ほんとにっき

身辺雑記、本の紹介、日々の徒然、サッカー、映画など。。

2014-12-21 08:47:59 | Weblog
「暗い森を抜け、安堵し振り返ったとしても、そこで知るかもしれない。
そこはまだ暗闇だと。」
こんな文章を読んだことがある。今の自分に当てはまるか分からない。
そうでないことを願っているが、逆にまだ暗闇の渦中にいるとしたなら未来に希望を持てる、
というのは正直なところ。右肩上がりだと思いたいから。

自分の情報をどこまで公開するのか?あれやこれや言っている、写真を貼り付けてる自分は仮面だらけだという気もする。ネット上では。まあ、本当の自分を理解して欲しい。承認して欲しい。と不特定多数に自分を晒すのも痛いだろう。  そしてそれを僕は試みようとしている部分はあるけど。

大切な人、手で触れて日々の息遣いと共に、同じ現実を過ごすまるで朝のコーヒーの匂いを一緒に嗅ぐかのような、そんな距離で人と(これから)いられたら、とは思う。
それこそネットを介してもそういう距離感を築けるかも知れない、とは思う。

人はひとりでも幸せになれるか?以前誰かに言われた言葉がいつしか人生の大きなテーマに図らずもなっているようだ。やはり、人に対して何かを伝える語りかけるという姿勢は大切にしたい。
自己との対話でもいい。そうして終わることなく自分を相手できる。それは幸せだ。
相手がいなくともね。この場所はその中間くらいか。独り言言って、よければ聞いてください、というところ。

この前、自分で決めた人生観に縛られることはない、みたいなことを書いたが
じゃあ、次に何が自分を進めてくれるか、未来に対して。
なにか他人に決められなければどうとも動き出せないみたいだ。
そして浮かび上がるのは、「自分らしく」ということだろう。
半分鼻で笑っていたような言葉だが、その真意を知ったような気になる。
自分らしく。


冬の日

2014-12-14 16:36:28 | Weblog
自分では気づかないことがある。人を見て初めて「あーそういうことなのか、人にはそういう風に映っていたのか」と。
ひきこもりのことだ。自分が以前そういう生活をしていたのかは書いたっけ。もしや行間からにじみ出ていた?
まあ、今も社会参加できているかと問われれば困るけど、少なくとも半年間誰とも顔を合わせず言葉を交わさず過ごすなんてことはなくなったし、一日最低1回は外出している。誇らしげに言うことじゃないかもしれないけど。
 あの頃の自分に何をいえよう。それを最近考えることが多くなった。少なくとも暗い何年間をくぐり抜けて来てその時間は無駄ではなかったと、そう証明出来る様な気がして。何か言えるとしたなら。

 でも、きっと無理なんだ。第一聞く耳を持たないだろう。何が言える?
ほんとつまらないことだ。いま、思い浮かぶ言葉は。些細な生活習慣。
できれば、夜型の生活はやめて太陽の下生活しなさい、とかあまり絶望的になるな、それはただの気分だし自分が世界を人生をどう捉えようがそれに押しつぶされる事はない・・・なんて偉そうに言えるか?

 今だって悩みはある。このまま他人に頼りきりでこの先どうなるのか、ネガティブになれば際限はない。
けど、(時には)そういう不安も受け流すことも覚えた。

 ただ、今ひきっているあなたに何かを伝えたいとは思っている。そして、それは普遍的なメッセージになると思う。

ワールド

2014-11-30 09:01:02 | Weblog
なにかまちがっている場所でまるで相応しくないことやっている気がする。
「置かれた場所で咲きなさい」とシスターは言うかもしれないけど、
ここではないどこかで少し過ごしてみたい気もする。そうしたら日常をまた違う形で見れるかも知れない。

時を無為に過ごしてしまった。20代ももう終わる。
経験すべきことも大方通り過ぎてしまった。
チャンスも機会も、手にせず。じゃあ、なにしていた?
ずっとねむっていた。

なにもきにしなくていいんだ。人に頼りきりでも最低限の責務を果たせなくても。
そうやって自分に言い聞かせてる。何度もね。

迷子は迷子だが、奇妙な高揚感がある。
これからどこもいけなくても最近ちょと世界が違って見える。
こともある。嬉しい。気休め。


さむさむ

2014-10-31 15:05:47 | Weblog
今年ももう終わるな。と今のちに言っておく。
月日が経つのがはやすぎる。めまいがするくらい。
けど、この一時間をやり過ごせない。
苦しくはないけど、なんとかしなければとは思っている。

人生の意義!とか目標について少し考えるが、そんなに簡単に
答えが出ることでもなく。 
働いて飯食って生きて死んで、それだけでいいとは思った。
それを満足にできるかどうかは別問題だが。

それ以上に何かを残したい。残したいんだよ。
遺伝子とかではなく、ガラクタでいいから

芸術家ぶりたいだけかもしれないが
君の知らない世界を見せてあげるよ
瞬くようなもう消えてしまったような



久しぶりに

2014-09-07 11:23:09 | Weblog
表に出たりする。本屋をひやかす。中古のCDを買ってそのまま聴かなかったりする。
ランチを食べる。魚の美味しさが分かってきたとかおっさんみたいなこと言いつつ
寿司を食べたりする。回転してる。何処かへ行ったりするんだ。
パソコンには触らなくなる。自分の決めている事柄をただただひたすら毎日行う。
答えなんてゴールなんてないとは薄々感じてはいる。なにがしかは自分の内側にある。
達成感?創造性?模倣。奥に奥に内面を深めているように、だが、それは何もない
地面に穴を掘っているようで墓穴を掘っているだけかもしれない。
自分が納得して死ねるように。
つまり、僕はもうひきこもりではない。のかもしれない

昨日講演を見に行った。茂木健一郎さんの。
こんな糞田舎に。
楽しいお話だった。幸せとは自分を認めること、とか。
けどそのためにはその幸せを追い求める過程も必要。

今、自分は幸せだろうか。
不幸ではないとは思う。
恵まれているとさえ思う。
優しい人ばかりだ。何のストレスもない。
大切で手応えのない日々。

自分を認めることこそ一番大事だとしたら、
このあと自分がどんな境遇になってどんな姿になっても
いいような気がした。
だからこの後のことは何も心配することないんだよ。
目つむっても誰も僕を傷つけることなどできない。

意思を持とう。
これから色んなことがある。
楽しいことも苦しいことも。
初めて未来を信じれそうな気がしたよ。

茂木さんとすれちがった。手を伸ばせば届きそうな。
挨拶も笑みもなかった。僕には。
緊張していた?素知らぬ顔で通り過ぎることで何かを守ろうとした。
メディアに毒されているな。
人間の形しているのは全て人間なんだ。
電源消せば消えるわけではない。

一瞬でも同じ場所にいて良かった。