自己内観ブログ

自己を信じて大地にしっかり根付いた生き方をするための日々の閃きを綴ります。

不要な感情を手放すと感性が豊かに

2022-06-23 11:14:14 | 意識の在り方
不要な感情と言いましても、感情があるからこそ、この世界で生きてこれているわけですが、、

怒りや憎しみ、恨みや妬み、
頑なさや意地悪さ、不調和や不仲などのネガティブ系の感情も自分が生きて行く上で必要なものでもあったはずです
、、その感情をバネに難行苦行をやり遂げることもできれば、その感情で崩れそうな自分を支える時もあったはずです。

又、感情を押しこめてしまわなければならない環境の中で心を病んでしまう人もいるわけです。

乳児や幼子が、泣きたい時に泣くように大人になっても泣きたい時には、泣けば良いし怒りたい時は怒れば良いはずです。
もちろん、大人になればそうした感情を出す場は、心得ているはずです。

そうしたことすら、配慮できないほど感情を抑えつけて生きている人は、病んでしまう場合もありますし、社会から距離を置く人もいるわけです。

こうした人達を逃避しているという見方をする人もいますが、自己を護ることが何故そのように言われるのでしょうか?
あまりにも愛の無い見方だと私は、思います。

すべての人は、個性がありますからみんな同じではないわけです。

感情 表現が上手い人もいれば苦手な人もいます。

特に男性は、忍耐や我慢することが男として当然のような慣習がありましたから、かなりの苦悩を味わっている場合があるように思います。

最近の若者は、こうした慣習の影響を受けにくくなっているため、より柔軟な感情表現をしているように思っています。
優しい柔らかい感じの若者達には、癒やされますよね~

感情をより良く表現できるためにも自分が不要と思う感情は、手放すようにすると良いと思うわけです。

自分の中に自分が短所(本来は違うはずなのですが)と捉えてしまうものの奥には、手放したい感情があるはずです。
例えば、短気→怒気
頑固→頑なさ
弱さ→恐れ不安
このように、自分が気になる部分や誰かが指摘してくれる部分には、必ず手放す感情があるように思います。

もちろん、手放したからそうした感情が無くなるものではなく、それにより苦悩しなくても良くなるということです
〜別な言い方をすれば、気にならなくなり出てきたら、対処する術を得たということなのです。

このように、自分の中で負担と感じる感情を手放しますと
、それに伴う事象も手放すことができ、その空きスペースにそれまで味わったことの無い感性が育ち始めるようです
それは、より人に優しくできるようになったり、赦せるようになったり、自然の恵みや豊かさに感謝するようになったり、宇宙の神秘に感動したりなどと意識の拡大へと繋がって行くように思います。

本当の自己に回帰して行くということなのでしょう。












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