傍観者の独り言・戯言

団塊世代の手前勝手な放言
ブログ「傍観者の独り言」の続編

日本は、何日、どこの国に敗戦宣言し、どの国と降伏調印したのか?(雑感)

2015-08-28 20:10:16 | 雑感

安倍首相は、中国の「抗日戦争勝利70周年」の記念式典を出席見送り、岸田外相はプーチン大統領訪日への環境整備へのロシア訪問を白紙との報道があり、敗戦国の悲哀・非力を感じますが、非力を恥じずに敗戦国として正道を歩むことが賢明でしょうね。
とはいえ、日本として言わせれば中国、ロシアに不条理を感じるが、終戦詔書の将来の平和の世の実現まで「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」で甘受することが敗戦国日本の宿命で、たかが戦後70年でご破算できるとも思いませんね。

日本人にとっては、8月15日が「終戦の日」として、「全国戦没者追悼式」を開催するが、「東洋経済」の記事『日本人だけが8月15日を「終戦日」とする謎 各国の思惑で終戦日はこんなにも違う!』によれば、日本との交戦各国は、日本に勝利したとする日は思惑による日付になっているということです。

【日本人だけが知らない「終戦」の真実 】(SB新書)の著者:松本 利秋氏の記事『日本人だけが8月15日を「終戦日」とする謎 各国の思惑で終戦日はこんなにも違う!』では、

“「「日本人だけが知らない世界の「終戦記念日」

われわれ日本人の一般常識では、先の戦争の終戦記念日は8月15日と決まっている。特に今年は戦後70周年ということで、安倍総理の談話や中国が対日戦勝利の軍事パレードを予定しており、ことさら「終戦の日」が強調される年となっている。

しかし、ロシア(旧ソ連)でも対日戦勝利は9月、アメリカでも9月となっている。中国が軍事パレードを予定しているのは9月3日。中国はこの日を「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利日」としている。これを決めたのが2014年2月に開催された全国人民代表者会議でのことで、まさに70周年を目前にして正式に決定されたものである。このように日本と敵対国であった周辺国をざっと見渡しても、終戦の日は実際には日本人の常識とは違っているのだ。 
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日本の降伏調印式は1945年9月2日、東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号で行われ、その状況はラジオの実況中継で全世界に流された。トルーマン大統領は、ラジオの実況中継後、全国民向けのラジオ放送で演説。その中で9月2日を正式にVJデー(対日戦勝記念日)とし、第二次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したのである。したがってアメリカの第二次世界大戦の終了は1945年9月2日ということになる。

当然のことながら、日本においても天皇の命により、全権大使が署名した降伏文書により、国家として公式な正式な終戦は9月2日の降伏調印の日となる。これを受けて、占領が行われ、日本国憲法が制定された後、サンフランシスコ条約で国際社会に復帰する……という流れになる。

ソ連時代と日付が異なるロシアの「終戦記念日」

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サンフランシスコ講和条約には、主要な敵対国の中で中国とソ連が参加していなかった。そのため日本はそれらの国々とは別個に条約を交わさなければならなかったのだ。
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例えばソ連。この国ではソ連時代とその後のロシアになってからと、終戦記念日が変わっている。ソ連時代では降伏調印翌日の9月3日を対日戦勝記念日としていた。
ソ連は1945年8月9日に対日戦を開始。降伏調印が行われている9月2日に、北方領土の歯舞島攻略作戦を発動している。そして5日に千島列島全島の占領を完了させた。そのため、日本への侵攻作戦実施中の9月2日を戦勝記念日とは言えなかったのである。
かといって、ソ連を含む連合国が調印式に参加している手前、無視することもできず、とりあえず、翌9月3日に戦勝記念式典を開いて体裁を整えたのである。
その後、またまた政治的な理由で終戦記念日が変わる。ソ連では、戦勝記念式典の開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日と定めていたが、ソ連崩壊後の2010年7月、政権を受け継いだロシア連邦共和国議会が、9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決したのだ。

これによって、ロシアが正式にソ連の後継政府であり、連合国として戦った国とアピールしたのである。
それと同時に、この終戦記念日の制定は日ソ中立条約違反、シベリア抑留、日本の正式降伏調印以降の不法な戦闘行為、および北方領土の不法占拠など、対日戦で行ったあらゆる行為をソ連が行った事であり、ロシアとは関係がないとして帳消しとし、あらためてロシアが北方領の実効支配者として自らを正当化できるという、したたかな政治的計算の上に成り立った終戦記念日制定だといえよう
。」“

要は、ロシア(ソ連)は、1945年8月9日に対日戦を開始し、降伏調印が行われている9月2日に、北方領土の歯舞島攻略作戦を発動し5日に千島列島全島の占領を完了させた史実は、日本の終戦の契機にもなり、今日の北方領土問題となっております。

