態になってきている。それはそうだ。学生も庶民も論理を学問を介して学んでいこうとしている段階なのだから。
 必要があって論理はある。起点も見い出せぬ教養武装志向に何をか求めん、だ。
 かつて妃殿下から「お兄をよろしく」と云われたことがあった。その後縁なくここまで来ている。別に彼に含むところも何もない。ただ誰であっても為すべきをどう為していくかを見据えるだけだ。この国の迷走は益々顕在化している。
 開かれた成熟の茶番劇か。為すべき急は何かを示させることだ。あれもこれもなど要らぬ。果断即決の積み上げだ。年金も食も大問題ではない。一策で足りる。引き摺ることが既に無能なのだ。

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9月24日 それまで

2008年09月24日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1728号   2008.9.24
「それまで」

 ある相談に乗っていた。中身はよくあること。どうと云うほどのこともないが当人にとっては深刻だ。黙って聞いていた。その当人の苦悩とは「誰彼がこう云っている」ということを素材とし証拠として自己の不信を構成している。
 途中から失礼ながら吹き出してしまった。相手は目を丸くしている。君はどうなんだと聞いた。愚かではない。暫くして「そうです」と、肩の力が抜けていた。それだけのことだった。
 往々にして人に対しての不信を持つときには、例えば第三者が意図的に流す悪意のでっち上げさえも信じてしまう。それは聞くのは自然だが、当人がそれを信用しようという思いがあるから、それを真に受ける。聴いて聞き流すことが出来ぬ理由は当人の意識に醸成されている。それが土台だ。
 他人などは何でも云うものだ。誠意であっても何であっても、口に出して云う風潮は、それを相手がどう受け止めるかは深刻には考えてはいない。試しもするし意図でもあるしただのお世話もお節介も気軽さもある。さほど斟酌していくものでもない。それを必要以上に期待すべきでもない。
 人の口羽とは、風に舞う羽のように気侭なものだし気紛れだ。いちいち信じていたら錐揉みに遭う。
 自分がどうなのかを見つめていればいい。それが揺らぐのは人ではなく自分の問題としてある。
 「疑い」の対極が「信じる」だという認識は間違いだと思う。これは相互補完の役割だろうし、それぞれがそれぞれを派生していくものとしてある。完全な不信はきっと成立していない。言葉上の処理なのだと思う。
 社会の言語規範・目標言語として、疑いを払拭し、信じられようとする、そういう営為があってこそこの両者は対極化していく。そこに根底的疑念は持ち込まれていない。むしろ信仰の体系の中にある。
 統治としては信じることだけを人々に求めておけばよかったのだ。そこに考える果実を食べさせたから人の苦悩は始まる。だからそこそこ考えさせておけばよかったのだ。考える材料と規範を与えるだけで、その中で努力したものを愛でていればいい。賢くなった人々をそれ以下の能の者は統治できない。近代統治は無論教育の機会を与えつつの愚民化に他ならない。もっと教えてくれ、と要求するのはおかしなことで、そのままでそのくらいでいいんだよと相手に諭されるのは当然のこととしてある。勝手に学べばいい。評価されたかったら、されるようにすればいいだけのことだ。
 本質は信じることと力に拠ること求めているのは自明だ。それは経済活動にも市場原理なるものにも一貫している。
 奇跡を示さないとならないのがこの論理の特性としてある。力もそれが圧倒していることを示して信じさせないとならない。労苦と戦術が要求される。戦争はその延長に位置している。成果主義というものの実体もそれと同質だ。科学の恩恵は活用できる。重宝だ。宗教は科学技術に自然移行していくしかなくなるのは蓋し当然の成り行きだっただろうと思う。
 実証と成果。それは信じるしかないのだよと、品を変えただけのことだ。誰でも考え付く体系補完と強化の手法だ。
 「信じられなくなりました」。それは信じたくなくなった思いの表れだ。それを実証的に論理構築するか。簡単だ。そして得るのは自己の納得と整合だ。そうしないと次に行動できないか。憐れなものだ。
 結論か。いったい人の決定のための要素とは何だろうか。素材・実証・論拠。この論理システムが機能していく背景は何かと考えないといけない。貧困な論理社会。企業倒産も論理の破綻だと云うのだろう。
 危機の現実に直面すると、人の論理化の水準が露わになって興味深い。相談水準も米国発恐慌の分析コメントをする識者も。破綻と共に剥がれ落ちる人々の阿鼻叫喚。それを信じていた人たちの破綻。笑えない。深刻なのだ。

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9月23日 官庁探訪

2008年09月23日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1727号   2008.9.23
「官庁探訪」

