新潟久紀ブログ版retrospective

【連載22】空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕(その22)」

●不思議なおばちゃん達と僕(その22) ※「連載初回」はこちら
~年少おばちゃんの急展開~

 真ん中のおばちゃんの大晦日直前の緊急入院から途方に暮れて始まった騒動は、年明けを挟んで丁度一か月を経過する日に、当初想定もしていなかった市内の介護付き有料老人ホームへの入所ということでひとまずの決着を見た。ひとまずというのは、本人が万全の体調を回復するまでの間と考えていることと、毎月高額な利用料金をいつまで捻出していけるかという不安など、この入所が真ん中のおばちゃんの終の棲家ではなく、今後の展開による色々な調整が想定されるからだ。そして、スピード感ある幸運ともいえる展開は次々とは続かない。
 残る年少おばちゃんは、面接調査までクリアした施設への入所に応じる気持ちには遂になれなかったようだ。加えて僕の母も、その施設を視察した印象として、おばちゃん達の気性や状態からみて馴染まないと思えたため、強く推すことはできなかったようだ。母は観念して、昨年末の真ん中のおばちゃんの緊急入院以来続けている年少おばちゃんの食事や身の回りの世話を出来る範囲で続けていくしかないという。それでも、母も80歳に近い。老々介護は長く持たないだろう。離れた街に住み日常的に何も対処してやれない僕は切ない限りであった。
 それでも僕は、毎週とはいかなかったが可能な週末に実家に帰省し、施設入所後の真ん中のおばちゃんの様子を母と見に行って、施設職員から状況を聞いたり、必要な物品の購入や搬入などの用足しに車を運転したりしていた。ただ、母は会う度に疲れた表情が多くなってきたようだ。いつもの気丈な話しぶりではあるものの、新潟の冬の寒さ厳しい時季ということもあり、年少おばちゃんの食事の準備などは疲れを蓄積させているのだろう。
 そうこうしている間に平成25年度の年度末が近づいてきた。真ん中のおばちゃんが施設に入所して1月以上経ち、時折小さなトラブルはあっても施設暮らしに馴染んできたとの話しが、僕と母が様子を見に行くと担当指導員から聞かれるようになってきた。そんな頃合いのある日、僕の自宅の電話が鳴る。ナンバーディスプレイを見れば母からだ。連絡を取り合う案件が思い当たらないタイミングでの電話に何となく悪い予感がして受話器を持つ。僕は、人事異動の内示で来月4月から未経験の分野の部署に就くことになっていたので、そちらの準備を考えることに最近は意識が傾いていて、年少おばちゃんの世話に疲弊する母を救うための具体策の検討が疎かになっていたことが、後ろめたさのように意識される。
 「年少おばちゃんに近くの特別養護老人ホームから入所の打診が来た」。母の声は高揚気味だ。僕は、老々介護による母の疲弊について、ケアマネさんと話す度に愚痴はこぼしていたが、最近で"施設の空き情報はありませんか"といった催促がましい連絡も入れてなかった。そんな昨今なのに、特養からダイレクトに連絡が来るとは驚きだ。僕がそんな応答をすると、母は続けた「施設職員から言われて思い出した。その施設が開設される10年くらい前に、知的障害のある年少おばちゃんは早晩介護が必要になるだろうから、何時になるか当てにならないけど手続きだけはしておいた方がいいよと、当時の民生委員さんか誰かに助言されて年少おばちゃんの入所申込書を出しておいたのだった」と。
 それにしても10年も前の入所申し込みに対して今頃に打診がくるとは。聞きしに勝る待機者の多さという感じだ。当時、元気で自立心も強かった真ん中おばちゃんについては申し込みを見送っていたらしい。むしろ介護が必要になったのは真ん中のおばちゃんが先になってしまった。今日のような状況になるならば、二人分を申し込んでおけばと考えるのは後の祭りか。ケアマネさんに事情を話し、真ん中と年少のおばちゃん達を、生計を共にしてきたた二人きりの高齢姉妹ということで、この際一緒に入所させてもらえないものかと相談してみる。特養であれば基本的に年金など当事者の収入の範囲内での費用負担となるので、残る大きな課題である真ん中おばちゃんの有料施設利用料についても一気に解決につながるのだ。
 さすがにそんな調子のいいことはできなかった。ケアマネさんは施設に一応話してくれたが、入所者の死亡により空いたのは一人分のみであり、二人同時を優先するなら待機順番は最後の方に後回しになるという。もっともな話しだ。僕は、年少おばちゃんだけでも入所を急ぎたいとして、手続きを進めてもらうように伝えた。
 降ってわいた身近な特養への入所話しについても、当然のことながら施設職員による年少おばちゃん本人の面談調査の上で可否が決定される。つい二か月ほど前に40kmも離れた介護付き有料老人ホームから来てくれた職員らによる面談後に拒否反応を示し、破談にしたばかりである。知的障害もあるので今度の施設が地元の近くにあることなどを理解できずに反射的に拒否してしまうのではないかと一瞬不安がよぎる。
 しかし、急な話しでいつにも増して頭の回転が悪くなっていた僕ははたと気付いた。そういえば、母の老々介護による負担を少しでも軽くするために、年少おばちゃんのデイサービスと呼ばれる特養での昼間預かりの利用を増やしていたのであった。この度の入所話しは正にその特養ではないか。行き慣れている施設であれば極めて好都合だ。母もそれを含めた良い話しとして手放しで喜んでいたのだ。
 入所の打診があってから10日ほどした3月24日に施設職員による年少おばちゃんの面談調査が実施され、3日後には入所対象とできるとの結果連絡を頂いた。楽観視していた僕と母が話しを本人に伝えると、想定に反して本人は入所について抵抗を示した。昼間遊んで夕方自宅に帰ってこれるデイサービスは良いけど、そこでずっと住むのは嫌だといった趣旨だ。しかし、そこは母が説得する。物わかりが良い真ん中おばちゃんには母の疲弊という理屈のみで話したのとはことなり、年少おばちゃんには、それに加えて、とても近くだからしょっちゅう母が様子を見に行くし、時には一日一緒に居てもいいよと話す。見捨てられ感が薄らいだのか、結構な時間を掛けたやり取りではあったが、最終的には本人も施設に入るといってくれた。
 年少おばちゃんの同意を僕と母とで施設職員に伝えに行き、本人の気性や好き嫌いなどを踏まえて施設暮らしが円満に始められるよう入念に打合せをするとともに、入所に必要な物品などを承る。入所日は4月5日に決まった。土曜日なので僕が帰省して車を使って本人の移送と物品の搬送など対応できる。新年度は、職場を異動する僕も生活場所が変わる年少おばちゃんにとっても、新しい生活の始まりになるというわけだ。お互いに上手く馴染んで楽しく過ごしていきたいものだと思った。帰りに施設の駐車場を見れば、除雪で片寄せされた雪の山が、数日前の通りかかりに見たときより小さくなっているように感じられる春本番目前といったところだった。

(空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕」の「その23」に続きます。)
※"空き家"の掃除日記はこちらをご覧ください。↓
 「ほのぼの空き家の掃除2020.11.14」
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