今日から数ヶ月でヨガと瞑想事始めを時々書きます。アメリカ編、中国編、日本編、タイ編、インド編、タイ編2の最低でも6話以上になります。
なぜヨガなどに興味を持ったか?実は上の本の著者との出会い。1992年にUNDPの平壌での国際会議に記者として参加したのがきっかけ。Brad Wills
に出会ったのは、大阪から平壌までの北朝鮮の高麗航空の中。椅子もガタガタなロシヤ制の軍用機を改造した飛行機。タバコをふかしていると、背の高いアメリカ人が小さい扇風機でタバコの煙が自分の方に来ないようにしていた。それが上の本の著者。彼は、腰骨が折れて、腰に電子ベルトをしていたのは、後で聞いた話。
その後彼は、アメリカに帰り、腰骨の手術をしたが、歩けなくなり、体重が120キロ以上になってしまった。同時にステージ4の喉頭ガンを患い、死の直前だった。中東戦争の取材の時に化学兵器の影響を受けたのが、ガンの原因だったらしい。
今から20年ほど前、家内の実家へ帰る途中、彼の家に泊まったことが何度かある。彼は、完全に回復して、ヨガの先生になっていた。腰骨は、折れた状態で、ガンは治癒していた。ヨガ、瞑想、アユベーダ、食事療法で彼はガンから生還した。
その後アメリカへ行くとよく彼の家に遊びに行った。最後は、確か2005年ごろ、彼の家に泊まりに行ったら、偶然ヨガの先生養成講座をの最中で、週末の2日間参加した。と言ってもヨガの初心者で、呼吸法のことは何も覚えていない。
その2日間は、主に呼吸法だった。
2000年ごろ、香港に駐在しており、今も香港にあるPure Yogaでホットヨガのクラスを定期的に受けていた。それと元JALのCAの香港人の友人が彼女の自宅でハタヨガを教えていて、友人達と参加した。
今年の8月に10年振りに彼の家へ遊びに行く予定。
下の写真は、2015年アメリカのボールダーで初めて200時間のヨガ教師養成講座に参加した時の教材の一つ。世界中から160人がお応募して、40人しか参加できない講座でロシヤ、南米、ヨーロッパからの友達や知人(タイのサムイ島のsamahitaでの知り合い)が数人参加した。この講座は、特別で、人体解剖センターで2度午後死体を使っての人体解剖の体験クラスや瞑想センターでの毎週一度と週末2日間の瞑想。またインド哲学やヨガ哲学の授業にかなりの時間が充てられる。
でもアサナも厳しい。アシュタンガヨガでは、普通5呼吸しか同じポーズを保持しないが、Richard Freemanは、20呼吸ぐらい同じホーズを保持させる。
この残念だがこのスタジオも現在は無くなった。
Richard Freeman and Mary
今朝のバンコック
この本はもともと日本語です。
残念ながら、バンコックの紀伊国屋には英語版しかなかったです。
食う寝る坐る 永平寺修行記
野々村馨/著
その日、僕は出家した。彼女と社会を捨てて――。雲水として修行した一年を描く体験記。
"その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて――。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか? 雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。"