 たまたま所用があって文部科学省に行った。これも久しぶりだ。もう十二、三年前になる。最後に行った頃は今総裁選に出ている与謝野氏が大臣だった。元外相の武藤嘉文氏と一緒だったかな。そこに同席していた役人も、もう外部に出たそうだ。昔のことだ。正面に車を止めたがそこは文化庁だと云う。抜けるとエスカレーターがあってその奥に新しい庁舎が出来ていた。ここはかつては車を止めていた場所だったように思う。デパートのような雰囲気になっていた。
 変わるものだ。してみれば新しくなってからは知らないのだ。別に行く用事もない。職員の顔つきが変わっている。若々しくなり、しかもボンボン顔が多くなっている。育ちの良さと清潔感がある。以前はもっと骨張っていた。一癖ありそうな面々が多かった。生意気さが滲み出ていた。それが面白くもあった。訪問者も専門家のようで曰くありそうな面々だった。スマートになったものだ。俗に云う役人面は変化している。素直そうなのだ。それにまず驚いた。
 たまには探訪しなくてはいけない。行き交う人は何を勘違いしたか会釈をしている。こちらも「やや、どうも」などと声を出している。
 違和感がある。詮無いことだが、文教の行政府は古くていい。壁など剥がれていた方が趣がある。内省の主。未来の国を構築していく総本山だ。古くても品格があった方がいい。そこでこそ人は映えるものだ。その辺の企業のようにすることはない。そんなものは大学や研究所にさせたらいい。綺麗なエレベータに乗りながら出迎えの青年君にそんなことを話していた。
 教育なんぞは保守の牙城なのだ。良くも悪くもそういう場があることで、このままではいけないという葛藤は空間として形成される。そこに倫理が生まれ、思索に基点意識が生まれる。権あるところは貧しくなければいけない。権力が威容を示すのは危険なことだ。それは視角を奪う。
 古いから保守だから、先端に向える。その志向がなければどうしようもないが、中途半端な現代風は妙な充足を与えてしまう。
 少し気になった。
 ボクが見たいのは基軸と指針だけだ。細部などどうでもいい。この空間のどこにその濃縮があるのだろうと思いながら杖をついてゆったり歩いていた。今は過度期。本当の変革期に差し掛かっている。これはこの国の未来に多大な影響を及ぼすことは自明だ。そのためにボクも別基軸を貫いてきた。迎合は一貫して控えている。しかしよほどの馬鹿でない限りは、指針は必然として策定される。問題はそれをどうしていくかだけのことだ。世に逸材は多いが、それをコントロールしていく者はいない。それを今の政治家や官僚に求めるのは酷だ。また手を出せば確実に非難され圧迫され元も子もなくす。
 知っていてそれをしろと云うのもおかしい。国事に尽くすのはポスト権限と人を良導していくことに他ならない。それは権力でさせるのではない。必然の回路を示していくだけでいい。
 ご存知の通り、日本の戦後立国は自前でやれるほど牧歌ではない。限界と桎梏があるのが権限だ。動きやすくするのは外部存在の有機作用でしかない。
 それは分かる人には分かる。問われるのは公益と未来益の展望だけだ。私利私欲の曲学阿世や出入り業者には出来るはずはない。逆に利用されて捨てられる。そんな手合いはいつもいるものだ。進んでカートリッジ奴隷になる努力をする意義を自己の人生を賭して問えばいい。
 古来、学者・研究者・教師とは媚びるものではない。浮世俗世からは遊離しているものだ。組織に組み込まれても組み込まれぬ思索空間の自由を持たないと、国そのものの教育や文化の根幹が腐敗していく。
 文教行政はだから本質において堅固でなくては困る。目先の朝令暮改はそんなものは政治理由であれこれあってもいい。それを一陽動作戦として見ていく賢い国民でなくてはならない。それを本気でやっていく行政府ならこれはダメだ。あちこち睨みながら下地が厚く結果として進化しているならいい。それを政治家や官僚が発言できるものか。
 忘れてはいけない。従うのではない。自力涵養が国の行政水準を押し上げるのだ。依存と批判だけを常としていくと確実に崩壊していく。ボクはその過度期とも見ているのだ。

 神保町からの距離は意外に近かった。たまに行くのもいい気分転換になる。そろそろ仕事が溜り始めた。12歳・ドラえもん・論文分析・わんぱく・原稿・・。来るときは一気だ。
 カップヌードルを食べながら講義の準備をしていた。湯を吸い取ったくらいが丁度いい。麺が柔らかい。表層の政治の軽躁の動きなどに翻弄されるべきではない。賢い国民は骨格と流れを洞察しないといけない。

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9月22日 奥歯

2008年09月22日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1726号   2008.9.22
「奥歯」

