「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

瑞祥ばかりと神がかりと霊障と精神障害と

2010年07月31日 20時30分07秒 | 銀の風(霊能力・霊視・念力・霊聴・透視)

こんにちは。



基本的に、霊能力とか超能力は誰にでもあって、困難な道へ踏み出した時、一生懸命足掻きもがいて行く事がピークを超えた時点で、こんなん普通に出てくる感覚だと思っています。私、子供の頃から、元々、結構な困難な環境でしたし、困難な自分の体でした。

で、これを「選ばれた能力」って思いだすと、人はすぐに金に換算したがるもんですね。まぁ、能力をそのまんまに受け止めて、そのまま、

 

「自分の思う道であろうが、そうではなくても進んで行く事」

 

ってのは実はそんなに、負担を感じさせないんです。

けれど、人の欲ってのは、そう簡単に片付く所もなく、何か長けていたと考えると、即人間は、あっちこっちへと力技に出ます。どんな人でも、力技で、通る道理も通らぬ道理も、自分の欲にてメクラになり、失敗し、そのままさ迷いでた地雷原の道も、自己責任。どの人間でも同じですわ。

ただ、感覚過敏を負担に思い、人や物事を思う通りに動かしたいと思う時点で、能力はあなたの思うようには、動かなくなりますし、感覚に振り回されて、本来あるべき自分自身を見失うのは、既に、私は高級霊が相手でも、自分が自分自身に負けた証と考えます。

高級霊程、露骨に振り回す事は、カンダーリー等での、私の歴史でお分かりかと存じます。世の中、露骨に振り回されて来た人の歴史等幾らでもあります。

 

「聖人」あれら、どう思いますか。多少なり、厨二病満載な点あるでしょう。

 


けれど、「振り回されていると思う」間は、自身も結局は「愚か」だと思います。人を拝見し、その人の状態をこの身に移して、その感覚に関して、振り回されていたら、私自身も、もはや霊能者である自分自身の存続自体危ういです。



つまり、どんな時でも、流される事なく、自らを貫いていただきたいと思います。



その「自ら」がないから、さ迷うのでしょう。何か歴史に一つ残りたいと思う気持ちがそうさせるのでしょうか。それでも、何かに惑わされ、日常生活を踏み外した時点で、こういう世界をメインに考える事自体、違うと思います。そして、感覚で苦しむ中で、「自己のエゴ」である「選民意識」をくすぐられ、精神疾患に陥る人は、やはり色々な面で、

 

整理してこなければならない心の闇が多いのかなと思います。

 

自分を救えぬ者が、他者の助けになれないです。必要として欲しいなら、それ相応のことを求められるのは、当然です。何かにすがりついて、心を強くしても、結局は、自分との闘いです。

 

まぁ、時代的に、使命とか、運命とか、スピリチュアルとかは、とっくに古いオワコンになりましたけれどね。

 

 

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