タイでもヨガの先生に何人かお会いし、そううちの一人の先生にアシュタンガヨガの練習でお世話になった。残念ながら、師匠を呼べる先生には出会わなかった。イギリス人の師匠の一人が、日本、アメリカ、その他の国でも大半のヨガの先生を評して、junior asana teacher言っていた。
ヨガのポーズしか教えられない先生、それも経験不足の。一人一人の体が違い、ポーズありきではなく、個人に合ったように、ポーズを変えたり、補助(ブロック、ロープ、ボルスター等)を使ってその人にあったようにポーズを教えることなど考えもしない先生が大半。スポーツクラブやヨガスタジで怪我をする人が絶えない。日本は、生徒に怪我させても訴える生徒は、いないが、アメリカだと訴えられる。目の前でヘッドスタンドで骨折した人を見た。先生は謝りもせず、そのまま有耶無耶なってしまったのを覚えている。
ヨガは、ポーズと思っているヨガの練習生や先生が多い。あるタイの先生に、ポーズだけでなく、ヨガ哲学、インド哲学。ご自身のこれまでのヨガと人生の経験、呼吸法、瞑想等を教えてはと数度提案したが、否定的な答えしか返ってこなかった。勉強不足、修行不足色々な理由があるのだろう。
ポーズは決まった形があり、ポーズの練習をしているとヨガをやっていると誤解しがちだ。ヨガの先生もポーズを教えることがヨガだと思ってい人が多い。小生のイスラエル人のホットヨガの先生
曰く、「ヨガはサーカスではない。。猫ならどんなポーズでもできる」とよく言われていた。
柔道は強くなればいいと思っているのと同じで、柔道は精神的な修行であり人間として成長することが一番大切だともう。
形のない瞑想や呼吸法、ヨガ哲学は人間としての内面や、自己成長に繋がるが、これまでの人生経験や精神的な修行なしでは、教えられない。
仏教国であるのだが、ヨガ聖典と仏教思想は繋がっている。タイの仏教については別な機会にお話したい。
でもヨガ先生達がヨガの本質に気がつく時が来るのを祈る。