リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

原爆の非

2007-08-03 20:51:29 | アユの流し目/雑記帳
原爆投下必要なかった?=「使用せずとも終戦」と分析-米軍神話覆す機密資料 (時事通信) - goo ニュース

 個人的に原爆の日に負い目がある。
大学時代7年間も向かい側の松山にして、広島にも何度か行っているのだが「原爆ドーム」すら見たことがない。
 一度くらいは原爆ドームと平和公園に行っておかないとイカンと思っていた。

 脈略のない話だが、親父おふくろと三人で旅行をすることにした。以前から年に一度くらいはと思って、親父の希望する場所に出かけることにしている。結局は二年に1度くらいだが‥。
 最初はボクが学んだ大学が見たいというので、松山に行った。そして、お遍路道を反対方向に半分くらい辿った。
 その次は沖縄だった。親父にどこに行きたいかというと南部戦跡公園(平和の礎)だという。ボクは沖縄もおそらく100回近くは行っているのだが、その場所には行ったことが無かった。三人でレンタカーで姫ゆりの塔やら、戦跡公園やらを回った。ほかにもいろいろ案内したと思うのだが、不思議なことに三人で南部の海を見ていたことをよく覚えている。

 昨年は琵琶湖に時間をとられて、自由な時間はほんとに無かった。今年はひまそうなので、どこかに行こうかと思ったが、親父の希望はやはり「大和」だった。

 4月7日に聞いた話から ブログより

 このブログの内容は、昨年の正月。どこかに行こうかと親父と話したとき、大和を見たいというので、ある思いににとらわれているボクの話だ。

 やはり、呉に行きたいと親父は言う。ボクは勘違いしていたがオープンセットが見たいわけでないのだという。あれから1年半、親父の衰えは、一緒に住んでいない分よくわかる。歩いて一緒に旅行できる期間はもうあまり長くなさそうにおもえる。
 それでは呉に行こうか。そう伝えるとお袋は「宮島」と「錦帯橋」が見たいという。そういえば、その二箇所も行った事が無かった。それならと、ボクは自分の懸案を片付けることにした。
 広島の平和公園の近くにホテルをとった。平和式典に参加するわけではないのだが、あの日の広島の空を見たいと思って、旅程の最初の日を8月6日にした。


☆テキスト版
原爆投下必要なかった?=「使用せずとも終戦」と分析-米軍神話覆す機密資料
2007年8月3日(金)14:30

* 時事通信

 広島、長崎への原爆投下が太平洋戦争を終結に導き、何百万人もの人命を救った-。米国が繰り返す原爆正当化の論理は、「(投下は)しょうがない」とした6月の久間章生前防衛相の容認発言と相まって、被爆者の怒りをかき立てている。だが、その正当化論は戦後につくられた「神話」にすぎないことが、終戦前後の米軍資料から浮かび上がってくる。

 ◇終戦の決定打はソ連参戦

 「原爆を使用せずとも、対日戦争は(1945年8月9日の)ソ連参戦でほぼ終わっており、遅くとも46年2月半ばまでには終戦を迎えていた」。戦後間もない46年4月、当時の米陸軍省情報部門の研究チームがまとめた極秘報告書がワシントン郊外の米国立公文書館に保管されている。2発の原爆投下が直接的に太平洋戦争を終結させたわけではないと、第一線の米軍情報担当官らが告白していたことは注目に値する。

 報告書は、米軍が原爆を使用しなかった場合の戦局の推移を研究したもので、昭和天皇は早ければ45年6月20日には終戦を決意していたと指摘。ソ連参戦に至るまで、日本指導部は原爆投下にほとんど言及していないとして、和平の仲介を依頼していたソ連の参戦が「日本にとって終戦の理由を完成させた」と結論付けている。

 ◇侵攻後の米軍死者、30日で1万人

 日本が降伏しなければ、米軍は45年11月1日を期して九州侵攻作戦(オリンピック作戦)を発動する計画だったが、報告書は、原爆を併用せずとも作戦開始後2カ月以内に九州占領に成功し、その間の米軍死傷者は7万5000~10万人と試算。46年春に計画していた関東侵攻作戦(コロネット作戦)の開始は不必要になっただろうと判断している。(続)



[時事通信社]
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1 コメント

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どんより (にいむら)
2007-08-06 10:36:08
曇り空 今日の広島の空
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