新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代10「怖い着ぐるみ番組」

●怖い着ぐるみ番組【番外編】

 幼稚園通いが嫌で嫌で仕方なかった昭和40年代前半。そんな私にとって"通園のために家を出る"という”刑場へのスタート”までのカウントダウンは、テレビの幼児向け帯番組だった。
 当時は朝の同じ時間帯で「ピンポンパン」と「おはよう!こどもショー」が放送されていたと思うのだが、ローカルチャンネルの少ない新潟だったからなのかどうか、私は「おはよう!こどもショー」の記憶しか無い。そこでの「ロバ君」や「ガマ親分」は非常にマイルドな造形でほんわかした気持ちにさせるものであり、それを観るのは幼稚園へ出向く前の最後の癒やしのひとときであった思いがある。
 ところが、何時のタイミングか忘れたが、ある時期から「おはよう!こどもショー」の時間枠で「チビラくん」という”へんてこ宇宙人家族のドタバタ活劇”といった感じの着ぐるみ番組が始まった。これが子供心に極めて衝撃だった。
 とにかく全てが「チープで雑」な感じなのだ。幼いながらも映像作品の造り込みの水準というものはなんとなく肌で感じるもので、こんな仕上がりで本当にまともなのかと、目が回るような感覚だった。例えば劇中で、タイムマシンか何かなのか、主人公である子供宇宙人の父が造ったマシンに家族で乗り込んで時空を移動するシーンでは、アニメの渦巻き画像が背景でクルクル回っているところに着ぐるみ達が駆け込んでいくという絵柄で”ワープらしさ”を演出するという小学校の学芸会並の粗雑さだったのだ。
 暫く後の中学生くらいになって、この作品があの「円谷プロ」による制作だったと知り二度驚いた。「ウルトラマン」や「ゴジラ」など、あれだけ緻密で大人が見るにも十分に堪える特撮で世界を魅了したプロダクションに何があったのだろうと当時はいぶかったものだ。妥協を許さない天才肌で芸術肌の映像造りは、一方で、会社の財政など大人の事情を深刻化させていたのかもしれない。
 とにかく当時の子供向け番組の着ぐるみは”見た目が怖かった”。幼い視覚にも分かり易くしようという意図があったのかもしれないが、丸い形の顔に大きな目の輪郭が二つ並んで小さな黒目が寄り目がちに配されるデザインは、なにか”とち狂った人”のような表情にしか見えずに恐怖心をもたらしたのだ。
 昭和時代の実写版「忍者ハットリ君」などは、モノクロで観ていたこともあって、表情に動きのないのっぺりした顔には不気味さしかなかった。固定した表情でも演技によって喜怒哀楽を表現しようという”能面”のような日本に根ざす文化がさせる仕業だったのかもしれないが、悪夢にうなされそうだった。
 制作者側に怖がらせの意図が無い作品でもそんな具合だったので、そうした意図が満々の作品となれば推して知るべしの昭和時代。極めつけは「悪魔くん」というテレビ番組。ただでさえおどろおどろしいモノクロの世界で「妖怪の百目」とか「空を飛ぶ一つ目のマネキンの首」などが昭和の特撮レベルの粗雑さの中で映し出された日には、本当に眠れないほど怖かったものだ。いい歳になった今でも深層心理のどこかにこびり付いて夢見に悪さしているに違いないのだ。

(「柏崎こども時代10「怖い着ぐるみ番組」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代11「裸足の比角小学校」」に続きます。)
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