日刊ミヤガワ 1734号 2008.9.30
「辞任」
失言したから撤回する。撤回しない。辞任する。おかしなことをしているものだ。政治家や議員や無論大臣が自分の存念を語って憚らぬことこそ意義がある。国会で追及されるから未然に芽を摘もうという思想。これは政治戦術的であって凡そ政治の信義ではない。
中山某の発言内容に賛成も反対もない。彼は彼の信念を言葉にしたのだから、何も云わぬ云えぬその他大勢よりはよほどましだ。刺激したり対決したりすることこそ政治家の本分であって、大人しく職を全うしようというのはサラリーマンの思想だ。辞任に追い込んでよしとしているのならば、ひとつにはその御身大切、安全無事の思潮を蔓延させる。それは政治家のサラリーマン化を促進する。言論の対決を前面に押し出せない政治言論の貧弱さを招く。
「偉い」人の失言を待って突いていくのも何回となく見てきたが、気持ちのいいものではない。確かに資質を疑う発言もある。しかしなんとなく国民が心で思っていることも少なくない。ただそれを口にしたらカチンと来たり、反発する人たちはいるだろうな、とは予測がつく。あるいはそれを意識しての発言もある。なんで発言を潰そうとするのだろうか。どんな下らぬ発言であったとしてもそれを元に議論は出来るし、反感を買うようなものであるだけに国民的関心事は高くなる。果敢に代弁して対決してくれた方が国民としては面白い。そのための代表だ。
選挙前につまらぬ発言をするものだと、与党議員は云っているようだが、馬鹿なことを云うものではない。むしろ選挙前なら余計にあらゆる要点での対決を鮮明にしたらいいではないか。この行為自体が国民を愚弄し、本音を隠しての予定調和を示すことになる。
日教組発言に対してなど、堂々とやり合ったらいい。各党も団体も個人も参加したらいい。それは国民的議論に発展していく余地がある。
内閣への不信を増大させる。甚だ不適当。不穏当。関係各位に迷惑掛けた。きついことを云う。そんな感想を閣僚はコメントする。誰に対して云うのだろう。
テレビでも、予め批判を受けそうなことは語らないように自粛している。公人と私人という使い分けはあるとしても、曲げる必要のない発言がなければ公人の資格はない。ならばなんのための政治家かだ。
ここでも一人ヒール役を作り、それを潰して全員が綺麗役をしていく。大過なく過ごせばいいと、そんな文化が随所に見られる。
云いたいことを云わせぬ存在は既得権益だろう。うまくやってりゃいいんだ、という認識が多くの場にある。それは所詮は小利口な下劣な姿勢だと、いつしか忘れ去られている。
ポストを得て発言が変わる者こそ信はない。信念が問われている。というか何も期待していない。国民教化の面からしか見ていない。小粒になったものだ。一日寒気がしていた。
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「辞任」
失言したから撤回する。撤回しない。辞任する。おかしなことをしているものだ。政治家や議員や無論大臣が自分の存念を語って憚らぬことこそ意義がある。国会で追及されるから未然に芽を摘もうという思想。これは政治戦術的であって凡そ政治の信義ではない。
中山某の発言内容に賛成も反対もない。彼は彼の信念を言葉にしたのだから、何も云わぬ云えぬその他大勢よりはよほどましだ。刺激したり対決したりすることこそ政治家の本分であって、大人しく職を全うしようというのはサラリーマンの思想だ。辞任に追い込んでよしとしているのならば、ひとつにはその御身大切、安全無事の思潮を蔓延させる。それは政治家のサラリーマン化を促進する。言論の対決を前面に押し出せない政治言論の貧弱さを招く。
「偉い」人の失言を待って突いていくのも何回となく見てきたが、気持ちのいいものではない。確かに資質を疑う発言もある。しかしなんとなく国民が心で思っていることも少なくない。ただそれを口にしたらカチンと来たり、反発する人たちはいるだろうな、とは予測がつく。あるいはそれを意識しての発言もある。なんで発言を潰そうとするのだろうか。どんな下らぬ発言であったとしてもそれを元に議論は出来るし、反感を買うようなものであるだけに国民的関心事は高くなる。果敢に代弁して対決してくれた方が国民としては面白い。そのための代表だ。
選挙前につまらぬ発言をするものだと、与党議員は云っているようだが、馬鹿なことを云うものではない。むしろ選挙前なら余計にあらゆる要点での対決を鮮明にしたらいいではないか。この行為自体が国民を愚弄し、本音を隠しての予定調和を示すことになる。
日教組発言に対してなど、堂々とやり合ったらいい。各党も団体も個人も参加したらいい。それは国民的議論に発展していく余地がある。
内閣への不信を増大させる。甚だ不適当。不穏当。関係各位に迷惑掛けた。きついことを云う。そんな感想を閣僚はコメントする。誰に対して云うのだろう。
テレビでも、予め批判を受けそうなことは語らないように自粛している。公人と私人という使い分けはあるとしても、曲げる必要のない発言がなければ公人の資格はない。ならばなんのための政治家かだ。
ここでも一人ヒール役を作り、それを潰して全員が綺麗役をしていく。大過なく過ごせばいいと、そんな文化が随所に見られる。
云いたいことを云わせぬ存在は既得権益だろう。うまくやってりゃいいんだ、という認識が多くの場にある。それは所詮は小利口な下劣な姿勢だと、いつしか忘れ去られている。
ポストを得て発言が変わる者こそ信はない。信念が問われている。というか何も期待していない。国民教化の面からしか見ていない。小粒になったものだ。一日寒気がしていた。
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