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「ぴあ」初日満足度1位の映画『菊とギロチン』を観た

2018-07-09 17:44:34 | 映画
7/7の公開初日、映画『菊とギロチン』を観てきた。
映画上映後、30名にものぼる俳優陣の舞台挨拶まであって、もう感無量であった





なんだろな。
とにかく涙が出てきてしまうのだ

女が女であるというだけで、朝鮮人であるというだけで、なんにも悪いことなどしていないのに、ぶん殴られて、ぶっ殺されていた時代が本当にあったということ。

私など想像力に乏しいので、「歴史」を字面で追うことしかできない頭なのだが、映像で見せつけられると、そのリアルに圧倒されてしまい、胸が苦しくなった。

暴力シーンは見ていて痛々しいけれど、何度もなんども殴られ続けるそのしつこい映像が、より胸に突き刺さり、当時の残虐さに思いを馳せることになったりして。理不尽極まりない暴力に、「なんで殴られなきゃいけないんだ!」と自分が殴られているような錯覚に陥り、「チクショウ!チクショウ!」という心の中の叫びが、涙となってあふれ出たのだと思う。

相撲は、女人禁制とばかり思っていたので、女相撲のその実在に驚いた

強くなることで、夫の暴力と支配から脱しようとする主人公、花菊。他の訳ありの女力士たちも、それぞれなにかを抱え、もがき苦しみながらも、真摯に相撲に向き合い必死に生きようとする。そのひたむきさがとても美しかった。

映画の中で「エロじゃなくて、相撲で勝負したいんです。」というようなセリフがあったが、そのセリフには、性的対象の女を越えていこうとする勇ましさが見えて「カッコイイ!」と心底痺れた。

アナキストといえば“無政府主義者”と訳され、“国家体制の転覆をはかる危ない人たち”という認識が今でも世の中で幅を利かせていると思うが、ギロチン社の面々のように、言論、思想信条の自由を求めること、金持ちも貧乏人もいない平等な世の中を希求することは、至極まっとうな精神の持ち主なんじゃないかと思った。

現在も変わらないが、国家体制にとって都合の悪い人間は、みな“反逆者”、“非国民”とされ、いわゆる“危ない人たち”とレイベリングされる。

確かに、殺人や暴力という手段はあってはならないことだが、それでも、もしも国家が強大な権力を背景に、したたかに「暴力」を独占しているとするならば、それ相応の覚悟をもって臨まないことには、国家から管理し尽くされ、自由を守ることなんてできないだろう。

「直接行動」というのが、アナキストのひとつのキーだと思うが、中浜も古田も、無謀と言われようがなんだろうが、意を決して行動する。
その“行動する”ということ自体が、あらゆる場面において、今を生きる私たちに大きな示唆を与えてくれているように思った。

映画の決めゼリフにもなっているが、「やるなら今しかねぇ。いつだって今しかねぇ。」これこれ

映画には、名場面、名言があふれているのだが(だから何度でも観たくなるのだが)、十勝川が朝鮮人というだけでむごい目に遭わされたことを聞き、中浜が「俺はやっていないけど謝る。悪かった!」というシーンも印象的だった。なんて優しいのだろう、とこれまた泣けた。

あぁ。私は終始泣いてばかりだったな

でも、『菊とギロチン』を観たことで、ブルブルと武者震いするような、逞しいハートをもらったことは間違いない

1人でも多くの方が観るところとなりますように

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