 約十年間下の奥歯なしで暮らしてきたんだと振り返った。胃腸には迷惑を掛けた。前歯で噛み潰すことには限界がある。テキトーな食生活はここに起因している。思い立って名医伊東哲明氏を幕張に訪ね、懸案は一時間で解消された。今日は何年か振りに入れ歯安定剤を買い、下の部分入れ歯に装着した。このガチガチの音がいい。懐かしい。
 機関銃のようにテンポよく噛み潰しているのが痛快だ。リンゴも柔らかくする必要はなくなった。食べることが楽しくなる。言葉も漏れない。前はこんなだったのだなと口内の感触を一日味わっていた。
 解消はほんの一時間。しかしそれまでの年数が貴重に思える。とりあえずで過ごしてきた。いずれいずれが生活習慣を作る。日々ひとつひとつを確実にこなしていく人は立派だ。ボクは優先順位では自分のことは後回しになる。
 歯医者に赴く前にはここ二年間のコイン貯金を銀行に持ち込んだ。これも百キロ近い重さがあった。更には眼科。そろそろ一年経つから本格的に対策を練ろうと思った。しなくてはならないことの前に優先順位がある。その意味ではここ二週間は中間決算のようなものだ。チョコチョコと細かいことも整備に入っている。今日は靖国神社から久々に歩いていた。小雨だったがいい気候になった。奥歯効果と云うべきか。
 咀嚼・噛み砕き・消化。これはやはり原理なのだ。飲み込んで消化しようというのは面白いが力業だ。支障も無駄も出る。人も人の言葉もやはり奥歯に向けなくてはならない。人は体から学ぶものだ。
 日々に妙なゆったり感が出来つつある。これはどうも意地になってやってきたこの間の反省に立っているようなのだ。
 人には固有の速度というものがある。ボクが走っているときはゆっくりしている者たちを見るとイライラする。見ないようにしてきた面もある。最近は人の速度が見えてきている。合わせはしないが掴んでもイラつかなくなった。こんなに自分のことを優先してきたことはなかった。これもいいものだ。友人たちは、そんなことは当たり前だと云うが、そうでもない。しなくてはならないことがいつも繰上げで眼前に出現する。
 なければ作ってきた。
 しかし自分のことばかりは任せられるものでもない。年貢の納め時というのはやってくるものだ。そんな時を暫し楽しんでいる思いもある。
 奥歯にものの挟まったような、という表現がある。明確に云わない呈。しかし奥歯がないのだから挟まるものもない。よってボクはストレートであり過ぎたのかもしれない。出来のいい入れ歯だから挟まらないが、少しは表現を先遣隊の如く処理してみようかとも思った。ただ笑っているとか。目で話すとか。速度の差を活用した表現も面白いかもしれない。
 後はタンスだな。チェストとか云うらしい。書斎のコックピット化を一気に達成させよう。ロマン主義のようなものか。後回しにしたものを入れ替えていくこと。人は没入突出にも期限を持たないとまずいものらしい。

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9月21日 沈黙の花嫁

2008年09月21日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1725号   2008.9.21
「沈黙の花嫁」

 左側に大きなカーブがあった。そこは竹薮の山を迂回している。ボクのいるところからはまず車の鼻が見え、次いで反対側の車体が見え、そこから直線道路になるから運転手側の車体が見える。全容が見えるこの場所が好きだった。車もバスもトラックも時に馬車も生き物のように見えた。
 そこに濃い茶色のボディと縁が黒っぽい、ピカピカに輝く古いロールスロイスが突然その高貴そうな鼻を見せた。おやおやと思う。多分ロールスロイスだろうというだけで、確信などあるはずもない。小型の鼻付きバスのような大きさだ。それが滑るように走ってくる。
 見惚れていると、ボクの前で止るのだ。そして後部が観音開きになる。中から白い服を纏った女が降りる。それもこんなに乗っていたのかと思うくらい次々に降りる。まだかまだかと唖然としているうちに、直線道路の舗道付近に皆が並ぶのだ。白い貫頭衣のようなものだが、アラブのように頭を覆っている。靴は見えない。地面に裾が触れている。男もいるが女もいる。何の儀式かと思うのだが、ずらっと勢揃いして並ぶ。全員が一言も口を開かない。この沈黙は何なのだとボクはただ呆然としていた。
 ピーンとこれは霊柩車かと思ったのだが、降りた人が花嫁らしい。それに白い絹の布が後部から道に引き出されて延ばされている。これはバージンロードかと思う。その布の左端を持っていたのは、これも着飾った帽子をかぶった男。アラブの商人のような雰囲気だ。そして何故かその端にうっ伏して泣いている。人々も静かにすすり泣く。
 これはどうしたことだ。何があったのだ。花嫁は悲しそうな顔をしつつも凛として立ち、気品ある顔を見せようとしている。しかしよく見えない。風でも起きてくれたらもっと表情が窺えるのに。

