リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

猪の早太と井伊家との関係

2007-02-27 21:24:51 | 猪の早太 イノハヤタ
井伊家のルーツ 古墳時代にも

☆テキスト版
井伊家のルーツ、古墳前期の祭祀者
同大教授が持論
写真
「井伊家のルーツは古墳時代にさかのぼる」との説を唱える辰巳教授

 江戸時代の彦根藩主井伊家のルーツは古墳時代前期の4世紀にさかのぼる、との説を同志社大の辰巳和弘教授(古代学)が、このほど刊行した著書「聖なる水の祀(まつ)りと古代王権・天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡」(新泉社)で明らかにした。

 伝承では、井伊家は11世紀に現在の静岡県浜松市で発祥したとされているが、辰巳教授は現地の発掘調査や文献研究にもとづき、「『井』を神聖視した地域の支配者であり祭祀者(さいししゃ)だった」との持論を展開している。

 辰巳教授は1979年から96年にかけて、浜松市と合併した旧引佐(いなさ)町教委が同町井伊谷(いいのや)地区で行った「北岡大塚古墳」や祭祀跡「天白磐座遺跡」などの文化財発掘調査に携わった。

 著書で辰巳教授は、4世紀の古墳に埋葬された支配者と祭祀者の勢力は12-13世紀にも保たれていたことを指摘。江戸期の井伊家文書で元祖井伊共保(ともやす)(1010-1093)が「井伊谷の井戸から出生した」との伝承を記していることや、古文書に残る現地の地名の意味や信仰の由来を考察。そのうえで「井のクニを支配した地域王権が祭祀の主体者であった」とし、その正体は「井伊氏をおいてほかに該当する有力者をみいだすことはできない」と記している。
 辰巳教授は「井伊氏は古墳時代前期までさかのぼる氏族だということを、彦根市など地元の人たちにも思いをはせてもらうきっかけになれば」と話している。
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