新潟久紀ブログ版retrospective

病院局総務課15「H23.3.11東日本大震災(その3)」編

●H23.3.11東日本大震災(その3)

 さらに、私は図々しいついでに、福島県内の看護専門学校も回って新潟県立病院の看護師募集の情報提供もさせていただくことに了解を取り付けた。若い看護学生が原発事故の影響を懸念して福島県外に流出する可能性があるからだ。
 この頃の看護学校新卒者は、もちろん地元に残る者が過半なのだか、若いうちに他県暮らしをしてみたいという者も増えていて、多くは東京都内が初任給の高さや支度金などによる看護師確保競争の中で人気になっていた。従前は募集をかければ「県立の看板」で応募が多かった我が新潟県立病院が昨今では欠員を出す状況になってきたのは、東京一極集中の強まりが背景にあった。
 ただ、今回の東日本大震災は太平洋側を震源としていて東京圏にも大きな影響を与えた。超過密の帰宅困難者の群れや都市機能の脆弱さを報道で見た若い学生たちが、日本海側で唯一の政令都市を抱える新潟県に目を向けてくれるかもしれない。不謹慎かもしれないが、これは人材確保の面で好機となるかもしれないのだ。
 福島県は地域が「会津」「中通り」「浜通り」と三つに分かれている。わたしは「中通り」である福島市内の看護協会を出たあと最寄りの看護学校を皮切りに、太平洋沿岸のいわき市のある「浜通り」の看護学校へ、そして最後に「会津」の会津若松市内の看護学校へと幾つか立ち寄り、事務局職員へ新潟県立病院看護師採用情報の資料を渡しながら学生への周知に協力をお願いした。 
 行程の中で福島原発が距離的に近くなると、車の窓ガラスがしっかり閉まっているか、エアコンは内気循環になっているかなど、効果のほどはともかく気になったり、何故か緊張したものだ。福島原発事故はもはや全国的な、少なくとも関東甲信越から北東の本州の広範囲へ影響している問題だと私は考えていたのたが、最後に立ち寄った会津若松市内の看護学校では、事務職員が「原発事故は浜通りの方の問題だから」と、会津は大した心配はないという態度だったのには驚いたものだ。
 放射線被ばくリスクも顧みず強行した看護師確保のための福島県行脚は、結局のところ目に見えて県立病院における看護師採用の数を上げることには至らなかった。もっともこの行脚のおかげで新潟県立病院を受験してくれたのかなどは、応募者の一人ひとりを紐づけで確認することもできなかったのであるが。
 それでも、テレビのローカルニュースを何気なく観ていた時に、新潟市内にある県立病院において福島県からの東日本震災避難者である看護師さんが勤務しているなどと取り上げらていると、少しは行脚が役に立ったのかなと手前勝手に思い込んでみたりした。

(「病院局総務課15「H23.3.11東日本大震災(その3)」編」終わり。「病院局総務課16「組合交渉後のインフルエンザ初体験」編」に続きます。)
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