 今朝方のことだ。妙な夢を見た。こんなに鮮明なことも珍しい。起きて暫くしてメールを貰った。作文研の教え子の母である右田優子女史が亡くなったという。九時だそうだ。この夢と同じ時間。この花嫁は右田優子だった。
 体調が悪くて転院をしていたことは聞いていた。しかし日刊も講義レポートもベッドで読みたいと云っていた。いつも送り続けていた。今年の新年会にも元気な顔を見せた。夫が酒類組合の理事長とかで酒も差し入れしていた。一緒に写真も撮った。あの時のカメラマンも彼女の人脈だった。二月の学士会館の講演会にも和服で来てくれていた。
 赤入れにも顔を出し、二千円の会費でいいというところをいつも二万円を包んでくるような人だった。騒がず静かに影に日向に支援してくれていた。
 ボクが耳が痛いと云えば、対処を教えてくれた。原稿でもテレビでも適切なアドバイスも叱責もくれた。作文研文京族の要の人だった。癌が蝕んでいたらしい。そんなことを何も云わない。ギャーギャー騒いだボクは恥ずかしい。一人息子の圭一はまだ小学生。四十歳そこそこの若い死だ。聞いてしばらく頭を垂れていた。一人の母の存在。それはボクにも掛け替えのない人だった。寡黙で、笑うとしゃがみ込んで大笑いする。サロン室に変えたときも「いいですねえー」と見渡していた。入会のときも一言二言話しただけで「分かりました。お願いします」ときっぱり云っていた。
 過大評価もしてくれていたが、そのせいでそれに値する研鑽をしなくてはと思わせてくれた人だった。言語作用を逆に受けていた。惜しい。愚にもつかぬが惜しいと正直思う。右田毛利の一族。料理も研究していた。雑誌に原稿も書いていた。才媛だった。もっともっと活かせる歳になろうとしていた。
 土曜に精神科医の大塚佳子と彼女と三人で暫し話すのは面白かった。本質を語り合える貴重な人だった。
 次々に思い出の場面は浮かぶ。ドクターストップも何もない。通夜には行く。圭一の顔を見てきてやろうと思う。
 苦難はあったはずだ。それおくびに出さぬが察しはつく。大悟の死を迎えたと思いたい。嘆くのではない。バージンロードを歩むのだと思いたい。右田優子よ、永遠の死を生きよ。君は肉を分けた子を残した。そして言葉を書き残した。人はそれ以上何をし得ようか。その言葉の奥に託したものを託されようではないか。言葉は食物連鎖のそれに似ている。無辺の宇宙と異次元に飛翔せよ。そこで更に高次な知、あるいは無に到達せよ。死は融解。恐るる勿れ。瞑せよ。
 ただ作文研に君の席は残そうと思う。日刊も送り続けよう。矮小な生を営む者の愚と笑え。死に気紛れはない。

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9月20日 なにものか商会

2008年09月20日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1724号   2008.9.20
「なにものか商会」

