新潟久紀ブログ版retrospective

病院局総務課16「組合交渉後のインフルエンザ初体験」編

●組合交渉後のインフルエンザ初体験

 東日本大地震による国家的大災害で社会経済の動揺が続く中でも、組合交渉は例年同様に11月から本格化した。組合からの要求事項について、総務課長がやりとりの矢面に立つのだが、私も課長補佐として組合側に理解を求めるべきを可能な限り説明した。県庁に座する本局職員は現場の実情を分かっているのかという投げかけには、患者さん達に紛れ込んでその目線を通じて見た現場の状況や、寝泊りまでして把握した夜勤や時間外救急の実情など臨場感のある例を話に織り込みながら課長のサポートに努めたし、看護師欠員対策を質す声には、従来型の募集広報のみならず福島県内の看護学校への訪問なども行っていると応答した。
 はたして例年並みの2月上旬には、本局として考える許容の範囲内の決着で交渉を終えることができた。交渉の中での私が課長をサポートする発言は、どれほどの効果があったというほどのものではなかったと思うが、着任1年目の課長が初めて組合交渉に臨むにあたり、私は課長をお支えしようとかなり注力したものだ。なので、組合交渉が終えるや否や、緊張と集中力が途切れたためか、私は随分と久方ぶりに熱を出してしまった。
 金曜日の夜に発熱してふらついたのだが、市販の風邪薬を飲んでその解熱効果で一旦は熱が下がったものだから、やはり気か抜けて風邪を引いてしまったのだろうくらいに軽く考えていたのだが、日曜の昼間になっても高い体温が一向に下がらず、倦怠感が抜けない。インフルエンザではないのかといよいよ家族に疑われ始め、それならば感染対策を徹底する必要があるので検査してもらってくれと促されたので、「大袈裟だなあ」と言いつつ陰性の証明をもらうつもりで日曜の夜に時間外の救急診療所にタクシーで出かけた。
 ふらつきは続くが熱は37.5度程度であり疲れがたまって風邪がこじれているだけだろうと考えていた。生まれてこの方インフルエンザなど罹ったことはなく、私は罹らない体質に違いないのだとも。それでも確かにこれほど気怠さが続いたことは今までになかった。むしろ大病なのではなのかという心配が頭をよぎり、時間外にタクシーを呼んでまで救急外来に向かった。
 到着すぐにインフルエンザか否かの検査を受ける。それにしても大の男が涙ぐむくらいに痛い経験だ、脳にまで触ろうというのかと思うくらいに鼻の奥に差し込まれた例の"綿棒の親方"が抜き取られると、10分くらいで結果が出るので待合室にいてといわれ検査室を出た。来る途中のタクシーの窓越しに見た道路脇に残る雪が寒風で凍りつくような2月半ばの日曜日の夜だというのに時間外の患者が結構いるので驚いた。
 数分後名前を呼ばれて診察室に行くと「残念。インフルA型陽性でした。一日分だけしかタミフル出せないので、明日最寄りの医者で処方箋書いてもらって」とあっさりと言われて、生まれて初めてのインフル発症が認定された。高熱とまでは言えない37度台ではあったが、平熱が35度台の私にはやはりインフルの発熱だったわけだ。
 いろいろと納得すると更に疲弊感が押し寄せてきた。客待ちしていたタクシーに乗って自宅に向かう。組合交渉という年度末の山場も超えたし、考えようによっては一週間の休暇ではないか。病院局にきて4年の間、苦労の連続だったことを思えば、ある意味てご褒美かもね…などと、這うようにしてもぐりこんだベッドに潜り込み、薄れゆく意識の中で思ったものだ。遠くに家人の「だから早く医者に診てもらえと言ったのに」との罵声を聞きながら…。

(「病院局総務課16「組合交渉後のインフルエンザ初体験」編」終わり。「病院局総務課17「病院局からの転出に思い残し無し」編」に続きます。)
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