中国については、

“「2つの「中国」と対戦し降伏した日本軍

中華民国(台湾)は中国大陸での戦闘の主役であり、連合国の一員としてポツダム宣言にも参加している。大日本帝国陸軍支那派遣軍は1945年9月9日に南京で正式な降伏調印をして国民党軍に降伏した。だが、国民党政府はミズーリ号上の降伏調印日である9月2日を戦闘の区切りとし、翌9月3日から3日間を抗日戦争勝利記念の休暇としたことから、中華民国では9月3日が記念日となったのである。

では、中華人民共和国(中国)ではどうか。冒頭に述べたように、2014年まで正式な終戦記念日は存在していなかったことになる。この原因となるのが、天皇の詔勅が発布された1945年8月15日の時点まで、日本軍は中国大陸でいったい誰と戦っていたのかという問題である。
つまり、日本が正式に降伏するとすれば、その相手は南京に政府を置いていた蒋介石総統の下にある国民党政府ということになる。ましてや日本は中華民国も加わったポツダム宣言を受け入れることで敗戦国となったのである。

ところが中国大陸では戦線が複雑になっていた。主に日中戦争を戦う任務の帝国陸軍支那派遣軍の敵は国民党軍である。だが、北部の華北地方では関東軍(満州国駐屯の日本軍)が共産党軍(八路軍)を主たる敵として戦っていたのである。その上に国民党軍と共産党軍は互いに中国の覇権をめぐって内戦中であったのだ。

この複雑な情勢の中で支那派遣軍は国民党政府に降伏したが、問題は関東軍である。1945年、突如ソ連軍がソ満国境を破ってなだれ込んできた。1946年まで有効であった日ソ不可侵条約を一方的に破棄してのことである。関東軍はソ連軍に圧倒されて投降した。当然、関東軍の投降相手はソ連軍である。その後、ソ連軍は関東軍将兵約57万5000人をシベリアなどに強制連行し、過酷な労働に従事させる。
武装解除は支那派遣軍については国民党軍が行い、日本軍もそれに従った。しかし、関東軍に対しての武装解除は投降相手のソ連軍ではなくて中国共産党軍であった。ソ連が共産党軍に関東軍の投降兵士たちを引き渡したからである
。」“

と、日中戦争は複雑で、中国には、蒋介石総統の下にある国民党軍と共産党軍(八路軍)があり、覇権争い内戦中でもあり、日本の帝国陸軍支那派遣軍は国民党軍と交戦し降伏したが、関東軍は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して進軍してきたソ連軍に投降し共産党軍に引き渡された。
 しかしながら、共産党軍による武装解除を拒否したことで、中国共産党軍は関東軍に攻撃を仕掛け、8月15日から11月末までの間に戦死した日本軍将校の数は2900名に上ったという。
終戦の日以降も関東軍と中国共産党軍は交戦し、中華人民共和国が国家として正式に戦後処理に取り組んだのは、国民党軍との内戦に勝利して、中華人民共和国が1948年に設立され、権力が安定してきた1956年になってからで、日本人戦犯を裁く法的根拠は希薄で、9月3日を「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利日」としたのは2014年2月に開催された全国人民代表者会議で正式に決定された。マアー、中華民国(台湾)は筋が通っているが、ロシア、中国も抗日戦争勝利日は、自己都合に政治的で不条理を感じますね。

韓国の朴槿恵大統領が中国主催「抗日戦争勝利式典」に出席すと報道に接して、木走正水氏のブログ『中国主催「抗日戦争勝利式典」に韓国大統領参加のめちゃくちゃ度を検証』(08月21日)では、韓国の朴槿恵大統領に、“「あなた、どんな立場で中国共産党主催の「抗日戦争勝利・世界ファシズム戦争勝利70周年記念式典」に参加するおつもりなのですか。」”と冷笑していますね。
マアー、韓国にとっては隣国の大国中国を無碍に出ないのでしょうね。

安倍首相は、中国の「抗日戦争勝利記念式典」不参加を遠まわしの理由を挙げているのが、精一杯でしょうね。
世界は流動的不安定であり、日本は「耐え難き耐え、忍び難きを忍び」で上手に立ち回るのが現実的でしょうね。

「付記」

「SAPIO」(2015年9月号)の記事『ポツダム宣言 関与は米だけで日本は「無条件降伏」ではない』を一読すると、「歴史認識」に注力すべきでしょうね。
マアー、中国が何時までも超大国として影響力を持ち続けるかは不透明な現下、日本は粛々と自力をつけることが肝要ですね。
しかしながら、中国の国営新華社通信が『だれが日本の侵略戦争の罪を謝罪すべきか』との評論を配信し、“「昭和天皇は亡くなるまで被害国とその国民に謝罪を表明したことはなく、その皇位継承者は謝罪で雪解けを、悔いることで信頼を手に入れなければならない」”などと主張したとの報道に接すると、史実に基づいて反論するのがメディアなのに動きが鈍いですね。



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