 たまたま某自治体との絡みで、未就職者や就業しても長続きしない者たちの支援が出来ないかとの打診があった。ニート・フリーターというだけでなく、何に向いているか何をしたらいいのかが分からぬままに悶々と過ごしている若者が多いらしい。それを就業させたり定着させたり何をすべきかをアドバイスしたりということをしたいらしい。
 聞いていて気持ちが悪くなった。元来ボクは自分で生きていこうとしない者は理由の如何を問わずよくないと思っている。それは決して社会保障の対象ではないし、すべきでもない。それには毅然とした社会の厳しさを前面化していくことが必要だと考えている。
 この社会は働かないと生きてはいけない。ただそれだけのことなのに、しかも何千年も前からそうしてきているのに、何を血迷ったことを云うのだろうと不思議なのだ。働けないのならそのままでいたらいい。誰も働いてくださいなどとお願いはしない。したくないならしなかったらいい。したい人は山ほどいるし教え子の中でも二つ三つ掛け持ちしている奴だっている。稼がなくてはならないときはただ稼ぐ。そんなことに理屈も何もない。「分かりました。頑張ります」以外に言葉など要らない。資格やキャリアなどあろうがなかろうがたいしたことではない。やる奴はやる。
 そんな理屈抜きの現実を知っているのならば、自己を改造しようが仮面をつけようが、していくしかない。自分が為すべきことはまずはそこだ。生活のために稼ぐことは社会で生きる人として最低限のことと考える。自己実現だの理念信念だのというのは、それを土台にしつつのものではないか。
 悠長なことを云ってる連中に支援。優しい国だ。そしてみんなで就業の義務を果たしましょう、か。別に働いてもらわなくてもいい。それによって食えないとなったらそのときに突きつければいい。ドロップアウトした者に助けは要らない。ただやる気があれば可能性は開かれていることを示すだけでいい。
 自分が何に向いているか分からないという。知ったことではない。永遠に探していればよろしい。そして病理にでも逃げたらいい。医者やカウンセラーは手ぐすね引いて待っている。それが彼らの仕事でもあるから。
 仕事はないのか。選んでいるのか。したくないのか。まったくないなら作ればいい。作文研なら五千円で作れる。能力など蓄積の中で育成していくものだ。今時の学校や大学でそれが見い出せるとは思えない。これらはほぼ個人的問題としてある。
 支援して何になるのだろう。本当の支援は厳しく放置していくことではないのか。やるしかない回路を作ることではないのか。もしも全員就業が理想だというのであれば。
 どこかの会社にでも就職したらそれは成功ということではあるまい。そういうことに向かないというのであれば、それは大変結構なことで、手に職をつけるか、人のやっていないことで人に喜ばれることを見つけていけばいい。職人や専門家はそこから生まれる。既成などではない。創職に向ければいい。絶えて久しい伝統を復活させるのもいい。そこまでの自由と可能性があって、それでも出来ないというのは、ボクには怠慢と映る。
 難関の企業だって潰れるのだ。問題も起きるし、乗っ取られもする。リストラにも遭う。安泰とか保障というものを価値としていくのは厳密には愚かなことだ。委ねて安全の時代は既に終わっている。安全と思い込んでいる者たちの意識の集積会社はいずれ確実に破綻する。
 自立の過度期として見ていたらいい。組織依存の支援は精神的によくない。本当は社会と自己の関係が見えていないのだ。
 などと悪口雑言。君らのしていることはとんでもないボタンの掛け違いだと、やや罵倒の域。ボクを見てみろと云ったら、だからお願いしたいと云う。論理的にはいい。人が集まらない企業も困っているのだそうだ。それは魅力がないからだ。そっちの方が重要だろう。金を払うから来てくれというだけではダメだ。金を求めるものしか来ない。何を創り、何を売っているか、何に寄与しているのか、そこから何が派生していくか。語れないのは埋没する。意義があったら人はただでも働くものだ。
 暫く話していたが疲れて横になった。そういう事業に自治体は金を出すのだという。だったらボクのところに持って来いと云ってやった。
 きっと研修だのなんだのやっていこうというのだろう。それも予定調和の仕事だ。画期的ではない。「なにものか商会」でも作ったがいい。仕事を見い出して創っては振る。その内に面白くなったりするし、何者かになっていく。研修室で仕事ができるものか。
 遊撃隊でもいいな。日本遊軍というのもいい。途中からそっちに頭が向いて妄想が広がっていた。

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9月19日 児戯の群れ

2008年09月19日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1723号   2008.9.19
「児戯の群れ」

