日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

1月3日 水蜜桃

2009年01月03日 | Weblog
日刊ミヤガワ1829号 2008 1.3

「水蜜桃」

しかし九時半に新宿高島屋に15000人が並んでいる。明治通りも渋滞している。これだけ見れば不況の年明けなどとはとても思えない。福袋を買うのだそうだ。そんなものを買ったこともないボクにはこの行列の意味はまったく理解できないが、「福を買う」文化の健在は眼下に焼きつく。そんなに欲しいものがあるものなのかと、爺のような感覚にさえなる。買う文化、消費の文化はまだまだ健在だ。よくぞこういう大衆を形成したものと思う。
海外に行こうと云えば行くだろう。温泉と云えば行き、みんなが持っていると云えば買うのだろう。この国民がいる以上、消費経済はまだまだ持続する。もしも国民が全員で「やーめた」と思えばそこで崩壊する。実に危ういものだ。
そんな意識の薄氷の上に成立している社会だ。それはメディアも教育も総動員しないと持続していけない意識だろう。ご苦労なことだ。それを何千年も続けるか。世界が変われば真似をして変えるか。
欲しいものがあれば栽培するのが農民の意識だった。子どもの頃、水蜜桃が食べたいと云ったら、じゃあ苗木を買うかと云っていた。何年も掛かるではないかと思ったが、時期が来たら飽きるほど食べられた。今思い出したが、きっとまだ植えられたままかも知れない。気の長い話だがこの摂理は肝要だと思える。
待つ時間が短縮されていることは、知らず次々に別なものを求めて止まぬ意識を作りそうだ。
特講を挟んで塩漬けにしておいた単行本を漸く脱稿した。後は見直しと推敲で一日掛ける。すっと抜けた気がする。年末から寝て文案し起きて書き続ける生活をしていたが、やはり風邪や疲れもあったから、そんなときの文はどうも息苦しい。やはり健康でないと文の健調は得られぬものだ。
もうそろそろ走る文ではなくなっている。ゆったりとした幅を楽しみたくなっている。昨日今日辺りから快活さが湧いてきた。待てば海路の気分だ。
一冊終えて特講。よく出来ている。焦ると襤褸が出る。その後は対談本の整理と300枚の単行本が待っている。三冊並行が四冊になるところだった。ひとつひとつ入魂でいくしかない。
面白い夢を見た。一昨夜は旧家に赴いてあちこちに所蔵している仏像を141体見つけ出して磨いていた。昨夜は夢の中で初詣に行った。実に鮮明な夢で手を清め段を昇り閉じられている門を開けて参拝し、ついで境内を歩きながら別な神像の場で賽銭を投げながら参拝した。するとその神像が震えて動きながら言葉を発している。
妙に清新な気分になるもので、幽体離脱でもして訪問したのかとすら錯覚するほど。相変わらす其処彼処に神仏を感じて生きている。そんな年始を過ごしていることが面白い。
まだ前途遼遠だ。

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