自己内観ブログ

自己を信じて大地にしっかり根付いた生き方をするための日々の閃きを綴ります。

深い傷の手放し、、

2022-06-12 21:32:19 | 意識の在り方
手放しの中で、難しいと思うもの中に深い悲しみがあるかと思います。

深い悲しみを経験して、深く傷つき癒しながらも生きていながら、時がたち傷が薄らぎ悲しみも少なくなる場合もあるでしょうが、あまりにも悲しみが深かった場合は、忘れてしまおうとか、無かったことにしたいなどという気持ちから、心の奥底にしまい込んでしまっている時もあるかもしれません。

その傷が誰かによってもたらされた場合は、自己内観する中で自己を高めることで解決しやすいかもしれません。

しかし、その悲しみの傷が愛する人との死別によりもたらされた場合は、長年深い傷と向き合うことになるように思います。
そして、その傷が幼い頃や若い頃に経験すればするほど深いものになりやすいように思います。

こうした場合は、「あちらの世界に行けば会える」とか
「そういう経験をしたかった」などということでは、癒やすことなどできない悲しみが残ります。

そういう深い死別の中でもやはり親子関係が強い悲しみを残すものでしょう。

このような悲しみは、簡単に手放すことなどできませんし
「手放す」などという概念すら無いはずです。
それは、深い魂レベルでの繋がりの中で起きるわけですから、いうまでもありません。

そういう場合は、どうしたら良いのでしょうか?

辛くても押し込めてしまった悲しみを取り出して、感情を泣きじゃくりながらも表に出してしまうことかもしれません。
どのくらいの時間がかかるかは、しまい込んでいた傷の深さにもよるでしょうから、ある程度の日数も必要かもしれません。
カウンセラーなどにより支援してもらう方法もあるでしょうが、私の経験から言えば
大変ですが、セルフで行うことも大切かと思います。

何故なら、そうした深い傷は意識しないうちに、何重にも包帯を巻くように包んでしまい込んでいますから、自分で一枚一枚剥ぎながら癒やして行くしかないからです、、

アセンションの最終段階には、このような繊細な事象の手放しや自己への癒しが必要になってくるようです。

もちろん、このような深い悲しみの経験が無いにしても生きていたら、悲しみを味わったことが無い人はいないわけです。

悲しみの手放しは、手放したら楽になるのたに何故か、なかなか手放しにくいものなのかもしれません。

その何故か?に明瞭な答えは出ていませんが、今、思えるのは、その深い悲しみにより深い愛を経験できるということなのかもしれません。

別な言い方をしますと、深い自己への愛を知るために深い悲しみを受け入れる、、そういう経験なのかもしれません。

そうであるならば、深い愛(誰かに愛されるという意味でなく)を持つことで深い悲しみを手放すことができるということになる、、
こういうことかもしれませんね~




6/11の夕焼け

 

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