 「大人の対応」の後日談をしなくてはならない。いい時期だろう。曲げて相手の顔を立てる。真っ当なものにしてやろうと敢えて、引いて場を守り立てた。無論作文研各位だけでなく多くの人たちの協力があった。ところがだ。それが終わってこの時期になるまで何の挨拶もない。大人の対応をして、相手がそれを汲んで理解して対応しないというのなら、それは子どもの対応以下。少なくともボクの教え子にも悖る。一つは環境教育シンポジウム。この主催の新聞社は愚物と云うしかない。最後に司会も譲ってやった。しかし詰まらぬ下手な司会をして興醒めになった。それでも学校を休んでまで親も子も参加した。どうけじめをつける?更に会場参加者の八割はボクの関係者だ。主催者はどれだけ集めたか数値を示してみよ。つまりは動員すら真剣ではなかった。はっきり云えばおんぶに抱っこだ。論旨も論拠もありはしない。その能力のなさを知るからボクは指導する。小池百合子辺りにいい関係でも持ちたいという下種根性だろう。
 盛会だ。そんなことは決まっている。そして終わったら自分の成果でも社内で誇っているか。どこまでも下劣は下劣なものだ。社長以下何人かは昼時に挨拶には来た。それは当座のものだ。終わってからきちんと報告旁アポを取って来るのは当然の大人の礼節というものだ。そんなことも知らず分からず、今まで生きてこられたとはなんたることか。まともな教育も勉強もしてこなかったのだろう。
 来やすいように終わってから、電話を入れた。戴いてすみませんもない。ボクの心にないないお世辞に喜んでいる。この程度で日刊の新聞などよく出せたものだ。大人の対応に心に期するものでもあればいいが、きっとない。浅薄な成果主義と無責任体質は、きっといずれ放逐される。現にボクにこういうことを語らせたのが全てだ。そろそろ訪問してやろうかと思う。
 次は12歳の文学賞。これも対応が不全だ。どうもボクを下請けの人間のように扱っている。云わなくては分からない。終わって担当が挨拶に来るのではない。責任者が来るべきなのだ。ここも常識が欠落している。理念と信念で関わり指導する者と、イベントとして好評を得ればいいという水準の者とは次元も質も違う。そんなことを今後もしていれば確実に行き詰まる。
 次は教育祭りかな。事前に学生諸君は来たが、終わってからは来ない。しかも司会のフランクは暫くして御礼にと来たが、主催者は来ない。そういう扱いをするのなら最初から呼ばなければいい。民主党の鈴木寛とかいう議員が仕切っているらしいが、電話一本もない。寄越せというのではない。大人の対応とは何かを考えろということだ。教室が満員になって好評だったから行った甲斐はあった。それをもって個人的にはよしとするが、体調悪化を知りつつ見舞いにも来ていない。
 よくよくボクのしていることは評価したくないのだと見える。議論にならないのは明白ではないか。それとも含むところでもあるか。いずれにせよ、こうしたことを思わせる以上、払拭する努力をするかは突きつけることになる。言い訳も逃げることもさせない。少し本気になって成長させないと教育にならない。学生の一人は特講に来ていた。それはいい。健全な感覚を持っている。
 税金もそうだな。これも主催者は実に愚かだ。納税教育としての指針と具体論を提示して見せたが、どうやら三年目はやりきれないらしい。ご指導戴いてと税務官僚も云っていたが、主催の腰がふらついている。要は税務署にいい顔をしたかったというだけ。本気になってその種の教育や問題意識を喚起していく姿勢はなく、ポーズだったことが実証された。今年はどうするのかとボクの入れた電話にも逃げている。指導が気に食わないということと共に指導内容も拒否したということになるから、これはただ敵対という認識になる。今に至るも何の連絡も申し開きもない。国税も評価していたものを簡単に開催しないという決定をしたのだからさぞかしそれに変わる画期的な催し物でもするのだろう。ここにも半端で無責任な姿勢が露呈している。
 ただイベントをすればいいというものではない。そこには常に萌芽がある。それを見い出して大切に育てていくことをしないと形骸化し下らぬ年中行事に成り果てる。要するに分かっていないということだ。
 指導や心血の協力を拒否したのだから、それなりの覚悟はあると見える。
 だから協調とか合議というのはつまらぬのだ。ボクが個人としてやってきたものはみな根付いている。やることで炙り出しになるからボクには何のマイナスもなく、ただ見透かすだけのことだ。連中のバカさ加減が世間に露呈していくだけのことになる。
 この国で大人の対応はもう通じないのかもしれない。一から噛んで含めるように教えていかないと金や力があっても使い方が分からぬらしい。市場原理と格付け辺りに翻弄される者に見識を求めることが土台無理なのだろう。
 忘れていたが、ふと思い出したからこれも忘れぬように書いておこうと思う。戦場とはそうしたものだ。

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9月18日 出不精

2008年09月18日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1722号   2008.9.18
「出不精」

 子どもの頃、野山を駆けていたとついつい思い込んでしまっていたが、どうも記憶を辿るとそうでもない。ほんの数回のことが鮮烈だから、いつもそうだったと思っていたようだ。
 近所の子たちと遊んだ記憶も鮮明だが、よく遊んだと暗くなって帰ると家族に褒められてもいた。
 つまりアウトドアではなかったようなのだ。それを年を重ねるごとに認めたくなかったように思う。ここ数年だが連休などもほとんど家にいる。用事があったとしても出るのが億劫になる。疲れていて、というのは事実かもしれないが、出ること自体に、それを想像しただけでも疲れを感じる。自他と事務所の往復だけだと余人に指摘されて、確かにそうだと振り返る。
 決意して出掛ければ、それはそれで満足も充実もあるし、いろんな観察も出来る。刺激はあるが、さして思索の枠外のことはない。確認になってきている。
 書斎や事務所にいて退屈するということもない。中学も高校も大学もどうやらボクは部屋の中の宇宙を満喫していたようだ。祖父は外に行けと云う。祖母は滅多に外でうろうろするなと云う。父はアウトドアで母はそれ以上に外好きだった。引きこもりでもなんでもなかったが、人との付き合いには神経を使い過ぎて帰ると寝てばかりいた。
 作文研を作った後も、休みの日は寝るしかなかった。通信だけの十年でも週末にはボロボロになっていた。ビデオでも見ながら寝入っていた。旅行で楽しむなどという性分ではない。何が面白いのかと思っていた。海外旅行もそうだ。だから仕事や目的が鮮明なら行けた。行楽とか物見遊山は性に合わない。真面目とかではなく、これはただ関心が向かないということになる。だから行ったとしても何をしていいのかがわからない。実に退屈で怠惰だと思えて体調を崩してしまう。
 日常がつまらないのでなく、そこにこそ集約があって前線だと思う。無駄な時間というものはないと思ってきた。
 人の想念が流れ込んでくる。一歩出れば凄まじい言葉や思いや隠れた言葉の乱舞なのだ。それは家にいても感じられるがまだ規模は広くない。電車などに乗ったり盛り場を歩けば錯乱しそうになる。それがこの数年一層強まっているように思える。
 暖かくゆったりとした善意の人々の想念ならまだわかる。どうもそういう人の絶対数は減ってきたように感じられる。街の人々がギスギスしてただ急いでいるようなのだ。そして浅い視野と遊戯性でその場をしのごうとしているようなのだ。やはり心性の崩壊が五感だけでなく飛び込んでくる。深夜徘徊もしなくなったが、まだ深夜の方が心の平安が保てるように思えたからかも知れぬ。
 シンポジウムやなにやらのイベントに出掛ければ、下らないバカ同然の者たちがどうでもいい話をしている。それに頷く聴衆を見るだけでも目を閉じたくなる。それを洞察するまでもない。
 人は気紛れだし、心を砕いて提供しても、得たものだけを掴んでラッキーと思うだけになっている。浅ましいというべきか。平衡感覚を持つ者は口を閉ざし、深く思索する者は更に沈黙し、乗りで生きる者は喧騒だ。みんな逃げ口上が上手くなって、それを合理化しようとしている。
 外に出てもつまらんのに、よく皆出掛けようとするものだ。そうか。出掛けても見ていないのか。見たいものだけ見てあとは閉ざして防衛しているのか。しかしそれは勿体無い。
 何のための思索か、わからない人たちが増えている。それで自己実現か。なりたいものになれるのは簡単なのだ。なれないもどかしさの蓄積や苦悩がその生命なのに。

