モフモフでんき

ほかに話せる場所もないので書かせていただきますねブログ

『はたらかないで、たらふく食べたい~「生の負債」からの解放宣言』を読んだ。

2018-03-17 17:34:32 | 
この本を読みながら、ところどころで胸が震えた。




私にとってのこの本の著者、栗原康氏の一番の魅力は、生活実感から思想を紡いでいく、その構えだ。

著者のプロフィールには「政治学者」とかかれているが、抽象的で難解な言葉を並べたりはしない。自身の恋愛やバイトでの失敗談などを惜しげもなく披露。かっこ悪い自分をさらけ出しながらも、ただでは起きない、というか、痛々しいながらも大いに学んで図太く這い上がってくる感じが最高で。
生き様が(カッコ悪いんだけど)カッコイイ。

かつての彼女と婚約破棄した出来事についての分析は、鋭いなと唸ってしまった。

「結婚を意識した瞬間から自分のことばかり考えるように」なり、「自分がこれだけのことをしているのだから、相手もこれくらいはしてくれないとこまる」と「たがいに負い目をかさね、見返りをもとめるように」なり、結果「いつのまにか純粋にすきだという気持ちが損得勘定にすげかわってしまう。自分のことなんてほうりなげて、相手のためになにかしたいとおもっていたのに、それが自己利益にかわってしまう」というものだ。自分の胸に手を当てて・・。しみじみせずにはいられなかった。結婚は「制度」だもんな。制度は国家のためにある。

栗原氏は本書の中で、「選挙なんていきたくない。」と言っており、次のように書いている。

「わたしは、自分の意志を他人にゆだねてしまうことがいやなのだ。(中略)わたしがいいたいのは、たすけあいがいらないとかそういうことではなくて、自分の身のまわりのことが自分できめられない、すくなくともその最終決定権が、ひとにぎりの人間にゆだねられているというのがいやなのだ。これ、けっこうあたりまえのことだとおもうのだが、意識していないとわすれてしまう。」

今や選挙制度自体、当たり前の大前提みたいになってしまっているが、与党も野党もなんら変わり映えがしないように感じている。今年は米騒動から100年だが、米騒動ばりの民衆の怒り、誰にも制御できない爆発的な力のようなものによってしか、自分たちの権利を奪還することができないような気がしている。

本書には、栗原氏の体験談以外にも、イモ繫がりからの徳川吉宗の話や、「豚の足でもなめやがれ」からの本居宣長の話など、歴史上の人物も引き合いに出されている。

特に、感動したのが、高野長英の話。「タカノチョウエイ、ワタナベカザンは、バンシャノゴク」という具合に、昔、受験のために意味も考えずに暗記していただけだったので、高野長英の生き様を初めて知り、「私はなにも学んでいなかったーー!」と反省するとともに、心底ホレボレした。
人の迷惑顧みず、親のご恩もくそくらえ。生の拡充。思う存分やりたいことをやって生きてやる。こういう人が存在していたということ。元気がでるな。時代を越えて励まされる。

「はたらかないで、たらふく食べたい」という思想の中に詰まった、命の大切さや尊厳、相互扶助の精神やら生の拡充などのあれこれを、常に胸に置いておきたいと思う。まずは唱えるところから。。

「はたらかないで、たらふく食べたい。」

試しに口ずさんでみたものの、まだまだなんだか罪悪感を感じてしまう。私の中の洗脳は、それなりに根深い模様。
それでも、それでも。尽きせぬ自由を求めて。
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クーリエジャポン「ひとはいかに死すべきか」──潔く死ねない現代日本人の憂鬱

2017-11-05 11:07:52 | 
「クーリエジャポン」の記事。
興味深いのでメモ。

今の日本人の死に方には「尊厳」がない。

死ぬリスクならぬ、生きるリスク。
生きていることがお荷物。

「人生100年」と言われる中、長寿が歓迎されない世の空気。

人の命もカネ勘定。

死に向き合うことも疎かに。
そんなに忙しいって、なんのため?

「ひとはいかに死すべきか」──潔く死ねない現代日本人の憂鬱|水村美苗『母の遺産』英語版から読む(前編)

(記事一部抜粋)

高齢者たちは薬漬けの日々を送る。歩くにも、食べるにも、トイレに行くにも助けがいる。転ぶのは日常茶飯事、転べば骨は小枝のように折れてしまう。思考に靄がかかれば、自分の子どもの顔を認識するのさえ難しい。

最後の数ヵ月、あるいは数年を病院のベッドから出ることなく過ごす人もいる。緩んだ口はぱかりと開き、身体に繋げられたチューブから液体を流し込まれながら。長寿という恩恵は、もはや呪いとなってしまった。

「大同小異のパジャマを着た姿が、男女の差も不明瞭なまま、車椅子の間を縫い、ふらふらと病院の廊下を行ったり来たりしている姿は生きた亡霊のようであった」

水村美苗が小説『母の遺産──新聞小説』で、「老人病院」に入れられた人々をそう描写するように。
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お家でまったり

2017-10-22 17:30:24 | 
今日の昼下がりは、ゆっくり雑誌を読んで過ごす。

雨に閉じ込められているような気もするし、自ら選んでこもっているような気もする。

学生時代、管弦楽をやっていた友達に「壊れた感じの曲」を尋ねたところ、ラベルを薦められた。
以来、静かな時間を過ごしたい時など、ラベルをかけて無になる。

チョコをかじりながら、『MONKEY』という雑誌を読む。
夫ちゃんが持っていたので、借りて読んでみた。



読み切りの小説が掲載されている。

まだすべて読み終えていないが、特に戌井昭人、砂田麻美、村田沙耶香がよかった。

どの小説家も、読んだことがなく、初めて。

「柴田元幸責任編集」と雑誌の表紙にあるのだが、この柴田氏がどんな人なのか私は知らない。
ただ、彼のこだわりや趣味が、私もきっと好みだと思った。

最後にボブ・ディランの「ノーベル賞受賞講演」の翻訳も載っていて、これをあとで読むのも楽しみ。

今、なぜか無性にケーキが食べたい。

ザーザー降りしきる雨の中、傘をさして買いに行くか否か・・・。
「ショー」というこの低音は、PC?それとも雨の音なのか・・・。

悩ましい。
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栗原康・著『村に火をつけ、白痴になれ』を読んだ

