傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

医療・介護難民の戦犯は?

2009-04-03 12:09:02 | 社会保障
医療難民については、「高齢者医療難民」の著者の吉岡充氏(参照:本ブログ『「高齢者医療難民」の著者に聞く・・・・内容に身震いします。』)は、老人医療と介護は一緒にすべきとし、厚生労働省の医療療養病床の削減、介護療養病床の全廃の施策は、医療難民が生まれると反対を提起しております。
これは、小泉改革以降による「歳出削減」の圧力による社会保障費削減が元凶ですね。

文藝春秋(2008.09)に、元財務省課長補佐で、医療制度改革に携わった村上正泰氏が寄稿した「医療費削減の戦犯はだれだ」(霞ヶ関に絶望した若手官僚が告発する小泉改革の「病巣」)で、「歳出削減」の至上命題で、本末転倒した政策過程を述べており、その疑問と矛盾により、村上氏は、9年余りで32歳で退官しています。

まずは、村上氏は、バブル崩壊で日本経済が未曾有の金融危機にみまわれ、景気がどん底の時でも、当時の大蔵省の関心事は「財政の健全化」で、政策を財政というひとつの側面からしか考えでは「財政健全化して、国滅ぶ」と批判しています。
そして、2005年2月の経済財政諮問会議で、民間議員から「経済規模に見合った社会保障に向けて」が提出され、医療費削減が声高に唱えられた2006年に、村上氏は財務省から厚労省に出向され、医療制度改革(医療費削減)に携わる。

2005年に経済財政諮問委員会で民間議員が繰り広げた「伸び率管理」論は、持続可能な医療制度にするためには、名目GDPの伸びに合わせて社会保障給付費を管理するべきという曖昧な内容で、強制的に医療費を押さえつけるものではなく、あくまで目安を示すに過ぎず、医療費の総額は増えても構わないが、問題は給付金(税金と保険料を合わせた額)で押さえればよいという、国と企業の負担を増やしたくないということと、村上氏は書いています。

経済財務諮問会議と財務省からの社会保障費削減という巨大な圧力に、厚労省は抵抗できず、「伸び率管理」にかわる医療費適正化対策としてクローズアップされたのがメタボ健診であり、療養病床の見直しだった。

諸外国と比較して、日本は、患者や家族の生活上の理由から入院を続ける「社会的入院」の患者が多いのが特徴で、福祉施設の不足が社会的入院を生んでいるという事情もある。

村上氏は、「それをいきなり38万床あった療養病棟を、15万床にまで削減するという乱暴な方針が打ち出されたのである。しかも、受け皿となる老人保健施設やケアハウスなどの拡充が不確定のまま、削減数だけが突然頭ごなし決まってしまったのだ。これではベットを削減された23万人の患者は「医療・介護難民」になってしまう。」とし、「私(村上氏)は担当者でありながら、あまりにも行き当たりばったりの政策決定に戸惑わった。」と書いています。

村上氏の寄稿された内容は、携わった官僚の立場からの問題指摘であり、「高齢者医療難民」の著者の吉岡充氏の問題提起は、現場の声であり、高齢者医療は、後期高齢者医療制度も問題ありますが、それ以上に、医療・介護を受けられる施設の絶対的不足のままで、家族に遠慮気味に生きている高齢者の「長生きはするもんではない」という「ため息」が蔓延しているのが日本の社会の問題ですね。
年金記録も杜撰、介護・医療も我慢させらている国民は、何故、怒らないのでしょうね。


また、村上氏は、

「医療をはじめとする社会保障は、単なる負担ではない。国民全体で分かち合うセーフティネットであり、弱者保護のためでなく、長期的な社会の安定性を保証するものなのだ。企業活動も、個人の生活も、こうした安定性の上にはじめて成り立っている。それが切り崩されたら、日本社会はどうなってしまうのか。社会保障を単なる負担と考え、削減の対象としてのみ捉えると立場からは、こうした点がすっぽり抜けてしまっている。」

とし、

「結局、竹中大臣や民間議員の主張を吟味していくと、アメリカ型の新自由主義をすべての基準として、日本をそれにあてはめよう、といっているのに過ぎない。」

と書いています。
この文面を一読し、どこかで聞いたような印象をもちました。
中谷巌氏の新自由主義にもとづく構造改革の懺悔の内容ですね。
やはり、人間の営みを考慮した政策が必要という思いを強くしましたね。

現在の日本の社会保障制度をガタガタにした背景は、新自由主義を唱え、「構造改革」を推し進めた有識者の意見に、「財政健全化」を「錦の御旗」にした財務省が同調した圧力に、厚生労働省が屈し、医療制度改革の名の元、「医療費適正化対策」が医療・介護難民を生むことになったのでしょうね。
そこには、政治の「力」も「見識」もなく、ただただ、流れに追随し、今日に到ったという思いですね。

当方が恐ろしいと思うことは、諸々と「刷新」、「有識者会議」という言葉が踊っていますが、現状保持の流れが、現在も脈々と続いていることです。

当方は、社会変革が必要という思いで、それには、政権交代し、骨粗鬆症に陥った政治・官僚を刺激し、緊張感のある政権運営で、日本の再生を願うだけです。







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