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9月17日 生き甲斐天使

2008年09月17日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1721号   2008.9.17
「生き甲斐天使」

 生き甲斐をなくしている老人に生き甲斐を与えようと云う。
 これどうですか。
 それは嫌だ。
 これどうですか。
 それも嫌だ。
 こういうのはどうでしょう。
 もっと他にないのか。
 ・・・次々、生き甲斐箱から取り出してみせる生き甲斐に老人は首を振る。
 ・・・ある老人は、そのひとつひとつに飛びつき、体験して、いつも飽きた。
 ・・・ある老人は、そのやり取りを窓際で眺めては深く溜息をついて、目を外に投げた。
 ・・・ある老人は、天使に説教を始めた。「君君、生き甲斐は与えるものじゃない。思い上がって勘違いしてもらっちゃ困る」。すると天使は「ではあなたには必要なさそうですね」と微笑んで冷たく突き放し二度と現れなかった。他の老人は云う。「あなた、正論を云っちゃダメですよ。今時私らのわがままを聞いてチヤホヤしてくれる天使は貴重ですよ。適当に聞いて遊んでやればいいではないですか」。
 ・・・別なボケ老人が突然ボケた振りをやめて口を開く。「生き甲斐を見い出して、それに生きているのならここにはいない。今の世話をされる生き方のバランスを取ることがむしろ生き甲斐ではありませんかな」。そしてまた見事にボケを演じ続ける。
 ・・・ある老人は云う。「人の情け・国の情けに縋って生きていることのどこが悪い。潔くないとでも思うのか。あなたの生きてきた価値が今ここに現れているではないか。訪ねる人も少なく、呼んでくれる人もなく、それがあなたの人生の対価なのですよ」。
 ・・・例の老人はますます苦々しく口を閉じる。静観していた老人は薄笑いを浮かべながらそれと気づかれぬようにそろそろ色をつけ始めた庭に木々を見ている。

 生き甲斐天使はその会話を聞いている。そうだよ。あなた方の心底は見えている。人を長く生きてきたのだからその経験の結実はそれぞれ貴重なサンプルだ。生き甲斐を与えてそれを学ばせてもらっているのだ。生き甲斐とは何かを考える間もなく、力もなく、あるいは封印して生きてきた人たち。憐れなものどころか。もっとも忠実な下僕と敬愛できる。古来、神が一番愛でた生き方さ。そこで生まれる拒否も従順も想定範囲。それもまた思考の必然を示しているだけさ。そうだよ。今の会話すら生き甲斐ではないか。それを与えたのだ。天使は哄笑する。

 さあさあ皆さん。美味しいお昼ご飯ですよ。今日はとっちゃまんが高価なブドウを持ってきてくださいましたよ。戴きましょうね。ヘルパーたちがにこやかに若やいだ声を上げる。
 老人たちの会話は止み、嬉々としてテーブルにつく。「こりゃうまい」「これは何ていうブドウかね」「前に食べたことがある」・・。
 天使は壁に溶け込みながらまた笑っている。「与えよ、されば救われん」。天使はノートに記す。そして矢印棒線を敷く。→「無難な思考停止はむしろ思考を喚起することにある」。

