たった30KBのファイルだし。とか高を括ってアップし始めたら、結局13回も続いてしまって自分でもちょっと驚いた。
今回の連載にあたって、会社名は全て実名を公表することにした。関西電力とかを思い切り攻撃してるけれども、まあ当時は本気で腹が立ったのでしかたない。今から思うと、腹が立つというより呆れるって感じですが。あと銀行間の就職協定の話とか、けっこうナマナマしいですね。実はいまちょっと会社で「採用 . . . 本文を読む
1995年7月3日(月)
NTTに就職することになった。今日までの動きを簡単に記すことにする。
29日、大阪ガスを断る。これが一番つらかった。
30日夜、内幸町にある富国生命ビルで食事会。東大の教養、文、教育学部の同期と先輩が集まる。同期は今のところ、Toさん、Koさん、To君、Ha君、Ni君、Na君、Mi君。女性2人と男性5人(私を入れると6人)。
1日は朝九時半に成城学園前からバスに乗っ . . . 本文を読む
1995年6月26日(月)
予想に反して今日の予定が入らなかったので、今朝早くに大阪ガスに電話し、急遽大阪での役員面接を今日に変更してもらう。
午前中にデータ通信に電話。結局断る。
IDCの約束時間を三十分早めてもらって、まずは学校へ。健康診断。もっと早く行っておくんだったなと後悔しながら浅草に戻る。
いったん家に戻ってからタクシーで浅草橋へ行く。IDC人事部の次長、Hさんと話す。結論は明日 . . . 本文を読む
1995年6月23日(金)
朝っぱらからどんどん電話が入る。
東京海上から。丁重に断る。
大阪ガスから。予定を入れる。
兄貴から。情報をもらう。
あれ。なんかもう一件あったような気がしてならないのだが。不安だ。
午後二時に豊洲。NTTデータ通信の適性試験。数学(というか算数というかとんち問題のようなものもあった)に苦労する。まあでもほかの奴よりはできてるやろ(根拠の無い強気)。
試験が . . . 本文を読む
1995年6月20日(火)
やっちまった。博報堂の面接をブッチしたんである。博報堂に対してはなんだかもやもやした印象があったのだ。恐らくこのまま内定が決まっても結局行かないんじゃないかというぼんやりした予感があったのである。とかなんとか理由を無理矢理並べて、本当はただ眠かっただけだったりして。さ。さむい。ただ、今回はちゃんとした面接だったらしくて人事部の人から電話があり、怒られてしまった。すいませ . . . 本文を読む
1995年6月17日(土)
朝、東京銀行からの電話で起こされる。「今日の十一時に会いませんか」ってあんたね。んなムチャ言われても。わしゃ寝てんねんで。というわけでキャンセル。
「そうですか。残念ですね。また後ほど電話をさしあげようと思いますが、もしかして電話できないかもしれません。そちらからも電話をして下さい」。
なるほどなあ。銀行って一回活動に乗り遅れると知らないうちに採用が終わっている可能 . . . 本文を読む
1995年6月15日(木)
昨夜はあのあと東海銀行のNさんから電話があり、金曜日に会うことになった。友人Hと電話で話しているうちに午前二時になり、結局博報堂に提出する文章を書くのに三時過ぎまでかかってしまう。
今朝、目覚まし時計を九時に会わせていたのだが、目覚めたら十時前。十一時から博報堂の面接だったので急いで起きなければならないというのに、なんとなくどうでもよくなってきたなー、サボっちゃおうか . . . 本文を読む
1995年6月12日(月)
朝十一時、渋谷の富士銀行前であさひ銀行の人と待ち合わせ(ややこしい)。一年目の人ということもあって、軽めの話に終始する。
午後二時、築地にあるITJで、試験。心理テストみたいなやつを受けるのかなとちょっとわくわくしながら会場に行ったのだが、ただの英語テストだったのでがっかり。久しぶりのテストに少し疲れた。
夜、東京海上から電話。いわゆる様子見。また連絡するとのこと。 . . . 本文を読む
1995年6月8日(木)
朝、ITJから電話。面接に合格したとのこと。
KDDのMさんに会う。これで国際通信三社すべてと接したことになる。KDDの人にはいろいろ聞きたいことがあったので、それを全部ぶつけてきた。驚いたのはKDDは他の二社よりもむしろ規制緩和によって日本に進出してくるであろうブリティッシュ・テレコムなどの外国企業を脅威に思っているらしいこと。単なる虚勢なのだろうか。敢えていうならI . . . 本文を読む
1995年6月6日(火)
丸の内にある博報堂へ行く。Aさんと昼食。昨夜書いた自己紹介と志望動機を見てもらう。自分の書いたものを人に読まれてる時ってものすごく緊張する。いろいろ細かいアドヴァイスを受ける。OBを四人紹介してもらう。
午後、友人Oと本郷の進路資料室に行く。二回目。関電と大阪ガスのパンフレットを取ってきた。あと銀行についての基礎知識が書いてある雑誌の記事をコピーする。
博報堂のAさん . . . 本文を読む
1995年6月1日(木)
安田火災から電話。「資料請求ありがとうございました」って言われたけど、おれは出してねえぞ。「金融では、損保と銀行に興味を持っていますので、是非お話をお聞かせ下さい」などと調子のいいことを言う。JR東海から電話。しかしこっちのほうはちょっと応対がつらかったなあ。参ったまいった参った。
1995年6月2日(金)
KDD、NTTデータ通信のOBの方に電話する。しかしKDDの . . . 本文を読む
1995年5月18日(木)
日商岩井のアンケートに答える。
「自己PR」
学生時代はジャンルにこだわらないで教養を深めることに力を注いできました。物事を多様な視点から眺めること、相対的に考えることができる人間だと思っています。
「志望理由」
もともと情報・通信系の企業を志望していたのですが、就職活動をしていくうちに、「情報」を実際に活用することにも興味を感じはじめたからです。(←ホントかよ)
. . . 本文を読む
1995年4月14日(金)
シティコープのセミナー参加を希望する旨のはがきを返送する。
1995年4月16日(日)
KDDの二枚目のアンケートに答える。
1995年4月19日(水)
昼頃寝ていたら日本セメントという会社から電話。寝惚けた声で応対する。本郷にある東京学生資料室に行って資料をとってきた。
1995年4月26日(水)
シティコープのセミナーに参加。ツーカーホン関西のセミナーに . . . 本文を読む
むかしむかしのそのむかしに使っていたMac (LC630) に保存していたファイルのなかに、自分の就職活動日記を発見。なんとまあ懐かしいことよ。というかよくこんなもん書いていたものよ。
実に10年前のことである。何らかの歴史的価値があるかもしれないので(ないかもしれないけど)、ほぼ無編集で(人名等は伏せた)ここに公開することにした。当時はインターネットも普及してなかったし、携帯電話も全然一般的じ . . . 本文を読む
さて前回の続きである。今回は筒井康隆氏以外の小説から。
「いかなる解釈も誤解でしかありえないと当代の学者たちは言い立てる。私も同感である」(中略)「むろん私は彼らを誤解しているのかもしれないが」
(『超哲学者マンソンジュ氏』、マルコム・ブラッドベリ著、柴田元幸訳、平凡社)
この本は学生時代に5回くらい読んだと思う。が、この本についてネタバレにならずにうまく批評を書けないので泣く泣く省略。
「 . . . 本文を読む