リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

「4月7日に聞いた話」から

2006-04-25 12:45:26 | アユの流し目/雑記帳
友人のブログ。
4月7日に聞いた話

 ボクは4月7日に松山からしまなみ海道をバスで移動して尾道にいた。駅の中に映画
おとこ達の大和への案内があった。
大和ロケセット

 元気なうちにと、両親と年に一度くらいの旅行をと思っている。今年の初め、父にどこか行きたいところはないかと尋ねると、大和のセットが観たいと言った。
 大和か…。すこし困ったなと思って、曖昧に返事をしておいたのだ。

 父は大和に特別な想いを持っているようだ。
 それは、戦争というよりも故郷に対する郷愁といったものだと思う。

 あまり昔のことを話すことはないのだが、大和の艦長が家に来たことがあるという話を何度となく聞かされてきた。そのときは軍艦の艦長が来たというのをどうして誇りに思っているのか、理解していなくて、そうなの、という程度、張り合いの無い相づちをうっていた。

有賀幸作

 大和の艦長は父と同じ村で生まれた。
 長野県朝日村平出(ひらいで)。今は辰野町に合併している。
 父の祖父が村長だったことがあるということで、そのころに有賀大佐は家を訪れたことがあるという。有賀大佐の資料を見ると出身地の字名が父の本籍と同じなので、ご近所だったということもあったのだろう。
 ただ、有賀大佐が大和に乗船していた期間は半年あまり、時期からいっても大和の艦長ではなく、他の船に乗っていた頃とは思う。
 その後、ボクの祖父は「山師」となり、事業に失敗して大陸浪人となり…。よくある没落の話だが、そんな父にとって、よき時代の郷里の英雄が有賀大佐だった。
 
 映画上映のこともあり、大和の話題はこのところ目にする機会が多い。たまたまディスカバリーチャンネルを観ていたら「海底の大和」という番組をやっていた。
海底の大和

 そして、大和の建造された呉には大和の博物館がある。
大和ミュージアム
 大和関連の情報を集めていたらこんなブログもあった。
ブログ 戦艦大和



 冒頭に引用した友人のブログで語られるエピソードは重く哀しい。
そういった事実の前に、父の大和を観たいという想いは少し違うのでは、と思えてしまう。
 そして、ボクには、映画のロケ”道具”を見たいということ自体に抵抗があった。そこで、書きかけて止めていたブログだったが、映画のセットを公開することについて、地元尾道出身の映画監督、大林さんのコメントをニュースで読み、この記事をアップすることにした。

 大林監督のオープンセット 
 
 時間的余裕もなく、父も忘れてしまっているようだ。そのうち、呉港には一緒に行ってもいいかな、と思っている。
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