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9月16日 春望

2008年09月16日 | Weblog
日刊ミヤガワ 1720号   2008.9.16
「春望」

 国破山河在
 城春草木深
 感時花濺涙
 恨別鳥驚心
 烽火連三月
 家書抵万金
 白頭掻更短
 渾欲不勝簪

 国破れて山河在り。・・敗北したのではない。破綻したのだ。この自然の大地の上に建設された国。国の概念もそのシステムも秩序も人心も。幻想体としての言語体系としての国が破綻する。どこかに国に敗北したとか、それこそ安史の乱によって都が破壊されたなどという狭隘な話ではなかろう。そんなことは唐代ともなれば枚挙に暇がないほどに戦乱と統一と反乱と崩壊と再統一などの繰り返しがある。文化人ならば当然史実の蓄積はある。まして唐は国際国家だった。情報も哲学も豊富だ。学問も栄えている。当時でさえ4千年の歴史を持っている。国家の衰亡破綻を嘆くのではない。それを客観化していく冷静な視座はある。詩人の知性は感傷ではない。それは装いに過ぎないと思う。日本的な情緒感覚はそこにのみ目を注ぎがちだ。そこに疑義を感じる。どうも日本的改竄があるように思えてならないのだ。
 自然界の大地に国を建てる。人の営み。それはそうしないとならないのは現実だ。そういう方向に動くようになっている。そこに問題意識を持つなど蓋し当然のこと。持たぬ者は凡そ文化的ではない。
 城春にして草木深し。・・城はその国の牙城。権化だ。ここには家の概念も重ねられる。春になった。人が常駐して秩序だっているのなら、草木は刈られ整備されている。それが伸びている。人がいなくなったこと。廃墟になった光景だと解される。それはそうだろう。杜甫はその場面を眺めている。それが哀しいのか。その程度かと思うのだ。詩人の知性と魂はそこに「深」の文字を使う。自然の大。何があったとしても、年年歳歳春は来る。そして刈る者がなければ自然はそのまま生育していく。そこに日本的「もののあわれ」ではなく、むしろ国など人の人による人のための営みの壮大さが、実はいとも簡単に崩壊し灰燼に帰していく、それすらも自然と見ていく巨視性がある。情緒でなく感傷でなく悟得の確認とでも云うべきか。深淵な大地の業と人の営みの徒労のような相克を冷徹に見ているように思う。目は貫いている。
 時に感じては花にも涙を濺ぎ。・・杜甫が花にも涙を、という解釈は妥当だ。しかし花が涙を、という解釈もあっていい。強引なようでそうでもない。この花は自然の精華。人は愛でるが花も人を愛でる。その大地には幾憶の生命が吸い込まれている。過去の上に咲き誇る花。これを日本的情緒は可憐な頼りない花のようにイメージする。しかしあるいは絢爛な大輪かもしれない。あるいは大小色とりどりの花の乱舞。群生かもしれない。人の営みの賢愚を観照して咲く花に、涙を濺がれる。主語は複合している技巧と思える。
 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす。・・これも杜甫は主語か。鳥も複合主語になり得ないか。人との別れ、国との栄華との統一秩序とのそこにいた自己との別れ。別れの対象は広い。鳥瞰している鳥でさえ、と考えることは出来ないか。ここにも自然を登場させる。天と地の生命を対置させる。ここにも感傷は見い出せない。むしろ世界観を構図化している。
 烽火三月に連なり。・・これは視点が長安の史的現象に向けられる。燃えていた。何か。都がか。浅いと思う。人が大地の上に構築した文化や物理がだ。それは燃えて燃え尽くす。現象の背後に自然の大に立地している人の営みが見い出される。山河は焼けない。
 家書萬金に抵る。・・現象への対。ここに家族故郷の音信、関係、累々とした人の生物的意味が浮上する。
 白頭掻けば更に短く。・・表層読解では自己だ。白髪頭。そこには正しい英知の意も含まれる。正は常に正ならず、正は他の正と戦う。正統とか正義の意味の偏狭さを含ませていないか。短くは草木の深しと対を意図している。人は正たらんとすれば、そうであったとしても、短くなる。生命ではなくそれを基にした生き方とか国とか。無為の自然との対でもある。
 渾て簪に勝えざらんと欲す。・・渾然の渾。それをすべてと読ませる。冠のピンで止めることもできないほどだと訳される。そうかな。この渾は花も鳥も自然や大地と人の営みとのその広大なスケールを意味していないか。冠とはまとめること。権威。例えば王冠。システム。統べることの無理。それを真に勝利していくことは出来るか。人の愚や痴や力を凌駕していけるのか。
 杜甫は問題を提起しつつそれを思索して見せている。ボクはこれは思想と見る。感傷的であろうとして見せても、それは擬態。そう読むなら読んでおけという作為を感じる。
 どうなのかな。この書き下し文と旧来の解釈は正しかったのかな。ボクにはどうにも日本的情緒の解釈に思えて物足りなさがある。毅然として屹立している杜甫がボクには見える。絶望的な感傷に浸る杜甫は見えないのだが・・。そんなに柔か?
誰か専門の諸兄の言が聞きたい。

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