『居るのはつらいよ ケアとセラピーの覚書』を読んだ。
ほぼジャケ買いだった。『居るのはつらいよ』という興味深いタイトルと、ビビッドなブルーに縁どられた表紙、帯の文字に魅かれて購入。
結果的に買ってよかった。とても面白かった。
精神科クリニックに臨床心理士として勤務することになった新卒ハカセが、理想と現実の間で苦しみながら、日々の実践の中で「ケア」と「セラピー」のその本質を体得していくストーリーと言えるかと。
小説風になっているが、実際著者である東畑開人氏が経験したり見聞きしたあれこれの断片をつぎはぎし、脚色しながら出来ている模様。
そのかいもあって本書に描かれた世界をだいぶリアルに感じることができる。
本の帯に「学術書」とある通り、小説の合間にはハカセの考察や参考文献の引用、解説もある。小説、フィクションという表現形式を借りながら、全体としては「ケア」と「セラピー」のその本質に真面目に迫っており、なるほど凄い「学術書」だと感じた。
「う~ん!」と思わずうなった箇所、勉強になった箇所はたくさんあったのだが、ここでは2つだけ挙げる。
1つは、「子どもがいちいち母親のしていることに感謝しているとするなら、それはなにか悪いことがおこっている。依存がうまくいっていないということだ。」(p.114)という箇所。
私は子供の頃、親が世話を焼いてくれることにつき、いちいち感謝するようなことはなかった。そのことを大人になって振り返った時に「子どもといえど、日々感謝の気持ちがなかったなんて、人としてなにかが欠けていたのかも・・」と思うことがあったので、救われる思いがした。依存がうまくいっていてよかった。
2つ目は、「そういうふうに主婦が家で行っているケアが金銭で提示されることを、ブルジェールはおかしいと言っている。(中略)なぜなら、ケアという親密な『依存』を原理としている営みは、『自立』した個人の集合体である『市場』の外側にあるはずだからだ。」(p.322)という箇所。
たまにフェミニストを名乗る人の中に家事労働を金額に換算する人いるが、それに違和感を感じていたので、ブルジェールという哲学者の主張は励みになった。「ケア」は市場にはなじまないと私も思う。
最後に。
本書はいわゆる“学会”では評価されない?ものなのかもしれないが、テーマに相応しい表現形式をとることによって、劇的に多くの人にその本質が伝わることってあると思う。今回のように。著者である東畑氏には、今後も特殊で閉鎖的な“学会”のような空間にこだわることなく、自由にバシバシ書いていってほしいなと思う。
ほぼジャケ買いだった。『居るのはつらいよ』という興味深いタイトルと、ビビッドなブルーに縁どられた表紙、帯の文字に魅かれて購入。
結果的に買ってよかった。とても面白かった。
精神科クリニックに臨床心理士として勤務することになった新卒ハカセが、理想と現実の間で苦しみながら、日々の実践の中で「ケア」と「セラピー」のその本質を体得していくストーリーと言えるかと。
小説風になっているが、実際著者である東畑開人氏が経験したり見聞きしたあれこれの断片をつぎはぎし、脚色しながら出来ている模様。
そのかいもあって本書に描かれた世界をだいぶリアルに感じることができる。
本の帯に「学術書」とある通り、小説の合間にはハカセの考察や参考文献の引用、解説もある。小説、フィクションという表現形式を借りながら、全体としては「ケア」と「セラピー」のその本質に真面目に迫っており、なるほど凄い「学術書」だと感じた。
「う~ん!」と思わずうなった箇所、勉強になった箇所はたくさんあったのだが、ここでは2つだけ挙げる。
1つは、「子どもがいちいち母親のしていることに感謝しているとするなら、それはなにか悪いことがおこっている。依存がうまくいっていないということだ。」(p.114)という箇所。
私は子供の頃、親が世話を焼いてくれることにつき、いちいち感謝するようなことはなかった。そのことを大人になって振り返った時に「子どもといえど、日々感謝の気持ちがなかったなんて、人としてなにかが欠けていたのかも・・」と思うことがあったので、救われる思いがした。依存がうまくいっていてよかった。
2つ目は、「そういうふうに主婦が家で行っているケアが金銭で提示されることを、ブルジェールはおかしいと言っている。(中略)なぜなら、ケアという親密な『依存』を原理としている営みは、『自立』した個人の集合体である『市場』の外側にあるはずだからだ。」(p.322)という箇所。
たまにフェミニストを名乗る人の中に家事労働を金額に換算する人いるが、それに違和感を感じていたので、ブルジェールという哲学者の主張は励みになった。「ケア」は市場にはなじまないと私も思う。
最後に。
本書はいわゆる“学会”では評価されない?ものなのかもしれないが、テーマに相応しい表現形式をとることによって、劇的に多くの人にその本質が伝わることってあると思う。今回のように。著者である東畑氏には、今後も特殊で閉鎖的な“学会”のような空間にこだわることなく、自由にバシバシ書いていってほしいなと思う。