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ブログ版ネクストテクストです。

私がデタラメだと思うもの

2007-06-13 23:41:47 | いつも雑念ばかり
前々から姓名判断がいかがわしいシロモノだと思っていたのだ。しかしそのいかがわしさが何に起因するのかよくわからなかった。ところが1年あまり前、よくわからないままに自分が子供の名づけという、まさにその仕事に直面したのである。

幸いにも妻もまた姓名判断というものに対して懐疑的な気持ちを持っていてくれたため、姓名判断に頼らずに、音の響きだとか、漢字が持つ意味だとかに集中して無事命名することができた。

姓名判断なるものがビジネスになっている原因は、「姓名判断を無視して名前をつけようものなら、その名前をつけられた子供が不幸になるかもしれない」などという悪質な脅し文句に親たちが屈したことにあると私は思う。このお脅し文句は「先祖の供養が足りないから家族が不幸になる」などという怪しげな宗教だとか、「この保険に入っておかないと万一のときに家族が不幸になる」などという保険商品の勧誘だとかと同じ香りが漂う。

もうひとつの原因は親の怠慢にあるのではないかと思う。たとえば名づけの際に最後に2つの(あるいは3つの)名前の候補が残ったとする。当り前のことだが、最終的にはこれを1つに絞らなければならない。その最後の判断を、姓名判断にかこつけて他人に丸投げしているのではないかと思うのだ。「画数が良かったから」という理由は、とりあえずの言い訳にはなるというわけだ。

で、最近ようやく気付いたのである。姓名判断のいかがわしさの理由だ。それは何か。普遍性に欠けるのである。姓名判断は「文字の画数をみる」けれども、それって漢字圏にしか、つまり東アジア文化圏だけにしか通用しない論理ではないか。英語でもアラビア語でもベトナム語でも、画数などという概念はない。「Phillipは12画だからあなたのJacksonという姓とはあわない。Paulにしなさい。これならきっと幸せになるよ」とかいう話は聞いたことがない(たぶんないと思う)。漢字圏にしか通じない話なんてやっぱりデタラメなんじゃないか。

というわけで、姓名判断なんて嘘っぱちを信じちゃいけません。


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3 コメント

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ご無沙汰しております。 ()
2007-06-14 14:44:03
gooでお世話になりました、村上です。(覚えておられますでしょうか・・・?)
女の子がお生まれになっていたのですね!おめでとうございます。実は私も今年の秋に女の子を出産予定なんです。
姓名判断のいかがわしさ、私も同意見です!!
音の響き、漢字が持つ意味は大切だと思うので、私もそこに集中して命名しようと思っています。
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こちらこそ (fujikata)
2007-06-18 23:31:46
村上さん、ごぶさたしています。もちろん覚えてますよ!!

コメントありがとうございます。そしておめでとうございます。このエントリ書いた後に、ちょっと書きすぎたかなーと思ってたので、コメントいただいてちょっとホッとしました・・・。

いい名前をつけてあげてくださいね。
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同感! (まえだ)
2007-06-19 17:33:28
全く同意見!
ものすごく同意見!!
私も音の響き、漢字が持つ意味でつけました。
ええこと書くよなぁ。さすがF形さん。
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