2017-09-17 19:47:58 | 
本日9月17日付の「朝日新聞」で、「ひどい女性差別がやりきれない」という20歳の学生女子に対し、作家の三浦しをんさんが、栗原康・著『村に火をつけ、白痴になれ』を薦めている記事を見た。



私も本書を読んでいたので、「お~!」と激しく同意



本書は、大正時代のアナキスト、ウーマンリブの元祖ともいわれる伊藤野枝(いとうのえ)の評伝だ。
評伝とは、「ある人物について評価をくわえつつ書かれた伝記」(三省堂『大辞林』)のことだが、本書はそんな堅苦しいものじゃない。

たとえば、最初の「はじめに」の見出しは「あの淫乱女!淫乱女!」だし、第一章のタイトルは「貧乏に徹し、わがままに生きろ」。
そして第三章「ひとのセックスを笑うな」は「青鞜社の庭にウンコをばら撒く」という見出しから始まる。



思わず、プププ・・と吹きだしてしまうのだが、この栗原氏ならではの、はっちゃけた“現代語訳”があるからこそ、ありありと野枝を身近に感じイメージし、知ることができる。
一見小難しそうなアナキズムや婦人解放運動の話しも、決して過去の化石なんかじゃなくて、現代に生きる私たちとバリバリ繋がっていることを実感することができる。

特に野枝の「恋愛論」は、昨今、巷を賑わせているニュースに対してタイムリー。

野枝は、「結婚制度」とは「奴隷制」のことであり、女は男の私有財産になりさがっていると批判。

「家庭に同化され、夫だの妻だのの役割をせおわされたそのときから、かならず男女のどちらかが相手をささえるために、自分の生活をうしなってしまう。そして、それはたいていの場合、女性なんだ、わたしはよい妻ですとかいってよろこんでんじゃねえぞ、そんなのとんだまちがいだ。」

では、家庭にとらわれない男女関係とはどういうものかというと、「たがいの個性を尊重しあえる友情」がある関係なのだという。

「友だちに主従関係はありえない。契約だって必要ない。そんなものがでてきた瞬間に、友情はきえうせてしまう。
友だちと遊ぶのは、ただたのしいからである。」

野枝は、男女の理想的な関係を「中心のないミシン」にたとえており、栗原氏がこれを煽って「そろそろ人間をやめてミシンになるときがきたようだ」と書いているのも笑える。

私は痛感した。

結婚したって、人は人を縛れないんだな。
よく考えてみれば、紙1枚にサインしただけで、相手の自由を制限できるわけがない。
そんな権利があるはずがない。

私は相手の所有物ではないし、相手も私の所有物ではないのだから。
できることは、お互いが別個の人間だということを認識し、「友情」を育んでいくことなんだな。

最後に、「あとがき」に掲載された野枝の恋愛にまつわる文章を引用して終わります。

「ただ私がこの年月に学んだことは『恋は、走る火花、とはいえないが、持続性をもっていないことはたしかだ。』ということです。
が、その恋に友情の実がむすべば、恋は常に生き返ります。
実を結ばない空花(あだばな)の恋は別です。
実がむすばれれば恋は不朽です。不断の生命をもっております。
その不朽の恋を得ることならば、私は一生の大事業の一つに数えてもいいと思います。」

強烈にカッコイイ。萌え~
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橘玲・著『新版 お金持ちになれる黄金の羽の拾い方』を読んだ

2017-09-15 15:17:56 | 
橘玲・著『新版 お金持ちになれる黄金の羽の拾い方 ~知的人生設計のすすめ~』を読んだ。



以前ブログに書いたが、税金や保険料の負担の重さに辟易していたので、本屋さんで本書に出会い、読めたことはとてもタイムリーだった。

橘氏は本書の中で「合法的な範囲内で支出を最大化し、利益を圧縮して税・社会保険料のコストを最小化する」、「マイクロ法人戦略」というのを提唱している。個人と法人、ふたつの人格をつかいこなすというものだ。

これは、本当に目からウロコだった。
“節税のための虎の巻”といえばそうなのだが、本書には、誰も教えてくれなかった情報が詰まっている。

「節税なんて、がめついかな」と思った時期もあったが、そんな余裕もなくなってきた。
お人好しなことを言っていれば、国家は容赦なくお金を奪っていく。

今の資本主義社会、市場経済の下に生きている限り、自分の身は自分で守るしかない。そのためにはやはり知識を身につける必要があると思った。
お金持ちになれなくてもいいけれど、極力税金は払いたくない。身が持たない

橘氏は、お金持ちしか知り得なかったであろう節税のための知識やテクニックを、本書を通して惜しげもなく一般に公開してくれた。
この「一般に公開」したことに、大きな意味があると思う。

橘氏いわく、「『違法行為をそそのかしている』と憤る方がいるかもしれませんが、これはまったくの誤解です。本書で紹介したさまざまな“黄金の羽の拾い方”が、すべて合法的にできるところに、日本社会の問題の本質がある」。

うーん、なるほど
鋭いご指摘。
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